尼ケ崎 冴恵 [中 ]
さて、次はどんな思いでどんな事を前提にどんな事を想像しどんな結末の絵を描こう?
絵とは驚く事に、描く人によって、見た人を精神的に救う事がある。
私の絵は憎悪や虚無感をイメージして描く事が多いのだが、
不思議でその評判が良いのだ。
例えば半年前のイベントでは虚無感をイメージして描いてみた絵が自分で思っていた以上の反響があり、9億の値段が付いたのだ。
その絵はと言うと、なにも無い荒野に1人で立っていた女の子。
そこにはどことなく、寂しさや儚さがあり、まるで何か悟っている少女のような捉え方ができるのだ。
もっとも、絵とは人によって捉え方が違うのだが、それが良き方向を辿っていたと言っても過言ではないのだろう。
1週間に60通のファンレターが届くのだが、その1つ1つに「価値観」を変えられた。や人生の方向性見定める事が出来た。ありがとう。と感謝される事が多々あるのだ。
それとは逆に、私を口説こうとする文面も少なくないのだが。
「今日は、とてもいい天気だ。こんな日は嫌になる」
ぽつりと出たその一言。
太陽は毎日同じ時間に上がり、同じ時間に沈む。
その時間は微々たる差もないのだ。
もちろん季節によって上がる時間が遅くなり、沈む時間が早くなる。
勉強を全くして来なかった私は、なぜそのようになるのか科学的には何も知らない。
昔の人はその太陽で時間を見極めたと言うが、
私は太陽が上がったら朝が来て、沈んだら夜が来る。
と、その程度でしか見極めれないのだ。
もちろん、何故太陽が上がり、何故太陽が沈むのかくらいは知っている。
地球が回り、それに伴って、上がったり沈んだり見えるだけなのだ。
重要なのはそこじゃない。
何故太陽があるのか、何故地球があり、回って、生物が居るのか。
地球が回らないと人間は生きていけないらしい。
適切では無いかもしれない。
そもそも地球は今こうしてる間にも、1670キロのスピードで回転しているのだ。
それが急に止まってしまうと、およそ3000キロメートルのスピードであらやる全ての物が吹っ飛び、あらゆる物が絶滅してしまうのだ。
だが、地球が本来回っていない物だとしたらどうだろうか?
そしたら、あらゆる生物が生存できるだろう。
だが、それに伴って夜が来ない国があり、朝が来ない国もできるだろうし、
朝が来ない国には永遠と闇の中で過ごす事になってしまう。
そしたら生活に支障が出てしまう。
どちらにしても、地球は回っていないといけないという事か。
だがしかし、何故そういう摂理で地球が回り、何故そういう風になったのだろうか?
そこが重要で、科学的だのなんだのとは全くもって興味がないのだ。
そんな事はどうでもいい。
私は今、何かを果たそうとこの時間を生きている。
それが全てなのだ。
「さて、今回は憎悪をイメージして描いてみようか。」
考えてみる。憎悪とは何なのか?
憎悪とは、憎しみや嫌悪感と言った物から来るのだろう。
そうなれば、必然的に人間というベースから離れられない。
何故ならば、憎悪とは人間にしか適用されないからだ。
例えば、肉食動物が草食動物を食す時、又は殺す時、憎悪を抱くだろうか?
否。抱かないのだ。
人間は人間を信じ、裏切られ、そこで初めて憎悪や、憎しみを抱くようになる。
だから私は人間をベースにして憎悪と言う感情をイメージしてみる事にした。
憎悪とは、愛より簡単な物であると言えるだろう。
傷付く事が無いからだ。
だとすると、憎悪とは、不幸と反対に幸福とも考えられるのだ。
ではそこに、私の憎悪や幸福についての考え方をイメージして描いて見る事にした。