尼ケ崎 冴恵 [下]
7月20日イベント会場の日。
私が到着した頃には既に800人の人集りが出来ていて、
そこには画家はもちろん総理や政治家、大統領まで出席していた。
3度目の参加により、私も大統領や政治家と話した事があり、感謝の言葉やお褒めの言葉を預かる事があった。
そして展示された私の絵や他の画家達の絵が並んであり、
その絵を真剣に眺めていて、何かを考えている素振りすら見える。
特に私の絵の前には他の絵達比べ、人集りが2倍ほど違っていた。
「今回、尼ケ崎さんの絵は少し残酷な感じで書かれていますね」
「そこが尼ケ崎さんの良い所ではないですか!ほっほ」
「いやはや、今回も色んな絵が展示されていますが、やはり尼ケ崎さんの絵は人一倍考えさせられる絵ですな・・・」
などなど、様々な会話が聞こえた。
そんな感想になんの意味があるのか私には分からないが、
私の書いた絵にどんな感想を持ちどんな考え方をするのか、
どんな思いを思うのかは、人それぞれだろう。
有難い話なのだ。
控え室に案内された私は、その道中、半年前1位の座を奪った神崎先生の名前の札を見つけたのだ。
神崎先生も来ていて神崎先生の絵があるのならば、見て行かなければならない。
それを目的に展示された絵を見に行った。
するとそこには見過ごせない絵が1枚。
私より色彩が綺麗で、とてもじゃないがこれほどの色彩を出すのは私には出来ないと一目見ただけで察してしまったのだ。
その絵はとても綺麗で、伝説上の生き物ユニコーンの絵が飾られていた。
そこには大人の男性と女性2人が果実らしき物をユニコーンに与えていたのだ。
そして、その2人はとても笑顔で、アダムとイブのように、とても幸せそうな顔をしていた。
しかし、それだけだったのだ、この絵は色彩と絵が物凄く上手でそれでいて、中身が無い。
なにも感じられなかったのだ。
これでも私は色んな絵画家の絵を見てきた。
その全てがその書いた人の感情を感じられた。
怒り、喜び、寂しさ、そうやって書かれた絵は例えどんな形であれ、
不思議と考えさせられる物しか無かった。
だがしかし、この絵はちがう。
まるで、書いてみて。と言われてただ書いてみただけのような捉え方が出来たのだ。
もし、この絵に感情が乗り、この絵に魂が宿ったのならば、
私の絵は淘汰されてしまうだろう。
そのくらい、絵自体のレベルが私と違っているのが分かる。
この絵は誰が?
こんな逸材が私の他に居たとすれば、私ももっと努力しなければならない。
この絵に負けないくらいの努力を・・・。
絵の下のプレートを見てみると、そこには、神崎と言う名前が飾ってあったのだ。
神崎先生の…絵?
いや、違う、神崎先生は色彩などに拘っては居なかった。
それに、この絵が神崎先生の絵だとはとても思えない。
何故ならば、絵だけだからだ。
そこに何も感情が無い、お粗末と言っても良いほどの。
よく見てみると、神崎美麗と言う名前が飾られていた。
「これはこれは、尼ケ崎先生。どうですか?この絵は。とても綺麗でしょう?」
私に話しかけてきた髭の長いおじさん。
他の誰でもない。この人が神崎先生本人であった。
「神崎先生。お久しぶりです。この絵は?」
「私ではありません。私の娘ですよ」
神崎先生の娘さん…?
それが本当だとすると大変だ。
この絵はセンスの塊であり、天才画家と呼ばれた人の遺伝子をちゃんと引き継いでいる。
恐ろしくなってくる。この絵を見ていると。
「…これは凄く上手ですね。ですが…」
「分かっています。尼ケ崎先生の仰りたい事は痛い程。この絵は私が書いて見てほしいと頼んでみたものです。」
「そうでしたか。神崎先生。娘さんは何時から絵を?」
「…いえ。これが初めてです」
それを聞いて唖然した。
そんな事があっても良いのだろうか?
もし、それが本当なら私には叶わない。
いや、私どころか、この世界にこの子を超える人は1人も居ない。
断言してもいいレベルであった。
この子が持つ才能はとてつもなく、
この事実を聞けば、レベルの違いを知り、画家はこの子しか居なくなるだろう。
大袈裟では無い、初めて描く絵が私よりも上手で鮮やかなのだから。
私の絵はこの絵に負けていない。
感情が乗って居ない分、私の方が遥かに価値は上だと確信できる。
だがしかし、もう一度言うがこの絵に感情が上乗せしてしまえば…。
勝ち目が無い・・・。
しかし、私も世界一の画家だ。
感情を、表に出さぬように、対応する。
「…そうですか。神崎先生の娘さんですか。1度会ってみたいかもしれません」
「尼ケ崎先生にそう言われるのは凄く嬉しいような悲しいような気がしますね」
「所で、神崎先生本人の絵はどちらに?私は本来神崎先生の絵を見に来たのですが、見当たらなく」
神崎先生は笑顔で私にこう言った。
「はは。お恥ずかしい話、貴方にどう足掻いても、貴方に勝ち目が無い事を知りました。貴方と私にはそれくらいの差があったんです。ですから、もう私の役目は終わりだと。先に引退させて頂きました。今は娘と女房と一緒に残り少ない人生を謳歌しようと考えています。」
正直、驚いた。あれほど絵に忠実だった神崎先生の口からそんな言葉が聞けるとは。
でも、それだとおかしいのだ。
この絵がある事自体が、既に矛盾していた。
「でしたら、この絵は?」
「これは娘がなにもしたいことが無いのだと、言っていたものだから、試しに書かせてみた物です。何も娘がその才能があると分かって書かせてみた物ではありません。すると、見事な事に完璧とは言い切れませんが、上出来だったので、出展させてみた次第です。娘もそれでやりたい事が見つかるのでは無いかと。」
でもそれは結果論に過ぎない。
なにがどうあれ、私を怯えさせるのに成功している
本意では無いにしても、私にはじゅうぶん応えたのだ。
「お父様、ここに居たのですね、その方は?」
神崎先生の事をお父様と言ったその女の子はとても、神崎先生の娘とは思えないほど、似ていなかったのだ。
神崎先生はどちらかと言うと強面のお爺さんのようで、サングラスをかければどこかのヤクザと見間違える程のイケイケのお爺さんという感じなのだが、
その娘はどこもそんな感じがなく、可愛らしい顔つきをしていた。
「これはこれは、美麗よ。紹介しよう、こちらが尼ケ崎先生だ。この絵を見て凄く上手と褒めてくれてたぞ。」
「初めまして!神崎美麗と申します。よろしくお願いします!来月で20になります!」
こんな感じで、握手を求めてきたのだ。
これから順位が決まるというのに、そんな蟠りなんて知らない言ったように、空気の読めない感じだったのだが、
握手は挨拶なので、それは応じる。
本意では無かったが、これは画家としての礼儀なのだ。
「初めまして、尼ケ崎 冴恵と言います。23歳です。この絵は貴方が?」
「そうなんです!初めて書いてみましたが、まさかここまで大事になるなんて思いもよりませんでした。どうでしょうか?」
「凄く上手ね。初めてにしては、凄く。」
本意では無くても認めざる負えない。
私は本音を口にした。
「わあ!ありがとうございます!尼ケ崎さんの絵もとても上手でした!でも少し怖かったです。あはは」
「神崎先生、素直で良い子ですね。では、私はこれで。じゃあまたね、美麗ちゃん」
「はは、でしょう?絵を引退した私にとっては今は娘が生き甲斐です。」
「美玲ちゃん!?そんな呼び方は初めてです!はい!またどこかで!」
そこであの場を後にして少し考える。
あの子は危ない。
何故か本能的に危険を感じたのだ。
あの子を放っておくのは私にとって、何故か危険な香りがしたのだった。