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悩み

 私には今現在大きな悩みがある。仕事でも私生活でも、怒り狂うことはあっても悩むことだけは決してない我が人生最大の悩み……それは愛馬達の今後についてだ。


 私には二頭の愛馬がいる。他にも色々といるのだが、「個人的に飼う」という選択肢に入っているのは愛馬一号ブルックリンと愛馬二号マイダスくんだけ。本当はこの二頭の間にスニッカーズくんという最愛のパートナーがいたのだが、彼は私以外の人間に懐かなかったばかりか、五〜六人の乗り手を連続で振り落とすという暴挙に出たため、ドナドナと私の手の届かないところへ売られていった。この辺りのことは以前に詳しく書いたのでここでの説明は省かせて頂くが、しかし今もしもスニッカーズの居場所がわかったら、私は何の迷いもなく彼を買うだろう。しかし過ぎたことを今更うじうじと悩んでみても仕方が無い。


 話を戻そう。

 私の悩みとはつまり愛馬一号と二号、どちらを乗馬クラブから買い取るか、ということだ。

 私は只今仕事の関係で、愛馬達から遠く離れた町で一人暮らししている。しかしクリスマスには半年振りに愛馬達に会いに家へ帰った。

 馬は賢い。半年や一年くらい会わなくても、相棒を忘れたりはしないさ……とか口では言いつつ、でも内心ちょっと心配なワタシ。だって我が愛馬達って、性格がかなりビミョーなのだ。


挿絵(By みてみん)


「マーイ」と呼ばれた途端にハッとした顔で振り返り、彼にしては急ぎ足でゲートに駆け寄ってくるマイダスくん。+1点。


「ブルック!」と呼ばれ、ハッとした顔で振り返るブルックリン。大きな眼でジッと私を見つめているものの、近寄ってはこない。ー1点。

 仕方ないから泥だらけの放牧場を横切り、ホルターを掛けて引き出す。ブルックリンは私以外の人間がホルターを掛けようとすると超イジワル顔で耳を伏せて噛み付いたりするが、私相手だと大人しくしている。しかし他の馬が私に近付こうとすると、ガチガチと歯を鳴らして追い払う。これはマイダスくんも同様。


 うっとりとした顔で長い睫毛を伏せ、柔らかな鼻面をそっと私の肩に押しつけるブルックリン。馬の眼はとても感情豊かだ。半年振りに私に会えた喜びが、黙っていても全身から溢れ出ている。めっちゃ可愛い。+10点。


 対するマイダスくん。残念ながら彼は愛情表現が苦手なオトコなのだ。彼は私に対してでさえ甘えて鼻を鳴らすことなど滅多にない。ただ無言のまま、横眼でチラチラとこちらの様子を窺っている。そして私と目が合うと、「お前なんか見てねーよ」とでも言いたげに目を逸らす。その癖、私が他の馬を撫でたりすると、こめかみを引き攣らせて怒っている。私に近付く人間に対しても同様の反応をみせる。

「こんな恐い馬ヤダッ」

 マイマイにジロリと睨まれ、怯えた顔で後退りするジェイちゃん。

「恐くない。よく懐いている」

 ジェイちゃんに向かって頭を振り回しているマイダスの鼻面を軽く叩いた途端、ガブリと指を噛まれた。マイナス10点……と言いたいところだが、この躾のなっていない暴れ馬相手に不用意に手を出した自分が悪いのだから、ここは諦めるしかない。しかしマイダスの方も噛んでから「しまった!」と言った顔で慌てて目を逸らし、大人しく頭を下げているところがご愛嬌だ。イケナイコトをしてしまったという自覚くらいはあるらしい。

 一応断っておくが、マイダスの性格の悪さと躾の無さは私の責任ではない。ヤツの性格の歪みは私に出会った時にはすでにどうしようもないくらい完成されていた。これでも人間に本気両脚蹴りを喰らわしたり、トレイナーの肩を咥えて柵越しに放り投げたり、放牧場でいきなりギャロップで襲いかかってこなくなっただけマシなのだ。


 絶対的な凶暴性はマイダスの方が上だが、ブルックリンも負けてはいない。彼女は人も馬も嫌い。雌馬特有の神経質さと容赦の無さで傍若無人な放牧場の女王として君臨し、多くの馬を故障に追いやっている。ある意味マイダスよりも厄介なのだ。


 どんなに大人しい馬でも、ホースで顔に水をかけられるのを嫌う。たとえ暴れなくても必死に頭を振り上げて、水が届かないようにする。ブルックリンはそもそも私以外の人間が彼女の顔に触れることを許さない。しかし私が相手だと、頭の上からジャージャーと水を掛けても、頭を下げて大人しくシャンプーさせる。決して頭を振り回したりしない。これは普通の馬と比べてもかなり珍しい。+5点。


 対するマイダスくん。頭からシャワーなんて絶対にイヤッ!

 背の高いヤツが頭を振り上げたら、踏み台に乗っていても届かない。仕方無いからお湯で濡らしたタオルで少しづつ汚れを落としていく。このフェイシャルエステはマイダスくんのお気に入り。この時ばかりはムフフ……といった表情で頭を下げて大人しくしている。+1点。

 ちなみにマイダスくんはでろーんの掃除も好きだ。でろーんとは雄馬がオシッコをする時に出てくるアレのことだが、「マイマイ見せて」と言うと、彼はイソイソとそれをお腹のポケットから取り出して見せてくれるのだ。+3点。

 でろーんに付着した六ヶ月分のミルフィーユをお湯と石鹸で洗ってやる。でろーんを出し入れしつつ、恍惚とした表情のマイダスの隣で幸せを噛みしめる。なんだろう。私は生きて動いているモノ(ナメクジ以外)なら何でも好きだけど、馬といる時が一番充実している気がする。

 と、ジェイちゃんがしみじみと一言。

「ボクが将来足腰が立たなくなって垂れ流しになった時に、イズミがそんな愛情たっぷりにシモの世話をしてくれるかと思うと、想像するだけでとても幸せだ……」

「ふざけるな。今のうちにしっかり稼いで老人ホームの株でも買っておけ」


挿絵(By みてみん)


 ブルックリンは艶やかな赤鹿毛のダップル模様。スニップと呼ばれる鼻先の白い模様が愛らしい。

 対するマイダスくんは華やかな月毛のダップル。

 二頭とも毛色の美しさと言った点では甲乙つけ難い。しかし脚の長さや全体のバランスはマイダスくんがやはり一枚上手だろう。馬のことなど何も知らないジェイちゃんでさえ、初めてマイダスを見た時、「うわ、なにあの馬、凄くカッコイイ!」と感嘆していたのだ。しかしその直後マイダスくんに殺されそうになり、以来彼の放牧場には絶対に足を踏み入れない。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 愛玩動物として飼うのなら、やはりどう考えてもブルックリンの方が良い。ブルックリンだって私に飼われるなら、一も二もなく大喜びでついてくるだろう。マイダスくんだって私に飼われればそれなりに嬉しいのかも知れないが、しかしヤツは私がいなくても結構平然として生きていく気がする。悔しいが、ヤツはブルックリンほど私を必要としていないのだ。


 だがしかし。

 馬はやはりただの愛玩動物ではない。「乗馬」というスポーツとして考えた場合、障害馬術及び馬場馬術の才能はマイダスの方が遥かに上だ。ブルックリンだってそこそこの馬場馬術には使えるし、単に歩いたり走ったりする程度なら全く問題ない。でも私には物足りない。

 更にマイダスは多少の物事には動じない神経の太さを持つ。以前、マイダスに乗っている最中に近くで一輪車のタイヤが破裂したことがあった。パンッという爆発音に、辺りの馬が乗り手を振り落として一斉に逃げ惑う中、マイダスだけはジッと動かず、私の反応を待っていた。

「マイマイ、イイコだね。大丈夫だから、行こうか」と首筋を軽く叩いてやると、彼は「フム」と納得した顔でひとつ鼻を鳴らし、何事もなかったように悠々と破裂したタイヤの横を歩いていった。

 この素晴らしい神経の太さ。我が愛馬二号は草食獣の皮を被った肉食獣なのだと内心密かに信じている。


挿絵(By みてみん)


「To be or not to be...」

 ハムレット並みに悩みまくる私に、ジェイちゃんが冷ややかな眼を向ける。

「先に言っとくけど、ボクは馬の世話なんて絶対にしないからね」

「ねぇねぇ、ジェイちゃんはブルックとマイダス、世話するならどっちがいい?」

 ジェイちゃんの言葉なんて完全スルー。

「……ブルックリン」

 ここで答えてしまうのが、ヤツの素直なところなのだ。

「ブルックリンなら触れるけど、マイダスは怖くて近付けない」

 そう言えば、不思議なことにブルックがジェイちゃんに向かって歯を剥き出したことはない。まぁジェイちゃんが独りでブルックリンに会いに来ることはないし、無論ホルターを掛けたこともなければ、鞍上げをしたこともない。ブルックのジェイちゃんに対する認識は、「ワタシのニンゲンと共にたまに現れて、ワタシのニンゲンの命令でワタシにニンジンを寄越すヤツ。リンゴの食べさせ方はヘタ」くらいのもんだろう。


 対するマイダスくん。

「オレ様のニンゲン以外のニンゲン→コロス」


「マイマイは人間が総じて嫌いなだけだから、別にジェイちゃんに対する私怨ってわけじゃないし」

「……どちらにしろ良い気はしない。ボク達は友達にはなれない」

「度量の狭いオトコめ」

「それマイダスに言ってよね!ボクだってなれるものなら友達になってもいいと思うけど、向こうにあるのは純粋な殺意だけだから!」


挿絵(By みてみん)


 ちなみに乗馬クラブのオーナーには、「一頭買ったら二頭目はタダ! オマケでつけてあげるから、両方連れていって!」と言われている。二頭とも性格が悪過ぎて私以外の人間には懐かないというのがその理由なのだが、気難しいマイダスと馬嫌いのブルックリンを一緒に飼うとか、どう考えても血で血を洗う惨劇しか目に浮かばない。

 そして二頭の殺し合いに巻き込まれ、血溜まりの中に倒れているのは……それは間違いなくジェイちゃんだろう。

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