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 賊が連合して零陵を攻め立てているか? いや違うな、首領は一人だ。軸となるたった一人を除けば勝てる。俺がここで落命すれば様々バラバラになるのと同じようにな。


 目を細めどこに首領が居るのかあぶり出そうとする。本陣に居るのが当たり前だが、それは軍隊の場合だ。


 本当の命令の出どころを見抜け!


 動きが鈍いのは伝令が行動を阻害される場所に居るから。ならばそれは平地ではない。三方のいずれかにあり、いざとなれば姿を眩ませやすい箇所。


「城の西から攻めている千の部隊、そこに藩既がいるはずだ。李将軍と李別部で首級を挙げろ!」


「御意!」


 千の兵を率いて戦場を右手に迂回して接近していく。


 それはそれとして、城の状況は最悪だな。このままでは藩既の首を取ったとしても城は陥落するぞ。


 アリの様に黒い何かが這いまわる城壁、奥にも手前にも人が落下して地面に華開かせている。


「麻苦、あいつらが頭を討ったら零陵城へ乗り込む為に前進するぞ」


 視線を城から外さずに、傍にいる羌族の長に予告をしておく。隣の銚華も小さく頷いている。


「飯と酒ぐらいは出るんだろうな」


「期待しておけ。住民への略奪暴行は禁止だ」


 ふん、と軽く鼻を鳴らして麻苦は体を前に向ける。まばらに攻めて来る賊を完全に撃退、死体から装備を始めとして金目の物をはぎ取る。


 中央の敵が分隊を派遣したようだが、あれでは李信を止めることは出来ん。部隊から半数が左手に進路を変えた。


 李封の奴だな、増援を足止めしている間に首魁を討つ。山地に乗り込みわき腹から食い込んでいく、接触を確認した後に李封部隊も再度前進しだした。


「旦那様、左手の城門が破られたようです」


 目を凝らしてみると、城門外に居る賊が土煙を上げて城に吸い込まれていく。


 城内戦に持ち込まれたら混乱が増大する、程なく守備側の敗北になるか。


 考えている間にも、目の前の北門がゆっくりと開かれていく。これ以上は無理だ、見切り発車とはこれだな。


「俺達も前進するぞ!」


 僅かな親衛隊、劉司馬が「中央を行くぞ!」落ち着いた声で命令を下す。残りは百数十人程、李兄弟が数十連れて行っている。


「麻苦、私達も行きますわよ」


 半弓を背負うと皮盾を手にして剣を構える。侵攻戦は得意じゃなさそうだな。


 賊の後備にあたる中央軍と真正面衝突した。入城に気を取られているからだろう、さして押してもいないのに敵が引き下がっていく。


「ほう、早いな」


 戦場右手、『李』の旗を大きく振って首領を倒したことを報せてきた。それ自体は喜ばしいが、一方で城内からは煙が立ち上っている。


 矛を右手にして大きく息を吸いこむ。


「中侯島、義により零陵に参戦する! 続け!」


 騎馬を駆けさせると敵の真っ只中に突撃をかけた。中県の親衛隊が負けじと突っ込む。


 鉄馬で歩兵を弾き飛ばし、矛を振るって幾つもの首を飛ばして回る。左右から親衛隊がせり出していき、矛が届く場所に賊の姿がなくなる。


「軍旗を掲げろ! 声を上げろ!」


 盛んに意気をあげ、城外に屯している賊を打ち破った。城門を行かせまいと頑張る部隊と対峙する。


 後ろから羌族兵が追いついてくると、足を止めずにそのまま進んでいく。


 城内の混乱が激しい、間に合うか? いや俺が懐疑的でどうする!


「歩兵は道を開けろ! 鉄騎兵、突入だ!」


 劉司馬を前列にして、親衛隊が城門を強引に突破した。抜けるとそのまま城内奥へと踏みこむ、内城が攻められているならそれを助ける為に。


 住民が悲鳴を上げて逃げ惑う、あちこちで略奪が起きていた。


「ご領主様!」


 李兄弟が西の山地を下って傍へと戻って来る。馬の鞍には血が真っ赤にしたたり落ちる首を一つぶら下げている。恩賞首を得たのは李信自身か、よくやったと褒めてやりたい気分だ。


「李将軍、城門を確保するんだ」


「承知!」


 残る賊を掃討すると、後続が城門を潜り抜けるのを助ける。焼良の西羌騎兵も城内に展開したか。


 街の南奥にある内城にはまだ『殷』『零陵』の軍旗が翻っている、ぎりぎり間に合ったようで何よりだ。


 城の中央に歩みを進める。顔を曇らせた住民が恐る恐るこちらを見ているな。


 少し進んだ先で三人の羌族兵が民家から出て来るのに遭遇した。手には食糧を抱えている。


「おいお前、それはどうした」


 急に馬上から詰問されて驚いたようだったが、こちらを見て安心したようで薄ら笑いをみせる。民家から老人男性が出てきて「ど、泥棒!」口の端から血を滲ませて憤る。


 視線を老人から羌族兵に向けた。


「住民から奪ったのか?」


 そいつは二人と目を合わせてから「分けて貰っただけですよ。大体、助けられたくせに、これ位で煩いんだよじじい」忌々し気な感じで老人に言う。


 老人は震えあがって何も言えずに硬直してしまった。


「麻苦から略奪暴行禁止だと聞いていないのか?」


 出来るだけ穏やかに、感情をこめずに確認する。もし聞かされていないならば悪いのはこいつらとは言い切れない。


「一応聞いちゃいますがね。でもこんなのいつものことだって」


「そうか」


 短く反応すると、三人はへへへへへと笑う。胸の筋肉に力を入れ、手にしている矛を横一閃に払った。


 三つの首が転がり、どさりと音をたてて首なしの男が倒れる。


「大将あんた!」


 麻苦が抗議の声を上げる。だがそれを遮り馬上から睨み付けた。


「言ったはずだ! 軍令を犯した者を許す程、俺は甘くは無いぞ!」


 武器を構えて対峙しようとする羌族兵を警戒し、親衛隊が周囲を囲む。一触即発の危機。


「姫!」


 鋭い目つきで銚華に訴える。目の端にだけ彼女を収めて、麻苦から決して視線を逸らさない。


「私から言えることはありません。麻苦、貴方が決めなさい」


 拳を握りしめて震える、どうするべきなのかを。羌族の長がここで引き下がれば一族の名誉にかかわる。かといってここで割れて争えば、より大きな何かを失うだけ。


「……むむむむむ! 禁令を破った者を討ち捨てよ! 老体、迷惑を掛けた、受け取れ」


 腰に下げていた巾着を放る、地面に落ちるとズシャっと重い金属音が響く。恐る恐る拾い上げると口を開いて腰を抜かす、銀貨の山だ。


「もし、あなた様は?」


 膝をついて騎馬しているこちらを見上げて問う。余計な名乗りは赫昭と同じ迷惑を掛けるかも知れんが、自身を偽ることはしない。


「蜀は中県の侯で姓を島、名を介という者だ。殷前太守の弔問に寄ったところだ」


「おぉぉぉ、島将軍で御座いましたか! ならば安心。ありがたやありがたや」


 額を地面にこすりつけてひれ伏す。名乗りを聞いていた住民たちも、ぽつりぽつりと姿を現して敵国のはずの軍を見る。


 襲い掛かって来ないことを確認すると方々から集まり、膝をついて皆が願う。


「太守様のお城に賊が向かっております、どうぞお力添えをお願いします!」


 異様な光景に麻苦も怪訝な顔をしていた。どうして敵にそのようなことを望むのかと。


 逃げないのは軍令に厳しいと言うのが伝わっているからか、昔に局長を斬首にしたことがあったからな。


 それにしても殷太守、住民から敬愛されているようだ。ここには報われる世界が存在している、俺はそれを認めてやりたいし、存続させてやりたい。


「元からそのつもりだ。賊徒なにするものぞ! 親衛隊、俺に続け!」


 零陵城の中央通りを黒軍装の鉄騎兵が進んでいく。脇道から住民の期待の視線が突き刺さる。


 首領を失いそれでも攻め込んでいるのは起死回生の一手がそれしか望めないからだ、阻止すれば総崩れになる。


 お世辞にも高い城壁とは言えない内城に多数の蠢くものが張り付いていた。


 矛を握りしめその光景をじっと凝視し、動きの中心になっている場所を見定めた。


「左手前方の集団を蹴散らすぞ!」


 指揮所がある位置に馬を駆けさせる。狭い城内ではさほど速度が出ないが、それでも数人を跳ね飛ばすだけの衝撃が生み出された。


「な、なんだこいつらは!」


 突如乱入してきた不明の集団に声を上げる。耳にした奴らが一斉に振り返った。


 手近な賊を切り捨てて矛を一振りすると、赤の直垂を跳ねて胸を張る。


「俺は島介、不逞の輩を退治に来た! 治世を乱し、人々を陥れる者を許しはしない。総員掛かれ!」


 矛を賊徒に向けて大声で排除を命令する。


「島将軍が配下、李別部司馬だ! 君命を受け敵を殲滅する!」


 親衛隊の一隊を引き連れて李封が突入した。連戦に継ぐ連戦で傷も癒えていない兵士も勇気を前面に出して、圧倒的多数の敵に向かっていく。


 劉司馬が俺の護衛に残っているか。賊の連携は取れていない、だが数は力だ。


 右斜め後ろに『島』の軍旗が掲げられる、これより後ろに下がる親衛隊は逃亡とみなされ処罰されてしまう。


 多勢に無勢で決して旗色は良くない、それでも親衛隊は果敢に戦闘を続ける。


 城内を巡っていた焼良の騎兵隊も参戦、遅れて麻苦の羌族歩兵も交戦を始めた。それでも城兵は厳しい防戦を続けている。


「伝令、伝令!」


 赤い旗を腰にさした者が『島』旗を目指してやって来た。


「申し上げます! 城外北東に『朱』『征北』の軍勢が現れました。その数凡そ五千!」


 呉の朱と言うと朱治を頭とした一族か。確か政治も軍事もみる宿将という評価を聞いたことがある。


 零陵の危機を知り、どこからか駆け付けたわけだ。なら俺はお役御免ってことでいいか。


「援軍が来たことを城内に報せてやれ」


 側近にそう命じると、矢文を複数用意して城壁に向けて放つ。幾つかが兵の手に渡ったようで、守備兵が沸いた。


「全軍に伝令だ、西門から戦場を離脱するぞ」


 軍勢が現れたのを知った賊は浮足立っている、もう陥落は免れただろう。チラッと城壁を見て後に、馬首を西へ向ける。


 住民が地べたにひれ伏せて感謝を示していた。そうだ、俺は他に何も望まない。


 城の北側で大きな声が上がっているのが聞こえてきた。朱軍が城内の賊に攻めかかったんだろうな。


「ご領主様、親衛隊揃いました」


 戻ってきた李信が短く報告を上げて来る。銚華も羌族兵らの集合が終わったと告げた。


 城門を出たところで、後方の通りに『朱』軍の追手が姿を現す。


「そりゃそうだよな、俺達は敵軍で城内戦をするようなお尋ね者だ。西部山地に潜り込むとしよう」


 偵察騎兵が先導して歩兵の集団が通りを進んで来る。だが城門付近に住民が集まり通行の邪魔をする。


 麻苦が顔をしかめてその様子を見ていた。あれが彼らに出来る最大限の返礼だってことだな。


「信、急ぐぞ」


 騎馬の足を速めて、鬱蒼と茂る山林の奥へと消えていく。賊が残る零陵城と離れていく軍勢、どちらを優先すべきかの判断は解り切っていた。


 山の行軍は厳しい、水の確保が最大の懸案事項。方向を見失わない様に太陽のある方角を常に注意して、暗夜は大人しく宿営する。


 食糧はそれなりに抱えている、兵も何とか耐えているから問題はその後と言うことだな。


 焚き木を見詰めてどうしたものかと物思いにふける。側では常に李兄弟のどちらかが警備を指揮していた。


 中県はきっと国軍の攻めを受けて降っているだろう、こいつらも帰郷したいに違いないのに良く尽くしてくれている。


 空を見ると星が輝いていた。いつみても変わらない星々、千年先でも変わらん。


「この先は益州郡だったな」


 誰に向けたわけでも無い独り言。益州と益州郡の違いを知らずに判断を誤りそうになったこともちらほら。


 聞き流しても良いのに、李信が律儀に返事をしてくる。


「はい。益州郡太守は張紹、次席の長吏は楊炎です」


「そいつらは俺をどうとらえてるだろう?」


 こちら向きの感情を持っている奴ら等少数派だと解っちゃいるが、一応の確認だよ。なにせ常識が不足しているんだからな。


「張太守は先君の義兄弟、張飛将軍の嫡子です。あまりに強大な権力を集めたご領主様を良くは思っていないでしょう」


「張飛の? そうか」


 流石に聞いたことがあるよ、関羽と張飛位はな。皇帝派の有力者がどうして地方で太守なんてやってるんだか。


 実質的な権限は太守が大きいが、そこはやはり国家を鑑みれば首都で勤務すべきだ。


「それで次席は?」


「楊炎校尉は楊儀丞相長史の甥であります」


 するとどうなるんだ? 孔明先生のシンパではあるが、魏延と楊儀が争ってるな。俺が魏延よりなのが気に入らんって可能性はあるか。


 いずれ首都から指示があればそれに従うだろうから、明るい未来を期待するのは甘いってことだ。ここを横切らないことには永昌に行けないから、いずれ遭遇するだろう。


「こんな山中でも住人はいる。いつか通報されて地方軍ともぶつかる、その時は逃げに徹するぞ」


「御意」


 異論は一切挟まない、忠誠対象は国家でも皇帝でも無く、郷に繁栄と安定をもたらしてくれる人物。申し訳なくて溜息しか出ない。


 しっかりと休んで体力を温存しておく。朝もやが出て急激に気温が下がった。昼間になれば逆に暑くなる、季節の変わり目は体調を崩しやすいものだ。


 ゆっくりと西へ向けて移動を続けること数日、少し先に郷が見えてきた。少数の兵が偵察に出る。


「ここはどのあたりなんだ」


「益州郡北東部の同瀬県と思われます」


 地図は無い、土地勘がある者も極めて少数。住民に尋ねてようやくどこかが判明した。


 山中をあと十日も行けば永昌郡の東端に出られるか?


 偵察が戻るまで大休止にして昼食を摂らせる。手持ちの食糧もそろそろ補充しないと残りが怪しくなってきたな。


 無補給なわけではない、野生の動物を狩れば充分腹は満たせるからだ。そこは移動しているのが有利で、取りつくすことが無いので見つけられるかどうかだけが問題だった。


 兵が戻って来て詳細が告げられた。どうやら同瀬より大分南の同労県に来てしまっていたようだ。


 脳内にあるおぼろげな地図を思い出す。益州郡の南東部、永昌郡は益州郡の西、それもどちらかと言えば北よりにある。


「郡のど真ん中を通過するか、道を戻るわけか」


 参ったな、やはり地理不案内ではな。選択肢があるだけマシとも言えるが、決めるのは俺の責任だ。


「ここから北西へ進路をとる。道は必ず繋がっている、一歩一歩進むとしよう」


 行軍を命じるとまた太陽が沈むまで進み続けた。同労の郷から少し離れた場所、いつもの山中で野営。


 いい加減設営も慣れてきたもので、随分と素早く寝床を用意出来るようになっていた。


 幕の外から声が掛けられると李封が応じた。少し言葉を交わし振り返る。


「ご領主様、このあたりの住民が是非話がしたいとやってきているようですが、いかがなさいましょう?」


「住民が俺を指名か。連れてこい」


 ご指名のわけはあとまわしだ。これが情報戦であっても何でも、まずは聞かんと始まらん。


 直ぐに幕舎に中年男性が連れて来られる。二人連れ、うちひとりは旅装と言えるような身なりだった。


「お前の名は」


 自身では名乗らずに問う。名前などどうでも良いが、喋らすことが目的で表情を読み取ろうとの魂胆だ。


「私は益州郡同労の住民で沢と申します。お目通りかないありがたく」


「ふむ。その沢とやらが私に何用だ」


 姓を持たずとは、貧民の類か。戸籍が無い者などいくらでもいる、どうやら話があるのは後ろのやつらしい。


「それはこの者が」


 視線が旅装の中年に集まる。覇気があるわけでも、これと言った何かが感じられるわけでも無い。


「お前は」


「私は雲南からの行商人で蘇陽と申します。島の旗が見えたのでこれは耳に入れておかねばと、無理を承知で拝謁を願いました」


「行商人だって?」


 俺の軍勢は居場所が解っている、それは一種の駆け引きってことだろうな。商人はただでは動かない、利益があってこそだ。


「益州郡都には関監軍将軍が治安維持の名目で駐屯してございます」


 李信をチラッと見る。すると視線の意味を理解したようで説明を加えた。


「関興将軍は、関羽将軍の嫡子で、先年までは病で暫く療養しておりました」


 関羽の息子か、すると張飛の息子と当然の様に同じ方向を向いているぞ。治安維持ってことで俺への対策軍を派遣してきたわけだな。


 この情報は間違いなく俺への贈り物だ。


「そうか。蘇陽、その情報千金に値する。いずれ必ず報いるので証書を発行しよう」


 そんなものを持って居たら摘発の対象になるかも知れないというのに、蘇陽は恭しく書状を受け取った。


「時に蘇陽、周辺の地理には詳しい?」


「幾度となく行き来しておりますので、土地の者同様に動けると自負しております」


 この地方だけでなく他もってことだよな。売り込みにきたのは自身ってわけか。いずれ案内人は必要だ、ならばこいつを雇うのも手だ。


 もしこれが誰かの謀略だとしたらどうだ、俺を罠へ誘い込むための序章ってところだな。


 蘇陽は軍陣の外へは出られない、連絡を付けるのは困難になる。予め罠の場所が決められているとの前提だ。


「そうか。ではどうだ、私の側に在って助言をしてはもらえないだろうか?」


 側近はこれといった反対も賛成もしない。こいつらもそれぞれの意見を持っていても良いんだが、その課題は後にするとしよう。


「お望みとあらば」


 指先を胸のすぐ前で軽く合わせて礼をとる。その仕草が随分と板についている、無骨な武人ではなく論客の類か?


 見た目ではこれ以上何とも言えん、まずは様子見だな。


「劉司馬、蘇陽殿の取仕切りを。それと沢にも褒美を取らせろ」


 こちらは口止め料ってところだ。金さえもらえば後は知らんふりが自分の為でもあるからな。


 幕舎から二人と劉司馬が出て行ったのを確かめて「信、蘇陽が件の関、張らの手の者だと注意して動向を監視しておけ。だが決して害するなよ」さじ加減が難しいところはあるが、こういうことの経験を積ませるのは俺の守備範囲だからな。


 頷いて一礼すると劉司馬を追って幕舎を出て行った。


「さて、今夜は休むとしよう。封もいい加減様子をみて寝ておけよ」


「承知致しました」


 返事はするが門番宜しく幕舎の出入り口を離れようとしない。まったくこいつらと来たら。


 パッと目が覚めると外が明るくなっていた。流石にもう封は警備に立っていない、居るのは親衛隊の兵士だ。


 こちらから出来る調略は何かないものかな。うーん。


「何も思いつかん。呂軍師のありがたさが身に染みるね」


 黙っていても暖かい朝飯が勝手に用意される、そうなって結構長い。妻とは言っても銚華と寝所は別々、これまた違和感なしか。


 身だしなみを整え外へ出る。皆も食事の最中で、鍋の中身を見るとクズ芋のような根菜が煮込まれていた。


 兵には肉を食わせてやりたいが、いつでも狩猟できるわけでは無いからな。郷から徴発するにしても益州郡では上手くいかんだろう。


 蘇陽の姿が有ったので早速知識を引き出しに掛かった。


「どこかで物資の補給をしたいのだが、適切な場所はないだろうか」


 諸条件を簡単に説明し、目的地は教えない。近隣のどこへ誘いたいのかをまず知っておくとしよう。


「それでしたら勝休県がここより西へ少し進んだところに御座います」


 郡都の真池城が間近の場所か、誘い込むにしてもあまりにもあからさまな感じだな。かといって山地をうろうろしている暇も余裕もない。


「解った。李将軍、斥候を出すんだ」


「御意」


 詳細を指示せずに行為だけを定める。どこまで職務を理解しているかを確かめておこう、まあ信なら不足はないさ。


 刻限が来ると野営地を取り払って行軍を再開する。斥候は戻って来るのが一苦労、行き先を報せておくのを忘れると迷子になってしまう。


 予測が正しければ近隣の森にでも伏兵が居る。遭遇したら戦うが、出来れば直接刃を交えるのだけは避けたい。


 馬上で黙って色々と思案するが情報が足らずに答えが出てこない。


 昼頃まで可能な限り進んだ、それでも曲がりくねった山を集団で進んでいるせいで、一時間に一キロちょっと進んでいるかどうか首をひねる。とても軍隊の移動速度ではないのだ。


 斥候が帰還するとみてきたことを具に吐き出す。


「勝休郷までここなら僅かです。周辺の地を探って回りましたが、伏兵の様子はありませんでした」


「ご苦労、休め」


 居ないのは何故だ、こちらが油断したところを包囲殲滅するつもりか?


「ご領主様、別途索敵を行わせましたが、郷の周辺に大きな軍集団はありません」


 信がことさらそう報告してきたんだ、それが事実なんだろう。


「そうか。荷駄隊を出して物資の買い出しに向かわせるんだ。軍旗は適当にでっち上げて、銀貨で支払いをさせろ」


 戦場で拾った旗を幾つか掲げさせて購入だけさせる。本隊は山地で伏せていれば、最悪被害は少数で済む。


 追跡して来るような影があればそれを逆にたどれば色々と判明する。


 その日の夜、北の空が何故かうっすらと明るく見えた。


「あれは何だ?」


 街の灯りにしては妙だな、この時代こうも明るくは出来ん。


「真池城がある方向です」


 蘇陽が劉司馬と共に現れて空を見詰めている。そうなってくると考えられることは少ない。


「街が燃えているわけか。ここまで呉や魏が攻めて来るとは思えん、反乱でも起きているのか、それともまた賊徒か」


 いずれ放置は出来ん。流浪の身であっても俺が島であることに変わりはない。


「偵察を出します……いえ、自分がこの目で確かめて参ります。暫しお時間いただきます」


「うむ。気を付けろ、何が出るか解らんぞ」


 李信が数十の供回りと共に暗い道を北へと向かう。李封が武装待機を命じる許可を求めてきた。はっきりと頷くとどうすべきかを想定する。


 山火事でもなければ街が燃えているわけだ。ただの火事なら出る幕はない、だが戦争をしているなら見て見ぬ振りはせん。


 床几に座り腕を組んで目を閉じる。地理不案内、暗夜でどこまで動ける? いや、見えないことを味方に付けるんだ。


 城外に軍勢が居るならば遠くの我等は闇の中、奇襲が可能になる。ましてや居るはずがない存在、攻撃を受けた方は疑心暗鬼に陥るだろう。


 では攻撃側が何者か。これについては郡都を攻めるだけの兵力を指揮している誰かとしかわからん。


 黙って待つこと二時間あまり、李信が帰還する。


「申し上げます。真池城を攻めているのは雑多な民兵、守るは蜀の旗を掲げる国軍です」


「賊徒ではない?」


 民兵と表現したのはどういう意味だろう。


「周辺の県郷からの民でしょう。過酷な税を課した太守に反旗を翻した様子。城内でも蜂起して街に火の手が」


 統治に失敗したわけか。張飛の嫡子との話だが、政務官としては高い能力では無いのかもしれんな。だが武力はきっと高そうだ。


「蘇陽、益州郡の租税の程を知っているか?」


「聞くところによりますと、八割を納めるよう厳しく言いつけられているとか」


「八割だと?」


 それでは暴動が起きても何の不思議もない。食うに困れば人は理性を失うものだ。


 中県は租税三割と決めてあるが、どこかで勝手な真似をするやつがいるとも限らん。今更だが監察だけ行う官吏が居る理由がわかったよ。


「ご領主様、いかがなさいましょう」


 判断を誤ってはいけない、たとえその地の住民だとしても治安を乱すのを許しはしない。


「ふむ。いかに圧政が行われていようとも、反乱を見逃すことは出来ん。これを鎮圧し秩序を取り戻す。李信、城まで先導しろ」


「御意!」


 即座に軍事行動を起こす。松明が多数用意され、暗闇を北進する。歩き続けると次第に松明が要らない程に明るさが増していく。


 あれが真池城だな、盛大に燃えている。これでも陥落していないのは、関索将軍の遊軍が駐屯しているからか。


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