道満再来
「高明殿、まさか陰気が噴出したというのですか」
「ああ。かなり遠いから都の中じゃないと思うけど」
「陰気、噴出?何が起こってるの」
状況の呑み込めないあやは、おろおろと周囲を見回す。
「日月、これはどうするべきなんだ」
「どうするもこうするも、高明殿はご自分がどうしてそこにいるかわかってないのですか」
あ、と高明は今更ながらに、自分の前にあるはずの不可視の壁の存在を思い出した。仮に今しがた見えた陰気によって妖が集結し、都に攻め入ったとするならば、都の中での最良の安全地帯はこの結界の内側だろう。
「都自体、結界で覆われてますし、いくら蘆屋道満でも、陰陽庁に見つかることなく都の中に陰気を引き入れるなんてことは無理でしょう」
「それはそうか。じゃあ今頃は忠成様達もどこかの門にでも出撃してるってわけか」
高明はひとまず胸をなでおろした。
ならば次に心配するべきはあやだろう。しかし、今の状況ではどこが安全とも言いずらい。そもそもよほど強い力を持っていて、濃厚に陰気の五行で体を形作っているような妖怪でなければ、霊力を持たない多くの一般の人には姿をみることすらできない。陰陽庁の仕事のほとんどは、庶民は気付きもしないうちに片付いているのだ。
「この結界の中が一番安全なわけだが」
「そんな危険なことさせるわけないじゃないですか」
「だよな」
結界は逃げることも考えて、基本的に内側からの一方通行だが、手順を踏めば、高明と忠成だけだが、逆に通り抜ける道を作ることができる。だが、今の状況であやを最高の安全地帯の内側に入れるのは危険であるのは明白である。
「まあ、打つ手なしだな」
「そうね」
「とりあえず、私にもわかるように説明してほしいんだけど」
あやは初めて会った時以上の置き去りに、怒りを通り越して呆れている。
「あー、わかりやすく説明するとね」
日月が高明の座る縁側からあやのほうに視線を移した。
が、そこで手に持ったままの木刀を構えなおした。
「説明は今から起きること全てってことで」
「え、なに」
「ふっ」
あやの横を一気にすり抜けると、その背後の空間を真一文字に切り裂いた。
「おや、ばれてしまったか。勘のいい子のいたもんだ」
高明には、どこからともなく聞こえるこの声に聞き覚えがあった。
「……蘆屋、道満」
「そうそう、よく覚えててくれたね、安倍高明君」
以前、来た時と寸分たがわぬ白い狩衣。どこからともなく、ことの元凶・蘆屋道満が姿を現した。
「……何しに来た」
「丁寧口調は一切抜きか……何をしに来たかぐらいわかってるんだろ」
沈黙。木刀を握りしめたまま一切の警戒態勢を解かない日月だが、そんなものは意にも介さない様子でまっすぐに縁側の高明を見据える。
「今、こうして見えている陰気の噴出は陽動か」
「僕の目的はあくまでも英姫だからね。前にもそういったけど」
陰陽庁はこうしてまんまと踊らされているわけだが、門の防衛もおろそかにするわけにはいかないのだから仕方ない。
「しかしこれはまた大規模なことをやってくれたもんだね。ほれ」
道満は、おもむろに懐に手を入れると取り出した符を高明に投げつける。
しかし、札は高明に届く前に壁に阻まれて、地面に落ちた。
「もっとも、強力な結界のおかげで英姫の場所が一発でわかったというのもあるけど」
全く気負う様子もなく、散歩でもするように、道満は結界のほうに歩き出した。
しかし、それを素直に許すわけがない。その前に日月が体を割り込ませた。もはや話合う気もない。無言のままで殴り掛かる。
「やれやれ、血気盛んなことだ」
道満は虫でも払うように、首筋を狙って木刀をあっさりと払いのけた。その手の中には金行符が入っている。そのまま手を振り下ろすと、日月の足元を狙って投げつける。
「っ!」
日月はやむなく追撃をあきらめていったん後ろへと跳ぶ。だが、依然と体は高明と道満の間からは動かさない。
「木刀か。あいにくそういうのは持ち合わせてないんだがね」
道満は、余裕を崩さない。取り出した金行符を発動させると、硬化した札を小刀のように構えた。
「わざわざこちらの土俵でやってくれると」
「弱い者いじめは好きじゃないのでね」
「……なめるな」
高明ですら今まで一度も聞いたことのない、迫力のこもった日月の声が聞こえた。まるで彼女自身が規格外の切れ味を持った刀のようである。
瞬きの間も挟まないような一瞬で間合いが詰まる。日月の唐竹割を、道満は札を盾に受け流す。しかし今度はそこからの反撃を許さない。そらされた力を利用して、日月は体ごと一回転させた。横薙ぎの一閃と金行符が衝突し、再度離れる。
「……驚いた。これほどの使い手がいるとはな。情報は全く聞いてないんだが」
「手加減する気は失せましたか」
「そうだな、全力で行こう」
道満が手妻のように札を広げた。そこには金行符ではない札も混ざっているのだろう。
「そろそろこちらの土俵でやらせてもらおう」
高明は以前の道満との対峙の感覚が戻ってくるような感覚がした。
火行符、と高明は直感的に悟った。あの札の量では日月どころかその周辺も焼き尽くしかねない。日月はともかく、日月と道満の戦闘を立ちすくんだままに見ることしかできないあやがこの庭にはいるのだ。
考えるよりも先に体が動いた。
「五行開放!我が命に応じよ、急急如律令!」
水行符。袖から取り出した水行符を一斉に投げつけた。と同時に結界のうちから走り出る。戻れなくはなるが、そんなことかまっていられない。一瞬遅れて道満の手から大量の符が放たれる。道満の手前で発動した水行符が、五行の詰まった水の壁を形成する。札に入っていた分の五行しか使っていないため、その量はたかが知れているが、発動の瞬間の火行符の威力を減衰するには十分である。
「日月、あや、伏せろ」
遅れて走り出た高明は二人の前に出ると、次は土行符を地面にたたきつけ、その上を踏みつけた。
「五行開放!我が命に応じよ、急急如律令!」
水行符に邪魔されたとは言え、道満の符が高明程度に止められるわけがない。減衰はしたものの十分な威力を持って高明らを襲う、直前に今度は土の壁が現れた。
「土行符は苦手なんだけどな」
「こんな力任せな五行の展開に苦手もなにもないでしょう」
それもそうか、と苦笑いしながら土行符から足を離す高明。
「ほう、出てきたか。まあこっちにしてみればそこの安倍が結界に入っている意味が分からなかったのだが」
「どうも僕の方は狙いのうちに入ってないみたいだからな」
土の壁がもろく崩れていくなかで徐々に互いの姿が土煙の向こうから見え始める。
「前回のでまだ懲りないと見える」
高明はそれには答えず、くいっと顎を引いて道満を睨みつける。
勝たなくてもいい、少なくとも忠成が援軍に来るまでこの結界を壊す機会を与えなければいいのだ。
「絶対に止める」
高明が符を広げ、日月が木刀を構えなおす。
「あや、とりあえず下がっていろ」
全く状況が呑み込めずに、この期に及んできょとんとした顔できょろきょろするあやを守りやすい位置に回す。
「はーい」
緊張感のない返事。この状況を危険だと思っているかも怪しい。
もしかすると、この丈夫な結界よりもあやを守る方が先決なのかもしれない。
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