市の少女 3
記念すべき投稿十回目です。このままひとまず完結を目標に頑張りたいと思います
朝の忠成邸の庭に、高明は普段の修行では使わない火行符を持って池の淵に立っていた。しかもその符は普段高明が使っている、高明自身が五行を込めた濃度の薄い符ではない。本職の陰陽師である忠成が戦闘で使うこともある、強力な火行符である。
高明は一度手の中の符に目をやると決心したように、その符を池の上空へと投げつけた。
「五行開放!我が命に応じよ、急急如律令!」
高明の声と共に、普段の修行とはくらべものにならないような爆発するように炎を吹いた。
「くっ」
符に込められた五行を、高明は自分の霊力を持って、制御しようとする。しかし五行の量は普段よりも膨大なわけで、高明の霊力ではすべてを掴み切れず、まとまりを無くした炎が、四方に広がり始める。
まずい、と判断した高明は、炎の塊と掴むことをあきらめ、ありったけの霊力を動員して周囲の五行ごと下の池の水面に叩きつけた。
派手な水しぶきと共に、炎と池の水が衝突した。
水行によって火行の塊である炎が消える。
と同時に、岸に立っていた高明も後ろ向きに倒れこんだ。胸を大きく上下させ、呼吸を繰り返す。額は冷や汗でびっしょりだった。
「やはり、一度に霊力を使うと苦しいのですか」
そんな高明を覗き込みながら、日月が問う。
高明は答えられない。いや、答えの代わりに返ってくる荒い息が、問いの回答を示していた。
「どうしますか。予定通り、この後実技の訓練をしますか?」
「……やろう。息は上がってるけど、疲れてるわけじゃないから」
高明は息を整えながら体を起こした。忠成に呼ばれた日から数日、彼は過剰ともいえる訓練に取り組んでいた。以前の道満との戦いで倒れる原因となった霊力の大量放出を毎朝のように試している。
「やはり、高明殿が大きな霊力を扱えないのは過去に何かあったからなのでしょうか」
高明は背中に付いた土を払いながら首をかしげる。
「さあな。でも心の中で何かが関になって、霊力の放出が強制的に止められているような気はする」
「それが原因で高明殿は陰陽師を目指すことはやめていたのでしたね」
「ああ。倒れないように霊力を使ってたらとてもじゃないけど陰陽庁には入れない。だが今回は非常時だ。少しでも戦力になれるようにしないと」
そう語る高明は、ふと、自分を見る日月の目に、何か複雑なものを感じた。前々から彼女の胸の中には何か高明の知らない何かが秘められているように感じる。
しかし、それを高明が問おうとする前に日月が立ち上がった。
「さて、次に行きましょう。敵は次にいつ来るかわからないんですから」
「……ああ、そうだな」
高明も立ち上がって、先ほどの火行符とは違う、金行符や木行符を取り出した。一方日月は脇に置いていた木刀を手に取り、距離をとった。
「じゃあ行きますよ」
合図と同時に日月は地面を蹴って間合いを詰めた。
十分もたたぬうちに高明は再び荒い息を吐きながら倒れこんだ。
「まさか一撃も入らないとは……」
一方、木刀一本で高明の金行符を中心とした近接攻撃を防ぎ続けた日月のほうは息一つ乱れていない。しかもその腰にはいつも通りの刀がささったままだ。
「無駄な動きが多いんです。だから疲れるし、私に技の出を読まれるんですよ」
「そんなこと言ってもな……」
これまで接近戦の練習などしたことがなかったが、それでも日月の動きが神がかっていることは理解できた。動きが速いのはもちろんのこと、牽制には全く反応しないくせに本命の攻撃は起句を唱える前に叩き落される。
「強いのは知っていたが、これほどとは」
「基本を押さえればこのぐらいはできます。さ、修業あるのみです」
「本当かよ……」
高明は半信半疑、というような顔をしながらも木刀を掴んで立ちあがった。
「とりあえず経験値を積めば、ある程度の事はできるようになりますから、組手を続けましょう」
「いてて……」
その日の午後である。高明は数日前に訪れた市に、今日は一人で来ていた。朝の修行で札を使いすぎて紙と墨が足りなくなったのだ。本来ならば外出を控えるように言われている高明が来るべきではないのだが、今は屋敷のほうも忙しく、日月も何か言付かっているようで、一緒には来なかった。
そういうわけで、霊力の放出を抑え、正体を隠す、結界仕様の小袖を着て、こうして買い物に来ているのだ。
「しかし、日月も最後のほうは容赦なかったな……」
顔の傷や足のあざはいうまでもなく今朝の練習で日月につけられたものだ。はじめのうちは受けているだけだった日月だが、途中から攻勢に転じることが増え、高明は何度も地面に転がされた。
そんなこんなで市で紙と墨を探していた高明だったが、それよりも先に見覚えのある少女を見つけた。
向こうもそれに気づいたようで、人ごみをかき分けてこちらへとやってきた。
「あれ、今日は日月さんは一緒じゃないの」
「いつも一緒ってわけじゃない。というかあやにまでそう思われてるのか」
「いや、日月さんがいるとからかい甲斐があるから」
こいつが英姫様と同じ思考回路をしていると思った僕が馬鹿だった、と高明は頭を抱えた。以前あったときはそのせいでひどい目にあっているのだからなおさらだ。
「そういうあやこそ、こんなところで何を」
「別に。ぶらついてたら高明君が見えたから、来てみただけ」
「……暇なんだな」
高明は率直な感想を言いながらも、内心では首をかしげていた。高明のような貴族かそれに準ずる身分の人間であるという例外を除いて、このぐらいの年頃の子であれば家の仕事を手伝うなり、使用人としてどこかに使えるなりしているのが普通だ。
思えば初めて会った時の世間知らずぶりや、それにもかかわらずそのあとの陰陽術に関わる説明をすんなり理解したというのは、普通ではない。
「ん、どうしたの。黙っちゃって」
「いや。何でもない。僕は買い物があってきてるんだ。特に用事がないなら行ってもいいか」
高明は、あやの横をすり抜けて、先へ進もうとする。が、抜ける瞬間にあやが高明の腕をつかんだ。
「待って。私、暇なの。あなたの買い物、手伝ってあげる」
「手伝うって……今日はそんなにたくさんは買わないぞ」
「いいからいいから。えっと、何を買うの?」
予想外のあやの態度に、高明はたじろぎながら、反射的に答えてしまった。
「……墨と紙を」
「わかった、こっちよ」
あやは高明の手を引いて駆けだした。
日月がいなくてつまらないと言っていた彼女だが、心なしか前にあった時よりも生き生きと楽しそうだった。
※
「やっぱり一人でやったほうが早かったような気がする……」
あやは確かに市場にある店の市を把握していて、迷うことはなかった。
だがそれ以上に寄り道が多い。食べ物、装飾品、その他諸々、所狭しと並んでいる市の様々な店を片っ端からのぞいて行き、高明を引き回した。
「いいじゃない。せっかく女の子と市に来てるんだから、そのぐらいしないと」
「……僕はお前に対してそんな感情は持てない」
高明は、これが英姫様なら、と無意識にぼやいていた。聞こえないくらいのぼやきだったが、あやはそれを耳ざとく聞きつけた。
「以前あった時も、名前だけは聞いたけど、英姫様って誰なの」
「……僕の住んでる屋敷の主人の娘」
しまった、と思いながらも、貴族でもない彼女に教えても特に問題ないと思い、素直に答えた。
「へえ。どんな人?」
「お前や日月とは全く逆の、おしとやかで気品のある人だ」
「きれいな人?」
「顔ははっきりと見たことがないけど、御簾越しでもきれいだと思えるくらいだ」
「日月さんよりも?」
「それはもちろん」
「で、高明君はその姫の事が好きだと」
「そうだな」
ん、と勢いに乗って答えてしまった高明は自分の失態に気が付いた。
「ちょっちょっと待て、さっきの最後のは忘れてくれ」
高明は顔を真っ赤にして慌てて訂正しようとする。しかし、あやのほうも真っ赤になってうつむいている。
「なんであやが赤くなってるんだよ……」
「……いや、あまりにも直情的な告白だったから、こっちが恥ずかしくって」
ふざけて聞いてみたあやにとっても予想外の回答だったらしい。
そんなあやに対して、高明は起こる気にもなれない。訂正しようとはしたものの、否定できるわけではない。
「いや~、でも姫様一筋って感じだね。失言の前の質問にも迷いなく答えてたし」
高明はますます真っ赤になってうつむく。はじめは予想斜め上の反応に面食らっていたあやも、今となっては面白がってからかい半分に攻め立てている。
「もうやめないか、あや」
「え~、面白いじゃない」
「お前だけな……」
高明はもはや憔悴しきった顔で額に手を当てる。
ごーんごーん、と鐘の音が二人の耳朶をたたいた。この都において時を告げるために定期的にならされている鐘の音だ。
ふとあたりを見渡すと、市の店棚はぽつぽつと店じまいを始めていた。日も傾き、西の山の向こうに消えようとしている。
「あれ、もうこんな時間ね。じゃあ私は帰るから」
そういってあやはあっさりと高明から離れた。
やはり彼女といると体力を消耗する、と高明は精神的に疲れ切った体で脇に置いてあった背負子を背負うと、先に歩き出したあやに続いた。
「あや、お前の家はこっちなのか」
「えっ、ええ、まあそうだけど」
あやと歩く方向が一緒になっていることに気付いた高明はあやに尋ねた。案の定その通りのようである。
以前あった時には、大男に平気で喧嘩を吹っ掛けていた彼女である。高明は急に彼女がこのまま一人で家路につくのが危険なような気がしてきた。
「なら送っていくよ。こんな時間だし、買い物手伝わせたし」
「……いや、大丈夫。そんなに遠くもないし」
「お前の世間知らずっぷりを考えたら怖いんだよ」
「ほんとに大丈夫だから」
そういってとうとうあやは駆けだしてしまった。
「あっ、ちょっと待てよ」
高明は後を追おうとするが、彼女はすでに人ごみの中を器用にすり抜けながら走りぬけていっていた。体の小さい彼女を人ごみの中で追いかけるのは難しいだろう。
「全く、かわいげがないな」
高明はあきらめて背負子を背負いなおした。頑なに見送りを拒否したということは、彼女の家には何か見られたくないものがあるのかもしれない。
「また謎が増えたな」
今度会ったときにはいろいろ聞いてみよう、そう思いながら高明は彼女が消えていった人ごみ、屋敷がある方向に歩を向けた。
読んでいただきありがとうございます
感想や評価、お待ちしています。応援や高評価はもちろん、酷評や低評価も(多分)作者のやる気になると思うのでどんどんやったって下さい
次回から投稿は週一になります。火曜の午前二時に固定しようと思うのでこれからもぜひ読んでください




