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多重包囲されてしまっている李項部隊、それらを囲っているものは当然中心を向いている。背をついでに切りつけながら、時計を半周するようにして命を刈り取り幕へと進む。
大慌てで起床して防備を固め始めたようだが遅い。まさかという時に攻めてこそ、戦いは勝てる。
「突っ込め!」
十倍する敵兵の防備があるが、多くを置き去りにして急襲した。ただそこに存在するだけの兵など戦力にならん!
幕へ一直線、立ちはだかる者を根こそぎ張り倒して鉄騎兵が行く。指揮系統に混乱を起こす。急きょ防衛に向かうように各所へ早馬が走る、そのせいで李項の包囲が緩んだ。
すると一角を突破して、こちらと違う方向から幕へと向かう。
ここが無理のしどころだ!
「横陣二列! 面で押せ!」
生き残りを二手に別けて攻撃力だけを一時的に増大させる、犠牲はスタミナと全方位の防御力。
一気に攻め寄せる赫軍兵の圧力に、司令官を欠いている烏丸の南部隊は動揺を隠せない。
右に左に矛を振るっているが、何せ敵の数が多い。息切れをして体が悲鳴を上げそうになる。
くそっ、体力不足で負けて堪るか!
「うぉぉぉ!」
歯を食いしばり、本人でも驚くような動きをみせる。敵わないとみた烏丸兵が、一人、また一人と逃げ出していく。
空が白み始めると、左手前方で声を上げる者がいた。
「烏丸の武将を討ち取った!」
「やったか! よし、撤退するぞ!」
よくぞやった! これで赫雷も攻め負けるわけに行かなくなり、数と質を増加させるしかなくなる。
息を乱して周囲を見渡す、敵ばかりだ。馬を隣に寄せてきて李項が「ご領主様、自分が道を切り開きますのでお退き下さい!」言うが早いか、半数を率いて包囲を崩しに掛かる。
俺が足を引っ張っていてはどうにもならんぞ!
「戻るぞ!」
とは言えこの数を抜けるのは正直かなり厳しい。結構な人数を失うことになるだろう。
この場に居続けるわけにはいかない、今も昔も活路は前にしかないことなど解り切っている。
汗が滴り目に入るが無視して歩兵を凝視する、視線で圧倒出来たらどれだけ楽か。
供回りも体力の限界、だが目だけは死んでいない。惜しい、こいつらを失いたくない!
「こ、これは!」
目の前で起きていることが信じられない。赫軍の本陣が下って来て合流しようとしているのだ。
二本の軍旗『赫』『島』はきっちりと掲げられている。
「島将軍を中心に陣を築きなおせ!」
赫凱が拠点を捨てて斜めになった場所に本陣を据えなおす、守りに向いていない、だがこうすることで両方の命題を成立させえた。
頭が固くなっているぞ俺は!
「赫凱、このまま河を背にして戦うぞ」
「御意! 南西へ移動しつつ交戦だ!」
円陣が組み上がると徐々に集団が戦いながら動く。各級指揮官が連携して、隙があれば埋めながらだ。
「先行部隊を出して場所を選定させろ! 工作部隊も連れて行くんだ!」
水を飲んで息を整えている間にも部将らが指示を出し合って最善を進む。最大の危機がそのまま最高の経験の場になっていた。
凄まじい吸収力だな!
汗を拭って自分に出来ることは無いかを素早く考える。
三方をまともに防戦は出来んぞ、これを減らす手段を捻り出せ!
「李項、西の河を背にして、北側に油をまいて木々を積み上げろ。火炎を防壁にして二面で防戦だ」
「はい、ご領主様!」
赫昭なら一時間稼げば結果を出してくれるはずだ。傷だらけで体力も低下、武器も多く失い、数もすくない。
目標を設定して何とか防ぐことが出来る線を想定して激励した。
南部の部隊が邪魔になり、追撃が上手に出来なかったのは嬉しい誤算。
守備配置に就いたころには、赫軍も島軍も無く皆が連帯感を持った一つの集団になっていた。
「俺達はここにいるぞ!」
兵が声を合わせて存在を誇示する。圧倒的な大軍が数で押し寄せるのを、気合と局地的連携で受け止めた。
このあたりが限界だ、どうだ!
目を細めて東を見詰める。遠くに白い旗指物を括りつけた騎兵が現れ何かを叫んでいる。
「全軍へ通告! 赫雷様が戦闘の停止を命令された! 戦闘を止めろ!」
防備は解かずにその場で立ったまま兵士を休ませる。河の水を馬に飲ませて状況を探ろうとしていると、白旗の騎兵が近づいてきた。
「赫軍兵へ伝える、赫雷様と赫昭将軍は和睦を結ばれた。戦いは終わりだ」
「赫軍指揮官の島だ。和睦の報、確かに受け取った」
赫昭が勝ったんだ! さすがだ、もう何も言うことは無い。為すべきことを為した友人に感謝と称賛の念を持ち、大きく息を吐くのであった。
◇
太陽が南中する頃、双方から十名の代表が進み出て、山間の盆地で和睦の取仕切りを行った。
赫昭を筆頭に、赫軍から全ての代表が出た。烏丸の攻撃隊で疑問を持った者が居て、赫雷に進言する者が現れたのは頷ける。
軍兵らと共に中央を見ていた俺のところに赫雷が数歩近づいて問う。
「島殿は何故こちらに来ないのだろうか」
多くの烏丸兵が同じ疑問を持っているだろうことは簡単に想像できる。何せ『赫』と『島』の旗が殆どで、他に主たる指揮官は存在していない軍なのだから。
「これは赫昭将軍と赫雷単于の戦いで、俺は代表に混ざるべきではなからだ」
居ることで赫将軍に気を使わせるのも解り切ってるしな。
「だがそなたは功績充分、参列する資格があるとみるが」
烏丸でなくても、強い者、実績を示したものは発言力を得る。至極当然の流れに、何をどう説明したものか少し間を置く。
「ここに残ったのは俺の意志だ」
それを望んだならば認められるべきとの意味だが、どう受け取るやら。
「烏丸単于が赫雷が認める。赫軍の島は勇敢な男だと。者ども、戦士を讃えよ!」
「うぉぉぉ!」
烏丸族兵が声を揃えて称賛を送った。それに対抗するかのように「島将軍へ賛辞を!」赫昭が拳を突き上げる。
同じ様に赫軍兵も大声を上げた。
悪い気分ではないな!
右手の矛を天に向かい掲げて声に応じる。頃合いを見て矛を下ろした。
「さて、どうやら友人の窮地も去った、戻るとしようか」
李三兄弟の誰へ向けたわけでも無い大きな独り言のような呟き。凄絶な戦いで親衛隊は生き残りが三百そこそこに減ってしまっている。
「魏領内を通過することは困難でしょう」
李項が魏軍がうろついているだろうとの指摘をする。蜀軍が侵入してきていると知っているので当然の対抗措置だ。
「この負傷者では強行突破も難しい。西へ山越えをする方がまだマシか」
良くも悪くも総数が減っているなら、山道を抜けるという選択肢が見えてきた。地理不案内ではあるが、一点を目指すわけではなく、ただ横切るだけならそこまで困りもしないだろう。
何せ季節は春、急激に冷え込んだとしても雪までは降らんはずだ。
式が終わるのを見計らい、赫雷に一つ申し出てみる。
「すまんが西の山地を通り抜ける道案内を貸して貰えないだろうか」
断られても何も不満はない。ま、受けてくれたら助かるがね。
「赫単于、私からもお願いする」
赫昭が後押しする。二人の関係は友人、ただそれだけだと言うのに命がけの協力をした。生まれも年齢も関係ない、心底二人が羨ましいと快諾する。
「どこへ帰るかは知らんが、案内くらい出してやろう。骨進、お前が行け」
二十代前半だろう体つきの良い若者が進み出て来る。明らかに武力で身を立てているだろう部将、或いは一族だろうか。
「承知。してどこへ向かうつもりだ?」
「長安付近に行ければそれでいい」
山さえ越えられればどこでも構わんが、一応の目的地を示した方が道順を選びやすいだろうしな。
「長安だと? そこは蜀の支配域で、周辺の治府がある場所なはず。その状態では捕まりに行くようなものではないか」
赫雷の一言に、つい赫昭と目を合わせてしまった。確かに何の説明もなく今に至っている。
ここで正体を明かしてもきっと赫雷は態度を変えんだろう。
「最近は蜀ってことになっているのは事実だな。実は長安は俺の城でね」
合ってるよな? 細かい話は置いておくとして、ニュアンスは通じるはずだ。そう変な顔をするなよ。
「どういうことだ?」
「どうもこうもない。俺は島介、蜀で右将軍雍州牧他色々をやっている」
本当に色々とやているんだぞ、詳しくは俺より是非呂軍師の方に聞いてもらいたい。切実だ。
「島将軍……蜀の島右将軍だって!」
じゃあ何で小勢でこんなところに居るんだって話だよな、そういった疑問は正しいと思うよ。
「島将軍は、私の一大事に友誼のみで駆け付けて下さった。この恩は一生掛かっても返しきれるものではない」
赫昭将軍が小さく首を横に振ってそう呟く。だが隣にいる赫凱が続けた。
「では親子で返せば良いではありませんか。私の代で無理なら、息子にも返させます」
「おいおい、気にするなって言ってるだろ。俺はこうしたくてした、それだけだ」
親切の押し売りなんて厄介なだけだろうに。
「ははははは! なるほど、こいつはいいな! これが噂に聞く島将軍だったか。中華の狸共より関外の者達により近い存在の様子」
うーん、それは褒めてるのか、それとも呆れてるのか。
「道案内だけで充分、他には何も要らん。邪魔になる前に帰るとしよう」
馬首を返してさっさと立ち去ろうとすると、赫雷が声をかけて来る。
「俺は諸葛とやらの誘いを蹴った。だが島将軍が求めるなら話に乗ってやっても良いと思っている」
孔明先生は烏丸族にも調略をしていたわけか。どこまでも伸びる長い手を持っているんだな。
「赫雷がしたいようにしたらいいさ。俺は友人さえ無事なら他は別にどうでもいいんだ」
孔明先生、それに孟獲の兄弟、赫昭、皆が無事ならそれだけで構わん。
色気のない返事を残して西へ向かおうとする背に「では好きにさせてもらうぞ」ご機嫌で声をかけて別れる。
骨進と案内、数は少数。この位の人数なら野生の動物を狩り、河で魚を取って木の実や草、芋を集めれば食糧には困らない。
何ともサバイバルな数日を過ごす。山越えの装備などあるわけもなく、出来るだけ平坦な道を遠回りしてでも進んだ。
直線距離を進むのと違い、かなりの時間を無駄にして魏軍の目を盗んで山間を行く。
「そう言えば徐晃軍もどこからか現れたわけだから、このあたりにも道はあるわけだよな」
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獣道を人が使い、少しづつ踏み固められ拡がっていく。馬が通るだけの幅さえあれば、軍ならば移動できる。
眼前遠くで森から鳥が沢山飛び上がるのが見えた。
「……ふむ、楽にいくとは思っていなかったがいよいよか」
「ご領主様、いかがされました?」
李封が呟きに反応した。馬上から後方を確認すると、うっすらと土煙が上がっているような気もする。
「骨進、脇道なんて無いよな」
あったとしてもそんな細い道に入り込めば身動きが取れなくなるだけだ。
「前後一本道だ。もう少し進んだところで比較的拓けた場所はあるが」
拓けた場所か。一騎のみの道幅では足止めを受ける、戦うなら少しでも複数で戦えるところにすべきだな。
「よし、その場を先に占めるとしよう。急行するぞ!」
馬を駆けさせ一刻も早く要地を押さえようと急がせた。慣れない道で馬同士がぶつかり転倒しそうになる者が出る。
無理か! だが一列縦隊では兵力不足になるぞ!
その時だ、李項が親衛隊に命令を下す。
「百騎は道の右列を行け、百騎は下馬して左列を走るんだ! 遅れても良い、残る者は馬を曳いて進め!」
残りが短い距離ならば走らせるもやむなしか!
「李項、李信、突出して確保だ!」
「御意!」
そう応じると騎馬の足を速めて骨進と共に一気に速度を上げた。
「李封、後備の兵を率いて追いつけ」
「承知致しました!」
これならば行軍速度が保てる、少しの間戦いは防戦一方だろうが選択肢を失わずに済みそうだ。本当に頼りに出来るようになったものだな。
中軍を監察しながら俺自身は無理なく進む。後ろの敵は一本道で足止めさせるとして、正面がどれだけいるか、か。
小一時間もたった頃、ようやく李項らの後ろ姿が見えてきた。
「むむむ、千は居るな。こいつはこのあたりの警備でうろついていた兵とは違うぞ」
目的があって揃えられていた兵、指揮官は当然相応の階級を持っているはずだ。軍旗はなんだ?
戦場に近づいて目を凝らすと、そこには『李』しか見えなかった。
敵は軍旗を掲げん野盗か何かか。ならば強引に行けば突破も出来……いやまてよ、おかしいぞ?
2-18/19/20/21
もう一度戦場に翻っている軍旗をよく見る。だが『李』の軍旗があちこちにあるだけで、他の物は無い。
「どうしてあちこちに李の軍旗がある? 李項らは殆ど持ってきていなかったはずだが」
中軍がはっきりと広場に現れると、戦場から李信が駆けつけて来る。
「ご領主様!」
「信、敵は何者だ」
驚いている表情、何か起きているな。
「敵は李厳の部隊で御座います。裏切りです!」
「あいつか!」
俺に不満を持っているのは知っていたが、よりによってこんなところでか! いや、こんな時だからこそだな。
すると後方の部隊とは別物、連携はされんが両方敵か。戦力が不足する、どうする。
こちらは傷だらけで兵力も少ない、何とか切り抜けて長安へ逃げ込むしかないぞ。
「血路を切り開いて突破するぞ」
「御意!」
後続が馬を届けるのを待って、隘路出入り口を一時通行止めにしている間にか。くそっ、こいつは厳しいぞ!
李封の後備が敵を防ぎつつやって来た、歩兵が騎馬して機動力を回復する。それに高さも得た。
「木々や瓦礫を細道に積み上げろ、燃えるモノを集めて火をつけろ!」
持って数分、それだけで李厳の軍を抜けなきゃならんぞ。
殿が敵に手斧を投げつけ、怯んでいる間に広場に進出。
「今だ、道を塞げ!」
火がつけられている両脇、最後の道に縄で繋がれた組木が幾つも投げ入れられる。
「一点突破する、者ども我に続け!」
李項が三角陣の先頭に立って矛を振るった。下から突き上げられる刃に、どこと言うわけでなく傷を負っていく。
徐々に防備を削り、ついには最後列の防衛線を抜く。
「抜けろ!」
李項が血だらけになるも矛を取り落とすことなく身をかがめて馬にしがみつく。親衛隊が李項を囲んで守りながら外へと駆けた。
「足止めは崩れたか。だが偶然が味方だ、封、信、最後尾を任せるぞ」
「はい、ご領主様!」
二列縦隊、各二十騎が追撃を防ぎながら、わざと速度を落として道を走った。
李厳軍も驚いただろう、組木を除去してやってきた魏軍に。なにせそいつらは『李』の軍旗を持つ奴ら目がけて攻撃するんだからな!
偶然同じ姓を持っているものだから、身代わりにはもってこいだ。
「しかし、殿も疲弊している、このままでは対抗しきれん」
「島将軍、あと二つも山を越えれば平地になるはずだ」
骨進が目安を与えてくれる。だが平地になればなったで追撃が厳しくなるな。この細い道に捨て駒を配してでも逃げろってことか…………俺にそんなことが出来るわけないだろ。
何も喋らないでいる俺の表情を骨進が読み取る。
「あんた本当に将軍か? 甘いな、甘すぎる」
「解っているさ、世の中には俺より立派な者が大勢いるってことくらい。だがそうやって生きて来たんだ、今更変えられんし、変えるつもりも無い」
同道している以上他人ごとではない、だがその先これといって苦言を呈することは無かった。
山の先で鳥が散った。なんてこった、あっちにもまだ居るのか!
李厳なら五千位の兵を持っていておかしくないものな。
じっと道の先を睨み馬を走らせる。脇道の森に逃げ込みたい気持ちを抑え、前へと進む。一杯になった後備が本隊に助けを求めて追いついてくる。
「……申し訳ございません」
本来ならば死んででも時間を稼ぐのが役目なのだ。何も言わずに頷いて中央に入るように空間をあけてやる。
こういう終わり方、俺らしいと言えばそうじゃないか? 余計なことをして、やりたいことをやり遂げて、恨みを買って叩き落されるなんてな。
「後方の李厳軍が来ます、その数七百程!」
魏軍の防備に少し数を割いたようで少なくなっている、それでもこちらの二倍以上。
「活路は常に前にのみある。可能ならば進め! 不可能なら敢えて進め!」
ふ、懐かしすぎて笑えて来たよ。かつて得た言葉にアレンジを加えて全軍に示してやる。
山を越えて下り坂、森の先に軍勢が構えているのが見えた。後方の李厳軍とも交戦が始まる、行くも地獄、退くも地獄だ。
すぐ傍にある『島』の軍旗を見上げた。前もこうやって四つ星を掲げて進んだもんだ、あいつらはどうしてるかな。
森を抜けると視界が広がる。半円状の陣を構築し、現れる兵に射撃を集中できるような備え。
「狙い撃て!」
待ち伏せしている軍の指揮官が声を上げた。曲射された矢がやや後方へと飛び、李厳軍へと降り注ぐ。
「旦那様!」
「銚華か! あれは羌族兵!」
西羌兵が騎乗したまま射撃を行う、集団が接近して敵味方を識別しながら射かけているではないか。三千は居るだろうまさかの友軍、合流すると周囲を羌族兵の歩兵が固める。
「よくぞご無事で」
「九死に一生を得たのは銚華のおかげだ。李厳の奴が裏切りだ、一旦長安に入るぞ」
ところが銚華は何故か首を横に振るではないか。どうしたのか問いかける。
「蜀では旦那様が裏切り魏国へ降ったとのことになっております。長安に乗り込んできた廖化将軍が雍州の統治権限を」
「何だって!」
そうか、隙をついて一気に追い込んできたわけか。これは俺の不覚だな。
「孔明先生はなんと?」
「首都で執務を執っておられるとだけ」
拘束されているかもしれんな。いずれにしても長安どころか雍州そのものが危ないのか。
「呂軍師らは?」
「寥化将軍に拘束されましたが、どうにかして逃げ出したようです。どこにいるかまでは……」
「そうか。きっと無事でいるさ」
あいつらなら自分の身位守れる。さてどうする、魏延のところへ逃げ込むか? 状況を把握したいが今はまず敵を振り切るのを最優先だ。
中県はフルマークされているだろうし、各地の関所は触れが出ているだろうな。だからと魏に行くことは出来ん。
「――このまま南下して巴東を目指す。傷が深い奴は途中の邑で治療の為に隊から外す」
「ご領主様、自分なら大丈夫です」
李項が肩で息をしながら血だらけの身で胸を張る。
どこが大丈夫なものか、限界をとっくにこえているだろうに。
「李項、お前は傷病兵の統率をしろ。独自の判断で行動し、必ず俺に合流するんだ」
いつになく厳しい口調ではあるが、休むように言っているだけだ。兵をまとめる人物は必要で、責任が軽くはない。
「……ご命令ならば」
「ああこいつは命令だ。陸司馬、お前が補佐として兵百と共に残れ」
「御意!」
軽傷者も一緒にしておくことをしておくことを忘れない。不逞の輩はどこにでもいる、戦闘力の面で無防備とはいかないのだ。
それにしてもどこの邑に置いていけば良いものか。
「旦那様、まずはここを離れるのが宜しいのでは?」
李厳の兵を圧倒してはいるが、留まっているわけにもいかない。
「銚華の言う通りだ。行くぞ」
羌族兵が先頭に立って歩き始める。西羌騎兵は後方で李厳の隊と交戦を続けている。
騎馬しているんだ、直ぐに追いついてくるさ。それにしても、まんまとやられたのは俺の失策だな。
軍師らもそうだが、兵はどうなったのか。石包などかなり強引に引っ張て来たのに悪いことをした。
やれやれと反省する。一番の懸念は孔明先生だ。きっと心を痛めているだろう、俺のせいで国内が割れてしまったんだからな。
「この先も蜀軍と遭遇することがあるでしょう、どうするおつもりですか?」
銚華の疑問は最もで、末端になればなるほど詳しい事情など知る由もない。
「川沿いに降って行けば県城が幾つかある、近寄れば争いが起こるだろうが避けて通れば無茶もすまい」
落ち武者狩りは金になる、途中で寝首をかこうってやつもいるだろうがね。
数時間の行軍、小さい集落が見えてきた。雍州の東端、書類上の名称も思い出せないような郷だ。
軍兵、それも異民族の羌兵を見て腰を抜かさんばかりに驚いている。郷の長老が出てきて恐る恐る馬上のこちらを見上げて来る。
「お前がここの長老だな」
「は、はい」
「郷の名は」
きっと呂軍師ならすらすらと言えるんだろうな、俺には無理だ。それと脅そうとしているわけじゃないんだ、そんなに縮こまってくれるな。
「蜀は雍州の京兆尹、新豊の栄郷で御座います」
「ふむ。俺は雍州牧の島だ。長老、負傷兵の面倒をみて貰いたい」
「雍州様で御座いましたか! どうぞお任せ下さいませ。ですが郷に充分な糧食も無く……」
それはそうだな。急に大勢来られても困るだろうさ。羌族兵らは充分持っているな、それを分け与えるか。
「銚華、百石の食糧を置いていく。良いか?」
「はい旦那様。お言葉の通りに」
羌族兵に確かめることもなく即答する。羌族にとって俺は蜀の高官だったから価値があったわけだ、今後の態度に注意を払う必要はあるよな。
「長老、迷惑料込だ。李護忠将軍の言を良く聞くんだ」
いつ倒れてもおかしくない状態のこいつを早く休ませんとな。陸司馬が実務交渉にあたり、重傷者がそれぞれの家へと運び込まれていく。
「ご領主様、必ず合流致します。暫しの暇をお許しください」
「ゆっくり傷を癒すんだ。お前の出番はこの先にいくらでもある、決して焦るなよ」
視線を絡めて後に馬首を南へと振り向ける。冷将軍が各地を封鎖して居たら厄介だな、行ってみねばわからんが。
河を左袖にして歩み続ける、陽が落ちても少しの間は進んだ。ようやく野営を始めたあたりで西羌兵が追いついてきた。
親衛隊の残りも二百を切ったか、こいつらには苦労をかけっぱなしだ。
「ご領主様、骨進殿がお話があるようですが」
李封が幕にやって来ると告げる。中には銚華に信、他に数人が居る。
「ここへ通せ」
案内も終わったし帰るってことだよな。骨進が中へとやって来る、散々な目にあったにしては落ち着いていた。
「昼間はご苦労だった」
「ま、あんなこともあるさ。山は越えたわけだが、あんたはこれからどうするつもりなんだ」
それな。目の前も良く見えていない状態だ、ノコノコと兄弟のところに転がり込もうと思っているんだがどうか。
「永昌郡に入るつもりだ」
そこが中継地点でもあるし、呉鎮軍将軍に話を聞けば色々わかるだろう。あいつなら話も聞かずに兵を向けて来ることも無い。
それに呂軍師の息子も居る、不甲斐ない目に遭わせてしまったこと、一度謝罪しておく必要はある。
「そうか。で、そこでどうするんだ?」
「正直なところ今はまだわからん」
「はっはははは、どうやらあんたは本当にそんな感じらしいな」
骨進が面白おかしそうに笑う。嫌味があるわけではない、愉快なだけだ。若干供回りが不快そうな表情を覗かせたが気づかなかったことにしておこう。
「この性格は死んでも治らんぞ」
「まあいいさ。折角だからもう少しついていく、自分のことは自分でする、手間はかけさせないさ」
「好きにしろ」
そう言ってやると骨進は出て行った。
「ところで銚華、どうしてあんな場所にいたんだ?」
山地に兵を寄せた、俺がどこにいるか知らないのにだ。疑問には思っていたが今まで機会がなくそのままだったからな。