ちびドラゴン
「てんぷ〜ら。てんぷら美味シイネ」
水槽に片手を突っ込み、カタコトの日本語で何やらブツブツ言っているジェイちゃん。ジェイちゃんのぶっとい指がいかにも不器用な様子でつまんでいるのは、もぞもぞと動く生きたコオロギ。彼の指先とジッと睨み合う鮮やかな黄色の爬虫類。ジェイちゃんの緊張がマックスになったところで、不意に爬虫類が動いた。
「ウワッ! コワッ」
コオロギを持った指先に飛びつかれ、ジェイちゃんがビクリと飛び上がる。ビクリついでにコオロギの脚が千切れ、餌やり失敗。ヨロヨロと逃げ出す憐れなコオロギくんを慌てて捕獲する。
「も〜下手くそだなぁ。なんで飛びつかれるってわかっててビクついてんの? 噛まれたって痛くないんだから、ジッとしてなよ」
「そんなこと言ったって、恐竜の子孫的なモノに飛びつかれたら反射的に逃げようとするのはニンゲンの本能だ!」
体長約18センチの恐竜の子孫(?)の前でジェイちゃんが喚く。いちいち大袈裟なヤツだ。
「ったく、コモドオオトカゲじゃあるまいし、こんなちいさな爬虫類怖がるな」
「別に怖いわけじゃない。飛びつかれるというのがイヤなんだ!」
ジェイちゃんはほわほわあやたんのウサパンチもメチャクチャ怖がる。私が日本に帰国していた間、あやたんに薬を飲ませるのに四苦八苦していたらしい。
「だってあやに襲われて、ボクは酷い怪我をしたんだ!」
「はあ? きちんと爪切りしているあやたんのウサパンチ程度で怪我なんかするわけないじゃん。そもそもあやたんのパンチはフリだけで、普通のウサギに比べたら全然軽い」
「そんなことない! ボクは二回も酷い目にあったんだ!」と力説するジェイちゃん。
「一回目はウサパンチにびっくりして手を引いたら、テーブルの角で肘の変なところを打っちゃって、小指と薬指が15分くらい痺れてた! その次の日は足に襲いかかってきたから飛びのいたら、タンスに弁慶の泣きどころを思いっきり打ちつけて、そこが三日くらい青アザになった! 見た目に騙されがちだけど、あやは実に危険なイキモノだ」
「それあやたんのせいちゃうやん。アンタどんだけ鈍いねん」
鈍いジェイちゃんを叱咤激励して、餌やりの練習再開。しかし彼は一度失敗すると次はしばらく食べてくれない。プライドが傷つくのだろうか。
「……別にそんなモノもともと欲しくなかったし」とでも言いたげに、如何にも迷惑気にツンと顔を背ける。レオパードゲッコーのキラーくんはこう見えて中々プライドが高く、デリケートなのだ。
キラーくんは私の獣医仲間に飼われていた。しかし彼女が他州の病院に移ることが決まったため、先月から我が家にやって来た。その州は動物の出入りに厳しく、三匹の猫達はともかく、可愛がっていたレオパードゲッコーは連れて行けなかったのだ。レオパードゲッコーとは大型ヤモリの一種で、大人しい性格と華やかな見た目で近年日本でも人気のペットらしい。彼女のゲッコーくんを欲しいというヒトはかなりいたと思われるが、なぜか「和泉さんに貰って欲しい」と御指名がきた。
「いいよー」と気楽に返事するワタシ。いやだって、どうせ最終的に面倒みるのはジェイちゃんだしさ。
……しかしコレが中々にクセモノでして。
「キラーは自分で狩がでけへんねん。そんでな、一匹目のコオロギには天ぷら風にビタミン剤をまぶして、でもそうすると口が粉っぽくてパサパサするから、二匹目のコオロギにはスプレーで水をかけるねん」
「……は?」友人の説明に呆気に取られる私。「口がパサパサって、ヤモリって普通に自分で水飲むよね?」
「キラーはな、あんまり自分で水飲めへんねん。だからこうシリンジでたまに水をあげたって」
……いやそれはアナタがそーゆーことしてるから、キラーくんが自分で飲む必要を感じていないだけではないでしょうか、とか思うが口には出さない。まぁシリンジから水を飲む姿が可愛いから許す。しかしうちのあやたんも相当甘やかされていると思っていたが、上には上がいるものだ。などと感心しつつ、お別れ前に彼女と彼氏さんとキラーくんの家族写真を撮影。
「そしたらもう行くな。ありがとう」と礼を言いつつ、名残惜しげに幾度もキラーくんのケージを振り返る彼女の姿を見ているうちに、ひとつ純粋な疑問が湧き上がってきた。
「え、あのさ、一応聞いとくけど、もし万が一なにか不慮の事故とかがあってキラーが死んじゃったりしても、ワタシ、まさか絶縁されたりしないよね……?」
返事がないのでふと振り返ると、彼女は無言でポロポロと涙をこぼしていた。趣味は格闘技でタイに数ヶ月単位で特訓に行ってしまう男前な彼女の泣き顔に、内心めっちゃ焦るワタシ。
「え、ちょ、大丈夫だから! 私、爬虫類も両生類も得意だから! 幼少のみぎりからもっとずっと難しいヤツいっぱい育ててるから!」
いやはや、気安く引き受けたものの、これは責任重大だ。しっかりとジェイちゃんを躾けねば。
「多分、キラーは餌をくれるニンゲンが変わったことにすら気付かない気がする……」などと泣きながらも冷静な友人も言っていたが (ちなみにここで「そんなことないよー」などと心にも無いことを言えるほど私は役者ではない)、キラーくんは環境の微妙な変化にもめげず、友人によって買い与えられた立派なアクアリウムで悠々自適に暮らしている。
ところで友人曰く、キラーくんは普段は大きめのコオロギを一日に二匹ほど食べるらしいが、私がやると大体四〜五匹ほど一気喰いする。友人が使っていたモノよりも周齢が僅かに若く、柔らかいコオロギなので美味しいのかもしれない。しかし外殻の柔らかいコオロギだとカルシウムが足りないかもしれない。(よく知らないけど。)
そもそもキラーくんが自分で狩が出来ず、一匹づつ手で餌を貰わないとダメなのは、最初の飼い主さん(私の友人の知り合い)の飼育が下手でカルシウム不足になり、脚の骨が曲がってしまったからなのだ。栄養不足を防ぐ為、せっせとコオロギ楽隊に天ぷら風栄養剤を振りかけ、更にコオロギ自体にカルシウムやビタミン豊富な餌を与えてガットローディングする。ガットローディングとは、コオロギの胃腸そのものに栄養素を詰め込むやり方だ。イカ飯のようなモノですな。
餌やり自体は私がやれば1分もかからず簡単なのだが、しかしここで問題が。私は緊急手術等で呼び出されることが多く、四十時間連続勤務などザラだ。先週末は96時間連続勤務だった。あやたんは万が一に備えて水やり機二つ及び膨大な量の干草を常に与えられているが、生き餌を手で食べさせなければならないキラーくんは下手すると数日に渡って餌を貰えないということになる。
「次はいつ家に帰って来れるかわからないから……」とランダムに余分な餌を与えることになってしまい、たった二週間ほどでキラーくんは一目で分かるほど腹まわりが立派になってきた。余分な脂肪を蓄えた太い尻尾をぶんぶん振り回し、非常に満足気なキラーくん。爬虫類と言えども肥満は寿命を縮める。アクアリウム暮らしでは運動不足にもなる。
「トカゲの散歩用ハーネスとかあるらしいで! 翼付きとか!」とネットの写真を送ってくる友人。そんなもん絶対嫌がるだろーとか思いつつ見れば、ハーネスの背中に黒い翼が付いていて、コレを黄色いキラーくんが装着したらメッチャ可愛いだろうなぁ……と『ゲーム・オブ・スローンズ』好きな私の心をくすぐる。
ル〜ル〜ルルル〜ル〜♪とドラマの主題歌を口ずさみつつ早速購入。しかしキラーくんはハーネスを断固拒否した。まぁそりゃそうだわな。せっかくなのでハーネスを分解し、翼だけ背負って記念撮影。あやたんにも是非装着して欲しかったが、彼女は私の顔を見た途端に危険を察して即座にベッドの下に逃げ込んだ。
というわけで、ちびドラゴンは健康な食生活を目指し、今週末に定期的に餌を貰えるジェイちゃん宅に移住する予定だ。ちなみにジェイちゃんはコオロギを箸でつまんで食べさせたいなどと言っている。そこまで指に飛びつかれるのがイヤなのか。ヤツの考えていることはどうも解らない。
「でもどの箸がキラー用かきちんと目印つけとかないと、体温計の二の舞になっちゃうからね」
我が家には体温計が10個くらいある。一体どの体温計を犬の尻に突っ込んだのか思い出せない為、ニンゲンが病気になるたびに新しいモノを購入した結果だ。それはともかく、ジェイちゃんに生きたコオロギを箸でつまむなんて神業が可能なのだろうか。なんだか腹のあたりをグチョッとかやりそうで、やはり箸はキラー専用のモノにしたほうが良さそうだ。
お腹が空いてる時は、コオロギを見ると目がキュッと寄り目になる。
月に一度の脱皮中。フード付きのシャツを着てるみたい。
ちなみに脱皮した皮はパリパリ食べちゃう。