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ある夏の出来事

作者: 上地 雄大

「……………」

 夏の終わり、陽が燦々と降り注ぐ中、俺はアパートの台所に立っている。

 旧い友人から送られてきたモノは日常の中では目にかかることが無いだろう超高級肉。

 神戸牛2kg。まな板の上に乗っかったそれをどう調理するかで俺は包丁片手に悩んでいた。

 なんでそんなものが『ど』がつく田舎で家賃2万円、1LDKの我が家にあるのか? ……きっかけは些細なことだったように思う。

 

 それは夏の初めの事だった。

「あれ、岩崎?」

「……?」

「やっぱ岩崎や!! うわぁマジ久しぶりやんか元気しとった!?」

「…………?」

 午後8時、会社帰り電車に乗る前に自販機で冷たいコーヒーを買おうとしていた時、やけに馴れなれしい様子で話しかけてきた女に振り返ったのがそもそもの始まりだった。

「……あれ、もしかしてウチの事覚えてないん? ホラぁ高校で3年間同じクラスやったやんか〜新保や、新保」

「……ああ!! 新保かぁ、相変わらずお前フランクな奴やな〜!!」

「ふっふ〜前みたいに馴れなれしいって言わんの? 岩崎なんも変わっとらんからすぐ分かったわ」

「うっ、うるさいなぁ……ほっとけやぁ…」

「プッ、そういうところもなんも変わってない〜」

 この女俺と3年間クラスが一緒だったのだが、とりたてて仲が良かったわけでもないし……会話のたびいじられた事しか記憶にない。

 背は低いが美人な部類に入り友達も多い彼女。なにかの行事の際には率先して物事を行っていたっけ。進学したはずだが大学はちゃんと卒業したんだろうか。

「なぁ、久しぶりに会ったんやし飲みにでも行かん? 5年ぶりやよ5年ぶり!!」

「えぇ!? ……俺酒苦手ねんけど……」

「なぁに情けないこと言ってんの!! ……あっ!!」

「…………なんやの」

「……もしかしてアンタ既婚者?」

「…………違うわい」

「ならいいやん!! 行こ!!」

「お、おい!! ちょ、ま、引っ張るな!!」

 何も変わっていない。確かにあの頃に比べたら化粧もしてるし女の色気もある。だけどあの頃こいつが一番輝いていたモノ、それをまだ変わりもせず持ち続けているようで俺は安心した。

「……さて岩崎」

「…………なんやの」

「ここらって居酒屋あったっけ? だいぶ前のことやから覚えてないんやけど」

「知らんとどこ行こうとしとったん!?」

「だってぇ〜」

 ……こういうところも変わってない。


 別に早く帰る理由も無かったので彼女をよく行く居酒屋に連れていく。

 カラカラ、と戸を開けると酒臭さと肉を焼くいい匂いが鼻をついた。

「へぇ、なんかまんま居酒屋ってかんじやね」

「そう言うなや。ホラ、空いてる席行こ」

「うぃっす!」

「ぷふっ、なんやそれ」

「うっさい」

 まるで漫才のようなやりとりだ。そんな事を思いながらカウンター席の隅っこが丁度2つ空いていたので壁側を彼女にして座る。

 新保はビール、俺はウーロンハイを頼んだ。あと酒のつまみとして焼き鳥を2つ頼む。しばらくして運ばれてきたビールで乾杯した。

「二人の再会に乾杯―!!」

「おぅ、乾杯」

 ゴク、ゴク、ゴク、…美味いッ!!

 うぅ、酒ってのはこの喉越しがたまんないよな。冷たくて、それでいて焼けつくようなこの味。子供にはわかんねぇだろうな〜。俺も一昨年まで分からなかったし。……下戸だけどやっぱり好きなんだよなぁ〜。

 まだまだ大人になりきれてないくせにそんなことを思っていると横からも同じような声が聞こえた。

「うぅ〜美味いっ!!」

「うぅん、さっき再会した時から思ってたがお前にこの味が解るようになるとはなぁ……」

「ちょ、それどういう意味ぃ!?」

「はは、悪い悪い」

「てゆーかアンタもウーロンハイとか何? おこちゃま〜」

「苦手だって言ってるやろ」

「え? でもアンタさっき『お前にもこの味が』たらなんたら言ってたやん」

「……酒は好きやけど下戸なんや!!」

「……おこちゃま〜」

「うっさいわ!!」

 こんななんでもない会話をした後はとにかく盛り上がった。今は何してるだとか、高校の時誰が好きだったとか。再開からくる興奮からか、下戸のくせに無理して飲んだ。

 その中から得た情報によると彼女は今東京で大手アパレル関係の事業でかなり上らへんのポストに就いているようだった。

「あれ? じゃあなんでここに居るん?」と聞くと、「ちょぉ仕事に疲れたから無理言って有給取ってきてん。忙しかったけど」との事だ。

 ちなみに結婚はしていないとの事なので狙ってみるかとも思ったが、今週が終われば東京に帰るらしい。遠距離恋愛で長続きした奴を見たことが無い俺はその考えを早々に打ち切った。

 その後もとにかく話した。何回もビールを頼んで、俺が上司のグチを吐いても彼女は「うん、それは岩崎アンタが正しい」とか、「いや、それはおかしいやろ」とか自分の意見を出してくれた。別に俺は自分の考えを全面的に肯定してほしかったわけではないので肯定的な意見にも否定的な意見にもなんだか助けられるような気がした。


「……さん、お客さん。」

「ん……」

「もう店閉めるから帰ってくれるか」

 俺は店主の声で目を覚ました。…いけない、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 携帯の時計を見ると深夜2時。この時間じゃもう終電は逃している。

「お客さん、アンタの彼女も熟睡してんだけどよ。起こすか連れてくかしてく『くかーぁぁ……くかぁー……』……」

 こんのアマ……涎垂らしてやがる……。

「……すいません」

「……いや……いい、それより早くしてくれんか?」

「ハイ…………新保!! 帰るぞ、新保!!」

 クソッ……こいつなんで起きないんだ!?

「しょうがね……背負ってこ……っしょっと。あ、ほんとスイマセンした。これ、勘定です」

 財布から取り出しておいた金を店主に支払う。……背負ってみて思ったが軽いなこいつ。

「いや……閉店時間に帰ってくれりゃあこっちとしては文句ねぇしな。……ん、確かに」

「じゃあ……」

「おう」

 カラカラ……来た時とはまるで違う、蒸し暑いながらも真っ暗な闇の中俺は店を出た。……さてどこで時間を潰そうか……

「岩崎」

「うぉあ!?」

 背中からいきなり聞こえてきた声に俺は心臓が止まる思いがした。こ、こいつ起きててたのか!?というか起きてたならなんで自分で歩かない!?

「お、起きてたん?ビックリさせんといて……」

「そんなん言われても……そっちが勝手に驚いたんやん……」

 ……返す言葉もない。

「……起きてるんやったら自分で歩けや……」

「無理、頭クラクラするわ……どっか休めるところないん?」

「休めるところぉ……?」

 そう言われても……と辺りを見渡すと一つだけ休めるところが見つかった。でも……それは俺達が軽々と入っていい場所ではないし俺たちはそんな関係でもない。どうするべきか……


「いいよ」


「えへぇぁ!?」

「いいよ……あそこで」

 そんな事言われても俺が困る。

「い、いいってお前そんなこと軽々しく言うもんじゃ無いやろ? やから……」

「いいから」

 強く遮る彼女の声。

「…………」

「いいから入って。岩崎は信用しとるもん……それに……」

「それに……」

「……あたしもう吐きそう……」

「あぁぁぁやめぇ分かったから!! あーもー!!」

「うぇぇ……」

「た、耐えろ!! すぐ行くから!!」

 汗まみれのYシャツを更にゲロまみれにされるのは勘弁してほしい。

 俺は少し遠くに見えるラブホテルに新保を急いで連れていった。…もちろん吐かれてはかなわないので早歩きで。



「……うぅ、もう出ん…」

「よぉ吐いてたもんな……そりゃもう出んと思うわ」

「うっさい!! うぅ、あんなにビール飲まんとけば良かったわ……」

 俺の記憶は午後11時頃から無い。しかしそれまでにこいつは俺の2倍以上飲んでいたような気がする。……あんなに飲めばそりゃあ吐くわな。

「ハイハイ、とにかく俺はもう寝るから。明日も忙しいんや俺……」

 そういって服を脱ぎベッドに入り、目を瞑る。

 しばらく沈黙が続き……もう寝たかな?と思った瞬間、


 もぞもぞと新保が俺のベッドに入ってきた。


「!? ちょ、何!?」

「…………の?」

「え!?」

「手ぇ、…出さんの?」

 一瞬、誘惑に負けそうになった。

「…ッ、お前……何言っとれんて!! 俺らはそんな関係じゃないし、」

「そんな関係なら、いいの?」

「……ッ!?」

 なんだ、何を言っているんだこいつは!? 俺が知っているのはこんな新保じゃない!! 新保はこんなにふしだらでは無いし、もっと

「あたしはね、岩崎。アンタが思ってるほどに清くもないし、れっきとした、女だよ」

「……」

「そんな私がね、どんな理由であろうと一人の男とラブホに入ったって事は……どういう事かわかるでしょ?」

 俺はただ、目を逸らして黙ることしかできなかった。だって、俺の知ってる新保はこんな奴ではないのだ。もっと活発で、リーダーシップを備えてて、こんな濡らした瞳で俺を見上げるような女では無いのだ。

「ねえ……岩崎」

 細い指が、俺の顔を新保の居る方向に向かせる。


「抱いてよ」


 その瞬間、俺の意識はプツリと切れた。



 翌朝起きると一枚の手紙が置かれているだけで新保の姿はなかった。

そこには一言だけ「ありがとう」と。


 俺はしばらくボーッとしていたが、上司からの電話に慌てて仕事場へと走った。

ホテル代は、払ってあった。



 それからは相変わらず仕事に明け暮れていた。新保の実家に問い合わせてみると「そんな知らせは聞いてない」だそうだ。しかも2年前に社長と結婚していて仕事を辞め、今は2人の子に恵まれているらしい。

 あいつから聞いた話と違うと思いつつ、変わらない日々を過ごした。



 そして今日、昼2時頃のこと。俺は週1日だけの休みをボロアパートで過ごしていた。

 コンコン

「宅急便ですー」

「……あーい」

 トランクスとTシャツで出た俺に宅急便の爽やかなお兄さんが持ってきたものは新保からの贈り物だった。

 贈り物をされる覚えはないがとりあえず開ける。

「………おお。」

 そこには高級そうな霜降り肉の塊がドンと置いてあった。中には手紙も同封されており、俺はそれを開いた。


『岩崎へ


 この前は本当にごめんなさい、いきなりのことで岩崎もびっくりしたと思います。

もう私が嘘をついていたこともばれていると思うので、それについて謝罪しておきます。

あの時は夫婦生活と子育てに疲れていて、それに加え夫婦喧嘩が絶えなかったのです。

仕事ばかり優先する夫、いつ泣き叫ぶかわからない赤ん坊。私はほとんど発狂寸前でした。

疲れのあまり、ふっと両親の顔が見たくなった私は故郷に帰る事にしました。親に慰めてもらおうと、子供も置いて。…最低な親ですね。

故郷に帰ってからその事に気づき、あてもなくウロウロしていたときでした。


あなたの姿を見つけたのです。


本当に何も変わっていないのですぐ分かりました。それと同時に、『今日は彼を使って暇潰しをし、明日朝一番で帰ろう』と思ったのです。

しかし居酒屋であなたと話すうちにあなたの優しさにほだされたのか、私はあなたに抱かれようとしました。心の傷を、あなたとの情事で癒そうと。……結局あなたは酔いのあまり寝てしまいましたが。

罵ってもらって構いません、それだけの事を私はしました。

そのお詫びと言ってはなんですがあなたが頑張っても食べられるかどうか分からない神戸牛を2kg差し上げることにしました。

…こんなもので許してもらえるとは思ってないけど、本当にごめんね。

                                      新保 』



 …そして現在に至るわけだ。悔しいが、確かにこれは一生に一度のチャンスだった。こんな高級品……今を逃せば確実に食えない。

 しかし調理法が思い浮かばない。もう一度言うがこんな高級品は俺の人生に係わりが無かったものだ。どうすればいいのかわからない。

 深く深く、考えてみるが……

「……やっぱりわからん」

 ああもうなんであいつはこんなものを送ってきたんだ。

 保存できればいいのだが、そういうわけにもいかない。なぜなら―――


「…冷蔵庫くらい買っておけば良かったか…」


 家には冷蔵庫が無いからである。


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― 新着の感想 ―
[一言]  面白かったです。新保さん、いい女性ですね。岩崎さんも。
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