高明と安倍
「高明、ただいま戻りました」
都の中央あたりから南に延びる市のほぼ南端から、中央よりも北にある屋敷まで駆け戻った高明は息も絶え絶えになりながら、門扉を潜り抜けた。今回は誰かの手を引いていたわけでもなく、背負子も日月に任せてきたのであやと逃げた時ほどではないが距離が馬鹿にならない。
しかし今は倒れている場合ではない。高明は門扉をくぐったその勢いのまま忠成の部屋を目指す。
数日前の陰陽術師との戦闘で干上がった池の横を駆け抜け、縁側から直接屋敷に廊下に上がる。廊下を駆けて忠成の居室を目指す。
忠成の部屋の前には、あわただしい雰囲気が充満していた。おそらく目には見えないが、高明のところに来た『飯綱』のような式神が走り回っているのだろう。
高明は部屋の手前で立ち止ると、息を整えて服装を正す。本来であれば目上の屋主である忠成に会うのだから最低でも狩衣と烏帽子を用意するべきではあるのだが、先ほどの文面から見て事態は一刻を争うようだし、この際仕方ないだろう。
「失礼します」
高明は一礼してあいている障子戸をくぐった。
部屋の中央に座っているのはこの屋敷の家主でもあり、れっきとした宮仕えの『陰陽師』である賀茂忠成。その正面には数人の陰陽師らしき男が座っている。その中には数日前に高明に事情聴取をしに来た捜査官も含まれていた。どうやら高明が戦ったあの男について、捜査が大きく進展したようだ。
高明が部屋に入ったことに気が付いた捜査官と思しき人達が、一斉に忠成の正面を開けてわきへとよける。どの顔にも神妙な面持ちがうかがえた。
「おう、来たね、高明。ここへ座りなさい」
忠成の言葉に、入ったところで歩みを止めていた高明は一礼して進み出る。部屋の正面の忠成が座る畳の前で、座って頭を下げようとしたところで、忠成がそれを制した。
「頭を上げろ、高明。儀礼に時間を割いている場合ではない」
「……はい」
貴族らしからぬ発言ではあるが、今はそれほどにまで事態が切迫しているらしい。高明はあえて反論もせず素直に頭を上げて、まっすぐに忠成を見据えた。
「お前を呼んだのはほかでもない。お前が遭遇したという陰陽術師について、捜査が大幅に進展した」
高明は内心で首を傾げた。確かにあの陰陽術師と戦ったのは自分だけであり、その姿をはっきりと見たのは自分だけだ。しかしそれだけであって、あの一件に関して、捜査の経過を聞かされるような身分や立場にいるわけではない。あくまでただの居候の少年の『目撃者』に過ぎないはずだ。
「あの、お言葉ですが」
「かまわん。お前には聞く義務がある。それと、私と高明、二人で話がしたい。他のものは席を外してくれ」
捜査官の連中が明らかに不快感を示した。
高明は内心でため息をついた。陰陽というのはその名の通り、光があればその裏には必ず闇があるものであり、今の都の陰陽庁においてはその闇は安倍家や賀茂家といった陰陽道の高家が代々受け継いでいるといわれている。当然、その闇は陰陽術の関わる犯罪に大きくかかわっていることも多く、高家以外から出ている実働部隊の陰陽捜査官と宮仕えの上位に位置する高家の間には埋められない溝がある。
だが、忠成は高家の宮仕えの人間であり、名目上は今回の事件の捜査を束ねている立場にある人間である。一介の捜査官たちに口答えする力はない。
捜査官たちは立ち上がると、忠成に一礼して、一斉に退室していった。
※
「君は、どこまで知っているんだ」
忠成は開口一番にそう言った。もちろん高明にはなんのことだか心当たりもない。
「どこまで、とは何のことでしょうか」
「君自身の事についてだ。君とて、ここに居候している、そして私がさせていることについて何ら疑問を持っていないわけではあるまい」
それはその通りだ。四年前より以前の記憶が全くないというわけではない。文字の読み書きなど、貴族としての日常生活に必要な技能は忘れずに残っている。ただし、そのほかの記憶、ことに四年前、つまりここに来た頃の記憶は全くと言っていいほど残っていない。
ただ、自分に残っているわずかな記憶とそのほかの情報から、いくらか推察できることはある。
「……確かな確証はありませんが、文字の読み書きができることから、僕の生家は少なくとも貴族の家柄であると考えています」
「ほう。それで」
高明は伸ばした前髪を掻き上げて、額を、そこにある五芒星の印を忠成にはっきりと見えるように示した。
「額の印の五芒星は陰陽師の高家、安部家の紋章です。これが額に書かれているということは何らかの形で安倍家と関係があったと思われます。日月が時々、僕の事を『安倍高明』と呼ぶので、生家が安部家にあたるのではないかと考えていますが」
ほう、と忠成は息を漏らした。
「あの、いかがでしょう」
「ふむ。まあそれなりに、わかっておるほうだな。さすがは安倍の子息だ」
頬を緩めてほほ笑む忠成に、やはりそうか、と高明は心の中で舌打ちを打つ。
これで自分が陰陽師になることに対して拒否感を抱いているにもかかわらず、日月がしつこく進めてくることに、明確な理由が着いた。
「……日月はこのことを知っているのですね」
「知っている。だからお前のことを『安倍高明』などと呼んでいたのだろう。ちなみにこのことを知っておるのはお前と私、そして日月と、安部家の一握りの人間だけだな」
額の印は前髪で隠すように言われてきたし、そもそも屋敷からあまり出ない生活を送らされていたのは、この秘密を外部に漏らしたくなかったからのようだ。
そこまで予測を立てて、高明はふと気が付いた。
「ところで、僕が安倍家の人間であることと、今回の事件はなにか関係があるんですか」
途端に、忠成の顔から微笑みが消えて、神妙な面持ちになった。
「……先ほどまで、陰陽庁の捜査官の捜査と、私が独断専行した調査の結果を照らし合わせていたんだが」
そこで忠成はいったん言葉を切る。そして正面に座る高明の目を見つめた。
「今回の襲撃の下手人は、おそらく蘆屋道満ではないかと私たちは踏んでいる」
「蘆屋……道満」
「安倍や賀茂といった陰陽庁の最上位の陰陽師に負けずとも劣らぬ陰陽術師。にもかかわらず、陰陽庁から追放されており、それどころか陰陽庁やひいては帝にまで弓を引こうとしているとのうわさもある、極めて危険な人物だ」
蘆屋の名前は高明も聞いたことがあった。しかし彼は高明が生まれるよりも以前に姿をくらましており、陰陽庁も発見できずにいたらしい。
「蘆屋の名前は聞いたことがありますが。どうして彼が今頃」
「陰陽庁も今それを調査中とのことだ。おそらくこれまで潜伏している間に何かを計画していたのだろうな。お前との戦闘の話を聞くに、陰陽庁のほうでも把握していない術も使っているようでな、これをとらえるのは時間がかかる」
「把握していない術、と言いますと」
「五行によって肉体の外見を作り変える術、とでもいうのか。お前が出会った術師は若い青年だったそうだが、この見てくれが作られた偽りだったということだ」
姿をくらませるのはうってつけの術だな、と忠成は吐き捨てた。
確かに、蘆屋道満が今生きていたとしても、相当歳を言っているはずだ。あの外見が偽りのものだったとすれば、説明もつく。
「その蘆屋道満はどうしてここの屋敷を襲撃したりしたんですか」
「襲撃した、というよりも今回は偵察といったところだろう。お前が聞いた話が正しければ、奴の真の狙いは娘の英だ。聖女の体質を持つあいつが目的だというのは十分にあり得る話だ。で、屋敷に忍び込んだところで、偶然にも安倍の名を口にした高明、お前を見つけてしまったということだ」
高明ははっと息をのんだ。あの時、青年陰陽術師は安倍家の事を『忌々しい一族』と言っていた。高明も話でしか聞いたことはないが、蘆屋道満と安倍家の当主である安倍清明は好敵手であり、また明確な敵同士度もあった。道満が姿をくらませるきっかけとなったのも清明に術比べを挑んだ末に敗れたからだという。
「……道満は、僕が安倍のものだと気づいたでしょうか」
「おそらく気付いただろうな。十分に気を付けておくことをお勧めする」
高明は青年、もとい道満との戦いを思い出して、身を震わせた。
あの時は倒れた直後に忠成と日月が割って入ったというが、それがなければ間違いなく殺されていただろう。いや、それ以前にあの戦いでの道満は決して全力など出しておらず、生殺与奪の権は常に相手の手の中にあったのだろう。
「これから当分の間、この屋敷全体の結界を大幅に強化するつもりだ。守る対象は主に英だが、相手が蘆屋道満である可能性が高いことも考えて、高明、お前もあまり結界から出ないようにしたほうがいい」
そこで、忠成はいったん言葉切ると
「あ、そうだ。今言った通り、私はこれから忙しい。今の話を英にも伝えておいてくれないか。話は通しておくから」
「そうですか、そのようなことが……」
「ですので、あまり外出はせぬようにとのことです」
御簾の向こうから、絹ずれの音がする。高明は父親公認の用事を帯びて、英姫の居室に来ていた。
「しかし父上も元気そうで安心しました。最近会いに来てくれないものですから」
「あの方はまだまだ現役の陰陽師でいらっしゃいますから。霊力も莫大ですし」
忠成はここ最近、屋敷に現れた蘆屋道満の足取りを追っていて娘に会いに来る余裕もなかったようだ。高明や陰陽庁の捜査官の前では、高位の陰陽師としてふるまっているがやはり一人娘の事となるとやはり一人の父親である。
その割には娘の居室に気心の知れた相手とはいえ、年頃の男をいかせたりしているわけだが。
「そういえば、今日は一緒ではないのですね」
「……何のことですか」
「ほら、使用人の女の子。日月さんですよ。いつみても一緒にいらっしゃるものですから」
あれがいると、姫様とのおしゃべりの邪魔ですからね。
心の叫びを呑み込んで、できるだけ平静を装う。下手なことを言って姫に対して必要以上の好意を示せば、忠成にこの部屋の入室禁止を言い渡されるかもしれない。
「今日は市へと出ております。いつも一緒というわけではございません」
「そうなのですか。とても仲がよろしいので、てっきりそうなのかと」
「……そんなに仲がいいように見えますか」
「ええ。それはもう。さながら陰陽師と式神のように。男女の仲であると言われても驚きません」
「ぶふっ」
高明は英姫の御前であることも忘れて思い切り吹き出した。
「……そのようなことはおやめください」
突然言われて驚いたというのもあるが、何より英姫に言われたのがまた精神的に大きく響いていた。
日月のことが嫌いというわけではない。仲が悪いというわけでもない。ただ、高明はどうやっても彼女を女性としては見られないと思っている。この屋敷に来てからずっと一緒にいるのが原因だろう。いや、『安倍高明』の名前を知っていたことを考えると、高明の記憶を奪った四年前の『何か』より以前から一緒にいるのかもしれない。
「すいません、少しからかいすぎました」
ふふふ、と御簾の向こうから静かな笑い声が聞こえた。
つられた高明の頬も自然に緩んだ。彼女が貴族でなければ高明はすでに彼女に思いを告げていたのかもしれない。いや、今日の忠成の話が本当であれば自分もれっきとした名家安倍家の血縁なのだから、貴族としてお付き合いを申し込めるのでは。
そう考えると、今、英姫の目の前で自然と話していることが急に気恥ずかしくなってきた。
「高明殿、どうされました?顔が赤いですよ」
「いえ、何もやましいことは……」
高明が顔を伏せる。沈黙がしばらく流れる。が、しかしこの雰囲気は突然にぶち壊された。
「失礼します。忠成殿から『大事な一人娘の部屋にいる高明という男が万一の間違いを起こさないように見張れ』との名を受けて参上いたしました。姫様、無事ですか」
突然部屋の襖をあけて日月が入ってきた。しかも忠成の指示といったか。
高明はここで自分の見落としに気が付いた。一人娘を大事にする忠成が無防備に男を娘の部屋に向かわせるというのにははじめから違和感があったのだ。
「高明殿、顔が赤いですが何かありましたか。英姫様と何かあったのであれば成敗してもいいといわれているのですが」
どうやら、忠成に謀られたらしかった。あの陰陽師はこの状況をどこから見て笑っているのかもしれない。
「……いや、何もなかった。姫様、伝えることはお伝えいたしました。今日のところはこれで失礼いたします」
「あれ、帰るんですか」
このままここにいて、英姫や日月に追及されては、ぼろが出かねないと危機感を覚えた高明は、日月の言葉を無視して早々と撤収することを決めた。
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