心探偵【深海の鎖】
自作の小説のバックアップとして「小説家になろう」で投稿することとしました。
読んでいただければ御の字。感想をいただければ感謝感激雨あられ。二千文字程度の短い物語ですので、通勤中の電車や友人恋人との待ち合わせ時間にでもお読みください。
やぁ、諸君。
私の名は……そうだな、Mr.ハートとでも呼んでほしい。可愛らしくて女性受けもよく、どこか紳士らしさを感じる響きだろう?
え、そんなことない?
そうか……。
でも、とりあえずはそのように呼んでくれたまえ。
私は人の心を覗くことができる。それを活かして人々の悩みを解決し、明るい人生を送ってもらうことを生業としているのだ。
心とは実に面白いもので十人十色、千差万別という他ない。
たとえば双子がいたとしても、その心象は微妙に異なっている。そっくりの姿形に生まれてきても、その体に収められた心のカタチは唯一無二であり、天より与えられしかけがえのない宝物である、というのが私の持論だ。
せっかく私のもとを訪れてくれたのだ。ならばタダで帰すわけにもいくまい。
どれ、まずは紅茶と菓子を用意しよう。
それから話を始めようか。
私が出会ってきた事件、心に潜む謎を解き明かす、心探偵の物語を。
その依頼人の心は、冷たく暗く深い海の底に自分を錆びた鎖で縛り付け、強大な水圧の中でどうにか溺死しようとしていた。
そんな依頼人を不気味な深海魚が嘲笑い、太陽と月が無関心そうに見下していた。
それが依頼人自ら作り出した心象風景だった。
「あなたはどうしてそんなところにいるのですか?」
私は依頼人に尋ねた。
すると、依頼人はこう返答した。
「私は私が許せないのです。人を深く傷つけてしまったことが。そのことに気づこうともせず笑って生きてきたことが」
「ふむ、ではどのようなことがあったのか聞かせていただいてもよろしいかな?」
「はい。私はある女性に恋をしていましたが、同時に別の女性から恋をされていたのです。私は私を好いてくれる女性の誘いを断りました。そのときは断られたほうの気持ちなんて考えることもありませんでした」
「そうでしょうな。恋は盲目とシェイクスピアが言ったように、ひとりの女性に心を奪われては他の女性など目に入らぬというもの」
「おっしゃるとおりです。私は自分の恋を叶えるために努力しました。しかし、彼女が私に振り向くことはなく、結局別の男と結ばれてしまった。私はその男を呪い、自分のものにならない彼女を憎みました。そしてあるとき、ふと理解したのです。自分が味わった苦痛は、自分に恋してくれた女性に与えたものと同じであると」
依頼人の体に一層強く鎖が食い込み、やかましく騒いでいた深海魚たちがその肉を食いちぎった。血霧が煙のようにゆらめいて肉片は荒れ狂う潮に流されていった。
「私は罪人なのです。こんな苦しみを他人に、ましてや好意を向けてくれたひとに与えてしまった自分を許すことができません。私は永遠にこの深海で許されざる罪を償い続けるべきなのです」
依頼人はとても生真面目で潔白な人柄の持ち主だ。それゆえに、自身の行いを悔い、赦しを乞うことさえ許さない。自身に対する被虐と加虐が入り混じっている。
私は言った。
「誰もが同じように罪を抱えて生きています。あなたばかりが苦しまなくともよいのではありませんか」
「いいえ、それでは駄目なのです」依頼人は即答した。「そんなことは言い訳でしかありません。罪は罪であり、然るべき罰を受けなくてはならないのです」
「それでは、ずっとこのままひとりでここに?」
「ええ、それこそが私に相応しいでしょう」
なかなか頑固なお方だ。私はつい苦笑してしまう。すると、気を損ねてしまったらしく、依頼人は棘を含んだ声音で「何が可笑しいのですか!」と強く言った。
「いえ、失敬。私は職業柄あなたのようなひとを何人かこの眼で見てきましてね。その中でもあなたは随一の頑固さーー否、屈強な精神をお持ちだと、思わず頰が緩んでしまったのです」
「……」
依頼人は黙ったまま視線をなげかけてくる。続きを言え、ということだろう。
私はこほんと咳払いをひとつしてから、渇いた舌に唾液を飲ませ、唇を動かした。
「あなたはとても強いひとだ。きっとあなたに愛するひとがいればどんな困難があろうと守り通すでしょう。そう、たとえ命を擲つことになっても。だからこそ、あなたの悲恋はあなたを苦しめるのです。純粋であるがゆえに。清廉であるがゆえに。あなたは間違えてなどいない。あなたの愛は正しかった! ただひとつ過ちがあるとすれば、その女性があなたの愛を受け取れる女性ではなかったということだけ。ならば、今度はあなたの愛に応えてくれる女性を探せばいい。あなたの罪を分かち合い、支え合うことのできる女性を見つければよいではありませんか」
鎖は緩み、深海魚は嗤い声を止ませ、潮は次第に静まっていった。贖罪の深海はゆるやかに、けれど確実に優しいゆりかごへ変化し、暗い水底に一条の陽射しが届いた。私は強烈な好奇心が衝動となって渦巻くのを感じ、依頼人の本来の心象を見てみたいと強く願った。これほど美しい心の持ち主ならさぞ心打たれる景色が待っているだろうと胸が踊った。
「私は幸福になってもよいのでしょうか?」
依頼人は苦虫を噛み潰したような表情で嗚咽まじりに私に問う。
「違いますよ。あなたは勘違いしている。幸福になるのではなく、互いの罪を互いに許し、背負うのです。そして存分に愛しなさい。それこそがまことの償いというもの。あなたがまことの愛情を得ることができないのなら、あなたの受けた苦しみは、あなたの与えた苦しみは、いったい何のためにあったというのです」
「ーーああ、そうか」
依頼人の体から光が溢れ、私の視界は白く満たされた。あたたかく、浴びているだけで綻んでしまうような、魂の輝き。そして真っ白なキャンバスに鮮やかな青色が塗られ、絶妙なグラデーションは空と海を隔てる境界線を描いた。まるでひとつの絵画の完成を目撃したようだ。その中央で依頼人は佇んでいた。そして潮風を吸い、細長く吐いた。
「私は臆病になっていただけだった。ありがとう。愛が美しいものとは限らないが、むしろ私にとっては罪の最たるものであるが、己を罰することではなく、他人を許すことで受け入れていこう」
どこかぎこちない笑顔で依頼人は言った。瑞々しい肌には鎖の痕が残り、赤く錆びた足枷が水面下に続いていた。私にはそれが、再び奈落の底へと引き摺り込もうとする悪魔の指に見えたが、そのときはまた手を差し伸べればいいだけだ。
「これで私の役目は果たされました。報酬ももらったわけだし、私はこれで失礼するとしましょう。どうかあなたの行く末に幸があらんことを」
ーーという話だ。
いや、実にいい心象だったよ、あの依頼人のは。なんと表現したらいいのだろうね。とても言葉では言い表せない。もし絵に描けるのなら是非見てもらいたいところだが、生憎と私にはそれだけの才能に恵まれていないらしく、どうしても出来の悪い抽象画になってしまうのだ。勘弁してくれ。
……ん、少し疲れたかい?
では、今日のところはこれで終わりにしよう。老人の長話ーーといっても私はまだ初老なのだが、ここは重要だぞーーに付き合ってくれてありがとうよ。
さぁ、もう家にお帰りなさい。今度きてくれたときはまた話を聞かせてあげよう。体を冷やさないように気をつけて。
それでは、おやすみ。
お互いに、よい夢を。
さて、初投稿となりました「心探偵」はいかがだったでしょうか?
私は小説、ひいては文字というものに強く心惹かれます。同じ文字を見ても人によってイメージするものが違うということは、一見当たり前のようにも思えますが、これはとてつもなく面白くないですか?
今回の物語は自身のこじれた恋愛経験と、そんな私を叱ってくれたり励ましてくれたりした友人たちの言葉を元に綴りました。似たような経験のある方もいるのではないでしょうか。誰かを心から好きになれるって素敵ですね。私にはまだできそうにありません。
ところで、画面に文字が詰まっていて読みにくいという方がいましたら、素直にゴメンナサイ。元々iPhoneのメモに残しておくだけではバックアップに不安が残るからという理由で投稿したのと、私自身紙媒体での印刷を考慮して書きましたので、いやホントすみません。もし要望というか感想を送っていただければ修正しますのでよろしくお願いします。
最後に、これを読んでいただきました皆様方に感謝を。
本当にありがとうございました。