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9. すごくすごく好きなもの

 結論から言うと、レイコはすぐに見つかった。


 アパートの前で皆で手をこすりながら昭三さんが来るのを待っていたら、そこにのんきな足取りでレイコが戻ってきたのだ。


「……レイコっ!」


 悦子さんがしゃがんで手を広げると、レイコはまっすぐに悦子さんに向かい、膝の上に乗ってぐるぐると喉を鳴らし始めた。


「まったく、人騒がせな奴だな」田宮がやれやれといった感じでつぶやいた。「でも見つかってよかったよ」


 そこに真っ赤なミニクーパーが近寄ってきた。


「あ。大おじさんだ。おーい、こっちこっち」


 運転手のあの男性が昭三さんということか。シルバーめいた髪を横になでつけ、薄茶のスエードのジャケットをはおり、ウインドウごしでも品のよさが感じられる。悦子さんにお似合いの人だ。


 あの人が悦子さんのことを好きなのだと思うと、自分のことではないのに妙に照れくさくなってきた。大人の恋愛事情に関わるのもよく考えたら初めてのことだ。


 昭三さんはこちらに気づくと、にこやかに手を振ってみせた。けれどわたし達の横でしゃがむ女性――悦子さんの存在に気づくと、その手の動きがぴしりと止まった。


「……しょうちゃん?」

「や、やあ。逃げ出した猫ってえっちゃんのところの猫だったのか」


 車から出てきた昭三さんはかなりおたおたとしている。おそらく『しょうちゃん』と呼ばれるのも『えっちゃん』と呼ぶのも久しぶりのことなんだろう。


「そうなの。ごめんなさい。迷惑をかけちゃって」


 レイコを抱えて深々とおじきをした悦子さんに、昭三さんが胸の前でぶんぶんと両手を振ってみせた。


「いやあ。迷惑だなんて!」

「今日はお店は大丈夫なの?」

「昨日から店は定休日だから全然平気だよ」

「……大おじさん、悦子さんに会えなかったからって店をひらく元気もなくなってたんだ」


 田宮がわたしの耳元でそっとささやいた。


「健気だよな」

「うん。すごく健気」


 それにしても、昭三さんも悦子さんもすごくうれしそうだ。見ているこちらまで幸せな気持ちになってきた。


「あ、また同じようなことがあったら遠慮なく呼んでくれていいから。朝でも夜でも。いつでも駆け付けるから」

「そんなことはないように気をつけるけど、そう言ってもらえてうれしいわ」


 レイコは眠ってしまったようで、悦子さんの腕からはみだしたしっぽが空中でぶらんと垂れている。


「あの。せっかくだからうちに寄っていかない? よかったらお茶でもいかが?」


 悦子さんの誘いに「ぜひ!」と昭三さんが食いつき気味に応えた。


 これに残る三人はつい噴き出してしまった。



 *



 悦子さんはわたしと田宮のこともお茶に誘ったが、お邪魔虫にはなりたくないからやんわりと固辞した。そして今、わたし達は近場の公園に来ている。


「今頃あの二人、何してるのかなあ」


 昼から一転、空はどんよりと曇っている。その空を見上げながら、無人の公園でブランコをゆらゆらとこいでいる。


「そういえば今日ってクリスマスイブでしょ? 何か進展とかあるのかな」

「大おじさんのことだから、お茶して、ちょっとおしゃべりするのが精いっぱいだと思う」

「ええー。その言い方ひどくない?」

「いや、きっとそうだ。俺だったらそうなる」

「そんなこと田宮にわかるの?」

「わかるよ。俺はまだ十四年しか生きていないけど、何十年も好きでい続けた人と言葉を交わせたら、きっとそうなる。すごくすごく好きだからこそ、きっとそうなる」


 やけに実感のこもった台詞に、ついたずねていた。


「田宮にはそういうものがあるの?」

「そういうものって?」

「すごくすごく好きなもの」

「うーん。それはよくわからないな」


 田宮が勢いをつけてブランコをこぎ出した。


「クラリネットも、料理も好きだ。でももっと好きになれるもの、夢中になれるものがどこかにあるような気もする。他にはないのかもしれないけど、でもどこかにあるような気がするんだ」

「そっか」

「鳴川は?」

「わたし?」

「鳴川は何が一番好きなんだ?」


 白い息を吐きながら、田宮がわたしにたずねてくる。


「わたしは……」


 しばらく考えたのち「わたしもよくわからないや」と答えた。猫は好きだし、クラリネットも好きだけど、すごくすごく好きかとたずねられると……即答できない。


「でもわたしもいつか見つけたい。すごくすごく好きなもの」


 本当はそんなものいらないって思ってた。そんなに好きなものを見つけたら、きっと他のことが目に入らなくなるから。ママのように。


 でも悦子さんと知り合い、昭三さんの話を聞き、『好き』だとか『特別』だとかいう感情に以前ほどの嫌悪感をおぼえなくなっている自分がいた。すごく狭い世界でそういったものに固執するような人間にはなりたくなかったけど……そもそも、そこまで強く想える何かに出会えること自体、奇跡なのかもしれない。そして『それ』に出会ってしまったら、人は生涯『それ』に突き動かされ続けるものなのかもしれない。いい悪いはともかくとして。


 わたしの場合はどうだろうか。


 もしもすごくすごく好きなものを見つけたら、わたしはどんなふうになるんだろう。


 そうなったときのわたしに出会ってみたい――そう思った。


「そうだ。これ」


 ブランコから飛び降りた田宮が、遠くからわたしに何かを投げてよこした。


 あわててキャッチすると、それはわたしがこの前買ったステッキ型のロリポップだった。


「それ、店に置いていっただろ」

「……気づいてたの?」

「わかるさ。数が一つ多いし、値札がはがされているときたら、それはあの日それを購入したお前にしかできないことだ」

「……わたし、これをあげるような人がいなくて」

「だったら自分で食べればいい」

「ハッカ、苦手なの」

「ふうん。やっぱりそうか」


 すると田宮はかばんから別のロリポップを取り出してみせた。


「だったらこれと交換しようぜ」


 そう言って強引に握らされたロリポップは星の形をしたシンプルなものだった。Lemonと書いたシールが貼られている。そしてこちらには金色のリボンが結ばれていた。おばあさんのストールを包んだリボンと同じものが。


「それなら食べられるだろ?」

「う、うん」


 わたしがすっぱいものを好きなことをどうして田宮は知ってるんだろう。たった二日、昼食をともにしただけなのに。


「なあ。鳴川のこと、今度から下の名前で呼んでもいいか」

「え。どうして」

「うーん。なんとなく? あ、雪だ」


 わたしがそれ以上問いかける前に、ちらちらと降ってきた雪に田宮が小さな歓声をあげた。「俺、雪が好きなんだ」と。


「ふふっ」

「どうして笑うんだよ」


 少し不機嫌な顔で振り向いた田宮に、わたしは笑いをこらえながらも言った。


「だって。好きなものがいっぱいあるから」


 クラリネットに料理。それに、雪。


「それに好きなことを打ち明けるのが恥ずかしいって言ってたのにけっこう平気で口にするから」


 わたしの指摘に田宮が不思議そうな顔になった。


「あれ。ほんとだ。どうしてマヒロ相手だと喋ってしまうんだろう」


 少し考えこんだ田宮だったが「まあいいや」と大きく空を仰いだ。


「これなら今年はホワイトクリスマスになりそうだな。俺、クリスマスが大好きなんだ。寒いのに心があったかくなるから。じゃ、また三学期に。メリークリスマス」


 メリークリスマス。


 その言葉をてらいもなく言える人に初めて会った気がした。


 そしてそんな田宮のことをうらやましく思った。



 *

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