ハトと青年
ホームの端を、灰色のハトが歩いている。
新卒採用の筆記試験を終えて、午後一時。立っていると暑い。アスファルトから陽炎が見える。
白シャツの胸元をつまんで風を送る。
ホームの待合室で待てばいい話だが、電車はあと四分で到着する。冷房の効いた車内の座席に座るためだ。夏の猛暑に耐えてみせる。
クールビズのお蔭で、ネクタイがなくてよかった。それでも熱気は駅のホームを包む。暑い。
暑さのせいか、名札を首から提げたままだったことに、いま気づいた。恥ずかしい。
鳩原という少し珍しい名字だから、きっと通りすがりの人たちに変に覚えられただろう。恥ずかしい。どうせ覚えてもらうなら、好印象で採用担当者がいい。
ため息をつく。
灰色のハトが一羽、ホームを歩いている。
頭部をせわしなく前後に振り、ピンク色の鱗の脚で闊歩していた。僕の足元に近寄って来る。クックック、と喉を鳴らす。
正直、ハトは苦手だ。
「キモいよな、ハトって」
至近距離の声に心臓が止まるかと思った。
「あ、悪ぃ。驚かせた?」
リクルートスーツに紅いネクタイをした男が隣りに立っていた。
いつの間に。
「なんつーの? 頭の動きってか、妙に馴れ馴れしいじゃん?」
馴れ馴れしさは彼にも言えることだが、曖昧に頷いて見せた。
「オレさ、ハトにフンされたことあんの。この駅で。ひどくね? おろしたてのスーツだったんだぜ」
「それは……災難だったね」
「だろ? だからハトが嫌いになった。まあ、もともと好きでもねーし」
男が近寄って来たハトに向けて蹴りを放つ。
ハトは驚いて飛び退いた。それでも、飛んで逃げることはしない。ふてぶてしい。
「あとさ、ハトはユーレイが見えるんだと。意味わかんねーよな」
「ふうん。初耳だ」
クックック、と灰色のハトは喉を鳴らしながら、僕たちの周りを回る。
彼が蹴る。ハトが避ける。
チッ、と彼が舌打ちをした。
「やっぱ、二度目は無理か」
「どういうこと?」
頭を振って歩くハトを目で追いながら、彼が言う。
「就活もうまくいかなくて、イラついてたからさ。蹴り飛ばしてやったんだよ」
「それは……」
動物虐待ではなかろうか。
「別にいいだろ。みんなやってるし」
リアクションに困って、頭上の電光掲示板を見た。もうすぐ電車がやって来る。
「そしたらさ、逆襲されたんだよ」
彼が不貞腐れたように唇を尖らせた。
「逆襲? ハトに襲われたの?」
「そー。マジ、最悪だったわ」
電車の到着を知らせるアナウンス。
それらに混じって、彼の声が鼓膜に届く。
「電車待ちしてたらさ、背中に体当たりされて。あ、と思ったら、落ちた」
電車が来る。ホームに人の数が増える。ざわめき。
ハトが立ち止まり、紅いその目で僕を見ている。
「……ハト、に、押されたの?」
「そー、こんな感じ」
彼が僕の胸を押した。
簡単に、体は宙を舞う。
女性の悲鳴、人々の大声がホームに響く。
赤茶けた線路に頭を打った。痛い。
「なん、で……?」
灼熱の夏に、リクルートスーツ。紅いネクタイ。
どう見たって季節が違う。
気配もなく隣りに立った彼。
――ハトはユーレイが見えるんだと。
ホームから見下ろした彼が嗤う。
「言っただろ。ハトが嫌いだからさ」
近づく銀色の車体。
耳をつんざく警笛。
鉄の軋むブレーキ音。
灰色のハトが空に羽ばたいた。
『ハトと青年』