王は如何にして恋を自覚し愛に目覚めたか
中央広場には大きな噴水があり、その周りは石畳の広い空間となっている。
いつもは市民の憩いの場であるこの噴水周りの広場も、祭りの今は歓声や笑い声が響く賑やかな場所となっている。
この場所には道化師、軽業師、手品師、占い師、動物使い等の芸人が多く集まって自らの芸でお客の関心を競い合っていた。
「レックス様。あの道化師凄いですわっ!小刀を何本もっ!ちょっと怖いですわっ!」
興奮気味のマルヴィナが食い入る様に見つめるのは、十本程度の小刀をお手玉する道化師。
「ああ、凄いね」
とは言いつつもレックスはさほど驚かない、もっと恐ろしいお手玉を見たことがあるからだ。
以前、ブラッドが魔法の戦斧でお手玉をやった事がある。彼は愛用する断頭の戦斧の二本以外にも何本か魔法の戦斧を持っている。強くなるに従って買い揃えたり、対応する相手も増えて戦斧も増えていったからだ。
彼はその戦斧の全てを使ってお手玉をして、周りのレックス達を半恐慌状態にさせた事がある。
(あれは怖かった…)
当たれば簡単に手足が落ちる高位の魔法の戦斧を使ってのお手玉。しかもその中には断頭の戦斧が二本も入っている、手元が狂って当たれば首が落ちかねない。
そんな恐ろしい事をしたブラッドを正気かと問いかけたら
「滑稽な事をやって場を和ませたかった」
と言って全員を脱力させた事があった。
確かに口論寸前のピリピリした空気は去った、その後の激しい虚脱感を除けば彼は良くやっただろう。
そんな事を考えている合間に道化師が頭に乗せた林檎に全ての小刀を刺し終えて芸は終わった。
当たりが拍手で満たされ、道化師の前の籠に貨幣が満ちる。
レックスもその籠に大銀貨を一枚投げ入れた。
「凄かったですわね!」
「ああ…そうだね」
レックスが曖昧な答えを返しながら広場を歩くと小さめの紫色の天幕があった。
異国の女が天幕の前に立っている。
「レックス様、これはなんですか?」
「うん?占い師の館とあるね…」
「占い…」
貴族、市井を問わず若い女は占いが好きだ。
貴族でも紅茶や茶菓子を使って自分や他人の恋を占うのは社交の一種でさえある。
その例に漏れずマルヴィナがその黄金の瞳を輝かせる。
彼女もまた貴族の子女として何種類も占いのやり方を知っている。その彼女の関心を引くには十分だった。
「レックス様ッ!」
「うん、分かった。入ろうか」
そう言った二人を流浪の民らしき褐色の肌に異国の装束を身に付けた女が曖昧な微笑みを返す。
二人を夫婦か恋人かと見たのだろう。
そうして優雅にお辞儀をして天幕の入り口を上げると小さな机がありその奥に同じく褐色の肌の異国の装束を羽織った女が座っていた。
「ようこそ、ミストリアの占いの館へ。どうぞ目の前の椅子にお掛けください」
薄衣で覆った顔の奥から見える笑顔で二人を迎え入れる。
二人は顔を見合わせながらもおずおずと椅子へ座る。
「どのような星を見たら宜しいでしょうか?詳細は仰らなくて結構ですよ」
詳細は言わなくていい、その一言にマルヴィナが食いつく。
「で、でしたらっ!今悩んでいる事についてをっ!」
「分かりました。見てみましょう」
占い師は言葉通りにそれ以上は何も聞かずに、装束の襟元から出した砂を布が敷かれた机の上に広げ始めた。
机一杯に砂が広がるとその上に指で奇妙な文字を描いていく。
その流れるような手つきを二人が神妙に見つめる。
「……っ」
妙に輝く砂の上に文字を描いていた占い師が突然ぴくりと震えた。
そして驚いた顔で二人を見るが、ややあって平静を取り戻して砂に文字を描くのに専念する。
(どうなさったのかしら?)
(まさか…な)
二人がその事に感想を覚える最中も占い師は砂に文字を描いていく。
机いっぱいに小さな文字を描き終わった頃には額に汗を浮かべていた。
「終わりました…」
ふぅと溜息をついて占い師が終わったことを告げた。
何やら重苦しい雰囲気が占い師に張り付いている。
「そちらの奥様…」
「えっ?」
「むっ…」
二人が結婚しているとはどちらも一言も言っていない。マルヴィナが驚き、レックスは警戒を強めた。
驚く二人を見やりながら占い師は続けた。
「奥様は年上の御友人に御相談を続けられると宜しいかと…」
「まぁ…凄い」
マルヴィナにとって年上の友人は一人しかいない、アレクシスである。
しかも彼女に相談を続けろと言う。
何も言って居ないのに、彼女に相談をしている事を看破され、マルヴィナは賞賛の声を上げた。
「旦那様は長きに渡り苦難を共にした御友人が何人もいらっしゃる御様子。そちらも御友人に御相談を続ければいずれ解決いたします」
その言葉にレックスが口元を手で覆う。
この占い師には仲間達の事は一言も言っていない。その関係が長い事も何も言っていない。
だが看破された。
「まぁ…そうなんだが。むぅ…解決するのか」
レックスは肯定の言葉を出して唸ってしまう。
流石本職と言うべき実力であった。
「付け加えるならば…お二人共半ば解決してらっしゃるはずです」
苦笑いの表情で占い師が二人にそう告げる。
そう言われた二人が同時に顔を見合わせた。
「いや…そうなのかい?」
「そうなんですか…?」
顔を見合わせながら、お互いに疑問形で問いかける二人。
似たような悩みを持っているとは二人とも思っていない。
「では一つ助言をさせて頂きます。祭りの最中はしっかりとお二人で腕をお組みになられると宜しいかと存じます。迷子になる事もなく、御二人の仲も一層深まるかと…」
曖昧な微笑みで助言をする占い師。
そして椅子から立ち上がり恭しく腰を折って一礼をした。
「お代は外の者に、お好きな金額をお渡しください」
二人は占い師の天幕から出る。
迷わずレックスが白金貨を一枚を鞄から取り出して、天幕外に居た女に手渡す。
祭りの占い師への報酬としては法外に過ぎたが、女はそれを驚く様子もなく丁寧に受け取ると装束の裾にしまった。
「腕を組めって言われていたね…」
「で、ではそう致しましょう!」
レックスの体の横で固まっていた彼の手をマルヴィナがそっと抱きしめる。
彼女の体温とその肢体の柔らかさにレックスの体がびくっと震えた。
「お嫌でしたか?」
「とんでもない。少し驚いただけさ」
マルヴィナが上目遣いでレックスの表情を確認する。
目線がやや泳いでいた。
(そうか…こんなに柔らかいのか…)
「レックス様?どうしましたか?」
「あ、いや、なんでもない。つ、次はどうしようか?」
固まっているレックスにマルヴィナが不思議そうに問いかけると、レックスはかろうじて表情を取り繕って返答を返した。
「そろそろお昼ではありませんか?」
「じゃあどこかの屋台でお昼にしようか」
二人は腕を組みながら連れ立って歩いて行く。
どこから見ても逢引中の恋人にしか見えない。
二人が離れて少し、占い師の天幕の裏から黒い外套に身を包んだ男が現れた。
ブラッドである。
(こんな場所に入られると中の様子を見張れなくて困るのだが…まぁいいか)
右手には羊の串焼きが三本と腸詰めの串が二本。左手にはひき肉等が詰まった揚げ麺麭が入った籠を抱えている。
二人が占い小屋に入った隙を見て近くの屋台で買い求めたものだ。
(しかし、あの様子ならさっさと宿屋に入ってしまえばいいだろうに…)
ひき肉入り揚げ麺麭を食べながらそんな感想を想う。
あの様子を見る限りレックスが「出来ない」事はあるまいとブラッドは確信していた。
(あれだけお互いに想いが通じあっていて何を戸惑う必要がある…)
正直何をまごついているのか、それが分からない。
しっかりと組まれた二人の腕を見ながらそんな事を考えて、やや緑がかった羊の串焼きを頬張る。
「うむ、香草の加減が絶妙だ」
その後は二人をの後を尾行しつつ路地裏に入り、陽炎の外套を被って屋根に上がった。料理をしっかり両手に抱えていても、その動きの素早さに変わり見られなかった。
◇◇◇
「レックス様!あれはなんですのッ?」
腕を確りと組んだまま屋台を指差すマルヴィナ。
その指先には切れ込みを入れた長い麺麭に腸詰めを挟み、味付けに赤と緑のタレを掛けたものだ。
「ああ、腸詰めを挟んだ麺麭だね。食べてみるかい?」
「はいっ!」
まだ十五歳のマルヴィナは育ち盛り、また王宮の食事とは違った野卑とも言える食事に興味津々である。
レックスは二人分を買い求めると近くの長椅子に座って食事を始める。
「………レックス様」
「なんだい?」
手渡された麺麭をじっと見ながら真剣な表情で問いかけるマルヴィナ。
「この麺麭、どうやって食べますの?指で千切ると腸詰めのタレが手についてしまいますわ」
可愛らしく美麗な顔の眦を寄せながら思案顔で手元を見るマルヴィナ。
(困った表情も麗しい…)
その表情を見て素直な感情を覚えるレックス。
いつまでも見ていたい気分だがお姫様がご機嫌斜めになっても困る。
「こうやって…端からかぶりつくのさ」
元々庶民同然の暮らしをしていたレックスにはこのような軽食を食べるのに抵抗はない。実際に良く祭りで食べていた。
マルヴィナに見せるようにして、麺麭の端からかぶりついて食べてみせた。
「まぁ…」
ぽかんと口を開けてその様子を見つめるマルヴィナ。
レックスが麺麭を食べる様子と手元の麺麭を交互に眺めていたが、ややあって意を決した顔をして、麺麭にかぶりつく。
濃厚なタレと熱い腸詰め、そして誰が染み込んだ麺麭が絶妙に美味い。
宮廷料理とは違う、庶民的な野卑とも言える料理にかぶりつく事は新鮮な満足感をマルヴィナに与えてくれた。
「……」
淑女は食事中に言葉を喋らない。だがきらきらと光る瞳と明るい表情が料理の味を雄弁に語っていた。
ほっぺたを膨らませてもぐもぐと咀嚼する様子が小動物の様に愛らしい。
「ちょっと口が渇くから林檎酒を買ってくるね」
レックスは近くの屋台から買い求める。
林檎酒の瓶を口に含み、麺麭でやや乾いた口を潤した。
そしてマルヴィナの方へ差し出してやる。
「…ありがとうございます、レックス様」
麺麭を口に含み終わったマルヴィナは、また少し逡巡して林檎酒の瓶に口をつけて飲む。
そしてタレと腸詰めの味を口の中を林檎酒で洗い流した。
「どういたしまして…お腹は膨れたかな?」
「はい、もう十分ですわ…」
そう言うマルヴィナは頬が赤い。
瓶越しで口吻をしているという事に気づき、視線で林檎酒の瓶の口を見やる。
只の林檎酒の瓶が酷く嬉し恥ずかしい品物に見えてくる。
(あぅ……)
マルヴィナが恥ずかしさに所在なさげに視線を彷徨わせていると、隣の長椅子に座る恋人達の姿に釘付けになる。
見れば、細長い揚げ芋を若い女が手に取り、何やら男の方の口へ持って行っている。
「あーん♪」
「あ、あーん」
実直そうな男は気恥ずかしいのか視線を彷徨わせながらも、恋人の手から差し出された揚げ芋を口に入れる。
「美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
完全に周囲が恋人達だけの空間になっているかの様な雰囲気であった。
(うわぁ…見てるだけで恥ずかしいな…)
レックスはそれを見て内心で恥ずかしく思う。
だがそれと同時に袖を引く力に気づいた。
「レックス様!レックス様!」
きらきら光る瞳を一層輝かせながら、屋台の揚げ芋を指差すマルヴィナ。
その様子に困った表情を見せるレックスだったが、ややあって腰を上げて屋台に揚げ芋を買い求めた。
レックスが揚げ芋を買ってくるとそれを奪い取るかのようにマルヴィナが手に持ち、さらに彼女の希望によって二人は長椅子にぴったりとくっついて座り直した。
彼女の白魚の様な指先が紙袋に入れられた塩を振った細切りの揚げ芋を掴んでレックスの口元へ運ばれる。
「あーん♪」
満面の笑みでそう言うマルヴィナは心から嬉しそうである。
元々献身的な性格の彼女ではあるが、このような行為が性に合ったのか、それとも単なる好奇心か。
恋人同士でやっていた嬉し恥ずかしい行為へ探究心なのか。
そのいずれかかはマルヴィナにも分かっていないだろう。
「あ、あーん…」
レックスは意を決して口元の揚げ芋を口に入れた。
女性に手ずから食事を食べさせて貰う、そんな行為をして貰った覚えはない。
正確に言えばおそらく幼い頃に母からして貰ったのであろうが、そんなのは考慮の外である。
「レックス様、美味しいですか?」
マルヴィナがキラキラとした笑顔で味を聞いてくるのでレックスは然るべき言葉を返す。
「ああ、美味しいよ」
ここで「恥ずかしいよ」とか「食べづらいよ」とか「普通の味だよ」とは言ってはならない。
騎士道精神に乗っ取り淑女の気持ちを慮った態度が要求される。これは恋人であろうが、夫婦であろうが同じであろう。
そんな事を考えながら、マルヴィナに食べさせて貰った何本目かの揚げ芋を咀嚼していると、ふとレックスの脳裏に閃くものがあった。
マルヴィナの手元にあった揚げ芋の紙包みから一本の揚げ芋を取り出す。
「マルヴィナ…。はい、あーん」
「ふぇっ?!」
顔を真っ赤にして目の前の揚げ芋とレックスの顔を交互に見つめる。
そうしてややあって
「えぇっと…はむっ」
可愛らしく小さく口を開けてぱくりと揚げ芋を口に咥えた。
(可愛いな…)
愛らしい生き物を餌付けしている様な良い気分だった、仕草が酷く可愛らしい。
「美味しいですか?マルヴィナ嬢?」
「えぇっと…あの、その、美味しい…です」
レックスが茶目っ気を含んだ笑顔で問いかけると、マルヴィナが真っ赤になって俯いてしまった。
その様子に自分も酷く照れくさくなって、赤くなった頬を指で掻く。
そうして交互に揚げ芋を食べさせあった。
時折口をつける瓶の林檎酒が空に成るまでの間、二人は他の恋人たちと同じように二人だけの甘い時間を十分に堪能した。
◇◇◇
夕刻になると祭りは徐々にその姿を変える。
夜には酒と料理、そして女達の活躍する時間になる、その合間の時間は帰る者と出て来る者が混み合い、ひしめき合う。
その中を二人は帰るために町の出口へ向かって歩いていた。
「ん~♪」
やや度数の高い林檎酒を多めに飲んだマルヴィナはレックスの腕にしがみついて、時折猫の様に顔を擦り付けている。
その表情は年相応の娘にしかみえず、行き交う誰もが王妃だとは思いもしないだろう。
だがこの姿が酒に酔った王妃マルヴィナの姿である事は間違いが無かった。
(嬉しくて…心地良いけれど…少し歩きにくいな)
彼女の肢体の甘美な感触はともかくとしても、絡みつかれるように腕にしがみつかれるとやはり歩きにくい。
それが災いしたのか、通行人とぶつかってしまう。
「あっと!すまない!」
レックスがぶつかったのは大男であった。
身長はブラッド程もあり、横幅は彼の倍はあるだろう。
全身から酒の匂いが漂って顔が林檎のように真っ赤に染まっていた。
そして質の悪い事に腰に幅広の剣を帯びていた。
「あぁん?兄ちゃんよぉ…目ン玉ついてんのかぁ?ああ?」
良く日焼けした肌の男は傭兵か船乗りと言った風情で、酔漢特有の目でジロリとレックスをねめつける。
更にはレックスの胸ぐらを掴み顔を寄せてきた。
「すまない、こちらの不注意だ。謝罪しよう」
間近で大男の威嚇を受けてもレックスは動じない。
魔竜の咆哮や魔神の威圧もそよ風のごとく受け流す、聖騎士のレックスには何ら恐怖を感じる事ではなかった。
胸を掴む野太い腕も、野良犬がじゃれついてる方がまだ威圧があるとばかりに、平然と謝罪を返す。
平静なレックスの顔を見て怯えていると解釈したのか男はマルヴィナを見やると口を開いた。
「お?女が居るじゃねぇか。その女をよこッ」
最後まで言わせる事は無かった。
レックスは体全体を動かして、胸ぐらを掴んだ腕ごと路地の壁に叩きつける。
少しばかり力が入っていたのはマルヴィナを見る視線が不快だったからだ。
壁に叩きつけられた酔漢は派手に地面に転んで苦悶を漏らす。
「マルヴィナ…少し下がって」
後ろのマルヴィナにそう言うと壁に叩きつけられた男に歩み寄る。
「彼女は僕の妻だ。妻を守るのは夫の役目、そう思わないか?」
「この野郎ッ!」
酔漢が腰の剣を抜く、よく使い込まれた刀身が鈍く夕日を写して光った。
よくある喧嘩だと思って見ていた通りすがり達から悲鳴があがる。
優男が酔漢に斬られる、そう思ったのだろう。更に言えば街の中で自衛以外で剣を抜くのは違法行為である。
通りすがり達の輪が少し広がり、緊張が走る。
「直ぐに剣を仕舞うなら衛兵に突き出すのはやめるけれど…どうする?」
「うるせぇ!てめぇも抜け!」
冷静に語りかけるレックスに酔漢は叫ぶようにして長剣を抜くように怒鳴る。
抜いてない相手を斬るのは矜持が許さないと思ったのだろうか、それとも単に斬り合いがしたいだけなのか。
レックスは良く手入れされた幅広剣を見やっておそらく前者だと判断した。
「分かった」
極普通に同意したレックスの右手が霞んだ。
一瞬の後に、抜き放たれた長剣は酔漢の幅広剣を跳ね上げた。
幅広剣は放物線を描いて裏路地に転がっていき甲高い音を石畳に響かせた。
「なぁっ?!」
「少しの間だが抜いた…まだやるかい?」
そう言って長剣を仕舞うと酔漢に笑顔のままで威圧をかける。
圧倒的な力量差だぞ、と言外に匂わせながら。
「うぐぅ…」
酔漢が剣を弾き飛ばされた右手を見やって歯噛みしていると、二人の間に入り込んで来る男があった。
黒い外套を羽織り、両腰に戦斧をぶら下げた大きな男である。右手に豚肉の串焼きを二本持っている。
「後の事はやっておく。ミランディアが待っているから帰れ」
そして黒い外套の男は串焼きを食いながらそう言った。
「そうさせて貰おう。マルヴィナ、行こうか」
「えっ?良いのですか?」
「もちろん」
そう言って連れ立って行く二人を見て酔漢が口を開きかけるが、酔漢よりも大きく強靭な肉体を持つ大男がそれを許さない。
空いている左手で酔漢の顎を掴むとその剛力にまかせて強引に裏路地に引きずっていく。
「お前とは少しコチラで話をしよう……」
そして完全に裏路地に消える前に後ろを振り向いて
「衛兵には通報しなくていい。後は俺がヤッておく、祭りを楽しめ」
肉食獣の笑顔でそう心配そうな通りすがり達に声をかけた。
顔をぼこぼこに腫らした酔漢が衛兵の詰め所で神妙な態度で罰金を払うのは、これから少し後の事である。
◇◇◇
ミランディアが待つ丘へと登っていく二人。
絡み合った手の暖かさはお互いに通じていたが、マルヴィナには少し気になる事があった。
「レックス様…あの…」
「なんだい?」
おずおずと上目遣いで見上げるマルヴィナは心に思っていたことを、ずっと思っていた事をゆっくりと紡いでく。
「先程、私を妻と仰って下さいましたが…。私は王妃というだけではなくレックス様の妻であると思っても宜しいのでしょうか?」
レックスはその言葉に表情を変える。
自分の王妃、自分の妻に其処まで追い詰めていた。その事がレックスの心に悔恨と懺悔の気持ちを起こさせる。
「もちろんだよ。マルヴィナ…君は愛しい僕の妻だ」
「えっ愛しい…妻ですか?」
握りあった手に力が籠もる。
「そうだよ、マルヴィナ。僕はね、今日やっと君に恋することができたと思う」
「ふぇっ?!」
白磁のようなマルヴィナの頬が真っ赤に染まる。
「僕は今は、君が恋しくて愛しくてたまらない気持ちで一杯なんだ。その証拠に君を悩ませてしまった事が苦しくて、切なくて、胸が張り裂けそうで…。でも今日という日を君と居られた事が嬉しくて、胸がときめいて…。なんだか凄くおかしいよね?」
「そ、そんな事は…ない…です」
朴訥に自分の胸の内を吐き出すレックスも頬が赤い。
そして耳まで染め上げて湯気が出そうなほどに赤く染まるマルヴィナ。
そうして二人は丘に登りながら語り合い、愛を囁きあった。
◇◇◇
「マルヴィナが可愛すぎて辛い」
大宮殿の庭園の白磁の温室。
そこに参集した三人の男と一人の女は、王の吐き出した言葉をげんなりとした顔で聞いていた。
「何故それが辛いのですか」
宮廷神官のミドラスが問いかける。
「朝食後に政務の為に分かれるのが辛い…。政務があるのは仕方がない、だがもうちょっとマルヴィナと一緒にいられないだろうか」
「もう十分に一緒に居るではありませんか」
彼はげんなりとした表情で答える。
王が王妃と閨を共にするようになってから、王妃と四六時中一緒に一緒に居たがる様になった。
ミドラスはこのままでは政務に支障が出かけない事を宰相と共に心配していた。
世継ぎの心配は無くなったものの新しい心配事が増えてしまった。
「王妃様は普通の人なんだから体力を考えなさいね。そのうち倒れちゃうわよ?」
そう行ってさり気なく行為の回数を抑えるように言うミランディア。
現に王妃に愛欲の薬と体力増強の薬を処方していた。
「レックス。今のお前を市井ではなんて言うか知っているか?『色惚け』だ」
「くっ!」
呻いて両手で顔を抑えるレックスは苦悩のどん底という顔だ。
「出産の問題もある…王妃に運動をさせて体力を付けさせたらどうだ。一朝一夕という訳にはいかんだろうがな」
円卓に座るブラッドが静かに答える。
「くっ、そんな事をすればマルヴィナと居られる時間が減るじゃないか!」
「だが体力が付くから閨では少しましになるぞ」
「ならば剣術か!それならば僕も一緒に出来る!」
どうあってもマルヴィナとの時間を減らすつもりは無いらしい。
「ブラッド…アレクシス婦人の手をお借りしても?剣術なら同じ女性から学んだ方が良いでしょう」
「ミドラス?!何を言っているんだ?!僕がやると言っているだろう!」
「レックス…貴方は少し王妃と距離を置くべきです」
「愛する男女が引き裂かれる!そんな事が合って良い訳がない!断固として拒否する!」
大宮殿の庭園の白磁の温室はぎゃーぎゃーと暫くの間、王とその仲間達の声で満ちた。
◇◇◇
交易都市コルバーネッドの広場。
祭りから少し経った今でも屋台はぽつぽつと立ち並び様々な飲食物が売られていた。
その近くの長椅子でブラッドとアレクシスは並び合って屋台の食事を食べていた。
「陛下そこまで取り乱すとはねぇ…初めての恋なら仕方ないのかなぁ?どう思う?」
「経験不足の戦士と一緒だ。初陣で混乱しているだけで暫くすれば治る」
誰かさんと同じだと、そう指摘しない心の機微を最近覚えたブラッドであった。
「でも祭りの最中に来たかったな。二人がちょっと羨ましいかも」
アレクシスが祭りが終わり、賑わいの無くなった道を見つめて寂しそうに言う。
「……春祭りに来ればいい」
「必ず連れて来る事、約束だよ」
寂しそうだったアレクシスの声にブラッドが答える。
すると彼女は頭をブラッドの腕に寄せて嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ!ブラッド!アレをやろう!」
アレクシスは突如として顔をあげるとブラッドを見つめる。
そのアレが分からないブラッドは訝しげに首をかしげた。
「アレ?」
「そうアレ!」
そのまま彼女は立ち上がり揚げ芋の屋台へ行くと、細切りの揚げ芋を一袋買って来た。
そして先程と同じ様にぴったりと隣に座ると、袋から一本の揚げ芋を取り出した。
「あーん♪」
彼女がつまんだ揚げ芋はブラッドの鼻先に突きつけられている。
「………」
ブラッドはアレクシスの手を丁寧に退けると、彼女の持つ袋からがさりと揚げ芋を掴むと自分の口に放り込んだ。
「自分で食える」
難産でしたが書き終えることができました。
とりあえず一旦ココで完結とさせて下さい。
うっかり続いてしまうのか、それとも他に書いている作品でお会いするのか分かりませんが
其の時はまたよろしくおねがいします。