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演技指導までするように言いつけてから呂軍師に「王将軍の騎兵隊も引き戻しておけ。城門を突破するのはあいつの仕事だ」思い付きを実行させた。
氷の強度が出来次第実行するぞ、城は城門を破られたら戦意を失う。
◇
長安西に土塀と堀を設置してある、今日はそこに多数の兵士を詰めさせて置き陰に座らせていた。
鎮南軍本営もその砦に臨時で設置されている。彼我の距離は五キロも無い程近い。
外で焚火をしては気づかれる恐れがあるので、厚手の防寒着を二重にして耐えさせている。
「どこまでも単純で、本当に引っ掛かるかは未知だ。だが罠と見破っていても、見捨てることが出来ないのがこの策の意地悪いところだよ」
渭水北を魏軍の旗を掲げた集団が小走りに進んでいく。一様にボロボロで、荷車を引いている者もいた。
あちこち怪我をしていて、装備は統一されている。
「始まったな」
長安から見えるなら咸陽からも見える。東から近づいてい来るのが『魏』『洛陽』の軍旗を掲げる魏軍だというのが。
その後方、東からは蜀の軍勢が追ってきていた。城壁の上の魏兵が指をさして大声を上げているのが見えたと報告が上がる。
「た、助けてくれ!」
魏軍を装う兵が口々に叫ぶ。だが決して荷車だけは捨てずに引いた。
「掛かれ! 魏軍を残らず刈り取れ!」
蜀の部将が命じる。矢じりが潰された矢が放たれ、当たった者はその場に倒れ込み死体のふりをする。
「ええい、俺に続け!」
前方を行っていた蘭智意将軍が取って返して、荷車に群がる蜀軍を槍で突いて退けようとした。
一騎に群がる歩兵を蹴散らすと荷車を追って離れていく。するとまた追手が追いつき蹴散らすというのが続けられる。
「鬼気迫る良い演技だ」
そんな才能が有ったとはね。
城外にあと少しまで逃げてきた偽装魏兵が「洛陽から書簡と薬を運んできた!」両手を口に当てて叫ぶ。
窮乏する医薬品だけでなく、重要だろう書簡と聞いては目の前の事態を捨ておけない。
胡散臭いと渋っていたが、もし首都からの部隊を見捨てたと知られたら重罪に問われてしまう。
「友軍を助けるんだ、打って出るぞ!」
ギギギギギ。固く閉ざされていた咸陽城の正門が開かれる、掲げる軍旗は『魏』『郭』だ。
「郭淮将軍か、大物が出たな!」
現場で判断を下せるようにだな、こいつはきっと早めに見抜かれるぞ!
度重なる歩兵との交戦で傷だらけになった風体の蘭智意将軍の馬を引いて、偽装魏兵が咸陽へと近づく。
後方では郭淮将軍が追撃部隊と真っ向ぶつかり圧倒していた。
「凄まじい強さだな、これは猛将だ」
初めから少し戦って撤退する予定ではあったが、追撃蜀軍は手が付けられないと背を向けてだらしなく逃げ出していく始末だ。
城門が開かれる。同時にそこで魏軍同士の争いが起こった。
「やはり気づかれるのが早い! 旗を振れ!」
長安城の北西城壁角で大旗が振られる、同時に狼煙が上げられた。
「城外歩兵前進だ!」
校尉らに率いられた歩兵部隊が防寒着を脱ぎ捨てて走り出す。南の山間からは『王』『蜀』『鎮南』の軍旗を翻した騎馬兵団が疾走を始めた。
物凄い勢いで蘭智意の隊が倒されていく!
「いかん、間に合わん!」
煌びやかな鎧を着た郭淮将軍に敵う者が居ない、ところが煤けたような色の鎧を着た一人の騎兵が長刀を手に互角に打ちあう。
「あれは何者だ?」
少し遠くて、身を乗り出してはいるが、望遠鏡を使っていてもはっきりとしない。といっても、板ガラスを使っただけのなんちゃって望遠鏡だ。
伝令騎兵が状況報告を携えて砦に走って来る。
「申し上げます、城門下で魏鎮北将軍が一騎打ちにて郭淮将軍と競り合っております!」
「なんだって! あいつ、なんでこんなところに。だがお陰で間に合いそうだ」
「呂軍師、悪いが函谷関に走ってくれ。魏将軍が戻るまで指揮を」
「御意。直ぐに出立致します」
全く無茶な真似をする。今攻撃を受けても一日や二日は問題無いにしても留守にするとはな。
だがこれが武官の行動力だと前向きに受け止めておこう。
「騎馬隊が到達した、咸陽は落ちたな」
城門を抜けていく騎馬が千を超えたところで、食い止めようとするのを諦め城兵は戦いながら西へと動き始めた。
「長安は藍田方面に警戒、函谷関方面との連絡を密にとれ。補給線の定期巡回を暫く二倍にするんだ、渭水北の支配域にも現況通知を入れろ。負傷者を受け入れる準備だ、湯を沢山沸かしておけよ」
今は後方司令官としての役目に重きを置いておくとしよう。魏延が好きに動けるようにしておけばこういうこともあるってことか。
「大本営にも一報を入れて置けよ。そうだな、魏将軍の功ありて咸陽奪取に成功しつつありで良い」
完全掌握したら続報をだして、だな。それにしても郭淮将軍、魏国ではあれで下級将軍ってんだから参るよ。
◇
「島将軍、少し気になることが御座います」
「呂軍師、なんだろうか」
函谷関に戻って行った魏延のやつ、得意の絶頂だったな。気持ちよく働いてくれたらそれで構わんがね。
獅子奮迅の活躍者はここにもいるぞ。
「長安で民が蜂起をするのではないかとの噂が」
「ふむ、占領地でのつきものか」
魏の支配を望む者が多数居ておかしくはない。いやむしろ大国へ帰属しようとするのは安定を求める市民の主流だろうな。
これを力で押さえつけては上手くない、どうしたものかな。
「具体的な内容はなにかあがっている?」
「夜間に数百人単位の集会が行われている様子です」
自治会の集まりじゃないのは確実だ。ガス抜きをする方法か、この時代はよくわからん。
放置は出来ん、解らなければ聞くのが一番だ。
「長安の民から代表百人を城へ招いて意見の交換を行う。呂軍師、これにはどのような権限が適切だろうか」
俺にはこの地における一切の権限がないことになっている。何せ遥か彼方、南蛮の責任者だからな!
「されば行京兆尹を加え、散鎮南将軍使持節仮鉞領雲南行京兆尹都督越巴永雲諸軍事丞相司馬騎都尉護羌南蛮校尉中郷侯を称され、臨時で政務を執られるがよろしいかと」
「行京兆尹?」
なんだそりゃ、長安太守とは別なのか?
「かつて都であった長安周辺の三輔地方を治める官職の一つで御座います。行することで京兆尹を兼任し長安を含む近隣の政務悉くを掌握なされませ」
「そういうのが特別にあるのだな。良かろう、以後はそう自称する。手配を行え」
「御意」
飛び地もよいところだ、さっさと正式な責任者を派遣して貰わんと参るぞ。
それにしても呂凱は優秀だ、呉玄も逸材と言えるだろう。廖紹では別駕あたりが限界だろうが二人は違うぞ。
より上位へ推挙してやりたいが、手元から離れると俺が往生する。
「やらなきゃならないことが大きすぎるんだよ。孔明先生は本当に凄い、これらを一人でやってのけたんだからな」
今しばらくは臨時に兼任、仮に流用で間に合わせでやるしかないぞ!
「なあ李項」
「はっ、御用でしょうか!」
部屋の隅から眼前にまでやって来て畏まる。
「お前も近く、鎮南将軍別部司馬・南蛮州従事をそれぞれ弟に譲って将軍になる準備をしておけよ」
「じ、自分がでありますか!?」
一介の農民でしかなかったのを随分と気にしているらしいな。
「そうだ。お前なら信頼できるし、兵に人気があるからな」
何せ兵に厳しいだけの他の奴らと違って、自分にも等しく厳しいんだから納得いく。
「勿体なきお言葉!」
「俺は身内贔屓をするが、李項は他の誰より能力がある、だから一つも二つも飛ばしてそうするつもりだ。心の整理をする時間を与える、支えて欲しい」
「御意! この身を賭して必ずや!」
護忠将軍号をやるよ、俺のお古で悪いがね。でも似合うだろうな、しっくりとくる響きだ。
翌日、長安の大広間に市民代表の老人が百人きっかりやって来る。
威嚇にならないように親衛隊は陰に控えさせたか、李項のやつも解って来たじゃないか。
「島将軍、ご命令の通りに」
座の左に陣取り手筈通りだと告げる。全員が床に視線を落としたまま動かない。
「うむ、ご苦労だ。皆の者、顔を上げて欲しい」
出来るだけ落ち着いて、威厳を漂わせて、か。最初だけだ。
全員が真剣な瞳。このまま人質に取られることも覚悟して登城してきているような連中だ、蔑ろにしてはいかんぞ。
「良く集まってくれた。私がこの地の責任者である島介行京兆尹だ、軍事も司っている」
細かい名乗りは省く、混乱させるだけだからな。
「私が団長で董基と申します、以後お見知りおきを」
うーむ、秘めている何かがありそうな気がする。それが魏への忠誠かが問題だな。
「知っての通り、現在蜀と魏とは戦争中だ。そしてここは蜀の支配下にある」
事実をならべて反応を見る。これといった感情は伝わってこんな。
「私は戦を早々に終わらせて、治世の期間へ移行するよう努力している。そこでそなたらに問いたいことがありやって来てもらった」
「何なりとご下問くださいませ」
権力者への対応に慣れているというわけか、それもそうだろうな、長年奪っては荒らしての繰り返しの真っ只中だったんだから。
「長安の民は誰を、いや何を頂きたいと考えているのだろうか」
「と、申されますと」
誤ってはいけない、確認してきた。笑いもしなければ即答もしない、そりゃそうだ。
「蜀の目的は漢室の再興であり、魏のそれは簒奪だ。いずれであっても全土をより強力に統治することで、平和は訪れるだろう」
無言。うかつなことは言えないか、だが興味は持ったな。
「私が問いたいのはそこだ。長安の民は安寧を求めるのか、それとも何かしらの大義や、富、名声を求めるのかを聞きたい。答えがなんであれ一考することを約束する」
「……皆と協議して返答したく存じます。一つだけ先にお聞かせいただきことが御座います」
「なんだろうか」
「島行京兆尹とは蜀の何でありましょうや?」
俺が何かを知りたいか、そうだな。
「私は蜀の志だ、国は信義によってのみ建つ。ここで約束したことは、たとえ丞相が否と言おうと守り通す、それで逆賊と呼ばれようとも必ずだ」
「南蛮の地に大領地を持ち、軍権を一身に集め、中県を領している。それら全てを剥奪されてもでしょうか?」
「ああ、理想を抱いて溺死しようとも約束は守る」
それだけは断言できる! 俺はずっとそうやって来たし、これからも信義にもとることをするつもりは無い!
「……畏まりました。皆と協議させて頂きたく思います」
一旦広間を出ていき隣の控室に移っていった。
左に侍っている呂凱がモノ言いたげだな。
「言いたいことがあるなら聞くぞ」
「されば一つだけ。某、呂家の家督を子の祥に譲りたく思います」
「家督を? どうしたんだ急に」
俺に呆れて引退でもする気になっちまったか!
「永昌の王太守に惚れ身を捧げる覚悟でありました。ですが心が揺れ動いた不始末にけじめをつけたく」
「王太守はどうする」
「子が側におりますれば、全てを引き継ぎます」
完全に引退か。仕方あるまい、無理に働かせてもどうにもならん。
「そうか。呂軍師の意志を尊重する、いままで共に居てくれて助かった。感謝する」
椅子を立って隣に居る呂凱に礼をした。すると彼は畏まってしまう。
「今後は永昌長吏を辞して、島将軍の側で微力を尽くしたく存じます。何卒お許しを」
ん、なんだって?
「呂軍師はあんな馬鹿げたことを公言した私に付いてくると?」
「いつか人が人を信じ、争いが無くなり、笑顔で暮らせる世の中が来るようにと努力してまいりました。ですが某の力では遠く及ばず仕舞い。節義を全うし、己を貫かれる島将軍のお姿を敬愛しておりますれば何卒」
「……無知で無謀で、危なっかしい奴だが、それでも良ければ共に在って欲しい」
「ははぁ!」
申し出は嬉しいが、董基らが拒絶してきたらあっというまに仲良く奈落行きだ。
ぞろぞろと皆が戻って来る。董基を最前列に、綺麗に並ぶと視線が集中した。
「では聞かせて貰おう」
「長安の民を代表して言上致します。我らが願うのは強者。何者にも負けず、長安を見捨てず、国を守り通せるお方を頂きたく思います」
「うむ!」
そうきたか! 敗戦の度に都を捨てられ民が敏感になっているんだな。昨今は焼き討ちもされたし、辛酸をなめ続けて久しいか。
兄弟が言っていたな、北を俺が統治しろと、それに俺が守りたいものを護る為に国を預かるとも。
今さらだがその言葉に甘えても認めてくれるものだろうか。
否とは言わんだろうな、大笑いで引き受けてくれるに違いない。
「呂軍師、私は暫く南蛮に戻れそうにないな」
「左様で。長安の冬は寒うございますれば、屋敷を建て暖を取られますよう」
「そうだな。董基らに頼みがある、私の住まう屋敷の新築だ」
俺がここに居座ることで繋ぎ止める。すまんが兄弟、暫くは酒を酌み交わせそうにない。
物資輸送を増強し、長安から兵を募り新たに二万を得た。郷土の防衛専任ではあるが、占領政策として一つの成功をみたと言えるだろう。
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◇
「随分と雪が積もったものだな」
雲南で暮らしていては想像も出来んだろうよ。
辺り一面真っ白、これでも人はここで暮らそうとするのが凄い。
「左様で御座いますな。こうなれば兵糧の輸送も困難を極めます」
確かに荷車と言うわけにはいかんぞ。ソリの存在は知ってるんだろうか?
「時に呂軍師、雪上輸送の方法を知っているか?」
雑談の延長と言った感じで話を拡げていく。少し思案して出て来た答えに愕然とした。
「河川により近隣の津に運び、そこより牛馬の背に載せますが」
「ふむ。他には」
「高地では山羊や羚羊も使うそうでして」
真面目に背負わせてってことか、それじゃ苦労するぞ。
紙と筆を持ってこさせて簡単な絵を描いてやる、下手だがそこは勘弁してもらう。
「これを見たことは?」
「はて、何でございましょう」
「そうか。こいつはソリと呼ばれる雪上輸送の道具だ。この上に荷物を載せることで五人力を発揮できるものだ」
装備を乗せて行軍荷重の五倍まで輸送できるからな。
「そのような便利なものがあたったとは、某の無知に御座いました」
「子午谷道からの輸送はもしかして激減している?」
「備蓄がありますれば問題は御座いませんが、夏場の十分の一程の物量で御座います」
ってことは冬でも動かせたらかなり楽になるわけだ。
「呂軍師、直ぐに木工、金工職人をここへ呼べ。この位の木を幾つか持ってこさせるのだ」
手で大体の太さを示してやる。
「御意」
「おい、お前、今から言う品を直ぐに揃えろ」
近侍に指示をしてやり何か他にも使えそうな知恵が無いかと考える。現場から遠ざかり過ぎてこんなことにも気づけてやれんかったとは、俺もあぐらをかいて暮らす期間が長すぎたな。
それから二時間も経った頃に人も品も揃えられた。
「島将軍、準備整いまして」
「よし。急に呼び立てて悪い、これから言う品を急ぎ仕立て上げて欲しい」
十人居る職人のうち、一番の年配者が代表して「何なりと」畏まる。
「この絵を見て欲しい。このように木材を組み上げて、上に荷を載せられるようにする」
「馬の背に据えるものでしょうか、それとも車輪をつけるのでしょうか?」
「そのどちらでもない。これをそのまま雪の上に乗せて、馬で曳く」
「雪上を曳くですと?」
技術者が集まり絵を覗き込む。
そういう発想は無かったのか、まあいい。難しいことじゃないはずだ、後は数を揃えられるかが問題だな。
「これですと雪に埋まるのではないでしょうか?」
「そのままだとそうだな。なので接地面に板を張り付けて沈まないように重みを分散させる。外を見ろ」
窓の下に板を敷かせて、上に大人が数人乗る。新雪でも沈まないのを見て頷いている。
「先端部分は雪に刺さらないように曲げるんだ。曲線加工が手間なら斜めに何かをつけても構わん」
「船体用の材料が流用できるでしょう」
「そうか。そして接地面の板にはロウや漆などを塗ってやり、滑りを良くすることで曳く力が少なくて済むようになる」
「なるほど……」
だがこいつの一番の魅力はそこじゃないぞ。
「これはなだらかな下りでは滑走させることが出来て更に便利だ。山の上から下らせるなら馬よりも早く移動出来る」
「それは! むむむ。木材に穴を開けて縄を通すことで組み上げは短縮が可能です。荷台の板張りを布や革張にすることで時間の短縮と軽量化に」
「名案だ。長安の技術者に注文したい、言い値を支払う、千台を仕上げるのに何日掛かるだろうか」
交渉事は一発勝負だ、不満を持たせては失敗する。
「命令ではなく商売にして頂けると?」
「そうだ。その代わり出来ませんでしたで済まさんぞ」
「我等職人が全力で取り掛かれば二十日でご用意出来るでしょう」
値段も数字にして提示して来る。些細な額だ。
「兵士を雑用に宛て、二倍を支払う。それで何日短縮可能だ」
代表に挑むような視線を送る。向こうも怖気づかずに自らの限界を探っている。
「二交代、元職をかき集めて十五日をお約束します」
「良かろう契約の成立だ。呂軍師、金を先払いしてやれ」
「御意」
完成してから値切られると思っていた代表が表情を変える。先払いならばその心配は無い。
「兵役に就いている者もいますが」
「そちらの指名で無条件で役を免除させる。他にも不都合があれば何でも言え」
「木材の切り出しと運搬に人手が必要です」
「兵に全てやらせる。そちらから指示を出す長だけを出してくれたら良い」
あれば何でも言えと先を促すが、それ以上は無かった。
「むむむ。あとは我らの腕前次第」
「専属で動くことで、顧客に迷惑を掛けるようならそちらの補償も受け持ってやる。仕事に専念して欲しい」
「畏まりました。すぐに取り掛かります」
一礼して後ろを振り向く。
「お前ら、大仕事が入った! 使える奴らを全員かき集めて泊まり込みで作業する準備だ!」
「へい!」
速足で部屋を出ていくと気合を入れる声が廊下に響く。いいね、そういうのは好きだ。
「さて、輸送量が増えるのは二月程先にはなるが、これで積んだものを取り崩さなくて良くなりそうだな」
「某が直接監督致します。差し入れに飯と酒も出そうかと」
「豚肉も酒も適当に振る舞ってやれ。あいつらの出番はきっと他にも来るぞ」
何せ装備品はあっという間に不足する、ここで修理製造出来るとありがたい。
「鉄も運ばせましょうか?」
「そうだな、矢じりや槍の穂先辺りは輸送を掛けるか。丹水から藍田に運ばせた方が早そうだな」
「そのように手配させます。函谷関へは河で運べますが、大本営は上手くありません」
そうだな、こちらから輸送するにしても敵陣を通るから無駄になりかねん。二度手間にもなるしどうしたもんかね。
「敵を押さえておけば孔明先生がなんとかしてくれるさ」
こちらが出来ることをする、それだけで充分だろう。なにせ相手はかの有名な諸葛亮だ。
内通も得意だろう、北の蛮族は一体どんなやつらかこちらでも調べてみるか。
◇
こいつは寒いな、雪が凍り付くって感覚は初めてだ。これじゃ外での勤務は辛いだろうな。
「ここは古代ローマの偉人にあやかるとしよう」
思い付きを実行させる、これぞ固定の仕事を持たない上司の日常だ。
「呂軍師」
高官なはずだと言うのにいつも雑用をさせて悪いと思ってるよ。
「はい、ご用でしょうか」
柔らかい物腰に強い責任感、俺よりよっぽど頂点に相応しいんだがね。
「風呂を知ってるか?」
こういう問い掛けも何度目になるか。
「風呂でありますか? それはどのようなものなのでしょう」
やはりそうなるか。体を拭くだけ、南蛮では水浴びをしたくらいだものな。
「ものは試しだ、ちょっと再現してみよう。そうだな湯を沸かせ、瓶に十もあれば良かろう」
小一時間の後に準備が整う。池のような小さなくぼみに湯を流しいれると湯気が立ち上った。
「寒い時にはこれに限る、雪で加減を調節してだ」
これくらいでいいか。衣を脱ぎすて下一枚になると中へと入る。うーん、久しぶりだな!
「これは?」
「遠く西の果てにあるローマ国の文化だよ。疫病を防ぐ。ここでは暖を取ることに使えるだろうなと思ってね、一緒にどうだ」
「されば失礼して」
衣を脱ぐと筋肉が意外とあることに気づく。鍛錬を怠らないか、さすがだよ。
「穴を掘って石組を作る、川から水を引いて湯にしてそれを流して捨てる。その先に厩舎でもあれば馬が凍える心配もへるだろうな。兵士に優先して入浴する権利を与えてやって、凍傷を減らすんだ」
「そのようなものでありましたか。かなりの労務になりますが」
「長安の民に仕事を与えるんだ。給与を与え蜀に世話になっているとの意識を植え付けろ。それに市民にも使えるように拡張する計画も立てておけよ。必要な資金は全て俺持ちで構わん」
土工や石工は事実上無料のようなものだ、薪も幾らでも手に入るからな!
「これも占領政策の一つと言うわけでありますな」
「そうなんだが、こんな寒いなか軍務についている兵が気の毒でね。あいつらは命じられてここに居るんだ、せめて健康くらいは俺が責任を持ってやらんと、郷に残してきた家族に申し訳がたたん」
「島将軍……この呂凱に全てお任せ下さいませ」
「そうは言うが色々と仕事を割り振っていて休む暇もないだろう?」
全域の政務実務に、軍の管理、函谷関方面との連絡や、ソリも輸送も咸陽西の警戒も全てだぞ。
「お役に立ちたいのです。ずっとこのような志に触れたかった、ようやく場を得て何が不都合あるものでしょうか」
「そうか。では頼む。だが物資の輸送と咸陽方面の警戒については補佐をする将軍を配属しよう」
「今、他から将軍を引き抜くと影響が出てしまいますが」
せっかくのバランスを崩してしまう、それは俺も懸念があって出来ない。引き抜かずに昇格させるならいいだろ?
「李項を護忠将軍にしてだ。あいつなら俺の意思を蔑ろにはせんし、呂軍師の言葉も確実に受け入れる、どうだ」
護衛は弟らに引き継がせるとも説明した。
「左様でしたか。そういうことならば是非に。将軍への推挙、上奏文をしたためておきましょう」
奏じたものは基本却下は無い。その代わり実務に耐えないならば、それを推薦した者の評価が下がるだけだ。
「雪解けを待って魏の大軍勢が押し寄せて来るはずだ」
急に声色を変えて告げる。そこで兵に戦って死ねと言えるだけのことをしてやれとのことだが、呂凱も承知で頷く。
「衝突するならば懸念は御座いません。ただ、丞相が留守の本国で何も起きなければ良いですが」
「内乱か……」
それがセオリーだからな。地方の治安は兄弟が何とか保ってくれるにしても、宮廷内は別物か。
そこに限れば俺なんて何の発言力も無いぞ、どうしたらいいんだ?
「費偉侍中、蒋碗尚書、楊儀尚書郎弘農太守三名による監視が行われております。いずれも優秀ではありますが、自由に出来る兵が少のう御座います」
楊儀ってのは確か魏延とよく揉めてたってやつだな。留守に残されたわけか、ついでに魏延も東の果てなら喧嘩も出来んな。
「実力で押されたらってやつか。ところで弘農と言うとどのあたりなんだ?」
「それは揺任にございますれば、洛陽周辺で魏の支配域です」
名目的なアレか。位階は高いぞと示させて実務を執らせる、貫禄不足だな。
「首都で反乱が起きたとする、首魁がとる行動はなんだろうか」




