第30話『終幕』
──フィーア、良く聞きなさい。
──はい、お母さま。
──エルフ本国であるサン・ク・フォルトの王族の血を引く者には、特別な力が宿っています。その血はあなたにも流れているのです。
──はい。お母さまから受け継いだこの魔力を誇りに思います。
──エルフの魔法のことではありません。これは、その地を支配する王族だけに許された特権です。誰かを守るため、より強い力をエルフの王は欲したのです。
──守るための力。
──そうです。あなたにいつか、守りたいものができた時。
──はい。
──そんな時は、迷わず今から教える言葉を唱えなさい。
──分かりました。
──そうでなければ、私のようになってしまいますよ。大切な何かを失ったとしても躊躇してはいけません。
──お母さま、泣いているんですか。どうして。悲しい事があったのですか。
──ええ、そうね。今となっても、悲しくて、悔しくて、はらわたが煮えくり返りそう。
──泣かないでください。フィーアはいつでもお母さまのおそばにいます。
──そうよねフィーア。私には、あなたがいますから。
──はい。痛いです、お母さま。
──じっとしてなさい。私が良いというまで、動くんじゃありませんよ。
──分かりました。でも痛いですお母さま。頬を叩くのはやめてください。
──お前が生まれたせいで私は。下衆なお前の父親に汚されて。お前なんかを孕まされて。
──やめてくださいお母さま。本当に痛いです。ほら、鼻血が出ました。
──動くんじゃないって言ってるでしょう。お前が、お前が、お前が。
──熱いです。焼けた火箸は嫌です。この間のやけどもまだ痛んでいます。許してください。
──人間に汚されたものとして、祖国に帰ることも許されない私は。私は一体どう生きればいいの。犠牲になった私に救いはないの。
──毎日毎日、傷が増え、兄上たちにも笑われてます。困った時の言葉はどうなったのですか。
──そうね。フィーアに魔法の言葉を教えなくっちゃ。あなたがいつか、殺したいと思った相手に向かって唱えなさい。
──分かりました、お母さま。
──一度しか言わないから、良く聞くのよ。どう、覚えた?
──はい、覚えました。
──フィーアはとってもお利口ね。今日のお勉強はこれまで。
──ありがとうございました。
──大事な大事な私のフィーア。明日もたくさん可愛がってあげるからね……。
…………………………。
………………。
………。
……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エルフの魔力の源は精霊の力だ。
はるか昔、まだこの世界がずっとずっと未熟だった頃──。
川が一つ、山が一つ、海が一つ、村が一つしかなかった頃。
太古のエルフと精霊が永遠の契約を結び、魔力を得て安楽な暮らしを送った。
エルフ以外の種族はそれを羨み、中でも欲深い人間は強く妬んだ。
それを哀れに思った知恵の神が人間に英知を与え、やがて豊かな暮らしを送れるようになり、魔力を欲しなくなった。
それは古い言い伝えでしかなく、本当のそうなのかは誰にも分からない。
俺もただ、母親からそう聞かされただけだ。
事実として今この世界は人間がおおむね覇権を握り、エルフは自然と共生することを好み、マイペースな暮らしを送っている。
「エルフがなぜ魔法を使えるかは知ってるよ。で、それとこの状況に何の関係が?」
「まあ聞けよ。お前の可哀そうな母親は、サン・ク・フォルトの出身だろう」
「それで?」
「俺の母はその国の王女だった。帝国との戦争を終わらせることと引き換えに、その身を俺のオヤジに差し出した……」
「少し面白そうだね。他人の不幸話は大好物だ!」
「さぞかし屈辱的だっただろうぜ。オヤジにはすでに20人の妾がいたからな」
「くっくっく、さすがフィーア君のお父さんだね。人間の女じゃ満足できず、エルフを抱こうって?」
「オヤジが欲しかったのは力だ。帝国の地位をより盤石なものにするために、エルフの力の源泉を知り、その力を受け継いだ後継者を望んだ……」
「……それが君かい?」
「力の正体の全貌を知ったオヤジはガッカリだ。太古の昔ならまだしも、今じゃ大して使えないと分かったとたん、母親と俺に対する興味を無くした」
「不憫な話だねぇ。でも、僕の母ほどじゃない」
「ああ、そうだな」
俺の母は自分の不幸を呪った挙句、立派なメンヘラに仕上がった。
事情が事情だけに仕方のない事だと思うが……あの時のビンタ、痛かったよ母ちゃん。
「君の両親の話、まあまあ面白かったよ。母が同郷ってのも親近感がわく」
「だろ?」
「でも君は今ここで殺す。さ、覚悟はいいかい」
「はいはい……」
「フフ……君という男の事、決して忘れないよ!」
セトが剣を構えた。
搾りかすみたいな気力だけで立っていて、斬りかかられたらひとたまりもない。
だが、セトは俺になかなか向かってこなかった。
「……何かあるね」
「何がだ」
「君の目は、まだ死んでない。まだ奥の手を残してるって顔をしてる」
「……バレたか」
「魔力もない、腕力もない。その状態で一体何ができる? 無駄なあがきは止した方が良い」
「そう思うなら、来いよ」
セトの野生の勘が、飛び込んでくるのを躊躇していた。
それは俺にとってかえって好都合だった。
何も考えずに飛び込めば、あっさりとセトは俺の首を刎ねることができただろう。
「セト、最後に面白いものを見せてやる」
「何……! いいか、妙な真似はするんじゃないよ!」
「そう言うなよ。なかなか見れるもんじゃないんだからな……」
「くっ……!」
セトは俺の攻撃に備えて身構えた。
戦場で培われた特異な勘で、何か恐ろしい事が起こると感じ、攻めかかることを止めた。
「……サン・ク・フォルト王国の言い伝え……ああ、お前の母親は死んじまったから、聞いていないよなぁ……」
「黙れっ! 今すぐに手をついて跪け!!」
「国の危機に現れる神獣。召喚者は代償にその身から何かを失う……」
「お、王子どの……空が……!」
「フィーアさま〜〜ッ!!!」
ネーフェの村が暗雲に包まれ、大気が振動する。
どこからか地鳴りが響き、地面までもが揺れだした。
みんなの大切な井戸広場、壊しちまったらゴメンだな。
「……研ぎ澄まされし明滅の刃は、魂の依り代を断ち切るため……」
「おい、何を言っているんだ!」
「禍々しき漆黒の刃は……えぇと……魂の寄る辺を振り切るため……か?」
「今すぐその詠唱を止めろっっ!!!」
「死者の館より斬鉄を持ち、古の盟約により馳せ参じよ……だったかな、母さん……!」
「クソ王子ッ、今すぐ死ねえええええええええっっっ!!!」
「もう、遅い……!」
「うあああっ!!」
セトが俺に斬りかかろうとした寸前。
漆黒の鎧を纏った巨大な暗黒騎士が、空間を割いて顕現した。
その大きさときたらまるで小山で、家二軒を重ねても追いつかないほどだ。
これがサン・ク・フォルトの王族にだけ許された力。
精霊とは別の、より高位の存在である神獣との契約。
神獣、霊獣、異次元の魔物、バケモノ……と、いろんな呼び方があるだろうが、そんな事はどうでもいい。
ヴァート・ウルガン帝国ほど強大な戦力があれば、こうしたバケモノもうち滅ぼせるだろうが、ただ一人の人間であるセトに勝ち目はない。
「ハッ……ハハハッ!! フィーア君はこんなことができるのか……」
「へへ、血筋がいいもんでな……これが神獣だ」
「本で読んだことがある。これ……ぼ、僕に勝てるのかなぁ!?」
「無理だ」
「だよね。でも、やってみなくちゃ分からないッ!」
「無理だ、セト……」
「はッ!」
巨大な暗黒騎士に斬りかかるセト。
そして信じられない跳躍力で、騎士の顔面近くまで飛んだ。
目でも潰せば勝ち目があると踏んだのだろうか。
狙いは悪くないが、そこでようやく気付いたらしい。
「……実体が、ない……!」
騎士の兜の中は吸い込まれるような暗闇があるだけだった。
実体のないものは、どんな剣の名人でも斬れない。
禍々しい黒鎧を破壊できれば良いかもしれないが、小山ほどに大きな騎士に対してセトの持つ剣はつまようじに等しい。
動揺するセトに、騎士が容赦なく大剣を振るった。
「ぐはぁッ……!!」
「終わり、だ……!」
勝負は一瞬で決した。
セトは肩から袈裟懸けに斬られ、真っ赤な血が降り注ぐ。
騎士は斬るべき相手を斬ったことを悟り、再び暗雲へと消えた。
「はぁ、はぁッ、カッ……うぐうう……痛い、痛いッ……!」
「……セト」
斬られたセトからは臓物が飛び出ていた。
体内奥深くにある心臓が見え、その鼓動すらもはっきり見えた。
エルフの生命力をもってしても、まだ生きているのが不思議なくらいだった。
俺は剣を取り、その傍へと歩み寄った。
「はぁ、はぁ、ふフィーア君。……僕、マールバニアの戦士の名に懸けて、戦ってみたよ……!」
「ああ、見てた」
「神獣と戦ったなんて、あの国じゃ僕だけだろうな……でも、ちょっと強すぎるなぁ……!」
「少しは退屈しのぎになったのか」
「もも、もちろんだよ。フィーア君に出会えて、本当に良かった……!」
「殺されてもか」
「クソみたいな僕の人生が終わるだけだ。まさかここまでクソまみれになるとは思わなかったけどね……!!」
「あの世で待ってろ。次こそは、まっとうな剣の勝負をしようぜ。こういう決着は趣味じゃねえ」
「た、楽しみだなぁソレ。なるべく早めに死んでくれる……?」
「……当分はごめんだな」
「がぁッ!?」
セトの首を断ち、息の根を止めた。
……やっとだ。
ようやく全てが終わった。
俺だけじゃなく村人もそれに気づき、再び歓声があがった。
「こ、今度こそ王子様が勝ったーーーーーー!!!」
「やったぁあああああああああああああああああ!!」
「フィーアさまーーーーーーー!!」
「王子、さすがっス! 最強っス!!!」
ニッキやエミリアが、そして村人全員が、俺に向かって駆けだした。
「……へへ」
俺は力なく笑い、拳を突き上げる。
勝どきをあげる気力はもう残ってない。
全身から力が抜け、その場へと崩れ落ちた。
「フィーアさま!?」
「まずい、担架じゃ、担架を持ってくるんじゃ!!」
「王子様〜ッ! しっかりしてっ!!」
遠ざかる意識の中、俺はこの勝利の代償に何を失うのだろうと思った。
かつての召喚者は、両の目を神獣に奪われたという。
ま、勝ったんだから何でもいいや。
今はただ眠い。
冷たく硬い地面さえ、今の俺には心地よかった。




