No.1:アニエス
今日は月がもっとも美しく見える夜。
それは何らかわり映えのない日々のひとつで、
例えば、月から天人がくることも。
かぐや姫が現れることも、やはりなかった。
しかし、明日は特別な日だ。
「家族旅行か。ちょっと憂鬱だなぁ……」
気分が落ち込むのは、実は家族旅行のせいだ。
以前、旅行した場所に行きたがる癖が染み付いてしまった家族は、何度も似た場所か、ほぼ同じような旅先になる。
それが嫌になって気持ちを下げる。
もちろん、それが良いっていう人も多いに違いない。
同じ楽しみを何度も味わいたいというのはわかる。
わかるけど。初めて行くあのワクワクはどうしても一度きりだ。
初めて行ったテーマパーク。ポップコーンの香り、かわいいキャラクター、そこは夢のような世界。
(冒険をしたい。あのドキドキが恋しい)
「あぁ、月から、天人でもきてくれたらいいのに」
と、叶うこともないことを呟きながら、寝具の上へ腰を下ろした。
___その時だった。ギシギシと響く家の軋む音と、金魚鉢に波が作られた。
「地震だ…な」
少しの緊張が身体全体に奔るが、直ぐに落ち着く。
地震は対して珍しくもない。海外では珍しい地震も、日本じゃあ当たり前の恐怖だから。
どこかの誰かは、その当たり前にビビっているけどね。
しかし、やけに長いね、怖いなぁ。
恐れることは恥ずかしいことではない。ほら、海外の人が日本で地震を体験して焦るように、人間として怯えることは本能のひとつなのだから。
避難路を確保することも重要だ。
冷たいドアノブを捻り、鍵のひらく音を鳴らす。
___しかし、一切の不動であった。
「ま、ま、ままって!開かない!?」
ドアノブを強く捻るが、やはり開かない。
「回れ、回れ!」そう必死に捻るにも関わらず、
ガチャガチャ無慈悲な音を鳴らすだけ。
「どうして!」
叫ぶが、この容易な答え合わせをすることは難しい。
ドアの向こうに家族の気配はない。
誰も、自分ひとりだったから。
それでも、叫ぶ。身をよじり必死さに、顔は真っ赤だ。
その時だ。木壁は炸裂音をだした。
ギシッ!と___次の瞬間。
背後から大きな唸り声が聞こえた。
ひとの声とは似つかない怪物のような音。
恐怖に、身体がこわばってしまう。
後ろを振り向く。
おおきなタンスが自分のほうへ倒れてきていた。
「あ……」
あまりに急なことだったために、対応できなかった。
不可抗力なのである。
僕は目を見開くだけだった。
そこで理解した。このまま死んでしまうのだと。
ただ、迫りくるタンスを眺めていた。
タンスが床に叩きつけられる。僕もろとも。
同時に、何か暗いものに引き摺り込まれる感覚をかんじる。
頭をぐねぐねと強く揺さぶる感覚。
衝撃で耳鳴りが、ひどく頭をうちつづける。
耐えがたい痛みと、この死ぬという現実。
しかし、僕はこのまま、諦めるように意識を手放した。
➖ ー ➖ ー ➖ ー ➖ ー ➖
僕は気づいたら森の入り口の目の前に立っていた。
これには、心身ともに完全に固まってしまう。
「近所の公園……え?レンガ建築に馬?」
どう考えればいいか理解が追いつけなくなっていた。
目と鼻の先には、街があった。
山と森。自然の要塞に守られた、多少古めかしい街だ。
しかし、そこは異色だった。
街は、レンガの防壁で囲まれている。
その街を圧倒するのは、どデカいお城だ。
都会では嗅ぐ事の少ない新鮮な土の匂い。
一度も目にしたことがない景色と場所に目をパチパチさせる。
「どこ???」
いや、知らない。
でも旅行先じゃあないでしょうね。
僕が行く家族旅行はもっと和風で、そしてエキゾチックな驚かせ方を家族はやらない。しかし家族旅行なのに、肝心の家族がいないしな。これじゃ1人旅だ。
僕はぴんとした。1人旅。僕だけの1人旅。そして自由。あたらしい旅だ。
(そう!いや違う)
おおきく思考がズレたが、冷静に考えたら今は危険な状況だ。
未知の場所に1人ぼっち。
携帯電話もない。
それと記憶を掘り起こせば、自分はタンスに潰された後だ。
けど、あの頭を揺さぶられる気持ち悪さも、耳鳴りもない。
幻想だったのだろうか、今は一切感じない。
「夢なのか?夢には思えないな」
自問自答する。
けど、アレは夢の出来事とはなんとなく思えなかった。
腕を組んで考え込む姿勢を作る。
僕の癖、というよりいかにも考えてますという格好つけだ。誰も見てないけど、ひとりだからできる恥ずかしい動きだ。
しかしそこでハッとした。
僕の服が、パジャマだった筈の服が。
全然違うことに気づいたのだ。
「うっそ、スカート??」
ガン見するほど、過去一の衝撃を喰らった。
膝上までしかない、太腿も少し露出させたスカートを、
まさかの、僕、が着ているのだ。男の僕がだ。
誰かに着替えさせられた? とかそんなキモい事を考えたくない。頭を切り替えよう、寝てる間にズル剥かれたとか想像したくもないし。
ただ、まあひとつ。安心できることといえば良くも悪くも1人だということだろう。見知った人物が居りゃ、そりゃもうゲラゲラと腹を抑え爆笑されていたことだろう。
想像上の出来事とわかっても、太腿が感じるヒュンとした冷たい風は、己の惨たらしい現状に想像力を与えた。
ただ、生まれて初めて履くスカートは着心地は悪くないと感じた。
軽くて丈夫な素材。表は金属繊維なのか、かすかな引っかかりやざらっとしたもの。しかし見た目や裏地はデニムとも思えた。あまり長時間着ても疲れにくそうな感じである。
まさに、漫画で見て冒険者。そんなイメージを彷彿とさせた。でもどうしてスカートなのか?そこまでは想像を超えてイメージが湧かなかった。
数ある胸ポケットからは、貨幣らしきものが入っている袋もでてきた。中には金貨、銀貨、銅貨だとと思われるものが入っていた。
これはきっとこの世界の通貨なんだろう。使える事を祈る。
無理なら野垂れ死にだ。
「で、腰には剣はあるし困った。誰か、助けてくれる人いるかな。どうしよどうしよ」
パニックで独り言が激しくなるなか、不自然な感覚を下半身に感じた。不安と緊張に駆られ、冷や汗が出てくる。
「え……ないんですけどー!」
そう、あれが確認できないのだ。
長年苦楽を共にした大切な相棒を失っていた。代わりにあるのは、腰にいつの間にかさしてある鉄の剣。
それと、スカート。男を惹きつけるかのようだが、決して際どくない。それでもソワソワと落ち着くことはしばらくなかった。
これは自分が男を捨てて女の子に生まれて変わったということなのか?それか無性なのか。てぇへんだ……って。
「いや、ほんっっと!なんなんだぁあああ!!」
高くなった声でそう叫んだ。___そのとき、森のほうからガサガサと木の葉を踏砕く音が聞こえた。
不意な事に思わず「ヒッ」」情けない声をあげて、
恐る恐る木々の間をみつめた。
「あー悪い。驚かせるつもりはなかった」
声の主は、少しけだるげな目つきをした無精髭のおじさんだった。
だが、明らかに日本人の容姿とはかけ離れていた。
髪は茶髪に、腰には立派な剣をさし、片脚には木製の義足がつけられている。
なかなか見かけることのない、旧式の義足だ。
「い、いえ僕も驚かせてしまってごめんなさい」
急で焦りはしたが、自然と謝罪の言葉はすらすらと出てくる。
それもそう。おじさんは巨体だ。
頭ひとつか、ふたつ、およそ2mぐらい。
見上げる形になるから、まるで巨人のよう。
どうしても僕には怖いと思ってしまう。
だから、僕は腰の剣をすこしでも隠そうとした。
おじさんからみえないようにと祈り、身体を自然にみえるように視線からずらした。
理由は単純。
『殺し合い』になる可能性だってある。
互いに剣を持っている状態だ。
僕のはまだ抜いていないけど、ナマクラの可能性だってある。
真剣だとしても、話にならないだろう。
反対におじさんから漂う、うっすら血の匂いが本物であることを嫌でも分からせられた。
だから祈った。自然と額に汗が流れる。緊張している。
「剣、なんだ冒険者か?」
「い、いえ。……違います」
しかし、祈りは通じなかった。
だが、斬り合いになりそうな雰囲気は微塵も嗅ぎ取れない。
どうやら、生き延びられはするらしい。内心ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、剣があったり、見たこともない景色で気づいていたが、どうやら本当に別世界にきてしまったらしい。
しかも、冒険者などといっていたから、更に信憑性が増した。
「そうか。それにしても何してたんだ?いったいこんなとこで。冒険者じゃないんなら森付近にあんまり用事はないはずだぜ。ん?」
(ちゃんと理由を話そう)
警戒されたのか。おじさんの目からは、明らかに疑う様な視線を感じた。こんな状況、嘘はつかないほうがいい事は、なんとなく僕でもわかる。
僕は、緊張を隠しきれないまま。
今、精一杯の気持ちを言葉にしようとした。
「えぇっとー。まだ、田舎から出てきたばかりで、右も左も分からなくて。あの、すこしでいいので、お願いです。
助けてくれませんか?」
別にフェイクじゃない。実際、どうしていいか分からないのだ。
でも、本当のことを自分がなんで、どうして隠したのかが、自分ですら分からなかった。
自分の気持ち悪さを痛感しながら、おじさんの言葉を固唾を飲んで待った。
「まあいい。
そうか、そういうことならついて来い。
今から街に帰るんだ。一緒に行こうぜ」
ほっとした。
信じてくれたことに心が軽くなる。
「街ははじめてか?」おじさんは聞く。
「そうです」僕は答える。
「なら通行証が必要だな。入口の検問で貰えるが、金はあるか?」
街に入るには、通行証というものが必要らしかった。
街を出入りする人間はみんなもってる。
お金を払えばすぐにもらえる、そんなものだった。
しかしそうなってくると、お金の問題が出てくる。
けど、あれは使えるかな。袋のやつだ。
それっぽい雰囲気の、数枚の硬貨。
「足りますか?」
使えるかの確認を同時にする。
いざという時、使えなかったら恥ずかしいからね。
「問題ない。だが、そうやって色んな人に見せびらかすんじゃねーぞ?盗まれちまうからな」
この辺は治安が悪いわけではないが、
若い娘が大金をチラつかせて歩くのは狙ってと言ってるもんだと、怖い顔で言われて思わず身を震わせた。
可能性がない事はない、そう言われると不安になる。
確かにそれは僕も迂闊だったと思う。
もう少し気を張ろうと思った。
「わかりました」
「まぁいい、なにかわからねぇことがあったら聞けよ」
実に、頼りになるおじさんだ。
「そう言えば名乗ってなかったな。俺はカール、カール・フィリップだ。よろしくな嬢ちゃん」
「えっと…アニエスです」
「おっそうか、アニエスっていうのか。いい名前だ」
いきなり嬢ちゃんて言われて焦ったって。
しかし、とっさにでた名前がこれだったけど、案外いいかもしれないな。
というか、自分の名前ってなんだっけ。
地球で暮らしてたのは覚えてるけど、それ以外のことは突然抜け落ちたみたいに思い出せない。
どうしよ。混乱してきた。
いや、冷静になるんだアニエス。
一個ずつだ、一気にじゃない。ゆっくり、ゆっくり思い出していこう。
まず、名前…は記憶にない、ね。
住んでた場所は、地球という星の日本という国にいて。
…それ以上は分かんない。
性別は勿論、男。男の子。今は多分女の子になってるけど。
家族?分かんない。友達?覚えてない。
これ、やっぱり記憶喪失ってことでしょ?
「か、カールさん」
「うん?」
地球帰れるのかな?でも、帰ったってところだよね。
記憶もないし、家族に会えるかどうかも…。
会えたとしても、今女の子だよ、僕?
どうすんのさ、日本に戻れる保証もない。
もう一生ここに永住してみる?いや、不安だ。
「……なんでもないです」
「そうか」
それでも。
カールには話せる気は起きなかった。心がまるで沈んでいきそうになるから。
まずはだ。モノには順序がある。
とりあえずここで生きていけるようになろう。
そっから先、落ち着いてまた考える。
剣もあるし、冒険者になるのもアリだよね?
大変だろうけど、飛びつくしかないんだ。今の僕にはこの世界で生きていけるノウハウを持っていない。
まず、収入源を確保する。そっから。
(でも、怖いよねェェ〜…)
暫く悶絶しながら歩くと、街の入り口らしきとこ見えてきた。
検問所だ。
目の前の入口には役人が2人立っていて、
街に入ってくる人の中に、怪しい奴はいないかと目を光らせている。
「今日はいつもより早いですねカールさん。
ん?そっちの女の子はどうしたんですか?」
一人の優しそうな顔をしてる検問をしている人が笑顔で出迎えてくれた。爽やかイケメンだ。
「アニエスだ、森の入り口で迷子になっててな、少しばかり心配だから一緒に連れてきた」
「よかったね。一番に見つかったのがカールさんで。カールさんは優しいからさ、アニエスさんよろしく。僕はレイドリック。みんなにはレイって呼ばれてる、気軽にレイと呼んでほしいな」
別に迷子ではなかった思うがカールにはそう見えたらしい。
レイは騎士だった。
フルプレートのアーマーを着ているが、隣の騎士を見るとその装備はどうしても劣ってみえる。
もしかしたら、騎士見習いってやつなのかもしれない。
だが、体幹は一切ブレず、体はしっかりと鍛えられているのがわかった。
しかも、かなりカッコいいイケメン顔だ。どんなところに行っても、さぞモテるだろう。
もちろん、色んな面で対象外だ。
「・・・・・・」
そんなイケメンを隣の騎士は冷たい目でみていた。
僕に見られてるのに気づいたのか、
レイからそっと目をはなして通常通り仕事をやりはじめた。
すこし横目に見ながら。
これはイケメンへの妬み、恨みの視線なのだろうか?
確かに。気持ちは分からないわけではない。
だけど、それとは少し違うもののような気がする。
同じ仕事仲間だ。
なにもないと思うが、レイには十分夜道に気をつけほしいな。
次の日レイが・・・なんてことがあったら目覚めが悪い。
そう思っても、レイの助けにはなれないけどね。
「まだ田舎から出てきたばっかの子らしい、
少しばかり手伝おうと思ってな。ほら、通行証渡してやれ」
「珍しく女の子を連れ回してると思ったらそうことだったんですね」
うるさいぞ、と深い付き合いなのか仲が良さそうな雰囲気を出して二人は話していた。
「銅貨5枚だよ。この国の通行証だから絶対に失くしちゃダメだからね?絶対ですよ?」
カールから迷子と聞いて心配したのか、レイから念を押されてしまった。
「ようこそネピアンへ」
ありがとうございますと、レイにお礼を言うと門を通り抜けて街に入った。
それと、この国だけで使える通行証か。
ほかの国では新しいのを買う必要があるのか、面倒だ。
もう一度もらうためにはお金を払う必要があるし、失くさないように気を付けておこう。
冒険者になるかもしれないのだ。
この国だけでなく、きっと世界中を旅してまわるだろうな。
(本当に楽しみで仕方ないな!)
そう思いながら、左の空いているポケットに無くさないように大切にしまうのだった。
「そのままギルドのほうへ行くんだが一緒に来るか?」
「はい!登録を先にしたいと思っていたので」
男の子ならだれでも憧れる冒険者になれると、この世界にはいったいなにがあるのだろうと期待しながら足を進めた。
もしも異世界に来たら、冒険者になって英雄だと称えられたり、気ままに世界を旅したい思っていたので猶更ワクワクが止まらなかった。
「すんすん」
カールについていくと道中、初めて見る車輪付きのオーブンがなにかを焼いていたり、料理屋が多くみられ、そこらじゅうからお腹がすいてくるようないい匂いがしてくる。
本当に中世のような世界に来てしまったようだ。
「先にギルドに行ってから飯を食うぞ、旨くて有名なところを知ってるんだ」
僕はいつのまにか屋台の方に向かっていたのを、カールに引き止められた。
すこし恥ずかしい気持ちになりながら、カールに慌ててついていく。
この世界ではどんな料理があるのだろう。
得体のしれない物体が皿に乗せられて現れるのだろうか。
はたまた異世界限定の絶品グルメがあったりするかもしれない。
「ほら着いたぞ、ここが冒険者ギルドだ」