戦士は如何にして憂鬱な日々を克服するのか
夏の終わりの山間部の麦畑。
豊作の予感をさせる程に青々と実り、秋の訪れを待つばかりといった風情である。
その見事な小麦畑の真ん中にある、素朴な農家の一軒家は一見すれば平穏そのものに見える。
だが一軒家の中は惨劇の真っ只中であった。
家の中には血の臭いが広がり、部屋のあちらこちらに食い残し等のごみが散乱している。
腰回りや手元に長剣を帯びた不潔で胡散臭い男二人が丸卓を囲んでだらしなく椅子に腰掛けていた。
時折下卑た声で笑いながら葡萄酒の大瓶を口に運んで下卑た笑い声を漏らす。
「どん百姓の癖にたんまり持ってやがったなぁ」
嬉しげに笑う賊の頭目が卓上に積み上げられた金貨を舐めるように見つめてそう言う。
部屋の隅には斬り殺された農夫の死体が転がっており、苦悶に満ちた顔には溢れんばかり無念さが張り付いていた。
「ですな。しかも妻も若い娘も居るときたもんだ」
頭目の正面に座った男が下卑た笑い声を漏らして応える。
奥の部屋からは時折、男たちの卑猥なヤジと笑い声が聞こえて来る。何が起こっているかは察するに余りあった。
奥の部屋から聞こえた悲鳴を肴に、再び頭目が下卑た音を立てて葡萄酒を飲み干したその時である。
突然、轟音を立てて農家の家の扉が弾け飛んだ。
弾け飛んだ扉はあまりの剛力の為に、頭目の頭を掠めて飛んで奥の壁に共に叩きつけられ、家中に響く程の音を立てる。
男が扉を蹴り飛ばしたその脚を下ろして、悠然と家の玄関から入ってくる。
大きな男であった。
猛獣の様な見事な筋肉に覆われている事が一目で分かる大きな体躯である。
その体躯の上から、足元まである覆い付きの濃い灰色の外套を目深に被り、その外套の奥には重厚な鉄兜が覗いている。鉄兜の奥の顔は灰色の濃い髭に覆われており表情を伺うことが出来ない。
だが蝋燭の光を反射して光る鳶色の瞳が、猛獣の様に盗賊達を睨めつけていた。
外套の下には上等な作りの艶のある漆黒の鎖帷子を着込んでおり、その漆黒の鎖帷子が男の膝までをしっかり覆っている。鎖帷子の腰の上から太い革帯を分厚い鉄の金具で締めて、後ろ腰に革帯で革鞄を下げていた。
太く強靭な両手には漆黒の革と鋼で作られた重厚な手甲を嵌めており、腕よりもさらに野太い両足にも同じ作りの漆黒の脚甲を履いていた。
そしてだらりと下げられた左右の手には一振りずつ、一対の大振りの戦斧が握られている。
「居たか」
男は小さく漏らしたかと思えば、驚いて言葉すら忘れている頭目に刹那の速さで近づき、右の戦斧を振るった。霞むほどの速さで振るわれた戦斧は、頭目の首筋を真横から切り裂いて両断し、首と胴を真っ二つにする。
切り離された頭は、弧を描いて宙を飛び床に転がり、頭目の驚いた目が天井を向いて止まった。
数瞬の後、頭を切り離された胴体が派手に音を立てて床に転がり、切断部から派手に血が吹き溢れて行く。
「な、なぁっ?!」
賊の男は頭目が殺された事に動揺して動けない、だが外套の男はそれを見逃さない。金貨の乗っていた丸卓を、太い足で蹴り飛ばして賊の男に叩きつける。
音を立てて金貨が散らばる中、丸卓の一撃を食らった賊の男は壁に叩きつけられ床に倒れ伏す。
うつ伏せに転んだ賊の男の頭の上から左の戦斧が叩きつけられる。
「えひっ!」
短い声を上げた賊の男の頭はまさに斧で果実を割るようにして割れた。
勢い余って床まで刺さった斧を強引に抜くと、頭を真っ二つに割られた男が脳漿を床に零して痙攣する。
その音に気づいたのか奥の部屋の扉が派手な音を立てて開き、全裸の男が剣を持って出て来た。
「なんだてめぇは!」
全裸の男が罵声を上げた時には既に外套の男は踏み込んでいた。その右手の戦斧が全裸の男の胸を一颯、肋骨ごと心臓を真横に断ち割られ、派手に血しぶきを上げて床に倒れる。
そして二度三度大きく痙攣すると動かなくなった。外套の男は動かなくなった男の死体を踏みつけ部屋に入った。
男が部屋に入った後、派手な音と悲鳴が何度か部屋から響き、やがて静かになった。
結局、男がこの農家を去った時に残ったのは賊の死体が六体。
そして賊に襲われ夫を殺された不運な農家の妻とその娘だけであった。
◇◇◇
男は一番近い街の衛兵隊詰め所に頭目の首を引き渡し、被害に遭った家が複数ある事を伝えるとさっさと衛兵隊の詰め所を出ようとした。だが、出る途中で衛兵隊の隊長に呼び止められて賞金の金貨の袋を手渡される。その袋を無表情で見やって無造作に鞄に突っ込むと今度こそ詰め所を出た。
この後の予定は決まってる、酒場で飲むのである。戦いで昂った血を癒やすのは酒と女しか無い。女はまだ日が高い、となれば酒である。
助かった女達も今後は悲惨だろうという事も外套の男に酒を渇望させる理由になっていた。確かに妻と娘は助かったが、農業は母一人、子一人でやっていけるものではない。広ければ広いほど男手が必要になる。数年は持つだろうがその後は厳しいだろう。
所詮やっている事は気まぐれな人助けに過ぎない…そんな気分でもあり、無性に酒が欲しかった。
街で一番上等な酒場に入ると店主がぎょっとした顔で外套の男を見た。
薄汚い男が入ってきた、そう思ったのだろう。
慌ててやってくる店主の眼前で有無を言わさず数枚の金貨を丸卓に叩きつけて黙らせる。そうして笑顔になった店主に一番上等な酒と三人前の料理を注文して待つ。
少しばかり待つと上等な衣装の酒場娘が持ってきた麦酒が丸卓に恭しく置かれる。それを口に含み味を確かめながら外套の男はとある考えに耽っていた。
外套の男の名前はブラッド。
正式な名前は少し長いが、ともあれ名前はブラッドである。
ブラッドはなぜ自分だけ他の者達と違うのだろうと考えていた。他の者達とは市民達や他の戦士達や、ましてやあの盗賊達の事ではない。
同じ徒党を組んで居た仲間たちの事である。
ブラッドは数年前まで冒険者として仲間と徒党を組んで吟遊詩人が歌うような英雄譚の大冒険をしていた。
竜の首を狩り、巨人を屠り、虐げられた民を助け、妖精界や地獄を行き来し、様々な善行や偉業を成した。
素晴らしい栄光の日々だった、ブラッドはそう思う。
それが今や徒党の皆はブラッド以外はすっかり落ち着いてしまっていた。
徒党の指揮役である聖騎士レックスは王になってしまった。元々前王の妾腹の血筋という出自もあり、紆余曲折の末に王位を継ぐ事になった。
彼が主人公の英雄譚。悪魔王の化身を討ち、地獄へ送り返す物語は国で知らぬものは居ない。
国中で救国王だとか護国王だとか言われている。
徒党の知恵役である魔術師のミランディアは、王都に自分の研究用の塔を立てて引篭っている。彼女は念願の研究に没頭できる場所と資金を確保したと言っていた。そして時折レックスに助言をしている様である。
まさに悠々自適の生活であろう。
徒党の斥候役であり長弓とあらゆる罠の達人であった森妖精のエランは自分の森へ帰った。ブラッドは彼がそろそろ旅を終えてゆっくりしたいと言っていたのを覚えていた。
今頃は恋人と長い逢瀬を楽しんでいるだろう。
徒党の回復役でもあり高司祭でもあるミドラスは王都の大神殿で最高位神官になるべく、さらなる修行に励んでいる。彼もまたレックスの良き相談役としてその叡智と慈愛で手助けしている。
ミドラスらしい献身の仕方である。
徒党の防衛役である槍と盾の名手であるローランドは近衛騎士になり、男爵位も得て王宮勤めをしている。「俺は騎士になる」との言葉が口癖だった彼は夢を叶えていた。
そして次の目標は近衛隊長らしい。
そして自分である。
ブラッドには特に夢や希望は無かった。
冒険者になったのはレックスに付いて行けば、素晴らしい何者かに成る事ができると直感的に思って徒党に入っただけなのだ。
確かに強き戦士としての名声と地位は手に入った。
そしてレックスは王になってから、ブラッドに男爵の爵位と領地を下賜してくれた。
一応は受け取ったが、経営は代官に任せっきりである。
そもそも辺境の山で育った樵の養子であるブラッドに領地経営の手法などある訳がない。
その辺も考慮してレックスは代官も手配してくれていたが、そうなると結局ブラッドにはやる事が何も無いのである。
そして今現在、ブラッドは何をして良いか分からない。
王国の僻地や国境沿いなど荒れやすい土地を巡っては、害をなす怪物や山賊などを狩っているが、やる事が無いから仕方なしにやっているだけに過ぎない。
極論を言えば暇つぶしである。
かと言って領地で代官に領地経営の手法などを教わっても、そもそも理解できない。無駄に広い屋敷で昼寝をして、昼から酒を食らっていても心は晴れない。やれる事は戦斧の修練ぐらいである。
出来うるならばまた冒険の旅に出たい、心底そう思う。
だが冒険の旅に出ようにも仲間が居ない。
ブラッドは自分一人では大した事を出来ない事を知っている。皆で成し遂げた大冒険、例えば妖精界に出向いて精霊王の助力をしたり、地獄界に行って捕らわれた無辜の魂を救出するなどという事が出来る訳がない。
精々が国内の僻地で適当に悪党等や怪物を狩るぐらいである、それならば知恵や魔法は要らない。鎧兜と二振りの斧があれば良いのである。
そうやって結構な数の賊や怪物を討伐したが、結果的には自己満足の憂さ晴らしに過ぎなかった。
それがブラッドを苛立たせる。
「ふぅ…」
上等で美味い麦酒ではあったがブラッドには酷く苦い物に感じられた。
その後は街で一番上等な娼館に繰り出し、美女を相手に存分に欲望を吐き出す。
宵から夜半まで欲望のままに貪った後、豪奢な寝台に横になる。散々に欲望を吐き出して冷静になった後、ふと王都の事が気になった。
特に目的がある訳ではなかったが、無性に仲間たちが居る王都へ戻りたくなったのだ。
ブラッドの脳裏に悪魔王の化身を倒して凱旋した時の思い出が蘇る。思えばあの時が自分の絶頂期だったのだろう。伝説の冒険者の一員として堂々たる勝ち戦での凱旋。歓喜する民衆と手を降ってそれに応えるレックス達と自分。
あの栄光の瞬間が蘇る。
(そういえばレックス達はどうしているだろうか…)
もはや王と臣下の関係である、簡単には会えない。
だが無性に会いたくなる、あの真面目一辺倒の顔が変わっていないかどうか見てみたくなった。
無論、他の仲間達にも会いたくなった。そんな事を考えてると眠気で思考が遠くなっていく。ブラッドは横で寝ている娼婦の豊かな乳房を掴むとそのまま抱き寄せて眠りに入った。
◇◇◇
王都エリニシアは古都である。
古くは一大帝国を築いた大王が、首都としていた都市であり、その歴史は古い。故に何十にも囲まれた外壁で都市全体が区画されており、表通り、裏通り、貴族区画、神殿区画、墓地区画、商業区画、繁華街区画、外縁部から食い込んだスラム等などに壁で分類されていた。
ブラッドが一番外縁にある大門を通ろうとすると衛兵の中に敬礼をする者が居る。王の親友であり伝説の冒険者の一人でもある戦士である事を覚えていたのだろう。その男に止めてくれと手を振りながら、外套の頭覆いを深く被り直す。騒がれるのは好きではない。
そのまま大通りを通り一直線に進めば王城だが、その間に越えなければならない門が幾つかあった。王城までは今通った大門、その後にしばらく歩くと見える中門、そして最後の城門の三つを潜らねばならない。
ブラッドは中門まで雑踏に紛れて歩みを進め、中門の前で立ち止まった。
この先は貴族区画である。
レックスに会いたいという思いと、見知った貴族に会いたくないという思いが綯い交ぜになる。
新興貴族。それも王の推挙で冒険者から成り上がった、完全なる成り上がり者のブラッドは貴族達から酷く評判が悪い。
おそらく元々が下賎な樵の養子と言うのも嫌われる理由なのだろう。様々な貴族に会う度に貴族らしい婉曲な手法で嫌味を言われ、戦斧で頭から叩き切るのを我慢するのに苦労するのである。
結局、足は先に進むのを諦めて近くの酒場へ向かった。
中々に器量良しの酒場娘に案内されて、奥の席に座ると麦酒と食い物を多めに注文する。素早く出てきた麦酒と腸詰めと野菜の煮込み、そして蒸した芋を食べながら今後どうするかを考える。ここで無駄な考えに大幅に時間を潰すことになった。
自分が考えて答えを出す性質の人間でない事を完全に忘れていたのである。
結局、麦酒をしこたま腹に詰めて行った場所は神殿地区だった。
友であり、主君でもあるレックスに会う前に、まず宮廷司祭でもあるミドラスに会いに行く事にしたのである。
そうして彼の居るこの区画に酒の臭いをさせたまま踏み込んだ。
神殿地区に入ると白い大理石で出来た壮麗な神殿が幾つも立ち並ぶ中にひときわ大きく豪奢な神殿があった。ミドラスの信仰する戦神の神殿である。
ブラッドは白磁で出来た巨大な聖遺物の様な神殿を見上げて、薄汚い自分が来てはいけない場所に居る様な気分になった。
だがその気持ちを我慢して、荘厳な戦神の神殿の真っ白な階段を登っていく。時折訝しげにこちらを見る神官の視線がブラッドを何度も突き刺していく。
居心地の悪さを抱えながら神殿に上がって、神殿前の喜捨箱を持つ神官に歩み寄る。すると神官がブラッドを見てビクリと体を震わせる。
喜捨箱を強盗するつもりだと思われたのか、青い顔の神官は力を込めて喜捨箱を握りしめた。近づいて黙って金貨を一枚ばかり喜捨箱に入れると、神官の態度が豹変してお決まりの聖句を吐く。
ブラッドは一応は戦神を信仰しているが、どうにも神殿の居心地が悪くて好きになれなかった。なんとも言えない沈んだ気持ちで神官の聖句を聞いていると背中から声がかけられる。
「ブラッドではないですか」
よく通る太い声だった。
声だけで分かる、この声はミドラスだ。
振り返ってミドラスの姿を見ると、丁寧に刈り込まれた黒髪に神官帽を乗せ、大柄な体を壮麗な大司祭服で包み、全身から威厳と威徳が溢れんばかりに発散されている。
ブラッドは無意識に自分と戦友を比較してしまう。灰色の外套を被った自分が酷く薄汚い存在に思えてしまい、さらには場違いな所に来てしまった後悔で心が満ちる。
「あ、ああ…久しぶりだな…」
後悔と劣等感、そして疎外感で打ちのめされたブラッドはありふれた返事しか返せない。
「少し酒を飲んでいるようですね。大丈夫ですか?いつもの覇気が無いですが…」
ブラッドから漂う匂いで酒を飲んでいる事を察するが、それでも労るような声で彼を心配するミドラス。
「いや、大丈夫だ。酔い過ぎはしていない、酔って神殿に来てはいけなかったか?」
「あまり、褒められた行為ではありませんが、正気を保っているのなら目をつぶりましょう。してこの戦神の大神殿に何用ですかな?」
仲間に会いたかった。調子はどうだ?元気でやっているか?
言いたい事は多くあれど、思うように口から言葉が出てこない。
輝かんばかりの栄光に満ちたミドラスと、何の希望も見いだせない惨めで薄汚い自分。その落差が激しくブラッドを打ちのめし、口を固く引き結ばさせる。
「いや…特に用事はない。邪魔をした」
ブラッドはどうにかそれだけ吐き出すと逃げるようにして大神殿を後にした。
◇◇◇
神殿区画から出て最初に見つけた上等そうな酒場に入り、一番高くて強い酒だという琥珀色をした蒸留酒を瓶で注文する。それを水の様に飲みながら、胸のわだかまりを酒で冷ましていく。
酒場が看板になるまで飲んだ後、歓楽街の方へ自然と足が向く。娼婦が欲しい気分になれば買えば良いし、更に酒が欲しければどこか開いてる酒場があるだろう。
高い蒸留酒を飲んだのが良かったのか、まだ気分は悪かったが、前より幾分ましだった。
(偉大なるは酒の力か…)
そんな事を思いながら路地を歩く。
大分飲んだが足取りは確かだったし、視界も揺れていない。元々少々の酒で酔い潰れる体ではない。
路地に入りまっすぐ歓楽街の方向へ歩いていると、前に三人程男たちが出てきた。後ろをちらりと見ると後ろにも二人出て来ている。どうやらこの人数でブラッドを囲んでいるつもりらしい。
微妙に頭が働かないので黙っていると前に出てきた男の一人が話しかける。
「兄ちゃんさ。痛い目は見たくないだろ?」
短剣を手で弄びながら近づいてきた。紛うことなき強盗である。国法では貴族に対する強盗行為は通常の強盗より罪が重い。
この場で処断する権利も一応は男爵位を持つブラッドにもあった。
(やれるな…)
そう思った時には既に動いていた。
ブラッドの手が霞むほどの動きで外套を跳ね上げ、腰の革帯に金具で留められている戦斧の柄を掴んで抜き打つ。
大上段に振り上げた戦斧が美しい弧を描いて落とされ、声をかけてきた強盗を頭から股間までを一撃で両断する。
強盗は半分にズレながら頭から脳漿と血を吹き出し、腹からは臓物と血を零しながら二つになって倒れる。転がった男の体の間から路地に血が広がってゆく。
「がはぁ…」
ブラッドは酒臭い吐息を吐き出して、酔漢特有の坐った目で周りの物盗りを見やる。何事をかを叫びながら前の二人が短剣を抜いて襲いかかって来た。
だがブラッドにはその叫びを認識する意欲と力がない。
猛獣の様な脚さばきで、先に襲いかかってきた方の強盗の短剣を躱しざま、その首を右の戦斧で切り飛ばす。強盗の首が宙を飛んで路地に鈍い音を立てて転がった。次に襲いかかってきた男も同じように短剣を躱して左の戦斧で首を飛ばす。反対側の路地にも首が転がる。
「ぶはぁぁぁ……」
酒臭い息を吐く間に、二つの首の無い胴体が血を吹きながら倒れた。
ブラッドは数歩ばかり歩いてから後ろを振り向き、残った二人を睨めつける。
彼の視線と、あっと言う間に殺された三人を見て、後ろの強盗二人が逃げようと踵を返すが既に遅い。
猛獣の様な速さで疾走、後ろから右の男の首を右の戦斧で、左の男の首を左の戦斧で切り飛ばす。切り飛ばされた首が鈍い音を立てて地面に落ちる。
これで都合四個の首と四つ胴体、それと二つになった体が路地に転がった事になる。
「ふぅぅぅ……」
戦いとも呼べない戦いを終えると、大きくため息をついて戦斧を腰の金具に留めると路地に座り込み、もう一度大きくため息を付いた。
「はあぁぁ……」
今更ながらに自己嫌悪が湧いて来る。確かに戦っている最中は高揚感も充足感もあった。だが、別に殺さなくても良かった、どう考えてもただの八つ当たりである。
何かに力をぶつけたい気分で、調度良く殺しても良い相手が来ただけなのだ。
ブラッドには複雑に過ぎる感情に悩んでいると、警邏の衛兵が鉄製の脚甲を鳴らしてガチャガチャとやってきた。直ぐに血臭と臓物の匂い、そして路地に転がる五つの死体を見つけて大騒ぎし始める。
そうしてしばらく騒いだ後、路地に座っていたブラッドを発見し、斧槍を向けながら問いかけて来た。
「これはお前がやったのか?!」
「ああ…」
夜空を見上げながら、何気なく答えるブラッド。
何気なく月を見たい気分だったのだ。
「酒を飲んでいるのか…殺人容疑で連行しろ!」
こうしてこの夜、ブラッドは衛兵詰め所の牢で一晩過ごす事になった。
◇◇◇
格子窓から差す光で目を覚ます。
自分の体から臭う酒臭さに閉口しながら、鎖で壁から斜めに吊るされた粗末な木の寝台から起き上がる。
牢屋もこうしてみると悪くない環境かも知れない。匂いが少し大変だが、雨風がしのげて寝床もある。虫も蚤や虱ぐらいだ。
雪山の岩の影で毛布を被りながら風雪から身を護ったり、虫や蛭が全身の肌を刺す沼地での一夜などから比べれば雲泥の差だ。
やはりここは文明圏であると自覚する。
そんな事を考えて居ると牢に衛兵が入ってくる。
「ブラッド・ブラディネス男爵。釈放です」
衛兵は顔を強張らせ直立不動で答えた。
ブラッドは丁寧な物腰の衛兵に案内され、没収された装備を返して貰い身に付けた。
その後は、応接間の様な別室で衛兵長とあの場で起こった事の事情聴取をした。
近くに居た物乞いが一部始終を見ており、相手が最近スラムで流行っている強盗だという事が既に判明していた。
そしてブラッドが身につけていた武具が最高位の魔法の品という事、特に二丁の戦斧と男爵の紋章がブラッドの身元判別に役立ったらしい。
「我が国広しといえどもこれだけの戦斧を二振りもお持ちになるのは、貴方しか居ませんからね。これからは深酒を控えて強盗の皆殺しはお止めください。また、可能であれば一人事情を説明できる相手を残して置くと我々も処理が楽になります」
そう苦笑いしながら衛兵長は送り出してくれた。
詰め所を出てから酒臭い事を思い出し、近くの住宅地にある井戸で裸になって体を洗い口を濯いだ。
遠巻きに主婦らしき女達が恐ろしい物を見る目で見ていた。
素早く体を洗い終えると体を拭き、装備を身に付けて移動する。目的地は昨夜の内に牢屋で決めていた。
向かう場所は墓地である。
都市でも外縁部の一番外側にある墓地は緑が豊かで、まるで森の中に居るように錯覚させられる。その墓地の貴族の墓が並ぶ場所に白い大理石で出来た立派な墓がある。
イグネス・ブラディネス。ブラッドの養父である。しかしブラディネスは男爵名だから養父の名はただのイグネスである。
ただの樵でしか無かった養父の墓が此処にあるのはわざわざ王都に移したからだ。養父は山が近くに無い事に不満を覚えてるかもしれないが、生まれ故郷の山は遠すぎる。せめて養父の墓は頻繁に来る王都に欲しいと移し替えた。
温厚で優しかったが、時折苛烈で従軍経験もある養父に幼い頃から戦う術を教わった。二丁の戦斧を扱う術は養父から譲り受けた彼の数少ない誇りの一つである。
養父との日々を懐かしく思い出しながら摘んできた花を供える。
「親父、俺はどうしたらいい?俺はとても苦しくて…何がなんだか良く分からないんだ」
墓前につぶやく。
しばらく墓前に立っていると木々の合間の道を近衛騎士が二列になり、その間を豪奢な衣装に身を包んだ男女が徒歩で歩いていた。近衛の一人と、近衛騎士に護られ進む中央の王族の二人の内の一人は良く見知った顔である。
レックスとローランドだ。
歩いている方角は王族の墓苑なので、前王と前王妃の墓参なのだろうか。
周りの墓参の者達が一斉に膝を付くのを見てブラッドも慌てて膝をつく。近衛に囲まれて進むレックス達が遥か遠くの光景に見える。その事が酷く心を乱れさ苛立たせる。
行列が去った後も、中々立ち上がれ無いまま墓苑の片隅で膝をついて俯いていた。
◇◇◇
残る戦友はミランディアぐらいである。
ミランディアに会っても良いが、引き篭もって研究しているのに、それを邪魔をするのは悪いと思う配慮ぐらいはブラッドにも出来た。
さらにはミランディアとはあまり中が良くない。理屈が先のミランディアと直感が先のブラッド。冒険の途中で度々喧嘩する事があった。やはり会わない方が良さそうだ。
エランは自分の森へ帰っている。
特殊な手段で無い限り連絡も取れない。論外である。
結局の所、今の自分にやれる事はもはや戦い続ける事しかない。ブラッドはそう思い切ることにした。
怪物や山賊、そして王都で強盗と戦っていた時には確かに高揚感と満足感があったのだ。つまり戦っていれば気が晴れるのである。
王国から害のある怪物や悪党を排除するのはきっと王国の利益にもなる。
もっと言えば自分一人が戦って死んだ所でなんの影響もあるまい。
ブラッドは心底からそう思っていた。
早速、王都の冒険者ギルドに乗り込んで単体の討伐系の依頼を漁る。討伐系の掲示板を見ると氷の巨人と黒竜の討伐があった。どちらをやるか少し考えて氷の巨人の方にする。黒竜は飛ぶのが面倒だから後回しである。
結論から言えば氷の巨人は手強かった。
氷の槍には苦戦したし、その巨体による剛力も凄まじい物だった。
だが一体だけである。複数体の高位の魔神を一人で相手取り、時間稼ぎをした事もあるブラッドの敵ではない。そもそも雪のある山岳地帯に住んでいたのが、獲物が少なくて降りて来ただけである。
知謀も罠も何も無い戦いならばブラッドの独壇場であった。
結局の所、一対一の勝負となり氷の巨人は二つの戦斧に切り刻まれて、頭を近隣の街の冒険者ギルドに運ばれる事になった。
(やはり、戦うと幾分か心が晴れる)
全身を傷だらけになりながらも、氷の巨人の頭を乗せた即席の橇を笑顔で引く彼の心は晴れやかだった。
それからはブラッドはまた怪物や山賊を狩る生活に戻った。
血斧のブラッド。その二つ名の如く、彼の両手の戦斧が血に塗れる日々を送った。そして王国の国境付近や僻地、飛び地などの兵隊や冒険者の手の届かない場所を選んで旅を続けた。
依頼主の村長や住人達から喜ばれる事もあれば、賞金を受け取ると野良犬の様に扱われた事もあった。
中には英雄であるブラッドに助けて貰うのが恐れ多いと言う村人も居た。時には辺境の衛兵隊に傭兵として助力して山賊を駆逐する事もあった。
更には巨大な竜などの強敵も狩る事もあった。
そうして次第にブラッドの所業が噂として広まっていった。
血斧のブラッド、双斧のブラッド、巨人殺しブラッド、竜殺しブラッド、英雄ブラッド。
既に辺境の街々に名声が轟き渡り、王都にも伝わっていた。
◇◇◇
王都エリニシアの王城に併設された大宮殿には広大な庭園がある。
その広大な庭園には多種多様な草花が植えられていて、年中何かしらの花が咲いている王国でも屈指の庭園である。
その隅に白い大理石と硝子で出来た少し広めの温室があり、同じく大理石の円卓と椅子が設えられている。
この温室はレックスと徒党の仲間達が会う場所としてよく使われていた。
そして今まさに会合が開かれており、数人が円卓に座っていた。
「何をやっているんだアイツは…」
円卓の真ん中に座る王族だけが着れる豪奢な衣装に身を包んだ男は、この国の王であるレックス・ミトランド・エリニシディア三世である。
彼は略式の王冠を乗せた頭を両手で抱えて呻くように言った。
「辺境で怪物退治に悪党退治、人助けばかりじゃないか。何か問題があるのか?」
そう砕けた口調で語るのは近衛の鎧に身を包んだ大男である。ローランド・ザフナード。嘗てのブラッドの仲間の一人だ。
寛いだように壁にもたれている。直ぐ側に槍と盾が立て掛けてあった。
「普通の怪物や山賊程度なら良いのですが…見てください。彼が討伐した相手の一覧です」
ふぅと息を吐き出して神官服の懐から羊皮紙を取り出すミドラス。
そうして大理石の丸卓に置くと、美しい指がそれを取った。
「えぇっと氷巨人と…え、奈落の巨人って書いてあるけど、これ最近の話じゃない。黒竜と火竜?これ成熟した竜って書いてあるんだけど…奈落の巨人と成竜に一人で立ち向かったの?正気なのアイツ?」
驚きで片メガネを指で支えて羊皮紙をじっと見る魔術師ミランディア。
黒髪を後ろで束ねて頭にとんがり帽子を乗せており、切れ込みの多い扇情的な衣装でその豊かな体を包んでいた。
彼女の衣装は冒険者の時と殆ど変わらない、昔からこうだった。
「奈落の巨人と黒竜と火竜を一人で討伐したのかッ!?なんて野郎だ、流石の俺も脱帽だぜッ!」
笑顔で賞賛するローランド、その声には忌憚なき賛辞と若干の呆れが入り混じっていた。
「笑い事じゃない!こんな事をしてたら早晩ブラッドは死ぬ!」
音を立てて大理石の卓に拳を叩きつけるレックス。
「何が原因でこんな馬鹿な真似をするようになったのだっ!誰か知らないかっ!」
実直で友誼に厚いレックスは親友の暴走について何か知らないかと、徒党の仲間達に問いかける。
「わたしは知らないわ。ブラッドとは仲悪いもの」
二人が微妙に仲が悪い事は徒党の全員が熟知していた。
細かい所で意見や行動が合わないのだ。
「俺も知らんぞ。王宮勤めで姿を見る事も無かった。てっきり領地で仕事をしているものとばかり思っていた」
ローランドは実直に近衛として勤務していた。ブラッドの動向は知るよしもない。
「そういえば……半年程前にブラッドが神殿に尋ねてきた事がありました」
渋面で口元を抑えながらミドラスが呻く様に言う。
「それでどんな様子だった?!」
椅子から立ち上がりミドラスに詰め寄るレックス。
「いや、なんというか…酒の匂いをさせてまして。何か用事があるのかと聞いた所、特に用事はないと言って急いで神殿を出て行きました」
「あー…」
ミランディアが指先で美麗な顔の額を額を抑え声を上げる。
「あいつさ、あの体の大きさの割に心がちんまいのよ。なんか変な事で悩んでるんじゃない?」
腕を組んで思考していたレックスもミランディアの意見に頷く。
「アイツは豪胆に見えて繊細なんだ。いざ戦いとなれば勇猛果敢だが、それ以外では些細な事で傷つき悩む…」
国王に成る前も成った後も美男子との評判が高い彼の顔が悲痛に歪む。
「そういえばそうでしたな…不幸な出来事や悼むべき結末などがあれば思い悩んで「これで良かったのか?」などと言う事が度々ありましたな」
ミドラスが過去の事を思い出して同意する。
「で、レックス。いや…陛下は如何なさいますか?」
ローランドが真面目な顔でレックスに問いかける。為政者としてブラディネス男爵のこの行動を如何にするのかを問いかけていた。
「ローランド、この国で一番強い戦士は誰だ?少なくとも私ではないぞ?ローランドお前か?」
「私ではありません、陛下。剣技では近衛隊長のサリックス卿、槍技では恐れながら私が王国一でしょう。しかしながら…ただ単純に一番強い戦士というならば、陛下がお考えの戦士が王国随一かと思われます」
王の表情で問いかけるレックスにローランドは直立不動でそう返した。
「ミドラス宮廷神官、ミランディア宮廷魔術師、この国で一番強い戦士を失った場合の損失を答えよ」
ローランドの返答を聞いて頷き、更に二人に問いかける。
「冒険者的に言うなら悪魔王級の災害がもう一度起きた時に、アイツが居ない状態で戦い抜ける?アタシは無理だと思う。アイツは徒党の剣よ、その剣無しでは戦いできないわ。軍略的に考えたらアイツ一人を敵陣に突っ込ませるだけで敵が崩れるし…文字通り一騎当千よ。てか敵の大将首持って来そう…いや絶対持ってくるわね。そんなの簡単に失えないわよ」
ミランディアが自分の予想を淡々と答える。
「おそれながら…陛下が悪魔王にトドメを刺されたのは事実ですが、トドメを刺せるまで前に立ち続けて、その機会を作ったのは彼です。彼なくして悪魔王の討伐は出来なかったでしょう。そして陛下が遠征されるとして、王都に彼が居れば安全性が大きく違います。軍隊の指揮の類は大した期待ができませんが、彼が王都に居る限り攻めてきた敵の指揮官の首が飛び続けるでしょう。それを考えると王国の攻め手、守り手の両方の意味で大きな手札を失う事と同義かと思われます」
ミドラスもまた自分の予想を恭しく国王に告げる。
その返答を聞いてレックスは大きく頷く。
「わかった。ならば至急、王都に呼び戻し事情を話すように手配をしよう」
◇◇◇
徒党の仲間たちが大騒ぎする少し前。
ブラッドは近隣で悪さをしていた火竜の首を辺境の冒険者組合に持ち込んで大騒ぎさせていた。
報奨金は分割で良いか?と聞く組合長に、ブラディネス男爵領の代官と連絡を取って対応してくれと言って冒険者組合を出た。
金には困っていない、火竜の巣に金貨がごっそり貯めこまれていたからだ。
武器防具もあったので、適当に魔法の鞄に突っ込んで置いた。王都等の大きい都市で換金すればいい。
だが流石に火竜相手ともなるとブラッドも浅手では済まなかった。回復薬を飲みながら三日ほど宿で傷を癒やす事に費やした。
そしてブラッドは傷を癒やし終わると即座に酒場に向かった。
ひさしぶりの酒である。
いつもならさほどでもない安い麦酒が実に美味い。ブラッドは樽を空にする勢いで飲んで、料理を貪った。
そんな幸せなひとときを楽しんでいると、酒場の扉が音を立てて開かれ長剣を帯びた騎士が入ってきた。その騎士は少ししゃがれているが、甲高く良く通る声で叫ぶ。
「この酒場で一番強い戦士は誰だ!」
ブラッドが火竜を一人で討伐したことは街中に知れ渡っている。酒場に居た冒険者のほとんどが指や顎を使ってブラッドを指し示す。
「この酒場で一番強いのは間違いなくアイツさ。血斧のブラッド!竜殺しに乾杯だぁ!」
呑んだくれ冒険者がそう言って酒杯を煽った。
騎士はそのまま酒場の端っこで黙々と飲み食いしていたブラッドの方に向かってくる。そうしてブラッドの前に来ると鉄仮面を脱いだ。
鉄仮面を脱ぐと肩で綺麗に切り揃えられた金髪、凛々しくも美しい容貌、そして蒼い美しい瞳が明らかになる。
よく見れば甲冑の形が通常の物とは異なる胸と腰が特有の丸みを帯びた鎧、男とは違う骨格の作り…女騎士である。それも吟遊詩人が歌う美しき戦乙女の様な美麗な女騎士であった。
ブラッドが黙って女騎士の動向を見守っていると女騎士は口を開く。
「私はアレクシス・フィデリア。貴殿に立合い…いや決闘を申し込みたい」
「は?」
ブラッドは何がなんだか訳が分からなかった。
過去に決闘を申し込まれた事は一度も無い。聖騎士であったレックスが一度決闘をしたのを見たことがあるだけである。
だが過去の色々な冒険をして来たし、悪人や敵軍の兵士など様々な人間を殺してきた。そういう者の遺恨かもしれないと思い問いかける。
「初めて見る顔だが…何か俺に遺恨があるのか?家族を殺されたとか友人の敵討だとかそのようなものか?」
「遺恨や敵討ちといった類のものではない」
涼しい顔で遺恨も何も無いのに、決闘がしたいと言う女騎士。
「ならばどうして俺と戦いたいのだ…意味が分からん」
「決まっている。強いからだ!その強い者に打ち勝ちより技を磨きたいからだ!」
やる事が無いから暇潰しで怪物狩り等をしている戦士としては、この女のやっている事がさっぱり分からない。いや、ブラッドにも戦士としての技量が上がる喜びは分かる。
だが女が剣を取って、技量の為にこんな命掛けの真似をしてまで磨く必要があるとは到底思えなかった。大体にして剣術を磨きたいなら素直に名の有る剣士に師事するか、王都の剣術訓練所等に入ればいい。それ以外にも真っ当な手段は幾つもあるだろう。
「無論、貴殿に褒章が無いわけではないぞ。私に勝てば金貨五千枚を進呈しよう!今だ私に勝った者は居ないがな!」
良く見れば、実に美しい女である。良縁は幾らでもあるはずだ。
フィデリアという家名がある以上、貴族なのだろう。ならば結婚相手を見つけて子を成して幸せになればいい。
こんな事をしていては遠くない未来、腕の立つ相手に殺されるか、慰み者にされる事は必定だった。
ブラッドはこの凛々しく美しい女騎士にそんな残酷な結末が訪れる事があってはならないと思った。
そう思うと言葉が口をついて出た。
「受けるには条件がある」
「その条件とは?」
「金は要らない。だが負けた方が勝った方が提示する約束を必ず守る事。それならばその決闘…受けてもいい」
顔を上げて女騎士を見るブラッド。
「ふん、私を慰み者にしようというのか。過去にそんな者も居たが散々に叩きのめしてやったぞ」
女騎士は軽蔑を含んだ冷たい目でブラッドを見下ろす。
「俺はそんな約束をするつもりはない」
料理の腸詰めを咀嚼しながら悠然と答える。
「さて、どうだかな。決闘ならば負けを認めるか死ぬまでになる。相手を殺してしまえば条件は無効になるが…相手を殺さぬ事とでも条件をつけるか?」
やや柔らかくなった視線でこちらの意図を伺おうとする。
「必要ない、お前程度には負けぬ」
ブラッドはそう言うと視線を丸卓に戻して、皿の腸詰めにかぶりつき麦酒で腹に流し込む。
その余裕の言葉と表情が癇に障ったのか、冷酷な視線で彼を見つめる女騎士。
「よほど腕に自信があるようだな。良いだろう…決闘は明日の正午、神殿前の広場で行う。約定を違えるなよ」
女騎士アレクシスは一方的に宣言すると踵を返して酒場を出て行った。
一方のブラッドと言えば腸詰めと麦酒のお代わりを注文しながら皿の最後の腸詰めを咀嚼していた。
周りでは決闘の話で盛り上がりはじめ、賭けが既に始まっていた。
◇◇◇
翌日の正午より少し前。
ブラッドが神殿前の広場に来てみれば、広場は暇人共が集まって結構な人集りになっていた。
広間の中央に大きな円形に杭で縄が貼られており、おそらくここが決闘の場所という事なのだろう。
その中に女騎士アレクシスが腕組みをして待ち構えていた。
端の方ではブラッドの登場と共に賭けが始まり、胴元が設置された木板を叩きながら声を張り上げている。
それを横目にしながら、縄が張られた広場に入る。
「この縄はお前が張ったのか?」
「いや、来た時は既に張られていた。おそらく賭けの胴元が気を利かせたのだろう」
そう言いながら二人が胴元に視線を向けると親指をつきたて双方に笑顔を向ける。
いい仕事しただろ?と言わんばかりの笑顔である。
ブラッドはなんとも言えない気分でそれを見やってから女騎士に話しかけた。
「開始の合図は?」
「もうすぐ正午の鐘が鳴る。それを合図としよう」
「承知した」
約十歩の距離で二人は相対した。
女騎士が長剣を抜き、菱盾を構える。
半身になり、菱盾を中心として身を屈め、顔を目元だけ出して隠す。体として出ているのは膝下の脛と足だけだが、それも厚い脚甲守られている。
しっかり構えられた菱盾の脇からは長剣が斜めに地面に伸びて、切っ先が地面に当たる寸前で止まっている。基本の構えだが余程修練を積んだのであろう、隙の無い堂に入った構えである。
対するブラッドは戦斧を右手と左手に一本ずつ握った後は特に動きはない。棒立ちのままで、だらりと二つの戦斧を脇に垂らしている。
だが、不思議と万全の構えに見えた。
そうして二人が構えたのを見て、胴元が神殿の尖塔に向かって手を振る。すると神殿の尖塔に居た僧侶らしき男が鐘から下がる紐を引っ張った。
正午の鐘が打ち鳴らされた。
分厚い鋼鉄の甲冑を着こみ、長剣と菱盾を持った女騎士。
羽根の様に軽い精霊銀の鎖帷子と手甲脚甲を身に付けて、両手に戦斧を持つ闘士。
どちらの装備が重いかは明白である、明らかにブラッドの方が軽い。加えて肉体の強靭さと素早さもブラッドが圧倒的に優っている。更には守り主体の盾剣士が相手である。
圧倒的な速さでブラッドが先手を取り、猛獣の様に地面を駆ける。その勢いのまま右の戦斧を振り上げ、女騎士が構えている菱盾の上から渾身の力で叩きつけた。
「ぐうぅっ!」
魔法付与された業物の菱盾は切り裂かれる事は無かったが、その持ち主を大きく後ろに後退させた。
恐るべき剛力で叩きつけられた戦斧の一撃に、女騎士は銀色の脚甲で地面に二本の筋を刻み、後ろに押し込まれる。渾身の一撃を菱盾に食らって体勢を崩さないだけ、かなりの修練を積んでいると言えた。
だが、まだ左の戦斧が残っている。
脚を踏ん張り初撃の衝撃に耐える女騎士に向って容赦なく左の戦斧は振り下ろされ右肩を捉える。重厚な板金鎧が革鎧の様に叩き切られ、肩口に戦斧が食い込む。
「ぐぅっ!」
その悲鳴を無視して右の戦斧がもう一度閃く、今度は最初の攻撃で菱盾の守りから外れた膝である。
菱盾を切りつけた反動を使って真横から膝を切り裂く。足が切断される事は無かったが、重厚な丸い膝当てが容赦なく切り裂かれ、膝当ての切れ目から血が流れ脚甲が血に染まっていく。
右肩と左膝を切り裂かれた女騎士アレクシス、既に彼女に戦う力が無い事は誰の目にも明らかだった。
だが彼女は膝を地面に付けて、菱盾を地面に突き立てて体を預けながらも、肩を斬り裂かれて力の入らぬ右手で長剣を持って戦闘の意志を見せる。
ブラッドはその姿を一瞥すると、構えた菱盾を思い切り蹴りつけた。
「うぁっ!」
短い悲鳴を上げて受け身も取れずに地面に仰向けに倒れる女騎士。さらにその胸の上に左脚を乗せて動きを封じて、右の戦斧を首筋に当てる。
「これでも、負けを認めぬのなら、足を刻み、手を刻み、内臓をえぐりだして殺す」
ブラッドから物理的に何かが放出されている、そう錯覚する程の凄まじい殺意が当たりに撒き散らされる。凄まじい殺意が辺りを満たし、観客も胴元も誰も体が竦んで誰も動けなくなる。
そしてその殺意を直接浴びた女騎士の恐怖はいかほどか。
己の剣が一太刀も繰り出せぬ絶望はどれほどのものだったか。
彼女の顔を覆う鉄仮面が小刻みに震え始める。
「………る」
数瞬の後、鉄仮面に包まれた頭を横に逸して、ブラッドにだけ聞こえる小さな声で負けを認める言葉を呟いた。
「ならば約束通り、お前に命令する。一年以内に結婚相手を見つけて嫁ぎ、そして幸せになれ。命令は以上だ」
そう言って素早く踵を返す。
「司祭!早急に回復呪文が必要だ!金は俺が出す!」
そして神殿に向かって歩きながらそう叫んだ。