王は如何にして失敗し仲間に助力を乞うたか
王城併設の大宮殿、そこには広大な庭園がある。
季節を問わず様々な花が咲き乱れ、常に庭園全体が新鮮な花の香りで満ちている。
その庭園の隅に白い大理石と硝子で出来た温室が建っており、その中には白い大理石の瀟洒な円卓が備えられている。
まさに花園の中の秘密の小部屋と言うべき場所であった。
そして温室の中には男女七人が集まっていた。
「俺の宝だ」
そう言って自分の隣に座った貴婦人を示す男はブラッド・ブラディネス男爵。
エリニシディア王国最強の戦士にして、国王エリニシディア三世の親友でもある。
彼は傲然と胸を張って、まるで素晴らしい武勲でも立てた様な表情をしている。その様子とは正反対に示された彼の妻は顔を真っ赤に染めて俯いていた。
「おめでとうございます、ブラッド。貴方程の戦士が独り身だったのは惜しい事だと思っていたのです。本当に良かった」
そう最初に口にしたのは大神官にして宮廷神官でもあるミドラス。
大柄な体に似合った太く大きな声で祝辞を述べた。
「すげぇな…あのフィデリア伯爵の決闘令嬢と結婚したのか。ブラッド、お前は結婚相手も手強い方が良いのか?」
「いや、さほど手強くはなかった。戦乙女の如く愛らしく美しいとは思ったが」
そう言って戦友の結婚を評するのは近衛騎士のローランド。
何時も通り近衛の鎧に身を包み壁にもたれ、傍らには槍と盾が立て掛けてあった。
(あの馬鹿、新妻だってのに手荒くしてるわね…。鎮痛剤と軟膏と、愛欲の秘薬も必要かしら?)
宮廷魔術師ミランディアは黙考していた。彼女は夫人の歩き方がぎこちなかったのを見逃していない。気遣いの出来る女であった。
「ブラディネス夫人。後で少しお時間を頂戴な」
「え?あ、はい」
面識の無いミランディアに急に声を掛けられて当惑するブラディネス夫人。
それをよそに円卓の中心に坐った男が口を開く。
「おめでとう、ブラッド。それで何があった?辺境で危険な討伐ばかりしてた様だが?」
真剣な顔で問いかけるたのは王族だけが着れる豪奢な衣装に身を包み、金髪の髪に略式の王冠を乗せた男。レックス・ミトランド・エリニシディア三世その人である。
彼はかつての徒党の仲間であるブラディネス男爵が、辺境で危険な討伐を一人で行っていた事を質問していた。
「うん?何か拙かったか?」
「拙いに決まっているだろう!巨人や成竜と一人で戦うなど馬鹿げた真似はするな!次は勝てるとは限らないのだぞ!」
いまいち問題を理解していないブラディネス男爵、いやブラッド。
その反応を見て激高するレックス・ミトランド・エリニシディア三世、いやレックス。
「問題があるなら何故相談してくれないんだっ!僕達はそんなに頼りないのか?」
嘗ての口調に戻って怒り出すレックス。
怒りながらもその口調には優しさと労りが溢れていた。
「すまん。これからは巨人や竜と一人で戦う事はしない」
その想いが伝わったのかブラッドは素直に頷いた。
「一応言っておくけど、上位悪魔や高位の不死も含まれてるから。危険な相手と一人で戦うなって事よ?わかってる?」
さらにミランディアが追加で釘を刺す。
「分かっている。だが今は宝を愛でるのに忙しい。それと巨人や竜を討伐したのも暇つぶしだ。これと言って何か目的があった訳ではない」
その言葉で居心地悪そうに身を捩るブラディネス夫人、いやアレクシス。
「暇つぶしで倒される竜と巨人が少し哀れになりました…。ですがなぜそんな危険な暇つぶしを?」
ミドラスがこめかみに指を当てて沈痛な面持ちで問いかける。
大陸広しと言えども暇つぶしで竜や巨人を討伐する戦士はブラッドぐらいだろう。
「レックスは王になった。エランは森に帰った。ミランディアは魔法の研究に忙しい。ミドラスには神殿での奉仕がある。ローランドには近衛の仕事がある。俺だけが何も無かった…何も無かったのだ」
ブラッドの声と言葉は淡々とした口調でありながら、彼の苦悩と劣等感が滲み出すかの様であった。
嘗ての仲間達と彼の妻は、その言葉に込められた重さを感じ取り誰も言葉を発しない。
「俺は何をして良いかわからなかった。だが戦えば気が晴れる事が分かった、だから仕方なく戦っていたのだ。それぐらいしか俺に出来る事は無いと思っていた」
皆から見てもブラッドに戦うこと以外の事が出来るとは思えなかった。
その事を十分に理解している仲間達はそれぞれがブラッドの悲哀を感じ取っていた。
「だが…それは間違いだったのだ」
ブラッドはそう言うと隣の席に座る己が妻を抱き上げて、自分の膝に乗せて抱き寄せる。
そしてその頬に素早く唇を寄せた。
嘗てのブラッドには考えられない大胆な行為に、仲間達が目を丸くする。
「ふぁッ!?ブラッドッ!?ちょっと!陛下の御前だからッ!」
「俺にはアレクシスがいる、だからもう良いのだ。もう憂いも悩みも無い」
最愛の宝を抱きしめながらブラッドはレックスに答えを返した。
もう大丈夫だと。
「そうか…良くわかった。お前が苦しんでいる時に力になれなくて済まなかった。だが、今後は悩みがあれば遠慮なく相談してくれ。あんな事をされては心配する」
「わかった、ちゃんと相談する。心配をかけて済まない」
「ブラッド!下ろして!陛下の御前だからッ!」
レックスとブラッド、親友二人が言葉を交わす。確かな友誼が其処にある事は誰の目にも明らかだった。
ブラッドの胸元で暴れるアレクシスを無視してはいたが。
「それでブラッド、これからどうするのです?」
ミドラスが何処へ行くかと言う意味で問いかけた。
「うむ。帰って子作りをする」
「馬鹿ぁーー!!」
国王と伝説の英雄達の前で、夫にそう言われた妻は沸騰しそうな程顔を真っ赤にして恥じらった。
◇◇◇
先日の会合から三日後の夜。
国王専用に設えられた豪奢な寝室。レックスは丸卓の椅子に腰を掛けて整った顔に苦悩の表情を浮かべていた。
丸卓には上等な葡萄酒が瓶で乗っているが、酒杯に注がれた葡萄酒は大分前から一滴も減っていない。
(ブラッド…アイツは自由だ…)
レックスはあの武骨さの塊の様な戦士であるブラッドが、愛おしげに彼の妻を紹介する姿を見て羨望を覚えていた。
レックスとその妻、王妃マルヴィナとは政略結婚である。王位を継ぐに当たって、宰相でもある大公の娘の彼女を娶る必要があったのだ。
彼女と結婚したのは彼女が十二歳、彼が二十二歳の時である。丁度十歳差であった。
結婚初夜は体を重ねる事なく済ませるしかなかった。
レックスにはいまだ十二歳の若すぎる彼女を無理やり引き裂く様な真似は出来なかったのである。
そして彼女が成長するまで様子を見守る事にした。
だがそれは気持ちの問題であり、倫理の問題であり、矜持の問題である。
問題の本質ではない。
レックス・ミトランド・エリニシディア三世、未だ持って清らかな体であった。
純潔であった。
所謂市井で言う所の童貞であった。
結局の所、二十二歳の童貞が十二歳の処女と契る事は、レックスにとって悪魔王を打ち倒すより困難であったのだ。
彼は十五歳の時に騎士神より啓示を賜り聖騎士となった。
それから七年は息をつく暇もない程の冒険の日々であった。真っ当に恋愛をする機会などなかった。無論婚姻の機会もない。
レックスは騎士神の聖騎士である自分が女性と真っ当に関係を結ぶには婚姻が大前提であると思いきっていた。
事実、冒険の最中もブラッドやローランドが娼館に行く際に度々誘いを受けたが、聖騎士たる自分が妻以外の女性と同衾は出来ないと言って全て断った。
その後も、様々な機会に様々な女性から誘いを受けたこともあったが同じく全て断っている。
婚姻から三年…王妃と同衾する機会が訪れないまま今に至り、故にまだ彼は女を知らない。また、恋愛経験も女性経験も無い自分が十五歳になった彼女と同衾して事に及べる自信はなかった。
だが宰相や後宮の女官長やミドラスからも世継ぎをせっつかれている。レックスもそろそろ年貢の納め時だという事は自覚していた。
(ブラッドやローランドならどうするだろうか…)
ブラッドならおそらくは初夜で行為に及んでいる気がする、ローランドなら相手が十五歳になったなら問題なく行為に及ぶだろう。
対して未だに自信がない自分、レックスは懊悩する。
『問題があるなら何故相談してくれないんだっ!僕達はそんなに頼りないのか?』
自分が友に言った言葉が痛かった、己の刃で己を刻んでいるかの様であった。
だが二十五歳の結婚した男が未だ純潔という深刻な事実は、心を許しあった仲間たちにも容易に打ち明けられるものではなかった。
(言うべきか、言わざるべきか。いや、悩むよりも…)
この様な場合、状況を打開するのはまず行動である。レックスは長い冒険の中でその事を学んでいた。
彼とて健康な成人男性としての正常な欲求、欲望はある。ならば十分に成人した美しい女性となったマルヴィナの元へ行って本能に身を任せれば良いのではないか?
レックスはブラッドの奔放な姿を見て思いついた。
(よし…こういう時は、まず決めてしまう事だ。三日…いや五日、いや七日後に後宮に渡ると女官長に伝えよう)
後宮に王が渡ると言う事は王妃と同衾をすると言う表明であった。
「騎士神よ…どうか慈悲と恩寵を賜らんことを」
レックスは丸卓の酒杯を一息に煽って葡萄酒を飲み干すとそのまま寝台へ向かった。
翌朝早くに、女官長にその旨を伝えて後宮がにわかに騒がしくなる。
そして七日後の夜、レックス・ミトランド・エリニシディア三世はまるで竜退治にでも行くかの様な表情で後宮に入った。
◇◇◇
前回仲間達と語り合った後、ブラッドはミドラスに引き止められ、暫くの間は王都に残る事にした。
そしてアレクシスとも相談して男爵邸の物件が見つかるまでの間は、王都のフィデリア伯爵邸で厄介になる事なった。
そして十日後の朝。
伯爵邸の豪奢な寝台のある夫婦用の寝室でブラッドは目を覚ました。
窓から入る朝日が自分の隣で眠るアレクシスの美しい髪と裸身を照らしている。
(良い…)
美しい妻の艶やかな姿を眺めながら、全身に満ちる満足感と昨晩の彼女を思い出しブラッドは幸福を噛み締めた。
(ミランディアにはもう頭が上がらぬ、礼はどうしたらいいものか…)
アレクシスがミランディアから貰った薬は良く効いた。
詳細は話してくれなかったが本当に良く効いたらしい。
そして昨晩。彼女は素直に求めに応じてくれ、まるで蕩ける様な睦み合いとなった。
余りに反応が良かったので何度も欲望のままに求めたが、アレクシスに最後まで拒む様子は無かった。
「うぅん…」
窓から射す光から逃れるように寝台にうつ伏せになる彼女の髪をそっと撫でる。
(もう暫くはこのままで…)
そうしてブラッドが幸福を噛み締めていると、不意に部屋の隅に置いてあった装備の中から鈴が小刻みに鳴る様な音が響く。
「ぬぅっ?!」
「うぅん……何?ブラッド…なんの音?」
ブラッドが慌てて寝台から降り、装備の中を探ると腕輪から鈴の鳴る音が響いている。その腕輪には六つの小さな玉が繋がれており、その中の白い玉が鳴動し鈴の様な音を奏でていた。
「レックスからの緊急の呼び出しだ!アレクシス、お前はこの屋敷に居ろ!」
「何?どういう事…?陛下からの呼び出し?」
「そうだ!以前にこの呼び出しがあった時は激しい戦いになった!すぐには帰れんかも知れん!」
そう言って衣服を着て装備を身に付けていくブラッド。
「何があったの…?」
「わからぬ!だがレックスが呼び出す時は毎回火急の要件だ!」
ブラッドは素早く全ての装備を身に付け、いつもの灰色の外套を被る。
そして未だ寝台に横たわるアレクシスに近づき、抱き寄せて深く口吻を交わす。
「ん……」
その求めに素直に応じるアレクシス…ややあって二人は離れた。
「えぇっと…あの…その、いってらっしゃい」
そう言ってはにかむ様な笑顔を見せる。
「夫を送り出す時は常に笑顔で」ごく短い母の薫陶を彼女は覚えていた。
その笑顔を見たブラッドも奮い立ち全身に気力と闘志が漲る。
「必ず戻る」
相手が竜だろうが巨人だろうが魔神だろうが、討ち滅して妻の元へ帰る。
全身に闘志が満ちたブラッドは、矢の様に伯爵邸を飛び出して行った。
◇◇◇
「僕はもう駄目かもしれない」
いつもの花園の白い小部屋で呻くように言ったレックスの顔は、まるで死病に冒され余命を告げられた老人の様に重苦しい。
その横に立つミドラスはなんとも言えない困った表情で悩んでいた。
朝に弱いミランディアはまだ来ていない。
故に部屋に集まったのは男が四人。レックス、ミドラス、ローランド、そしてブラッドである
「何があった!」
最後に部屋に入ってきた完全武装のブラッドがレックスに問いかける。
いつもの様に壁にもたれたローランドもその表情は険しい。
緊急の招集の後はいつも大事になるからだ。
「僕は病気かもしれない…」
「レックス、それは病気ではありません。大丈夫です、だから落ち着いてください」
ミドラスが気遣う声を上げるもレックスの表情は晴れない。
「だが、現に僕は出来なかった!おかしいだろうっ?!男なのにっ!欲望はちゃんと覚えていたのにっ!」
俯き頭を抱えて叫ぶようにして言うレックス。
かつて無いその狼狽した様子にブラッド、ローランド共に危機感を覚える。
悪魔王と戦う事になった時も、勇気を奮い起こして仲間たちを鼓舞していたレックスからは考えられない狼狽ぶりだった。
「詳しく話せ。事情が飲み込めん」
「ブラッドの言う通りだ、話してくれ」
レックスは二人の真剣な表情を見て、まるで罪を告白する罪人の様な顔でぽつぽつと語りだす。
ややあって彼の口から全ての顛末が語られた。
話が終わった後、ブラッドとローランドの顔が険しい表情から一変して、なんとも生暖かい笑顔になっていた。
「レックスは本気で悩んでいます。茶化さないように」
ミドラスから二人に注意が飛ぶほどに、二人の表情は緩みきっていた。
「だってなぁ…」
「ああ」
顔を見合わせて頷き合う二人。
その表情には安堵と落胆と憐憫が入り混じった生暖かい笑顔が浮かんでいた。
「すわ何事かと急いで来たら…『ヤろうしたら勃ちませんでした』って言われたらなぁ」
「うむ。拍子抜けしたぞ」
『勃ちませんでした』の一言を聞いてレックスの表情が真っ白になる。
「ローランド…」
見る見る萎れていくレックスの顔を見てミドラスが非難の声を上げた。
「悪かったけどよ、解決方法なんて決まりきってるじゃねーか」
「うむ」
ローランドの言葉にブラッドが同意する。その表情は確信に満ちあふれていた。
それを見てレックスが顔を上げる。
「ぼ、僕はどうすればいいんだ?」
屠殺所に連れて行かれる子豚の瞳で二人に助けを求めるレックス。
国内はおろか諸外国からも賢君、名君としての評価も高い若き王の面影はまるでなかった。
だだの苦悩する男に成り果てていた。
「「娼館に行け」」
ブラッドとローランドの声が重なった。
「娼館ッ?!そ、それは不貞ではないかっ!僕は王妃がいる身だぞッ?!」
その言葉に反射的に反駁するレックス。
「不貞の前にまず契れていないではないか、このままでは世継ぎが出来ぬぞ」
「ま、そうだな。まずは自信を付けて事に当たれ。剣術でも練習するだろ?それとおんなじだ。なにも変わらん」
「大体にして娼館に行く聖騎士も普通に居る。だが聖騎士の資格を剥奪されたりはしていない」
「色恋で派手にやってる聖騎士も結構居るしなぁ。お伽話の泉の聖騎士なんて王妃と恋仲になってるぞ。最悪の例だけどな」
一概に聖騎士の全部が全部、レックスの様な清廉な生活をしていると言う訳ではない。
普通に色恋を楽しむ聖騎士も居れば、レックスの様に清廉潔白に生きる聖騎士もまた多い。
また妻帯者にもかかわらず、私生児が居た聖騎士も過去には居る。さらには愛欲を司る神に仕える女性の聖騎士などは、修練の一環で神殿娼婦として多くの男の欲望を受け止めたりしている。
一口に聖騎士と言っても様々であった。
そしてレックス場合、守護神が騎士神であるだけに、彼自身もまた極めて潔癖で清く正しく生きてきたという事であった。
「う…うぅ」
突き付けられる事実と経験者二人の攻勢。
そして二人の勢いは止まらない。
「経験豊富な方が良いだろうから、『黄金郷』とかどうだ?」
「む、悪くはないが王妃の年齢を考えると『妖精郷』の年若い娼婦が良いのではないか?」
「一理あるな。おいレックス!王妃様ぐらい若い女と、お前と同い年ぐらいの女。どっちがいい?」
「そ、そんな事を言われても困るんだが…どうしても行かなければダメか?」
「ダメだ」
「大丈夫だ、相手は本職だ。かならずヤれる、心配するな」
ブラッドが珍しく即座に否定し、ローランドはイイ笑顔で卑猥な指の形を作って動かす。
ミドラスが沈痛な面持ちで、どの様にしてこの馬鹿二人を止めるかを考え始めた時、救いの手が差し伸べられた。
「『雷よ、在れ』」
大理石の部屋の入り口から、二筋の雷が馬鹿二人に迸った。
「ぐぉっ?!」
「がはぁ?!」
二人に極太の雷撃が直撃し、焦げ臭い匂いが部屋に満ちる中、悠然と入ってくるのはミランディアである。
今日も、とんがり帽子を束ねた髪に乗せて、美麗な容貌に薄化粧を施し、豊かな肢体をきわどい衣装に包んでいた。
彼女は杖をついて悠然と進み、突然の電撃で地面に転がった二人に蹴りを入れ始める。
「あんた達ッ!みたいなッ!薄汚れた馬鹿共とッ!清純なレックスをッ!一緒するんじゃないッ!」
地面転がった二人に喋りながら、数発ずつ蹴りを入れて叱り飛ばす。
「いきなり何をする、痺れたぞ。あと蹴るな」
「馬鹿野郎!蹴るんじゃねぇ!こっちは真剣なんだ!話を知らねぇ奴は引っ込んでろ!」
焦げ臭い煙を立ち上らせながら床から立ち上がり抗議する二人。
普通の戦士なら軽く五人は死んでいる電撃も二人にとっては然程痛痒がない。
「話なら最初から聞いてたわよッ!」
そう言って指を挿した先には温室の外、近くの木の枝に一匹の鴉が止まっていた。ミランディアの使い魔である。
使い魔の鴉とミランディアは視覚と聴覚を共有する事が出来た。
眠い頭を抱えて身支度をしながらも、使い魔を飛ばして様子を伺っていたという訳である。
「あんた達、王に娼婦を勧めるとか真性の馬鹿なのッ?」
「何がおかしいってんだ!男に自信を付けさせるには一番の手だろうが!」
「そうだ。何の問題がある」
二人の抗議を聞いて深い溜息を漏らすミランディア。
「あんた達ね、その娼婦が孕んだらどうなるかわかってんの?」
「あ…」
ブラッドがしまったと言う顔をする。
確かに相手をした娼婦が孕んだならば大変な事になる。
王の私生児が一人生まれるのだ、王宮はひっくり返るだろう。
「いや、お高い店の娼婦って大方は避妊の魔法薬とか飲んでるだろ?」
だがローランドはそれに抗弁する。
「相手が国王と知っている娼婦が服用をしなかったら?逆に豊穣の霊薬でも飲んで妊娠しようとしたらどうすんのよ」
「うっ…」
ローランドが言葉に詰まる。
豊穣の霊薬とは豊穣の神の神殿で子供が授かりにくい夫婦などに授けられる水薬の事である。高価ではあったが市場にも一部出回っていた。
「付け加えて言えば…陛下が娼館に出入りしていると知れると一大事かと。また王宮に上げるのも論外。宰相、大臣、家臣、そして王妃様。娼婦を抱いたと知られて良いものですかね?」
黙っていたミドラスが口を開いた。
その影響は計り知れないと、馬鹿二人の攻勢に揺れていたレックスを諭す。
「困る。誰に知られても良い…けれどマルヴィナに知られるのは困るよ」
三年も王妃として勤め、様々に政務に助力して貰っているレックスは王妃との関係が壊れるのが嫌だった。
ただでさえ先日の閨事で大失敗したのに、これ以上の失敗はできなかった。
「ではどうする。何か策があるのか?」
大理石の椅子に座り直したブラッドがミランディアを見て問いかける。
ローランドも何時もの位置の壁にもたれた。
「無い事もないわ。でもその前に…レックス。昨晩の前に王妃様と話したのはいつ?」
「ん?多分、その日の朝食の時間だったと思うが…何故そんな事を?」
「その前は?」
「晩餐会の時に少し話したか。友人が結婚したとかなんとか…」
ミランディアの眉間に徐々に皺が刻まれていく。
「夫婦の会話の時間とかそんなの取ってる?」
「ん?そういうものは無い様な…ああ、朝食の時に話すのが日課と言えば日課だな」
ブラッド、ローランド、ミドラスも何やら重たい空気を醸し出し始める。
「最近した一番長い会話でどのぐらい?」
「ふむ…半月前ぐらいに政務中にお茶を持って来てくれたな、季節の花の話題でお茶を飲み終わるぐらいまでは話したかな?時折、お茶を持って来てくれるんだ」
なんの悪気もなくレックスが話す中、場の空気は鉄の如く重くなっていた。
そんな空気の中、ローランドが最初に声を上げた。
「悪りぃ、俺が間違ってたわ。こりゃ自信とかそういう問題じゃねぇわ」
「そのようだな」
「ごめん、これだとあんた達の策もそう悪くないわ。幻術使えば顔はバレないし」
「いやはやなんとも…」
四人の冷たい視線がレックスに向けられる。
「ど、どういう事だ?」
仲間たちの冷たい視線を浴びて狼狽えるレックス。
この期に及んでレックスは事態の深刻さを理解していない。
「レックス、王妃様に愛の言葉を囁いた事は?」
ミランディアの言葉が追い打ちをかける。
「愛の言葉…夫婦になる前にするような事は…あれ?」
記憶に無い。
レックスは結婚当初に「これから一緒に頑張っていきましょう」ぐらいの言葉は掛けた記憶はあるが、愛の言葉など王妃に囁いた覚えはない。
常々かける言葉も励ましだったり労りの言葉はあったが愛の言葉はない。
皆無である。
「な、無い…」
ようやく事態の深刻さを理解したレックス。
青ざめた顔で顔を抑える。
ここに至って、三年間王妃として立派に務めてきたマルヴィナと、愛を交わそうとした事が皆無であると気づく。
「あんたねぇ。この年がら年中薄汚い外套を着たきり雀の小汚い裏路地の犬みたいなブラッドでさえ、お嫁さんには愛の言葉を捧げるのよっ!聖騎士の中の聖騎士たるあんたがそんなんでどうするのよっ!」
ビシッとブラッドを指差して指摘するミランディア。
「………」
その言葉にしょんぼりした顔になるブラッド。
まさに叱られた裏路地の大型犬の様な有り様であった。
(なにも彼を引き合いに出す事は無かったでしょうに…酷い)
ミドラスが顔に手を当てて内心抗議する。
言われた本人のレックスは口に手を当てて青い顔で俯いていた。
「おい馬鹿やめろ、言いすぎだ」
レックスとそしてブラッド。二人の様子を見てローランドが慌てて止めに入る。
「僕は…僕はどうすればいい?この三年、マルヴィナに夫婦らしい事は何もしてやれてない…」
そのつぶやきにミランディアが豊かな胸を張って答える。
「あんた達、逢引しなさい」
その表情は自信に満ち溢れていた。