「社会人」
最近、家族と話す中で気になる言葉がある。タイトルのとおり「社会人」という言葉だ。
そもそも社会の人ってなんぞやという話なのだ。今の時代だ。ネットで調べれば「社会人」という言葉の定義なんてたんまり出てくるはずなのだが、私にはどれもしっくりこない。
私は別に定職に就いているわけでもなく、ただのらりくらりと夢を追っているわけなのだが、そんな私に向けて家族がかける言葉が、「早く社会人になれ」なのだ。
では果たして、社会人になるとは定職に就くことなのだろうか。そもそも、社会というのは多くの定義があって、またその範囲も幅広い、一番身近なのでいえば家族だって一つの社会だ。もちろん学校だって、会社だって社会という枠組みの中の一つの形式に過ぎない。
定職に就くことが社会人になるということならば、定職に就いていない人は社会人と言えないのだろうか。2020年の厚生労働省の調査によれば役員を除く労働者のおよそ4割は非正規の労働者だとなっているが、この人たちは社会人ではないのだろうか。ましてや労働していない人もいるがその人たちは社会人ではないのだろうか。
私の見解を申せば、日本社会における義務を一つでも果たしていればそれは社会人と呼んでいいと思っている。つまり、大学生であろうが、高校生であろうが納税の義務、普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、いずれかを果たしているならばそれは社会人と呼んでいいのではないかと思っている。
なぜか、それは社会というのは常に権利と義務などといった二項対立で成り立っているからである。すなわち、日本に生きる人は上の三条件の一つの義務を果たした時点で日本の社会に参画する権利を得る、このような考え方だと思うのだ。
だから、高校生であろうが大学生であろうが、アルバイトでもいい、働いていればそれは立派に義務を果たしていることであり社会人たり得る権利があると考えるのだ。
だから、正社員ではなくともアルバイトや派遣労働などで勤労している私はすでに社会人と思っているから、家族に言われる言葉にはかなりの違和感を覚えるのだ。
自分以外にも目を向けて、例えば路上生活者の人だって、この世の中で生きていくにはお金が必要なわけで彼らは彼らで、人が嫌がるような仕事をして、社会に参画しているのだ。だから、彼らだって社会人じゃないわけじゃない。
私はそう考えるのであるが、あなたは社会というものをどう考えるだろうか。