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「魏軍が攻め寄せて来るぞ!」


 城壁の上で見張りが大声を上げる。今までにない大軍が一斉に押し寄せて来た。


 警報が直ぐに長安全域にもたらされる。


「やって来たな。ここを乗り切れば一つの山を乗り切ったことになる。李別部司馬、今日は俺も最初から出るぞ」


「御意!」


 敵の最強固地点、西門城壁上に司令部を設置。『鎮南』『島』の軍旗を掲げさせる。


 外を見るとまさに敵敵敵といったところ。


「曹真とやらも出てるな。全体配備をおさらいだ、城外の敵を総ざらいして報告を上げろ」


 報告書に記させて要所を見抜く。


 西の曹真上軍大将軍が最大の首だ、十万の軍勢に費耀後将軍を始めとした将軍複数。


 南に夏侯尚征南将軍と八万、孟達建武将軍らが所属。特筆すべきはこの夏侯尚が曹真の義弟ってところか。


 そして孔明先生のところの夏侯楙安西将軍に十万から少し抜けてるな。名前で解るが従兄弟だ。


 困ったことにそういう事情から離間はきかんだろうな。


 それぞれ戦闘で兵力は減じているだろうが、それはこちらも同じだ。


「咸陽付近には郭偏将軍の二万と、張合左将軍、謂水の北側には徐晃右将軍が居たな」


 四方の城壁にびっしりと兵士が張り付いた。城壁から熱湯や石が飛ぶ、一撃で死ぬかはともかく暫く戦えない体になるのは間違いない。


 ビリビリと圧力が伝わって来る、今日は本気だってのがわかるよ。


「軍人としての俺の勘だ、今日はきっと諦めずに押して来るぞ! 者ども、長安を支えてみせろ!」


「応!」


 士気は上々、だが体力がどこまで保てるかだ。


「城壁にどんどん資材を持ってこさせろ、飯の炊き出しも続けさせるんだ。何せ兵士は戦いに集中させてやれ、支援団頼むぞ」


 趨勢を見守ること数時間「ご領主様、我等も戦闘に」李信別部司馬が進言して来る。


「お前らは総予備だ。今は出る幕ではない」


 城門が破られるか、或いは……だ。俺としては後者であれと願うがね。


 陽が落ちても攻撃の手は緩まない、そのままかがり火を多数用意しての夜戦に突入することになる。


 腕を組んでじっと座ったまま動かない。報告も耳にするだけでこれといった反応を見せずに朝日が昇った。


 どれだけの伝令が舞い込んできただろうか。今また一人が城壁を北から走ってやって来る。


「申し上げます! 咸陽を横切るようにして、夏侯安西将軍の軍勢数万が押し寄せてきます!」


「李信、これが戦争だ。この先は瞬く間に状況が変化するぞ、よく見ておけ」


「ははっ!」


 城兵が動揺する、この上敵に数万の増援とは。


「蘭智意将軍に命令だ、これより守城の全権を委任する。俺達は攻撃に出る準備だ」


「御意!」


 まさか攻撃との言葉が出るとは思っていなかったらしく、一瞬だが表情に変化がみえた。


 命令を飛ばして暫し、目の前に董丞がやって来る。


「島将軍、長安の守りを委任したと聞き及びましたが」


「ああ、間違いない。蘭智意将軍に任せた」


「どちらへお行きでしょう?」


 何度目になるやら。だがこれが歴史に翻弄された街の今だ、信じられるようになるまで何度でも付き合ってやるよ。


「知れたこと、眼前の敵総大将を追い回してやるつもりよ」


「ですが周りは敵だらけ。果たしていかがでありましょうか」


「北に魏の西部軍が数万で姿を現した。ここに居るということは、西部で孔明先生に敗れたということだ、程なくして友軍が雪崩をうってやって来る。その時俺は打って出る」


 防衛任地をうち捨てて全員で動いたのは逃げ出したも同然だ。味方を頼ってこっちにきたってんなら混乱が起きるぞ!


 本来、敗軍は陣へ侵入させないようにするべきだが、親族が打ちのめされて助けを乞うてきて拒絶するかってところだ。


「夏侯軍が曹真軍に合流しひしめきあっております!」


 さあ始まるぞ!


「あ、あれは! 北西より『鐙』『馬』『楊』の軍旗が現れ郭淮、徐晃軍に向かっていきます!」

「咸陽西より『高』『越俊』『呉』の軍勢が曹軍へ向かってます!」

「咸陽の城門が開かれ打って出ました!」

「東より『李』『護忠』がやって来ます!」

「おお! 一際大きな帥旗が! 西部に『丞相』『諸葛』『馬』『高』『趙』『李』だ!」

「魏軍が大混乱に陥っております!」


 王将軍の旗印が足らん、どこかに伏せているな。ではその目的はなんだ? 決まっているな、では俺もやるぞ!


「鎮南軍出るぞ!」


 長安西門が開かれる。見渡す限り人、人、人。


 さすがにこれは一度もない体験だ、恐れるな、自分を信じて仲間を信じろ!


「続け!」


 大都督の旗が南東へと動き続けているのでそれを追う。本国へ逃げる気だな、南東の山道を迂回して荊州方面へ出るつもりか。だが甘いな!


 逃げる敵を追い打ちする、味方の被害は嘘のように少ない。逃げ腰の反撃などあってないようなものだ。


「南東白鹿原に『冷』『巴東』の軍勢が現れ魏軍の移動を阻害しております!」


 ここぞというところで来てくれたか! ん、李項のやつもだな。


「護忠軍が合流します!」


 戦場を横切って李将軍が二万余で駆けつけてきた。いくら体力で優位に立っていても、五千程の兵力だったのでありがたい。


「李将軍、ここが押しどころだ、曹真を討ち取るんだ!」


「はい、ご領主様! 者ども、我に続け!」


 一万を引き連れて敵を追うが、費耀将軍が迎撃に出て曹真に近づけさせない。


 こちらは一万五千の兵力、だが追いつけるかどうか怪しいぞ!


 南へ迂回して冷将軍をかわしていこうとの動きを止めることが出来ない。


 ジャーンジャーンジャーン!


 南の山間から銅鑼が聞こえて来る。魏の後備えか!


「おおっ、あれはご領主様の軍勢だ、皆のもの掛かれ!」


「何だと、味方か! あれは……担々王と中県の後方軍か」


 巴東に送れと命じたがどうしてこんなところに。まあいい、これで挟み撃ち出来るぞ!


「敵を挟撃するぞ、進め!」


 右に左にと軍勢を割り、少数の供回りのみを連れて大都督旗も捨てて逃げ出していく。


「ええい、邪魔だどけ!」


 目の前の雑兵らを切っても切っても湧いて出る、そのうち曹真の姿を見失ってしまった。


 くそっ、取り逃がした!


「島将軍!」


「担々王、どうしてここに?」


「孟獲大王が巴東に増援するので、我らは長安方面へ行けとの仰せでしたので。中県より志願兵もついてきております」


 よくみると中年が殆ど。正規兵では無かったのか、そうか。


「お前らは長安に入れ、俺は曹真を追う」


「承知しました」


 南門へ向かっていくのを見送り東へと馬首を向ける。すると戦場を東回りで駆けて来る騎馬隊が目に入った。


「将軍、よくぞご無事で!」


「王将軍、ここに居たか! それは?」


 何かを鞍に括り付けているので指さす。


「敵将の首印です。このような小物より、敵大将の追撃を。これより指揮下に戻ります」


「うむ、河を下って樊城に逃げられる前に捕まえるぞ!」


 大分騎兵が減っているな、六千そこそこだろうか。これだけ戦って生き残っているんだ、もう歴戦兵だと考えて構わんだろう。


「王将軍、先回りして河沿いの村々から船を徴発してまわれ。運ぶのが困難なら全て破壊してしまえ」


「了解です。他に何か御座いますか?」


 河を下れなければ渡るしかあるまい。そうなれば多数で渡河も出来んな、曹真の性格は勇猛ではない危険が目の前にあれば避ける。


「騎馬半数を渡河させて向こう岸で阻害の動きを見せるんだ。河沿いを南下するようならこちらのものだぞ」


「恐らくは魏軍が捜索に出て来るでしょう。それがしが河を渡ります」


 危険を承知で志願してくれたか。六千の騎馬兵、一大戦力が足を速めてあっという間に先にいってしまう。


「南牟に居るはずの水角洞の兵にも伝令を出せ。もし樊城から遡上する軍船があればこれを足止めするように要請だ」


 数時間だけでも船足を止められたらそれで良い。

 

 チラッと後続の兵らを見る。負傷している奴らが殆ど、体力は戻っているにしても継続して戦える時間は長くないな。


「歩兵共、気合を入れて走れ! ここが我等の大一番、取り逃がしては全軍の笑いものぞ!」


 李信が大声を出して激励する、肩で息をしている奴らも腹の奥底から声をだして応じた。


 こいつも解っていたか、なら懸念はない。


「李封従事、偵察を出せ! 何が何でも曹真を見つけるんだ!」


「御意! 騎兵五十、俺について来い!」


 前方に騎馬が散っていく。こっちは歩兵がギリギリついてこられる速度で進むぞ。


 途中途中で小休止しつつ、南東へ向けて進み続ける。まだ太陽は高い位置にあった。


「丹水が折れ曲がる位置にきました!」


「曹真はまだ見つからんか!」


 隠れたなら見つけるのに時間が掛かるが、逃げるなら一直線だ。あいつならどちらを選ぶんだろうか?


 部隊の指揮を李信に任せて思考に集中する。


 あれだけの大身だ、それに戦おうと思えば数か月は交戦できたのに逃げ出したんだ、保身を最優先する。


 競合地域のこんな場所で身を隠して過ごすことはない!


 ではどうするのが一番安全と思うかだ。河を渡れば一安心だが、蜀軍が河向こうを捜索していたらまずは長安を遠ざかることを考えるだろうな。


 丹水を左袖に見てひたすら南下する、茂みがある場所を行くはずだ。


「李別部司馬、南牟まで駆けるぞ!」


「御意!」


 一か八か、直感を信じて勝負だ!


 少しでも先を急がせる為に捜索を省いて進み続ける、もし考察が外れたら全てが無になると解っているが賭けた。


 行軍速度が上がり、純粋に体力が削られていく。それは向こうだって同じはずだ。


「ご領主様! 曹真らしき一行を見つけました!」


「うむ!」


 南牟北東、河を渡ろうとしている姿が目撃された。最悪馬で河を渡るつもりだろう、水辺まで行って様子を伺っている。


「亜麺暴王の南蛮兵が、魏の軍船を足止めしております!」


「一気に押し寄せ敵を揉みつぶすぞ!」


 下流には中型の軍船と、小型の船が十幾つか浮いている。あれに乗り込まれては最早手が届かん。


 軍船が来る前に打ち破る、逃がすものか!


「いけ、李別部司馬!」


「承知!」


 騎兵二百、それが出せる機動戦力の全て。途中で李従事の偵察と合流して曹真の隊に切り込んでいく。


 減ったとはいえ未だ五千は供回りが居る。奴らだって主を喪えば全てを失う、必死に護るだろうな。


「島将軍、軍船から敵が上陸してきます!」


 遡上を諦めてか岸に船を無理矢理に寄せて軍兵が駆けて来る。『文』『荊州』『討逆』の軍旗が目に入った。


「走れ! 何が何でもこちらが先着するぞ!」


 どちらが早いか微妙だ! 

 

 息切れしようが脱落するものが居ようが、関係なしに一杯で走らせる。同じように向こうも全力疾走してきた。


 曹真の兵が、千程足止めに本陣を離れてやって来る。


「くそ、邪魔だ! どけ!」


「曹将軍をお守りしろ!」


 倒しても倒しても死を恐れずに群がって来る。畜生、足が止まる!


 古参兵が身を挺して行動を阻害し、先へ行かすまいと組みかかってきた。


 槍が腹を貫いても両手で掴んで抜かれまいと頑張る、馬を寄せて力任せに蹴り飛ばすとようやく引き抜けた。


 なんて執念だ!


「軍船が!」


「なに!」


 親衛兵が声を上げて指さす先を見る、櫂を動かして水上を滑るように軍船が動いている。


 次いで南蛮兵が一杯になり撤退していくのが見え、河沿で『曹』旗を振っているのが目に入る。


 ついに歩兵が目の前にまでやって来ると、河に沿って横に広がり布陣した。


「魏が討逆将軍文聘ここに見参! 俺が相手だ!」


「取り逃がしたか!」


 何をしているんだ俺は!


 ……ここで泥沼の戦いを強いる必要は無い。速やかに撤退だ。


「軍鼓手、撤退合図だ。全軍、南牟城にまで退くぞ。王将軍にも伝令を出しておけ」


 これは俺の失策だ。これだけの差ならば指揮次第で勝てたはずだ、くそ!


 だが一つ節目を乗り越えた、不満はあるが何もかも上手く行くと考えるほうが問題ありか。


 丸々一日休息して、二日後に長安へと戻る。戦場掃除をしている友軍を脇に見て、東門から入城する時に董丞と長安の民に出迎えられるのだった。


2-1/2/3/4


 蜀が長安一帯を制圧し、函谷関に防衛隊を置いた。


 守将に据えられたのは終始安定して功績を上げた仮節寇軍将軍督函谷関鐙芝。元の中監軍揚武将軍で、孔明先生の覚えが良い武将だ。


 蜀へ大軍を送る最短の道を封鎖する関所、重要地点だけに判断力が高い人物が選ばれている。副将は同じく丞相側近から躍進した二人。


 伏破将軍張嶷と破虜将軍馬忠、まだ二十代の若い張将軍はすでに武勇が轟いている。馬将軍は手練の政務官でもあるそうだ。


 いずれ大官になるのは間違いないだろう面々だよ。


「力押しで函谷関を抜くのは十万の兵で一年かけても無理だろうな」


 目先を南に移す、巴東の主将は建威将軍冷宇。最早定位置とすら言えるが、出身は長安周辺らしい。


 永安の治府にも駐屯軍が居て、長江から軍船で遡上しない限りはやはり力で押すのは難しいはずだ。


 蜀の東南部、巴東を含めての遊軍を設立した。その司令官は呉鎮軍将軍で、永昌郡に司令部を置き襲撃に備えている。息子以下の部将らも全てそのままで、権限だけを強くしていた。


「あいつならどうとでもするだろう。俺の補佐が減ったが、同時にやるべきことも減ったなら問題ない」


 南蛮州を寥紹に譲ってしまい、今は長安に居る。仮節平南将軍南蛮州刺史寥紹、つつがなく南蛮を維持した功績を認めての昇進と言えるな。


 何せ南蛮の民と軋轢を起こさないで治められたらそれで充分って話だ。


 孟獲にも蜀から正式な官爵が宛がわれている、欲しいと思っているかは別だが受け取ってはくれたな。


 中南大将軍南蛮大王孟獲。兄弟専用の将軍号で一万石の大官、つまりは司徒やら司空、太尉とかの三公って上級大臣と同格らしい。


「別にどうってことはないとかって言って酒を煽ってる兄弟の顔が浮かぶよ」


 どれだけ控えめに言っても、南蛮の勢力が協力してくれてなければ蜀は、勝ちどころか引き分けもなかっただろう。その意味では三国志の第四勢力とすらみなせるぞ。


 二番戦功としては破格なんだろうな。


 魏延の奴は我が世の春を謳歌中か。持節左軍師左将軍左都督領涼州刺史南鄭侯魏延。


 大雑把に言って、中国を九つに仕切って左上の総責任者で、蜀全軍の司令官でもあり、丞相の高級幕僚でもある。


 西部戦線での活躍と函谷関奪取からの堅守が評価された三番戦功、涼州を宣撫して国力を高めろってところか。


「で、何でお前が傍に居るんだ」


「自分はご領主様の親衛隊長ですので」


 護忠将軍李項が部屋の隅に侍っている。そのようなことをすべき身分では無くたったと言うのにだ。


 長安の内城にある執務室、左手側には呂凱が控えていた。前軍師平難将軍雍州別駕従事呂凱。誰の軍師かと言えば俺ということになっている。


「なあ呂凱、もう一度俺の官爵を言ってみてくれ」


「はっ、使持節仮鉞右軍師右将軍右都督領雍州牧守京兆尹護羌南蛮校尉附馬特進中侯でございます」


 南蛮州を譲って長安を含む雍州を宛がわれたわけだ。孔明先生の軍師で、魏延の奴とセットだな、将軍職も都督も。


 董丞の極めて強い要請で京兆尹の兼務までしている始末だ。まあ実務は全て投げてしまっているので名目だけだが。


 で、特進ってのが新たに追加されてる。これは完全に名誉的なもので、朝廷への参加権限であるとか、領地に縛られなくてよいとかの官職だって聞いた。


 ところがそれだけじゃない、南蛮に置いてきた劉氏をこちらに引き寄せたわけだ。


 この劉氏、まだ十代半ばで劉備の血を引いていないのに皇族の一人ってことになっている。どういうことかというと、劉備の養子の劉封ってやつの娘を、劉禅が引き取って義妹にしてから俺に引き渡したってことだ。


 手を出すのは流石に躊躇われるから屋敷を与えて見守っている。


「一体俺に何を求めているのやら」


 馬氏が卒去してから約束の後妻を迎えることになった。それは良い。


 一人は馬氏、馬一族の総領だった馬超の娘が送られてきた。聞いて驚け、まだ十代前半だ。深窓の令嬢とは彼女のことだろう、鎮北将軍都亭侯に昇進した馬岱が犯人だ。


 あいつが一族の総代として未来を占って、最高級の姫を嫁がせるべきだと、馬超の息子で現在の総領馬承に進言したそうだ。馬超は何度か妻子を捨てた過去があり、この馬承もまだ十代前半で言われるがままというのが大きい。


「島将軍、羌氏がお出でです」


「おう、こっちへ通せ」


 大身に化けた俺に羌族が送って来た妻が最近で一番の驚きだったわけだ。


 装飾が素晴らしい、女性用の軽甲冑を身に着けたまま、浅黒い肌の若い女がやって来る。


 蜀の宮廷を探し回っても一人としていないし、馬一族を探してもここまでの濃い色をした肌の女性は見つからないだろう。


「旦那様、領内は本日も問題ございませんでした」


 自主的に見回りをしてくれている、それも馬車ではなく騎馬して、侍女ではなく兵士を連れてだ。


「そうか、ご苦労だ。呂軍師、俺は上がる。後は頼むぞ」


「御意」


 腰を上げると羌氏の隣へと行き、腰に腕を回して執務室を出る。


 最初羌氏のことが嫌ではないかと周りに言われたが、一体何のことだと思ったよ。どうにも肌の色ことだったと説明されて初めて気づいた。


 明らかに異民族の者だからってことだったそうだ。俺にとってそんなことは今さらなんだがね。


 女とは思えない立ち振る舞いに姿、武装して輿入れする奴がいるかってことだな。そいつについては笑うしかなかった。何せ生き別れ状態の妻は、異民族で蛮族の首長、それでいて肌の色も褐色だったからだ。


 見ず知らずの人物、それも遠い国の異民族に嫁げと言われて羌氏だって不安だったろうに。


 強気を装い自身を守ろうと心構えをして乗り込んできたのを、あまりにも自然に受け入れられて逆に困惑していた。


 この時代では奇跡を重ねたような状況だったに違いない。


「銚華、今夜もまた羌の言葉を教えてくれ」


「はい。旦那様は筋が良く、もうかなり言葉を理解しております」


「そうか、実は言葉を覚えるのは得意なんだ。でも可能なら男言葉を教えてくれよ、じゃないとしまりが悪くなる、はっはっは」


 戦争していて大声で「行きますわよ!」なんて叫んでいたって知ったら絶望するよ。


 というのも、羌族が西羌兵を送って来たからだ。遊牧民の羌兵は騎射が得意で、西羌族は堅固な防御戦闘が大の得意だって話だ。


 馬氏と羌氏を妻にした俺に力を貸して、一族の安全を求めてきている。蜀もそういう意味で俺が離反しないように姫を送ってきた、いつか魏や呉も誘いをかけて来るんだろうな。



 中県に中央から相が送り込まれている。これは県令と同義で、政務を司る実質的なトップだ。


 姜維って若い奴らしい、どこかで聞いたことがあるような無いような響きだ。李長老は正式に中県の三席に就任させたわけだが、長吏って呼称で良かったんだろうか?


 駐屯軍司令官には引き続き担々王が就いている、こいつも複数の部族を与えられて南蛮の王位を進めたそうだ。俺からも偏将軍の位を贈ってる。


 李家の次男坊が県の軍をまとめる中尉とやらになった。中県の尉であって、階級の中尉じゃないぞ。


「俺は何をしたものかな」


 傍らの軍師に聞こえるように独り言ちる。わけも解らず外交を引っ掻き回すわけにはいかないし、関所を越えて侵略をするのも良くない、かといって西部後方は魏延の治める領土だ。


 兵を訓練して、農耕を行い、学問を推奨し、治世を体現させる。果たしてそれが正解なのかが解らない。何せすぐ傍には魏という大国がありこちらを窺っている。


「領内を巡り、賢人、猛将を見出されてはいかがでしょうか。魏の支配を快く思わず、さりとて出仕せずといった人材が必ずいるでしょう」


「ふむ、発掘か」


 それは道理だ。来いと呼びつけるより、あちこちを探し回って一本釣りする方が俺の性分に合っても居るしな!


 とはいえこんな時世だ、一人でうろうろするのもいただけない。逆に大仰にするのも。


 精々十人未満だな。


「李封従事、五人選んで供をするんだ」


「御意」


 右将軍従事中郎、南蛮州従事からスライドさせて傍に置いている。階級自体に差異はないが、権限の及ぶ範囲が狭くなりより鋭くなっていた。


 知らない土地を無暗に動くでは先が見えない、これといった行き先を絞っておくとするか。


 書佐に書類を持ってこさせて人物に関する報告書を読み漁る。


 董遇だって? 書物は百度読めってのは聞いたことがあるがこいつの言葉だったのか!

 

 武功の太守だったが夏侯都督が逃げたせいで陥落、官職を捨てて咸陽で暮らしている。質素で堅実、乱世ではあまり好まれない気質なのかも知れんな。


「呂軍師、董遇を知っているか?」


「はい。音に聞こえた逸話が一つ御座います。当時の曹丞相が西征するにあたり従軍した董遇参軍は、数多いる参事官が答えられない下問に明瞭に返答し容れられたことが御座います」


 没した先帝に参拝するか否かの質問だったらしいな。普通ならしろってことになるんだろうが、明確な根拠を示して否定したか。こいつは使えるぞ。


「性格的な部分はどうだろう?」


「孝廉でありますれば、徳に篤く実直かと。ですが少々学問に厳しいようで、子弟がついて行かぬ話も」


「具体的には」


「生活苦の弟子がいて相談を受けた際に、働くことで学ぶ時間が取れないなら、休みでも寝る前でも働けぬ日でも使い学べと突き放したとのこと」


 なるほど。自己の努力で帰結させろってことか。学者としては正しいが、時代が優しくはない。


 こいつには職権だけを与えて、その他の雑務を排してやれば良い話だな。


「わかった。ちょっと出て来る」


 執務室を出る。使いをやって銚華を呼び寄せた。


「旦那様、お呼びと」


「ああ、少し一緒に出掛けようじゃないか。といっても咸陽にだがね」


「喜んでお供致しますわ」


 俺が緩い服で正体不明を装っていることに気づいたのか、甲冑を外して着物だけになる。結構賢い娘だよ。


「ご領主様、いつでも出立可能です」


「李従事、お前らも役人の風体を捨てて置けよ。気難しい人に会いに行くことになるはずだ」


 言い回しが妙ではあったが、異論を出さずに直ぐに指示に従う。平服に剣だけ、これなら護衛でもあちこちで見かける程度だ。


 全員が騎乗する、これはこれで異様な気もするが隣町まで乗りつけるだけだから良いさ。


 咸陽の城門で差し止められそうになるが、銚華を見て素通りを許した。


「俺じゃなくて銚華が一行の主人だと思ったみたいだな」


 それだけ頻繁に見回りを行っている証拠だ。


「申し訳御座いません旦那様」


「責めているわけじゃない、良くやってくれていて助かるよ。けどあまり危ないことはするなよ」


 警備を自称する女武人に対して言うような台詞じゃないのは知っているよ。


 何とも反応しづらい言葉に、困ったような表情を滲ませて無言で馬を進める。


 適当に馬を降りて城内の一角にある貧民区画に踏み込んだ。どうしてそんなところに住んでいるのかは解らんが、理由があるんだろ。


「ご……しょ……あー、旦那様、この辺りに董先生の住まいがあるはずです」


 言われる前に自制出来れば充分だ。


 通りの先で手を振っている護衛が居る、見付けたようだな。徒歩で半分崩れ落ちそうな家の前にまで行く。


 これはついこの前まで太守をしていた奴が住む家じゃないぞ。


「銚華だけついて来い」


 朽ちた木片の柵を越えて、焼いた土壁に囲まれた庵に入る。広さだけはそこそこあるが、人の姿は二つだけ。


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