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 尤もらしい説明につい納得してしまう。もしそれが忌避すべきことならわざわざ南蛮で姓を固守する必要は何も無い。


 軍を進め密偵を放ち数日、孟獲の側近から反応があった。何か用事か、とのことだった。


 話を聞く余裕はあるようだな。悪いが真面目に戦争するつもりはこれっぽちもない。


「呉長吏、孟獲に面会を求めるんだ。野戦の眼前ではなく、こっそりとな」


「密談でしょうか?」


 それが一軍の大将が取るべき行動かと言われたら何も言えんがね。


「ああ、条件が折りあえば停戦する。血で血を洗うような真似は最後の最後で構わんだろう?」


 どうだ、と呉長吏に笑顔を向ける。彼はまさかといった表情だったが、言うように戦おうとすればいつでも泥沼にはまれるので、まずは命令を遂行することを選んだ。


 連絡のやり取りにまた数日、あちらの反応は驚きの是だった。呉が唸りながら報告を上げてきた。


 幸先よしだな。後は現場で俺がアホ面をしないように要警戒だ。


「李軍侯、少し出掛けるぞ」


「御意」


 質問も何もしない。行くといえばどこにでも着いてゆくのが彼の役目だ。


 見通しの良い岩場の中腹、双方が十名のみに絞ってやってくる。どうしてこのような無茶な面会が成功しているかは俺にも解りはしないよ。


 長い鳥の羽をあしらった冠を頭に載せた大男がのっしのっしやって来る。


 二メートル近くはあるかも知れない。この時代、この地域では唯一だろう突然変異だ。


 俺より大きい奴はこちらで初めてだよ。


「孟獲大王かな?」


「島将軍だろうか」


 誰が大将かは見たら互いにすぐに解った。まとう気迫が違うのだ。


「こうやって会って貰えて嬉しい限り。南蛮の英雄を眼前にして納得だ」


 まずは素直に風格を褒めた。無礼にならないように控えめに。


「散護忠将軍仮節雲南太守監丞相府諸軍事護羌南蛮校尉中郷侯、洒落た将軍と俺も思うが」


 羌の部分まで知っているぞと、情報通な部分を前に出してきた。つまり蜀に興味ありともとれる。


「一つ提案があるんだが聞いて貰えるだろうか」


「俺も聞いてみたかったことがある」


「そちらからどうぞ」

 

 軽く応じる。後のほうが有利だとかそういうことではない、何を聞きたかったのか、単に興味があっただけだ。


「どうして俺なのだ。交州の士燮のほうが様々話が通じ易かろう」


 士燮。呉国の支配下に連なってはいるが、ほぼ独自の勢力を張っている交州の英雄だ。ベトナムで神と崇められてすらいる。


 例の文字をくれた神のような人物というのがこいつだ。


「物が欲しいだけならそれでも構わないのかも知れないが、生憎私は貪欲でね。孟獲大王でなければいけなかった」


「その理由が提案に繋がるわけか」


 蛮族の王かと思えばやけに頭が切れるようで、理解は早かった。それが自身にとって利があるだろうことまで解っているようだった。


「私は南蛮渡来の品を求めていると同時に、仲間を探していてね。勇猛果敢で裏切らず、それでいて高度な知識を持ち合わせている英雄を」


 挑戦的な笑みを浮かべて返事を待つ。呉長吏の想像を遥かに越えた会話が繰り広げられているようで、助言をしようと気を張っていたのに一言も喋られずにいる。


「俺は大王でね、簡単に馴れ合うと不味い結果になる。……そこでだ幾度も戦い、ついには力尽きて降ったという話にしたい」


 激戦の末に刀折れ矢尽きれば降伏しても何も言えないわけか。宣伝戦を想定だ。最後は降る、それだけでは孟獲が不満だろう、ではどうする?


「南蛮軍と蜀軍は七度戦い、七度引き分け、八度目にして蜀軍が勝利。大王が降伏する。私がそれを許し兄弟の契りを交わすという筋書きではどうだろうか」


 兄弟、それならばどちらが勝って、どちらが負けても角は立たん。インチキもこうまで大掛かりにやれば真実味が増すね。


「はっはっは、そいつは良いな! 俺は苦労せずに戦いを終わらせることが出来るわけだ。南蛮を征服したことにして引き上げる?」


「貢物を毎年贈る、これで形は成り立つよ。返礼品を倍返しする。それらの予算を南蛮渡来品の売買からでる租税で賄えば双方が収まる。だが人が欲しいのはある」


 兵士だけではなく、人口そのものだと補足した。


「喰って行けるなら人はいくらでも出そう。減れば産めば良い、それだけだ」


 現代の政府の重要人物が言えば批判を山と浴びそうな一言につい苦笑してしまう。


「ではそれで行こう。話がわかる大王で良かった。実は馬乳酒という実に甘美な響きの酒がある、すべて終わったら酌み交わそう」


「そいつは良いな。ではさっさと下らない戦をやっちまおうか兄弟、俺は面倒が嫌いなんだ」


 呉長吏が天を仰いだ。自分ではきっと将軍を越えることは出来ないだろうと確信して。



「銅鑼を鳴らせ! 矢を放て! 声をあげろ!」


 島将軍の命令で直属軍が派手に騒ぐ。密林奥深く、孟獲の本軍と近接して互いに戦いを演じた。激闘を繰り広げること半月、南蛮の大旗が地につく。


「蜀軍の勝利だ、勝鬨をあげろ!」


 数万人が半月がかりで道化とは、俺もどうかしてるな。


 孟獲一行が呉校尉に連れられ幕にやって来る。形としては捕虜だ、敢えて元気なさそうにはせず、孟獲は大王として降っても威厳を保とうとしていた。


 立派なものだ。だから大王に従う奴等がいる、これを辱しめては激しい抵抗にあうだけだ。


「孟獲だな」


「俺は孟獲大王だ。戦には破れ身体の自由を奪われようとも、心までは縛れまい!」


 ガハハハハ、と大笑いする。集められた将軍らは特に反応を見せない。


「私は南蛮の地を蜀の統治下に収めるのを目的とし、ここを征服しにきた。それはこの地の民の心を得る、それが必須だ」


「やれるものならやってみろ。俺を殺しても我等が族は決して屈しない、貴様等が山に逃げ帰るまでずっと戦い続けるだろう!」


 実際その通りだと俺も思うね。だからこそ、だ。孟獲は言葉だけの俺を信じてやって来た、それに応えぬわけにはいかん!


「島将軍、孟獲を処刑し南蛮の地に晒すのです。蜀に逆らえばどうなるかを知らしめ、反乱を締め付けるべきで」


 李将軍と馬将軍が頷く、王将軍は意見を発することなく前を見ている。顛末を知る呉長史も口を閉ざしたままだ。


「そうか、そう考えるか」


 さも納得したかのように孟獲に視線を向ける。ここで怖じ気付くようなら奴も大王など名乗りはしていまい。


「おお殺せ! 俺は決して命乞いなどせん!」


 後ろ手に縛られ座らされてる。首を伸ばして跳ねやすくしてやる、そう声を張る。


「良かろう。これが私の決断だ、誰一人として異見は許さん!」


 腰に履いた剣を抜いて孟獲の傍にゆっくりと歩み寄る。呉長史がまさか、と少し表情を変えた。鋭い視線を向けて喋るな、と制する。


「吐いた唾は飲み込めんぞ、孟獲!」


「おう、お前の好きにしたらいいだろう! やれ!」


 剣を構える、そして振り下ろした。


 縄が切れる。将軍等が、どうした? そんな顔をした。


「孟獲大王。蜀は勅命を帯びた島の名を以てして大王に命じる。南蛮の地を統合し蜀に降れ、帝の威光を蛮地に轟かせるのだ」


「なに?」


「これは命令だ。この世に生ける全ての者は帝の臣下だ、従え孟獲」


 沈黙が続く。孟獲は島を厳しく睨み付け、ついには歯軋りしながら応じさせる。


「俺は南蛮に責任がある。暮らしを守る義務がある。……仕方あるまい……」


「うむ。立て」


 巨漢だ。将軍らより頭一つは大きい島より更に大きい。南蛮の民からしたら大人と子供位の差がある。


「帝を父とし、帝を主とし、同じ地を踏んでいる我等は同輩だ。私はこの地を預かる島太守、されば孟獲大王と兄弟のようなもの」


「兄弟だと?」


「大王が膝を折ったのは帝に対してのみ。私はただの代理人に過ぎない。契りを結ばないか、これからは共に歩みたい」


「島将軍、そのような勝手な振る舞い、許されませぬぞ!」


 李将軍が顔をしかめて抗議する、越権甚だしいと。馬将軍もよい顔をしていない、がこちらは口には出さない。


「黙れ李輔漢将軍! 私は今、国家の大事を、政治を、外事を遂行しているのだ! 一介の将軍が語る軍事ではないのだぞ!」


 将軍は高度な政治的判断を下さねばならない時がある、俺もあった。これを譲りはしないぞ!


「むむむ……」


「孟獲大王、私は本気だ」


 じっと目を見て告げる。ここで断られれば今度は島が梯子を外された形になってしまう。


「ふん、面白い奴が居るものだな。島太守、俺とお前は兄弟と言うか。良いだろう、勝ったのはお前だ俺が弟分だな」


「いや違う、私と大王とは五分の兄弟だ」


 同格は許さん、そう言われた李将軍が信じられないとの顔をした。完全に格下扱いをされて、更に征服した南蛮の首領すら上に扱えと言われ。


「解った兄弟、お前がそう言うならそうしよう」


「呉長史!」


「はっ」


「たった今、南蛮は蜀の統治下に入った、首都へ報告をあげろ。孟獲大王を歓待する、酒宴の準備だ!」


「御意!」


 李将軍とは正反対、呉長史は島の裁下に感銘を覚えた。丞相への筆が躍り、一大宴会が催されたのは言うまでも無かった。



 李将軍は面白く無さそうにして首都へ帰還していった。王平は新たに討寇将軍、馬岱は平南将軍に昇進が言い渡される。そして島にも使者が告げた。


「そなたを、安南将軍に進め、持節雲南都督丞相司馬を加え、五百戸を加増する」


「慎んでお受け致します」


 つまり俺は何になるんだ? 散安南将軍持仮節都督雲南太守丞相司馬護羌南蛮校尉中郷侯か。


 使者を歓待して雲南城の太守の椅子を暖めることにした。商人らから中間報告が届いていた、植物は育成が可能だと。通訳も教育を進めている。島が位を大幅に進めた為、商人等からも熱が伝わってきた。やはり実績をあげると態度が違う。


「呉安南校尉、軍勢はどうだ?」


 島につられて階級が進んだ呉が平時の訓練を担当していた。南蛮を征服しても暫くはこちらに駐屯するつもりでいる。


「はっ、号令を発すれば十万は集められますが、装備が足りません。四万は主力として使い物になります」


「うむ」


 永昌や越峻からの兵を殆ど帰還させたからな。この分だと一年はかかるぞ。まあゆっくりとやるしかない。


 鉄の採掘も始まった。あらゆる事柄が動き始め、椅子に座っていても結構忙しい思いをすることになる。


「高将軍から酒が届けられております」


「そうか。何か返礼品を贈っておけ」


 蘭智意からとある話を聞かされた高将軍は島にべた惚れしてしまった。切っ掛けは李将軍とのやり取りだ。


 高将軍を防いだとあるように、二人の間柄は良くない。そんな李将軍を降し、見事島があしらったこと。そして派遣した蘭智意を信頼して重要拠点を預けたことだ。


 俺はいつでもどこでも非主流なんだよな。


 どうやら部族を従えるのが宿命らしいと、数十年軍人をやり、夢までみて受け入れることにしたらしい。


 馬氏にも手紙を出して宝石を贈った、使者が返事を抱えて戻るまでに二ヶ月も掛かってしまう。アフリカの僻地でエアメールを待っているような感覚だった。


 新婚で一年も二年もほったらかしでは悪いね。だが呼び寄せるわけにはいかないし、俺が行くのは論外だからな。


「島将軍、孟大王がお出でです」


「そうか、ではちょっとばかり息抜きしてくる」


 豪奢な毛皮を身につけた孟獲が広間に居た。島の姿を見付けて片手をあげる。


「働き詰めか、仕事なぞ部下に投げちまえよ島」


「そうしてるさ、俺がやらなきゃなんことだけなのに山になってるんだ」


「じゃあ酒でもやって気晴らしをするぞ」


「そいつは名案だな、兄弟の勧めに従うとしよう」


 最初は意識して作っていた間柄だった、酒を酌み交わし話をするうちに打ち解けてしまったのだ。元より人種や立場に偏見がない島だ、南蛮の王や洞主らも孟獲の兄弟として親しく言葉を交わすようになっている。


「先ずは一杯だ」


 盃になみなみと注いでは飲み干す。かつての酒場での乱行を思い出してしまう。


「俺の故郷では、米から酒を作るんだ。そいつがまた旨い」


「島の故郷とはどこだ?」


「東海島だよ。船がやって来たら米酒が無いかを探してみたらいいさ」


 流石に作り方までは知らないので、原料だけヒントを与えておく。


「そう言えば象だが八十を送った、あと水牛を」


「そいつが居たら開拓が楽になってね、後はあちらで勝手にやるさ」


 戦象を集めろと言われたと孟獲は思った、しかし労役代わりだと言われ不思議な顔をしていたものだ。農耕に象や水牛を利用するものかと。


「港からの品もまとめてあるが」


「うちで護衛をつけて首都に送る、兄弟のとこで観光がてらあちらに居を構えるやつがいたら、俺の名前で優遇させるよ」


 案内役を育成するつもりで人手を求めた。王から一人と洞主を二人つけて向かわせる、と請け合った。


「あちらは寒いか?」


「ああ、こちらの冬があちらの夏だな。防寒着を用意しておかにゃならん」


 常夏の地域から、凍てつく大地まで。中国はとにかく広い。


「こんな炎天下で何を考えてると言われるな」


「まあな。だが必要になってからちんたら用意してたら遅い」


「当然だ、あちらで作らせよう。しかし島は物識りだな」


 孟獲とてやたらと幅広い知識を持っていると自負していた、だが島には敵わないと認めてしまう。


「偏った知識だよ。単身雲南から追放されたら俺なんてあっという間に野垂れ死にだ」


 盃を傾けて自嘲気味に笑う。実際右も左もわからずに苦労するだろう。


 身一つで放り出されたら、良くて追いはぎで食っていくことしか出来んだろうな。


 結局俺なんてその程度の者でしかない、生かされているだけだ。いつも支えられ、どれだけ皆に恩を返せているやら。


「困ったら孟獲大王のとこに連れていけと言えばいい、必ず迎え入れる。いいか、必ずだ」


 妙に力が入っていた、顔は笑っていても目は真剣そのもの。


 傍に置けるものならそうしたい、本気なのが伝わって来た。


「なるほど、そうなったら思い出すよ」


 肩を竦めてまた一杯。近くを見ると他のやつらも飲んでいる。


「ところで島、女はどうだ?」


「新妻を国においてきてる。申し訳ない気持ちで溢れてるよ」


「ほう、ではどうだ、俺の娘はいらんか? 器量は保証するし、漢語も出来るぞ」


 大げさに驚いてみせる。少し考える振りをしてから、イタズラっぽい笑みを浮かべお断りした。


 兄弟の娘か。


「気持ちだけ受けとるよ。だがそれだけはどうしても出来ない」


「なぜだ?」


 少し不満そうな顔をする、返答次第では距離を置くことすら考えそうな雰囲気が出て来る。


「俺はな、兄弟を義父上と呼びたくはないぞ。はっはっはっ」


「そりゃそうか、ガハハハハ」


 それなら仕方あるまい、納得の返事に気分を良くする。波長が合ったと言うのか、何せ感覚が近かった。


 孟獲か、言われてるような蛮族じゃ無かったんだな。ひねくれた俺の夢だからか? まあいいさ、やりたいようにやる、それだけだ。


 陽が暮れてまた登るあたりでお開きになる。太守が居ても居なくても地球は回る、なるほど真理だとご機嫌で横になるのであった。


17/18/19/20/21/22/23


 早馬が雲南城に駆けてくる。伝令は関所も素通り出来る、替馬を領内どこででも自由に徴発可能にする、と触れを出してあった。


「島将軍、申し上げます。首都より火急の使者が!」


「通せ」


 ボロボロの衣服、目には隈がありあちこち泥まみれになっている。


 あれは喪服!


「どうした」


「皇帝陛下、御崩御に御座います!」


 それだけ告げると使者が倒れてしまった。


 場がどよめく、それを咎めることも無くそれぞれが今後を憂えた。


「使者を休ませよ。目覚めたら歓待してやれ」

 

 劉備が死んだか。間違いなく一波乱も二波乱もあるぞ!


 ここに来るまでに何日を要した、首都からなら四日か? いずれその程度だろう、他国にも同時に急報が届いていると思っていいな。


「島将軍、雲南より弔問の使者を送るべきかと」


「呉長史、誰が適任だ」


 その辺りの常識が時代により欠落していた。素直に助言を容れるべきところだろう。


 いつも助かるな、こいつが居ないと俺は色々と困るぞ。


「次席者である馬将軍が適任かと存じます」


「うむ、馬将軍をここへ」


 早馬が駆け込んできたのを聞き及んでいた馬将軍は、すぐさま太守の眼前へやってきた。


 武官服の正装か。急報の内容は既に耳にしているわけだ、別口で伝令を抱えているんだろうな。


「出頭致しました」


「うむ。皇帝陛下が崩御された。馬岱を弔問の使者とする」


「ははっ!」


 国事への代理人である、馬将軍も此度は大満足で退出する。


 さて、これを機にいずれ他国も使者を出す。状態を見て攻めいることもあるな。俺がなすべきことを為すだけだ。


「呉長史、糧食の備蓄は充分あるか」


「十万の軍勢を二年は養えます」


 それを運ぶことが困難なのだ。遠路はるばる徒歩、そんな時代だ。


 十万も動員はしない、それに二年も戦うつもりは無い。だが糧食は必要になることがあるわけだ。


「道はどうだ」


「何とか荷馬車を一方通行ならば」


 地道に道路整備を続けさせた甲斐があるよ、荷馬車が通れれば充分だ。


「よし、中郷へ第一陣を送るぞ。あちらに倉庫を建てて備蓄する」


「ははっ、手配致します」


 呉長史に任せておけばまず問題ない。部下を信頼し多くを預けた。


 場所だけは幾らでもある、余れば周辺に別けても良いしな。


「警備を必要とするな。李司馬、軍勢より二千を送る、編制し私に戻せ」


「御意」


 李項のやつも落ち着きが出て来た。やはりこの年齢の男は化ける。


「廖主簿、大王にも一千を要請しろ。現地の指揮官は滞在している坦々王だ」


 こんな時の為にわざわざ招いた観光客だ、孟獲も理解して配属しているだろうさ。


「将軍の兵もでしょうか?」


「そうだ。李長老にも知らせ受け入れ体制をとらせろ」


「御意」


 何かしておけることはないか? 正面の問題は孔明が何とかする。手が回らない部分だ! 


 二正面で攻められるとどうなる? 北は防げても東は河を遡上してきたら厳しいな。すると工作か……巴東と言ったか、あのあたりだな。


 やりたくとも手駒が足りない。呂参軍の顔が浮かんだ。


 永昌からなら近いし、やつなら安心だ。悪いがまた借りるか。


「王永昌太守へ使いを出せ。兵三千も付けてだ。巴東地域に防御を張るぞ、呉国からの侵入に備えて準備をさせる」


 呉長史が内容を代筆する。まだ他にもありそうだと傍を離れようとはしない。


「王将軍に命令だ、三日以内に出撃可能な軍勢を武装待機させておけ。一ヶ月後に歩兵二万、騎馬一千だ」


 呉長史が命令書をしたためて島が印を捺した。紙が改良されて使いやすく長持ちするようになったが、やはり水には弱いままである。


 北から大挙押し寄せてきたら孔明が直接指揮を執るか。首都ががら空きになれば逆転負けにもなりかねん。危急の際にこれを守り得る軍勢を伏せねばな。かといって首都近くをうろつかせては不安を招くぞ! 信頼出来る奴に任せねば……高将軍か。


「高将軍にも使者を出せ。我々は裏方に徹するぞ!」


 何事も起きなければそれで構わない、だがそうはいかないだろう。今は乱世なのだから。



 三ヶ月が経過した。表面上は何も起きはしなかった、だが突如事態は加速する。


 魏軍が長安から漢中へと大軍を発した。孔明はあまりの数に自らが迎撃の指揮を執るべく、首都の軍勢三万を先発させ、本隊として五万率いて出撃した。


「ついに動いたか!」


「漢中は要衝に御座います。そこへきて丞相が出馬なされました、心配はありますまい」


 断崖絶壁が蜀を囲んでいる。山を越えて谷を抜けて生きて進軍出来るような道は極めて少ない。


 山岳の切れ目を前後に持った盆地、それを繋いで前後に城壁を置いたのが漢中城だ。名前の通り、漢帝国にゆかりある歴史が深い地域。


「呉国はどうか」


 以前命じてあった諜報組織、あれが活躍している。独自のネットワークが一年がかりでようやく動き始めた。一族の隆盛に割く費用が皆無の為に予算は山とある、そこが強みだ。


「湖で水軍の大演習が行われております」


 水軍を遡上させるつもりだろうからな! 船戦ではこちらの山の兵は勝ち目がない、足を奪わねばならんぞ! 呂参軍ならきっちりあれを用意しているはずだ。


「そうか。道の巡回警備を三倍に増やせ。もし破壊行為を働く者がいたら処刑だ」


 軍道は生命線だ、これを失えば人や物があっても無力化されてしまう。間違いであっても許すわけにはいかない。

 

 傍若無人な振るまいかと言えばそうではないぞ。俺は預けられた範囲内でそのように人を処断する権限、持節を与えられている。皇帝に属する権力の象徴、その代理人である証を。


「孟獲大王がお出でです」


「ここへ通せ」


 のっしのっしと王を率いて彼はやってきた。南蛮での地位を確固たるものにして、今や他の地域の大王すら従えている。


「島、始まったらしいな」


「兄弟は耳が早い」


 もしかしたらこちらより早く察知していたかも知れんぞ!


 孟獲も自前であちこちに網を張っている、首都とは別のルートで情報を得ているのかもしれない。


「呉からも来るぞ」


「だろうな。手は打ってあるが、水上は全く勝ち目がない」


 素直に弱音を吐く。孟獲はガハハハハと大笑いして、後ろに控えている王を紹介する。


「だろうと思ってな。水角洞を束ねる母于夫羅王ボウフラオウを連れてきた」


「水角洞?」


「水辺で暮らしている。水中でも長く息が続くし、泳ぎも達者だ。小舟ならばかなりの速さで動かせる」


「そいつは心強いな!」


 得意気な孟獲は更に紹介を続けた。


「水に浮く鎧を持った兵を抱えている、亜綿暴王アメンボウオウ、千里を駆ける馬を多数抱えている鳳珠羽空王ホウスパアクオウもだ」


「うーむ……」


 ボウフラにアメンボウ、ホースパークか。これは俺が悪いんだよな?


 貧相な発想には目を瞑るとして、これらの特殊兵は極めて重要だ。


「助かる。歓迎させてもらう」


 自らの夢に出てくる南蛮人が担々であったりするのも含め、何故か申し訳ない気持ちが溢れてきた。


「島は俺の兄弟だ、蜀がどうなろうと知ったことではない。だが、お前を無くしたくはないし、何より楽しそうだからな!」


「孟獲……」


 心強すぎて参るよ、幕僚らの視線が痛いね。


 知ったことではない、間違っても同意は出来ない。だが根底にある想いはあまり変わりはしないな、俺とて孔明が良ければそれで良かった。


 やはり同じ波長を感じる、こいつとなら上手くやっていける気がする。


「三王を私の幕に招く。事あれば働いてもらう」


 隠し玉を手に入れて活用を夢想する。今すり減らすべきではない、いつかの大事に向けて温存する、そんな選択肢も視野に、国家を揺るがす戦争の火蓋は幕をきって落とされるのであった。


 

《一方その頃、蜀の丞相・諸葛孔明》


「丞相、魏軍が北の関に殺到しております!」


「慌てるな、北の関は馬超が防ぐ」

 ――間道が心配だが、そちらにも兵を伏せてある。呉がどうでるか。


 漢中に司令部を置いた孔明は、戦場であっても政務をこなさねばならなかった。彼が執務をしなければ国が動かなくなり、麻痺してしまう。それほどまでに権力の集中をしているだ。


「こちらから裏手に回り奇襲を掛ける。魏延に一万を預け自由に行動させよ」


 孔明とて別に権力を独り占めしたいわけではない。単に彼の基準を満たす大駒が少ないのだ。劉備の義兄弟を始めとして、英雄と語られている武将が戦死し、病没している。


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