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Friends with Benefits

 入院患畜用の大部屋と内科の診察室を繋ぐ廊下に置かれたケージの前で、内科の大御所B先生が腕組みして何やら考え込んでいる。B先生は我が病院では一番の年配なのだが、一見するとムッツリと押し黙っていてやや取っ付きにくい感じ。

 しかしムッツリして見えるのは非常に思慮深い方だからであり、私のように余計な事をペラペラと口にしないだけだ。更に無口なわけでも取っ付きにくいわけでもなく、単に喋り方がスロー過ぎて常人に比べて口を開くのに時間が掛かるだけ。小柄でメタボ体型なその姿はどこか森の小人さん風で、私は穏やかで優しいB先生の大ファンだ。


 そんなB先生が無言でじっと眺めているのは、献血猫のウービーくん。


 私が現在働いている病院には、常時十匹ほどの献血猫達がいる。と言っても、普段は血液バンクから買った血液を冷蔵庫にストックしているので、実際に献血猫達の血を分けて頂くのは多くても二ヶ月に一度、血液バンク経由では手に入らない超新鮮な血を必要とする時だけだ。

 猫の血液型はA、B、AB型と三種類ある。西海岸の猫達は殆どがA型で、B型やAB型は珍しい。ちなみに東海岸の一部ではB型が結構多いらしいが、世界的にみても圧倒的多数はやはりA型。我が病院の献血猫達も、B型はたったの一匹だけ。ミディアムロングでグレーの縞模様が愛らしいウービーくんだけだ。


挿絵(By みてみん)


 ケージ越しに無言で見つめ合っているウービーくんとB先生。一体何をしているのだろうと不思議に思う。ウービーくんの様子に変わったところはないと思うが、もしや熟練医師B先生にしか見抜けない病気のサインでもあるのだろうか。B先生の隣に立ち止まった私をウービーくんがハッとした表情で見上げる。

「ナア」とウービーくんが鳴く。

「ナア」と返事する私。

「ナアナアナア」と何やら懸命に訴えつつ、ウービーくんがケージの隙間から前足を出して私の白衣の裾を引っ掻く。B先生のことは完全に無視。

「……彼は和泉先生が好きなようですね」

 ぼそりと呟くB先生。

「ああ、って言うか、私達、『friends with benefits』なんです」

「……は?」

「ちょっと待ってて下さい」

 走って入院患畜の部屋に戻り、冷蔵庫から超美味な高級猫缶を出して指先に付ける。再び走って戻ってきた私を見て、ウービーくんが目を輝かせる。ザラザラの舌で一心不乱に私の指を舐めるウービーくんの姿にB先生が苦笑した。

「まさか通行料が要るとは気付きませんでした」

「通行料じゃなくて、お友達料金です」

 指を舐め終わったウービーくんが、再び私に「ナアナア」と呼びかける。もっとよこせと要求しているわけではない。暇だからケージから出せと言っているのだ。忙しい時は猫語が解らないフリをして足早に立ち去るのだが、オフィスで書類仕事をしている時は連れ出して遊ばせてやる。と言うのもウービーくん、実は他の献血猫達からの執拗なイジメに遭い、それがショックで下痢嘔吐を繰り返した。仕方無いので、他の献血猫達が勝手気儘に遊ぶ専用の猫部屋から狭いケージに彼だけ隔離されているのだ。


挿絵(By みてみん)


 お喋りで人懐っこいウービーくんは皆の人気者だ。イジメられた上にケージ生活を強いられている彼に同情し、オヤツをあげるのは私だけではない。おかげでウービーくん、運動不足も祟ってちょっと最近太り気味。

 仕方無いので深夜のICU勤務時、あまり忙しくない日は運動不足解消のためにICU内を探検させてやる。


挿絵(By みてみん)


 忙しくあっちこっちのケージを覗いて歩くウービーくん。しかしICUに入っている動物達は生死の境をさまよっているような子ばかりなので、ウービーくんがケージ越しに「ナアナア」と話しかけても目も開けてくれない。

 と、貧血で輸血中の黒猫ワチャウスキーちゃんとウービーくんの目が合った。

 急いでカウンターに飛び乗り、ワチャウスキーちゃんのケージを覗き込むウービーくん。猫達による集団イジメにあったというのに、懲りないヤツだ。しかしワチャウスキーちゃんは猫嫌いだったらしい。カウンターから身を乗り出すようにして自分のケージを覗き込むウービーくんの姿にカッと瞳孔を開き、いきなりフーフーギャーギャーと喚きだした。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 ワチャウスキーちゃんは酷い貧血で血液バンクから買い置きしてあった血だけでは足りず、彼女の為にすでに三匹の献血猫達が血抜きされている。

「ワチャウスキー冷たい! ウービーからいずれ血を貰うことになるかも知れないんだから、もっと愛想良くしてあげればいいのに!」

 ウービーくんに向かって尻尾の毛を膨らませ、凄まじい勢いで威嚇するワチャウスキーちゃんを看護士さん達が非難する。

「あ、でもワチャウスキーはA型だから、B型のウービーくんは用無しなんだよ。役に立たないオトコは冷たくあしらう……理にかなっていると思うけど」

「和泉先生冷たい!」


挿絵(By みてみん)


 ワチャウスキーちゃんに近寄ることを許されなかったウービーくん。看護士さんがダックスフンドのロージーちゃんのケージを開けるのを見て、急いで覗きに行く。そしてちょっと目を離した隙にロージーちゃんのケージに入り込み、そっとロージーちゃんの匂いを嗅ぐ。

 三度の開腹手術をようよう生き延びたロージーちゃんに、ウービーくんを気にするような余裕はない。彼女は薄眼を開けてチラリとウービーくんを見ると、「……なんだ。ただの猫か」とでも言うようにフッと溜息をつき、再び目を閉じた。

 それに気を良くしたウービーくん。彼はロージーちゃんにピッタリと身を寄せると、彼女を抱き締めるように腕を回して昼寝を始めた。

 ぎゃーカワイイー♡と叫びたいところだが、動物同士を接触させるのは病院のルールに反する。人様の動物を預かっている以上、もし万が一何か予測不能な事故が起きた場合、ゴメンナサイでは済まないのだ。

 無言で私にケージから引きずり出され、非常に不満気なウービーくん。

「ロージーちゃんはボクのお友達」と決めた彼は、ICUで遊ばせていると、どこに居ても彼女のケージが開かれた瞬間にケージの中に飛び込んでくるようになった。


挿絵(By みてみん)


 皆に愛されていたウービーくんだが、とうとう別れの時が来た。ウービーくんはもうすぐ十歳になる。病院のルールでは、献血猫はどんなに元気でも七〜八歳で里子に出されることになっている。死ぬまで一生献血猫……なんて人の道に外れた真似はしない。実はウービーくんも数年前に一度里子に出されたのだが、夜中に引っ切りなしに鳴き続け、棚の上の物を全て落としてまわり、休みなく遊び続ける彼は里親の手に負えず、病院に返却されたのだ。

 猫アレルギーさえなければ、私が欲しかった。(私は獣医ですが、酷い鳥猫アレルギーです。)しかし結局、ウービーくんは新しく病院に入ってきた腫瘍科のA先生に貰われていった。

 これでようやくウービーくんも猫らしく、広々とした家で自由に手足を伸ばして遊ぶことが出来る。彼の為に喜ばしく思う反面、廊下を通りかかるたびに「ナアナア」と話しかけてくる彼にもう会えないかと思うと、少し寂しかった。


 そんなある日の事。ウービーの入っていたケージの前を通りかかると、B先生が何やらウロウロしている。その指先を見てピンと来た。

「あ、B先生……あの、ウービーは先週、腫瘍科のA先生に貰われていきました」

「……そうですか」

 B先生は重々しくひとつ頷くと、静かに洗面台に歩み寄り、指先に付いた餌を洗い流した。

 B先生は半年程前に御自身の飼い猫を亡くされている。もしかしたらB先生もウービーくんを飼いたかったのかなぁ、でも口を開くスピードがスロー過ぎて言い出せなかったのかなぁ、と思ったが、真相は謎だ。


 とりあえず、もしもウービーくんが養子縁組に失敗して戻って来たら、今度はまず最初にB先生に声をかけてみようと思っている。


挿絵(By みてみん)

 酸素ケージの上に陣取り、世界を睥睨するウービーくん。

friends with benefits = 「利益付きの友人」

セフレの事です。

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