8.絶望
帰りの道と、寄留所で、
私のうちに、
失望を通り越して、絶望が襲った。
倒れこんで、もはや、一歩も立ち上がる気力も体力もなかった。
荒野をここまで歩き続けてきて、
ついに、信じていたものに裏切られた!!
クニにいたとき、
クニの神々を信じていた時、
自らが最も忌み嫌っていたことが、
「信の自由の圧迫、そして、信の押し付け」だったのだ・・・!
そんなものを、君は、何度も何度も経験してきて、もはや完全にうんざりしていたはずなのに!!
もっとも、してほしくなかったことだった・・・!
それから、逃れ、本物の神を求めてきたのに。
今までの長い旅で、やっと手にしたものの答えが、これだったのか・・・。
ながいあゆみのうちに、培ってきたもののすべてが、そこで無に帰した。
すべての場所には本物の神はいない。
いたとしても、その「本物の神」は、他の神を排除し、本物でないと信じるものを否定し排除する、実に戦闘的で不寛容なものなのだ。
その前まで、憩い、笑っていた楽しみが、一瞬にして奪い去られてしまった。
もはや、やっと手にしたものは、もう一度手にしたいと思っても、どうしても戻ってくるものではない。
完全に、神が私のうちから取り去られてしまった。
無性に、何も考えられなくなり、自殺したいと思った。
理性は、これをどうとらえて消化すればよいのかわからない。
人は、神を求め切望しながら、
一生そこにたどり着くことはできず、つねに引き離され、
疲れをまとうだけの人生を歩まねばならぬのだ・・・
ああ、いっそのこと、中途半端な希望などなければ、
思い切って死を選ぶことができたのに!
神がおり、
そして、生きているということは、罪だ。
怒りや、失望や、欲望を人は、捨て去ることはできない。
そのまま、人に裁かれ、自らは、人に迷惑をかけながら、償いきれない罪を犯すことをやめることもできずに、死んでいくしかないのだ。
いっそのことなら、早く、死んでしまいたい!!
神よ、哀れみたまえ
神よ、われを救いたまえ
と祈るのも、バカらしくなってきた。
したり顔で、善人ぶった信仰者どもが、
「それは違うわよ」「お前はとんでもない奴だね」
と、君の周りを取り囲んで、
神でもないのに、「神とはこのようなものだ」と言いながら、
君の心や魂の動きや祈りや考えを「指導してくる」。
激しい怒りが自分の中に湧き上がってきた。
まだ、理性だとか、道徳的な生き方とか、人を傷つけない生き方
なんてものにとどまるから、自分の命はいまだに真なる生を得ていない。
ついに、彼の中で、
吐き出すのを恐れていたことが吐き出された。
神に対して、
君は、
「コノヤロウ!バカヤロウ!クソッタレ!」と叫び、
机をたたき壊した。
天からの裁きが下ろうがなんだろうが、よかった。
その瞬間君はは、気が付いてつぶやいた。「クソッタレは俺自身だ・・・」
神が、そこでにやりと笑って言った。
「いいじゃないか。
それだよ。それ。
私はそれを待ってたんだ!」
憎しみや怒りではないもの
黒い炎ではなく、
青く清浄な炎が、自分の魂のうちで燃え盛った。
その青い炎は、自分のうちの、どろどろとしたものを燃料にして、燃え盛り消滅していった。
痛快だった。