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五芒星の血印  作者: 亮
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市の少女 2

「はあはあ……ここまでくれば大丈夫だろう」

 市からはかなり離れてしまった気がする。とりあえず人の少ないほうへ逃げて、どうにか人ごみを切り抜けた二人は、都のはずれの路地裏にいた。

 高明も日ごろから鍛えているわけではないからひどく息が上がっているが、彼に手を引かれてきた少女にいたっては地面にひっくり返って腹を必死に上下させている有様である。二人はお互いの息が整うまで、無言のまま待った。

 やがて、息が整うと少女も体を起こし、塀によりかかるようにして高明の正面に腰を落ち着けた。

「……あんた、何者なの」

「まあ、一応、陰陽術師見習いみたいなもんだ。あと『あんた』じゃなくて高明だ」

 少女は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに得心がいったようだった。

 物わかりのいい娘で助かった、と高明は胸をなでおろした。宮廷の貴族はともかく、庶民にとっては陰陽術などかかわりが薄く、人によっては鬼道と呼んで呪術のような扱いをする人もいる。一応庶民に広まっている、人形流しなどは陰陽術の一部なのだが、ただのまじないだと思っている人がほとんどである。

 しかしここまで連れてきて、こうして会話をしても彼女と出会ったときの違和感というか、既視感の正体はつかめない。

「あの、君……」

「あやでいいわ」

「へ」

「私の名前。『君』なんて呼ばれるのも心外だし」

 見知らぬ少女を裏路地に連れ込んでおいていきなり名前を聞くのは、いくら女性経験の少ない高明だとはいえ、遠慮していたのだ。しかし当の本人は一切介していないようで、意外にもあっさりと名乗ってくれた。

「……あやは、以前、僕と会ったことはある?」

 あやの頬がぴくりとひきつった。

「なに、それ。口説いてるつもり?」

 あらぬ濡れ衣だ。言葉の選び方を間違えたらしい。

「い、いや、そういうわけじゃない」

 高明は慌ててそれを訂正した。これまで四年間、謎だった四年前よりも前の記憶の手掛かりに期待しすぎて焦っていたようだ。仮に彼女が僕の記憶喪失に関わっているにしても、まずはそれを聞き出せる状況を作らなければならない。

 そう考えた高明は、いったんこの件は保留にしておくことを決めた。

「なら、高明君は、なんのつもりでか弱き乙女をこんな薄暗い路地に連れ込んだのかしら」

 明らかな疑念の目。名乗りはしたものの警戒は解けていないようだった。

 そこまで疑っていて簡単に名乗るのかよ、ていうかまさか自分が助けられたことに気付いていないのか。高明は先ほどとは別の意味で心配になってきた。

「……逆に、あやさんはあの男と口論を続けて無事に済むと思ってたんですか」

 高明はあきれ半分怒り半分でさらに皮肉を混ぜて問いかけた。

 が、少女、もといあやのほうはそんなことどこ吹く風であっけらかんとしている。どうやら本気で自分が助けられたとは思っていないらしい。

「ぶつかってきたのはあちらであって私に非はないわ。したがってあそこで折れて謝る義理もない」

 そう思ってたのはお前だけだよ僕が助けなかったら今頃あの大男と実力行使の喧嘩になっていたぞ、と高明はすんでところで心の叫びを呑み込む。

「そうは言ってもな……僕が入らなかったら君は今頃あの男に殴り倒されてたと思うんだが」

「なんで?悪いのはむこうなのよ」

 間髪を入れずにこちらの進言を拒否。この世には自分の知っている道理が通らないことなどない、といった自信が満ち溢れている。

「本気でそう思っているのか」

「?」

 本気でそう思っているようだ。

「……下手すると日月より厄介だな」

「誰が厄介なんですか」

 突然に背後から聞きなれた、あやとは違う少女の声がかかった。

高明は慌てて背後の声の主を振り返った。

 案の定そこにいたのは、見た目だけで言えばあやよりもよほどの世間知らずであると見える少女、もとい日月だった。しかも今回は普段の奇抜な服装に加えて、どこから持ってきたのか、樫の天秤棒を持っている。どうやら『何らかの形』であの場を切り抜けて、高明らを追いかけてきたようだ。

「日月……」

 高明は恐る恐る腰の刀に目をやるが、きれいに鞘に収まった刀はいたってきれいで、人を切ったような形跡はない。

 高明はほっとしたのと同時に、彼女が手に持つ天秤棒の意味を考える。血こそついていないものの、あちらこちらにへこんだ後が付いており数か所には刀傷のような切れ込みが入っている。

「大丈夫です。刀は抜いてませんから」

「……そういう問題じゃない。後でゆっくりと話を聞かせてくれ」

 彼女が刀こそ抜かなかったものの彼女がどこからか調達した天秤棒によって、少なくとも数人の刀を持った人間が打ちのめされたのは明白だった。

「私としてはどうして見知らぬ女の子を路地裏に連れ込んでいるのか、それについての弁明が聞きたいのですが」

「なんでそんなにいかがわしい言い方するの。……さっき、あやにも言われたけど」

「……名前を呼び捨てとは。なれなれしいですね」

 ほかに何と呼べというんだ。彼女には名前しか聞いていないし、ましてや貴族でもない彼女に官位や役職があるとも思えない。さっきは皮肉も込めて「さん」をつけてやったが、ここまでのやり取りを通した後だと、つけて呼んでやる気には一切ならない。

「高明くん、その人は」

 日月が来てからというもの、完全に蚊帳の外だったあやがついにしびれを切らしたようだ。

「ああ、なんつうか、知り合いの」

「日月と言います。高明殿の住んでいる家で使用人をやっているものです。以後お見知りおきを」

 態度を一変させて、日月が深々と頭を下げる。服装と帯刀のせいでおしとやかさは皆無なわけだが。

「高明殿が何か粗相を働いたということはありませんか」

 日月の問いに、あやは少し考えてからいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「口説かれました。突然に『どこかで会ったことある?』とか聞かれて」

 言い終わるか言い終わらないかのうちに、日月の手にある天秤棒が回転した。一瞬の後に棒の先は高明の喉元に突き付けられる。

「ま、待て日月。戯言だ、誤解だ、真に受けるな」

 突きつけられているのはなんの変哲もない樫の棒のはずだが、まるで名匠の槍のような鋭さが感じられる。槍と共に向けられる視線には殺気すらこもっているように感じる。

 そんな高明を見ながら、当の元凶であるあやはというと、高明の気も知らずに口元を抑えて必死に笑いをこらえている。

「私との買い物の途中に、いつの間にかいなくなったと思えば、見つけた時には厄介ごとに首を突っ込み、それをすべて私に押し付けておいて、その間に女の子を路地裏に連れ込んで、挙句の果てに口説いていたと……」

「少なくとも厄介ごとを押し付けた覚えはない。日月が勝手に……」

 日月の目が一層細くなる。高明は慌てて口をつぐんだ。

「言いたいことはそれだけですか」

「待て、せめて僕の言い分も聞いてくれよ」

「問答無用です」

 棒の先端がさらに数寸、先へ出る。軽く高明の喉に触れる棒は、あとわずか押し込めば、高明を悶絶させるには十分であろう。

 騒ぎの根本であるあやはというと、ついに笑いがこらえきれなくなったようで、日月の後ろでうずくまって腹を抱えている。

 くそっ、っと高明は心の中で毒づきながらも日月と喉元の棒のせいで移動するどころか首を動かすことすらままならない。

「高明殿、洗いざらいに吐いてもらえますよね」 

 やましいところは何もないというのに……

「何やら楽しそうじゃの、おなごに囲まれて」

 どれほど沈黙があっただろう。天秤棒を突き付けられた高明にはものすごく長い時間に感じられた沈黙を、童のような幼い声が破った。

 この二人が相手では楽しくなんかないですよ。反射的にそう言いかけた高明は慌てて周囲を見渡す。

 次の瞬間、日月が高明の喉元の棒を横に振って体の横に構えなおしたかと思った瞬間。いきなり高明に向かって一歩踏み込んだ。

「日つ……」

「伏せてください」

叫ぶと同時に、手に持ったままであった樫の天秤棒をなぎなたのように振り回して、慌ててしゃがみこんだ高明の頭上を薙いだ。まるでそこに何かがいるかのように。

「はは、無駄じゃ。風を切るなど無謀なことは考えんほうがいい」

 いや、実際にいたようだ。その証拠に、妙に老いた口調でしゃべる五、六歳の童がどこともなく日月の背後にからかうような調子で現れた。

「うわ、なに?」

「ちっ」

 突然のことに腰を抜かさんばかりに驚くあやとは対照的に、日月は間髪を入れずに振り向きざまの一撃を狙う。しかし、高明はその童に見覚えがあった。

「待て、日月。怪しい奴じゃない」

「その通りじゃ」

 童、もとい陰陽庁の捜査官の式神はふわりと飛んで棒を交わすと、日月の頭を飛び越えて高明の前に正座した。

「主殿から、報告じゃ。では、わしはこれで」

 実体を現していたのはわずかに数瞬。鎌鼬の式神は文字通り、風のように掻き消えた。彼の背中を狙った日月の突きが空を切って、高明の目前で止まった。そして二人の間を折りたたまれた一枚の紙が舞う。どうやらこれが『報告』とやららしい。

「高明殿、無事ですか」

「無事も何も、あいつは知り合いみたいなもんだ。ほら、今日、屋敷に陰陽庁の捜査官が来ただろ。あの人の式神」

「そうですか。姿も気配もないところからいきなり気配がしたので、てっきり悪霊の類かと思いました」

「まあ、あんまり実体化しているのが好きな式神ではないらしいしな」

人の前に実体を現すのを嫌うとは聞いていたが、前回のようにおとなしく座っていることのほうがむしろ稀のようだ。

「しかしよくわかったな。一撃目は実体化してなかっただろ」

「……勘です。高明殿のあたりからささやき声が聞こえたので」

 それだけの理由で遠慮なしに攻撃するあたりも日月の即決即断の性格ゆえだろう。大体の場合はただのけんかっ早い性格にしか見えないが。

「なんなの。今のは……」

 日月以上に状況を呑み込めていないあやは、先ほどまで笑い転げていたことも忘れて呆然としている。

「知り合いの陰陽師の式神、とでもいえばいいのか。わからないと思うけど」

「式神……」

 貴族でもないあやには少し難しかったかもしれない、と思いながらも、なんとなく要領を得たようであるあやを見て、高明は少しほっとした。何しろここまでひどく警戒されていたせいで、高明の聞きたかったことが一切話せていないのだ。これ以上わけのわからないことを言って余計な警戒心を増やすのは避けたい。

 そんな高明を尻目に、日月は高明の前に落ちた、例の『報告書』を拾い上げた。

「報告ですか。式神を使ってまで届けてきたのでしたら、急を要するものか、もしくはよほど重要なものか、ですが」

「日月、さすがに僕に宛てられた書簡を勝手に読もうとするのはどうかと思うぞ」

「高明殿があや殿のほうばかり見て、拾いもしないのが悪いんです。まあいいではないですか。宛名はない訳ですし……」

 おどけた調子で、高明の言葉など意にも介さずぱたぱたと細長い紙を広げていく日月。

 しかし、開くにつれてその顔から笑みが消えて真剣な険しい顔に変わっていく。

「……日月?」

 高明の声に日月は無言で手紙を差し出した。

 日月が読み終わったままに差し出された手紙。高明に見えたのは日月の手の上、つまり手紙の最後の部分だけだ。しかし、そこに書いていることだけで状況の差し迫り方を図るには十分だった。

「日月、僕は屋敷へもどる」

「はい、お気をつけて」

 事態は急変したようだった。今はあやを詮索している場合ではない。

 高明は背中の背負子を下して日月に渡す。

「あや、悪いけど急ぎの用ができた。もし後日時間ができたなら右京の賀茂という屋敷を訪ねてくれ。僕の名前を出せばいいから」

 そう叫ぶと高明はぽかんとするあやに背を向けて走り出す。その手には先ほどの書簡が握られていた。

 内容のほとんどは捜査の記録や陰陽庁の見解だろう。だがしかし、高明を焦られているのはそこではない。


『すぐに帰れ、話すことがある 賀茂忠成』


 ろくに整えられていない筆で走り書いたような文言。

 筆の主である、陰陽師賀茂忠成の並々ならぬ焦りがうかがえた。


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