戦いの終わり
「高明殿!」
「了解。五行開放、我が命に応じよ、急急如律令」
日月の木刀が銀色に輝く。直後にその刀は鬼の腹に吸い寄せられるようにめり込んだ。
鬼の動きが一瞬止まる。しかしいまだに致命的な一撃にはなりえない。
「……妖の類と戦うのは初めてですが、ここまで硬いとは」
日月はそれ以上の追撃をあきらめて、高明の傍まで戻ってきた。
「五行の密度が規格外だな。ほい、金行符」
「あと何枚ありますか」
高明から受け取った金行符を木刀の柄に巻きながらも、鬼から目を離さない。
「……正直もう厳しい。後二枚だな」
「高明殿自身は大丈夫なんですか。こんなに継続的に霊力を使い続けたことはないでしょう」
「道満に撃ったみたいな大技は無理だけど、このぐらいなら何とかなるかな」
鬼が距離を取った日月に距離を詰めようとする。
「来ます。高明殿下がって」
その声と同時に日月は前に跳んだ。後ろに下がった高明と日月の間に鬼の拳が落ちる。しかし土煙が上がるだけで二人を捕えることはない。
「五行開放!」
高明の術句が響く。
柄の金行符を起点に放出された金行が木刀を覆う。
「ふっ」
裂帛の気合と共に再度鳩尾を日月の剣が襲う。先ほどと寸分違わぬ位置。
今度こそ、鬼もあからさまに顔をゆがめ、わずかだが体を折った。その好機を見逃す日月ではない。
「次」
金行符の効果はまだ消えていない。鬼の腹から素早く剣を引いた日月は一歩引いたところから次は斜め上に跳んだ。
狙うはわずかながら下がってきた鬼の顔である。
「いくら体が硬かろうと、ここだけはさすがに抜けるはず!」
空中にある日月の手から銀色の閃光が立て続けに放たれる。高明の目にはただただ連続で突きを放ったということしかわからなかった。
日月の体が突きの反動でふわっと後ろへと流れていく。それとは反対に鬼の頭ははじかれたように後ろへとのけぞった。
一呼吸のうちに両目と眉間に合計で三発。日月の攻撃は今度こそ確実に鬼を捕えた。木刀の表面を覆っていた金属質の殻がばらばらと崩れる。
「日月、とどめだ」
畳みかけるなら今しかない。高明は最後の金行符を日月に向かって投げた。
日月も木刀で符を器用にからめとった。
「五ぎょ……」
突然、二人の背後で轟音が鳴り響いた。
続けてむわっとした熱風の嵐。道満と忠成の攻防も激しさを増しているようだった。
思わず術句を中断して振り返る高明。その眼に映ったのは濛々と立ち込める湯気の塊。高明では演じることは不可能であろう高威力の術のぶつかり合いである。
しかし今はこちらに見入っている余裕はない。再び日月の刀に付いた金行符に視線を戻そうとしたその時。
湯気の中から一筋の何かが伸びた。
ずくっ、と鈍い音が高明の耳に届いた。
そこには胸の部分に大きな穴を穿たれた忠成がいた。
「忠成殿!」
一瞬間をおいて忠成の姿は輪郭を失い、人型の型紙へと戻った。
「やれやれ。式程度で止められると思ったのかね。なめられたものだ」
湯気の中から姿を現した道満の手には一羽の烏が止まっている。真っ黒の、どこからが羽かも分からなくなるような漆黒の烏。あれが忠成の胸を貫いたのだ、と忠成は直感した。
「さて、邪魔ものも消えたことだ。ここまで生き残った褒美に、私のとっておきをみせてやろう」
道満の懐からひと際大判の符が出てくる。
「五行開放。『百鬼夜行』展開」
※
「あ、あれは」
高明は絶句した。
式とはいえ、都屈指の陰陽師である忠成があっけなくやられたこともそうだが、何より、道満の放った符である。
ただの五行符ではないのは確かだ。道満の言葉と同時に、禍々しい雰囲気を持った陰気があふれ出した。
「また陰気の札……いったい何を」
背後の鬼も死んだわけではない。しかし高明はこの状況から目を離してはいけないと本能で悟った。
陰気は鬼のときと同じように、しかし急速に形を変えていく。あっという間に道満の周囲には十を超える妖のようなものが漂いはじめた。
「さて、これでおしまいにしよう」
道満は右手をさっと振ってみせた。それに呼応して妖は一点を目指して中空を滑った。
向かう先にあるのは、忠成の張った結界が破られた後の屋敷の離れ部屋。
「くっそ」
高明は悪態をつきながら懐の符を掴むが、もう遅い。
妖の群れが屋敷の周囲をまとめて蹂躙した。良く見えないが、今ので英姫を捕えたのは明白であった。
高明はつかみだしていた火行符の発動を思いとどまると、今度は道満に向かってその符を投げつける。
しかし、火行が展開する前に道満はその場所から消えた。弧を描いて戻ってきた妖らの上に飛び乗る形で空中へと逃れたのだ。もはや高明に追う手段はない。
道満は無言のまま妖たちと共に空高く飛びあがった。
「逃がすか……」
無理と分かっていながらも、高明は道満に向けて一歩踏み出す。投擲できる金行符は持ち合わせがもうない。ならば直接追いかけるまでだ。
「五行開放、我が命に応じよ、急急如律令!」
高明が地面に落とした土行符が反応して、高明の足元の地面が急激に持ち上がる。
これに合わせて跳べば、もしかすると道満に届くかもしれない。
高明は足元に力を込めた。
しかし、跳ぶ直前に、強烈な悪寒が高明を襲った。
背後。
「高明殿、前です」
日月の声が聞こえる。
とっさに反応した高明は跳ぶのをあきらめて前へと転がった。と同時に、高明を跳ね上げるべく出現しかけていた土壁が規格外の拳に叩き潰された。
もう一発。体勢を崩した高明に鬼の拳が迫る。
「伏せて」
日月が強引にその間に割って入った。木刀を盾に拳を受け流して、わずかに狙いをそらす。
べき、という鈍い音と共に日月の手の中の木刀が真っ二つに折れ、日月自身も大きく後ろへと飛ばされる。しかしそれを代償に、鬼の拳は高明を捕えることはなく、高明も反撃の気を掴んだ。
火行符。もう残りの霊力をすべて絞り出すつもりで展開する。
「五行開放、」
しかし、式句をそこまで唱えたところで、高明は急激に体が重くなるのを感じた。高明の霊力はとおの昔に限界付近まで来ていたのだ。
ぐっとこらえて気絶だけは避けようとするが、もはや術が撃てる状態ではない。
鬼の第三の拳が、妙にゆっくりと迫ってくるのを感じる。
今の動かない体では避ける方法もない。
日月に至っても木刀は折れ、自分の身を守るのも難しいのだろう。
まずい、死にそうだ。
これが走馬灯というやつか。
目の前に見覚えのある背中が割り込むのが見えた
「日月……?」
「防護結界、展開」
手に木刀はない。今、日月が手をかけているのは腰にさしてある刀である。
鬼の拳と高明の間に割り込み、拳に合わせて抜刀。高明には妙にゆっくりと、鮮明に見えた。抜き放たれたのは金行で覆っただけの紛い物などではない、正真正銘の真剣。
拳と刀がぶつかる。
その瞬間に高明は刀が霊力を発するのを確かに感じた。
刀を覆うように結界のようなものが展開され、鬼の拳を受け止め、はじき返す。
ぐらりと揺れた鬼はわずかに態勢をのけぞらせた。
ひゅっ、と音が響く。日月の手に握られていた刀は、投擲され鬼の体を貫いていた。
鬼は倒れない。のけぞったまま動きを止めたかと思うと、その体は輪郭を失い、透き通るように消えていく。そして胸の部分に、刀に貫かれた符があらわになった。
「あの鬼を一撃で……」
消えゆく鬼を見ながら、鬼が消えることで刀身をさらしつつある日月の刀を眺めた。鍔や柄は武士と呼ばれる人たちが持っているものさほど変わりはないだろう。問題はその刀身である。
どう考えても普通の金属ではない。まるで刀自身が霊力を持っているかのように、鬼の体の五行を確実に切り裂いている。
やがて、鬼の体は完全に実体を失い、刀とそれに貫かれた符が思い出したように地面に落ちた。
かちゃん、となった刀の音で、高明は我に返った。
気が付けば鬼は完全に消えており、気配すらも感じない。しかし高明を驚かせたのは祖kではない。
「日月、日月、大丈夫か」
鬼を倒した直後、日月は突然に倒れたのだ。消えていく鬼に目を奪われていた高明のすぐ横で、倒れたままにぴくりとも動かない。それどころか存在感が希薄になっているような錯覚さえ覚えた。
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