開戦へ
「えっ、またあのあやという少女と会ったのですか」
「ああ。今日、市に出た時にたまたまな。日月にも会いたがっていたぞ」
自室で符を作る高明のところを日月が訪ねてきたのは日も落ち、夕食を済ませた後の夜だった。日月はそれまで忠成について外出していたので、何か今回の事件についての捜査の進展を話に来たのだろうが、今日の市の話をするとなにやら食いついてきた。
「……高明殿はあの少女についてどう考えておりますか」
日月の問いに、高明は手元の符から目を離し、顔を上げる。普段からあまり表情の変化しない日月だが、今は非常に真剣な顔をしているのだろうということは高明にも読み取れた。
「どう、か。おかしな子だとは思っている。少なくともただの庶民の子だとは考えにくい」
そう切り出した高明は、今日の市であった出来事をすべて話した。
「なるほど。だとすれば高明殿、高明殿は彼女の事を何者だと思っておるのですか」
高明は少し視線を上げて考える。
「さあな……普通の庶民だというのはさすがに考えにくいし、もしかすると河原者の類かもな」
河原者とは皮革業や死体処理を請け負う専門職の人々である。生死にかかわる職ゆえに一般市民からは畏怖の目で見られることが多く、多くの者はその身分を隠したがる。最も陰陽術をもってすれば彼らの職については全く畏怖の対象ではないというのがよくわかっているので、ある程度の知識のあるものは何でもないと考えている。
「河原者ですか。それならば身分を知られたくないゆえに見送りを断ったというのも考えられます」
「ああ。都のはずれに住んでいながら専門職ゆえに結構な収入を得ると聞いているし、彼女のある程度きれいな身なりや世間知らずも何となく説明できる」
しかし、日月はどうも納得できなようである。腕を組んでまた考え込む。
「……実は以前、あや殿と会ったとき、違和感があったんです」
「ほう、僕は感じなかったけどな」
日月は、それは違うというように首を振った。
「高明殿が感じないのは当然です。『感じない』というのが違和感だといっているのです」
「感じない」
「そうです。あの時の彼女の気配というのは驚くほど希薄だったんです。まるで結界を張ってるみたいに」
ますます謎が深まっている。なんにせよただの庶民ではないことは明白だ。しかし今まで一緒に話した二回の中で、高明はどうしても彼女が悪い人には思えなかった。
それに、何も感じなかったというのは嘘だ。と高明は心中を振り返った。
高明は彼女の声にどこか聞き覚えがあるように感じたことを日月にも話していなかった。
民が寝静まり、昼間とは全く違う様相を見せる、都の中央街道。そこを一人の狩衣の男が歩いている。色は白。本来であれば闇夜の中で目立ちそうなものだが、存在感は希薄でまるでこの場に魂がないようにも見える。
いや、事実そうとも言えるのかもしれない。彼は精巧に作られた『式』と呼ばれる種別の式神で、その操者の目となり耳となり、見たもの聞いたものを直接伝える。
やがて、その式神のところに、四方から鳥のような別の式神が寄ってくる。人型の式神はその鳥を手に止まらせる。すると鳥は鳥の形をした型紙に戻った。狩衣の男はその鳥の持ち帰った情報を統括して、主へと伝えるのが任務である。
感覚のつながった主は、今の式神を受け取ったことで、重要な情報は全て受け取ったはずだ。式神を回収した以上、ここにいる意味はもうない。
式神の男は踵を返して、元来た道を戻ろうとした。
ひゅっ、と音がした。
次の瞬間、戻ろうとしていた彼の背中から胸に向けて赤く燃える光が貫いた。立ち尽くしたままで一瞬停止した彼は、そのまま崩れ落ちる寸前に、元の型紙に戻った。しかし型紙は真っ二つに裂けて焦げ付いており、もはやもう一度人の形を成すことは不可能だろう。
「全く乱暴なものだ」
陰陽庁でも最大の名家である安倍家。その本家の広大な屋敷の奥に、ひと際、五行の波動が渦巻く部屋がある。
その部屋の主の名は安倍晴明。狐を母に持つという伝説が生まれるほどの莫大な霊力を誇り、陰陽庁ではもはや殿堂入り扱いとされて緊急の事態以外では出動の要請は入らないほどの大陰陽師である。
そしてそんな彼が最も得意とするといわれるのが、式神の扱いである。十二神将と言われる超の付く高位の式神はもちろんのこと、型紙に霊力を移し、五行を纏わせた簡易版の式神『式』の扱いについても都では追随するものはいない。今も、その『式』を操ることで、屋敷から一歩も出ることなく都やさらにはその外の事まで、正確に把握しているのだ。
「式とは言え、いきなり背中を打ち抜くとはねえ。道満もかなり神経をとがらせていると見える」
清明はそういいながら、外に出していた式が破壊される直前に送ってきた情報を目の前の地図に書き落していく。
「都の周囲の山を中心に、不可解な五行の拡大がみられる、か。しかもその大半はあの世の存在ともされる陰気。妖の類が増えているのか……情報が足らんな」
本来ならば、外に出しておいた式が回収した飛行型の式を持ち帰らせ、さらに細かく解析して観測した陰気の正体まで突き止めたいところだが、あいにく道満らしき何者かに燃やされてしまった。
「まあいい。近いうちに道満が何か起こすのは間違いない。それだけわかれば十分」
そう呟くと、清明は懐から鳥の形をした型紙を二枚取り出し、ふっ、と息を吹きかけた。途端に紙は形を変え、本物の鳥のようになる。清明は鳥の足に紙を結びつけると、襖の外に放つ。
二羽は同時に上空へと飛びあがると、一方は中央機関の集まる内裏のほうへ、一方は安倍の屋敷よりも南にある賀茂家の屋敷へと向かって飛び出した。
朝一で忠成に呼ばれた高明は、忠成がどこからか仕入れてきた道満の動向について聞かされていた。
「数日内に蘆屋道満が動くのは確実、か。しかし場所は特定できず、最悪都の周囲四方八方で術が発動する可能性あり。思ったより大事になりそうだ」
「……どこからそのようなことを。まさか御自分で調べられているのですか」
「知り合いの陰陽師がな、私よりもずっと高位の者なのだが、今回そいつも動いているのだ」
つまり、忠成一人では手が回らない、もしくは陰陽庁に制限されている独断の捜査をその陰陽師に任せているということらしい。
「大事、とはどういうことでしょう」
「英を奪うのが目標なのではなく、それを使って大規模な何かをやらかす可能性があるということだ」
「何か……」
「報告によると、都の周囲全方位において霊力を使った五行の渦が展開されているそうだ。それを使って何をやらかすつもりかは知らんが、そのうちいくつかは霊脈の上に作られているもんだから余計に警戒しているというわけだ」
霊脈は主に地下を流れる自然の霊力で、人間のものとは比べ物にならない力を持っている。これを利用することで強大な術を使うことができると言われているために、しばしば陰陽庁は霊脈の調査を行っているのだ。
「それで、私を呼び出して、その話をしたのはなぜですか。私では一切力になれませんが」
「その話なんだがな」
それまで柔らかな表情で話していた忠成の顔が、厳しくなる。
「今回、私は陰陽庁のほうから正式に指令が下り、陰陽庁の指揮下に入ることになった。つまりこの屋敷にいない時間が増えるということだ。英もそうだが、道満は安倍家に並々ならぬ恨みを持っている。そこで、悪いが二人を軟禁状態にさせてもらう」
「軟禁状態というと」
「別に拘束するわけではない。が、屋敷の一角に多重の結界をはり、その中に入ってもらう。ここから出ることは極力控えてもらいたい」
つまり、戦力にならず、ただただ敵の的にしかならない見習いは下がっていろ、ということらしい。それは言われるまでまなくわかっていることだが、改めて言われるとなかなか思い言葉だった。
「……わかりました」
そもそも、高明が以前よりも強力な術の訓練を始めたのはわずか数日前。いまだに自分の限界を知れた程度で、大きな霊力を扱うことは全く持って成功していない。日月との実践訓練もひどいもので、日月の服に焦げ跡どころか泥の一つもつけられていない。
この実力では、屋敷の中を守ることすら難しい。自分の身の安全を考えてもここはおとなしく後方待機だろう。
「結界を張るのはこの家の東端の二部屋だ。決壊が完成し次第、荷物をまとめてそちらへ移動してくれ。日月にも手伝わせる」
読んでいただきありがとうございます
感想、評価などよろしくお願いします。お待ちしています
次回更新は7月25日午前2時の予定です




