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2. 白猫のレイコ

「大丈夫ですか」


 心配そうにわたしを見つめるのは二〇三号室のおばあさんだ。


 おばあさんの向こう側には黒いシミのついた天井が見える。


 今、わたしは二〇三号室で鼻にティッシュをつめて足を座布団の上にのせて寝転んでいた。


「うん。大丈夫」


 ドアとぶつかったときにけっこういい音がしたのと、鼻血が出たのとで、わたし以上におばあさんが驚いて。「入ってください」と強引に腕を引かれ、「ここに寝てください」と強引に畳の上に寝かされ、そして今に至る。


 うちの家と同じ間取りの二〇三号室は、同じだけどどこか落ち着いていて、どこか懐かしさを覚える空気に満ちていた。使い込んだ畳。その畳になじむ飴色の家具やベージュのカーテン。うちと違って物が少なく、統一感がある。


 灯油のストーブの上では、やかんの口からしゅんしゅんと湯気が上がっている。


 ただ、この部屋にも異質なものがあった。


 窓際にプレゼントの山がうず高く積んであるのだ。


 やはりわたしの見間違いではなかった。ざっと見て数十個、大きなものから小さなものまでいろいろある。箱型。筒型。袋に包んだもの。形は様々、ラッピングも色とりどりだ。赤に緑、白に青。金に銀。見ているだけでわくわくしてくる。ただ、セロファンのものはつやつやと色鮮やかなのに対して、紙の包装紙や布のリボンには色あせているものがいくつか見られた。


「私、サンタクロースになりたいんです」


 わたしの視線に気づいたのだろう、おばあさんがそんなことを言い出した。


「サンタクロース?」

「はい」


 中学生のわたしに律儀に敬語を使うおばあさんは、ママの言う通り、そんなに年を取っていない。髪に少し白いものがまじっていて、目元に数本の深いしわがあるだけだ。でもママよりも随分年が離れた女の人に対して、わたしは他に呼び方を知らなかった。


「おばあさんはサンタクロースになりたいの? 女の人なのに?」

「あら。女の人がサンタクロースになりたかったらおかしいですか?」

「おかしくはないけど……でもイメージが違いすぎない? おばあさんはおでぶじゃないし、おひげもないよ。そのよもぎ色のセーターも全然サンタクロースっぽくない」


 これにおばあさんがくすっと笑った。笑い方まで上品だ。


「どうしておばあさんはサンタクロースになりたいの?」

「プレゼントを贈りたい人がいるんです。クリスマスならそれがゆるされるから」


 思わず見つめ返していた。

 言葉の意味をはかりかねて。


「……普通の日に知らない人からプレゼントをもらっても困るでしょう?」


 そう言ったおばあさんの方が困ったような表情になっている。


「ですがサンタクロースなら誰にだってプレゼントをあげることができますから」


 確かにそうだ、と納得した。わたしにもほしいものはたくさんあるけれど、なんでもない日に知らない人からもらうのはちょっと気が引ける。……というか、何か裏があるんじゃないかと怖くなる。特に素晴らしいものほど、ほしいものほど怖くなる。交換条件として何を求められるのかとおびえてしまう。


 だけどサンタクロースは違う。サンタクロースからなら、素直に「ありがとう」と受け取れる。ただし、クリスマス限定だけど。


「へえ。おばあさん、頭いいね」


 わたしの反応におばあさんがちょっと驚いた顔になった。


「私は賢くなんてありませんよ。高校を中退していますし」

「あのね、おばあさん。頭の賢さって学歴とイコールじゃないんだよ?」


 来年からは中三、受験生となるわたしも、目指す高校はそこそこの公立にすると決めている。そこならば確実に合格できるし、学歴は自分を表す絶対的な指標ではないと信じているからだ。……ママにはまだ言っていないけれど。パパの出身校を受験してほしいママには、そう簡単に切り出せることではない。


「じゃあどうしておばあさんはサンタクロースになれないの?」


 自分のことについて考えていたら暗い気持ちになってきたので話題を変える。


「サンタクロースになるには何か資格が必要なの? たとえば英語が話せないとダメなの?」

「資格……そうですね。はい。私にはその資格がないのです」

「どんな資格が必要なの?」

「人を愛せることです」


 ささやくような声音ながら、その不思議な台詞はしっかりと頭に刻まれた。


「……えーと。それってどういう意味?」

「それは……」


 おばあさんが何か言いかけた。でもそれ以上の言葉は出てこなかった。まだ畳に寝ているわたしの腹の上に猫が飛びのってきたからだ。これにわたし以上におばあさんが驚いて「きゃっ」とかわいらしい悲鳴をあげた。


 この狭い室内のどこに猫が潜んでいたのか、全然気づいていなかった。それらしい匂いも物音もしていなかったから。


「ぐえっ」


 それなりの重さのある猫が腹に飛び乗ってきて、わたしの息は一瞬とまった。だけど次の瞬間には猫の愛らしさにめろめろになっていた。


「うわあ、かわいい!」


 きゅるんとした大きな目が特徴的なその猫は、新雪のように真っ白な毛並みをしていた。よく手入れされているのだろう、非常に毛づやがいい。


「うわあ。うわあ。かわいいなあ」


 クリームパンのような前足をそっとつついてみると、やわらかくて、ほんのりと温かかった。足の裏からおなかに伝わってくる体温も重みも、心地いい。生き物のこういう感触を味わうのはいつ以来だろうか。人間と最後に触れ合った記憶は……いや、思い出さないでおこう。あれは黒歴史だ。


 猫はわたしのおなかの上でじっとわたしを見つめている。


「猫、飼いたいなあ……」


 猫がいればこのアパートでも楽しく暮らせる気がする。


「ああでも、無理に決まってるか」

「あら。もしかして親御さん、猫が苦手なのかしら」

「ううん。そんなことはないよ。ママもパパも猫は好き。……実はわたし、小六のときに猫をおねだりしたことがあって」

「小六、ですか」

「あ、昔の話を何をいまさらって思ってるでしょ」

「いえいえ。そんなことはありません」

「そう? ならよかった。それでね、猫は飼えることになってたの。それがクリスマスプレゼントだったの。だけどその前にパパが病気になっちゃって、それでこの話はなくなっちゃったんだ」

「お父様が……病気に?」

「うん。猫を飼うのはパパが元気になってからにしようってママに言われて、だからその時は猫を飼うのはあきらめたんだ。でもパパは今も入院中」


 もういつ元気になるかわからない、パパ。ううん、たとえ元気になっても、うちにはもう猫を飼う余裕なんてない。


「ところでこの猫ちゃん、なんて名前なの?」

「あ、レイコです」

「レイコ? へえ。人間みたいな名前なんだね」


 そう言った瞬間、レイコのクリームパンみたいな前足から爪がにゅっと出た。その爪が服ごしにわたしのおなかにぶすりと刺さった。それはもう遠慮なく。


「いたたた! もう、悪口じゃないのに! 本物の家族みたいでいいなって思っただけなのに……!」


 大声に驚いたのか、猫はプレゼントの山の方へと行ってしまった。


「ね、おばあさん。レイコって人間の言っていることがわかるの? ……おばあさん?」


 いつからだろう、おばあさんの目には涙が光っていた。


「おばあさん、どうしたの? もしかして嫌な思いさせちゃった?」


 思わず飛び起きたわたしに、


「いいえ。そうじゃなくて」


 おばあさんはのびきったセーターの袖口で涙をぬぐいながら言った。


「本物の家族みたいだって言ってくださったから、それがとても嬉しくて……」




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