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訪問者達

 予期せぬ訪問者たちは、必ずと言っていいほど早朝に現れる。


 週末の朝五時半。出勤の準備をしてガラリとバルコニーを開けたら、足下に小鳥が落ちていた。綺麗な黄色の模様は多分アメリカムシクイ。死んでるのかと一瞬ドキリとしたが、そっとすくい上げてみればちゃんと息をしている。ただ呼吸は早くて浅いし、嘴は開きっぱなし、目を閉じて羽はだらりと垂らしている。今日は急いでいたのだが仕方がない。ため息と共に家に戻り、スポイトで薄い砂糖水を数滴飲ませる。目を開けたムシクイくんはややぼんやりとした表情ながら、コクコクと喉を鳴らして水を飲んだ。

 ペーパータオルを敷いた小さな箱にムシクイくんを入れ、鳥類専門の友人に連絡して、そのまま病院に連れて行く。フロントデスクのお姉さん達にムシクイくんは脳外科の部屋にいることと、治療費が必要な場合は千ドルまでは私が出しますと伝えると、「またですかー」と笑われた。

「イズミ先生の家って、よく鳥が落ちてきますよね。公園のそばに住んでるんですか?」

「いえ、普通のアパート暮らしですが、なぜか色々目の前に落ちてくるんですよね」

「なんか鳥の間で噂になってるんじゃないですか? 『いざという時はあの家に落ちたら面倒みてもらえる!』みたいな」

「いや、コレは多分窓ガラスに激突して脳震盪を起こしてるだけだと思うんですけどね……骨折とかしてたら困るんで……」

 ハハハ、と力無く笑って仕事に戻る。


 鳥類専門の病棟に移されたムシクイくんはやはり脳震盪を起こしていたらしく、しばらくするとピコピコと動き出した。友人に診て貰った結果、骨折もしていないようだったので、夕方アパートに連れて帰り、元気に飛んでいくのを見送った。メデタシメデタシ。


挿絵(By みてみん)


 何事も無く数週間が過ぎ、とある月曜の早朝。ガチャリと玄関を開けたら、目の前に黒白タキシード模様の猫がいた。反射的に「Hi, kitty kitty」と声を掛ける私と、「ニャア」と妙に嬉しげにお返事する猫ちゃん。その顔を見て、しまった、と思った。

 ドロドロの目ヤニと鼻水。毛艶は悪く、前足の先は車か何かのオイルで汚れている。何より手を触れなくても分かるほどガリッガリに痩せていて、肋骨と腰骨が浮き出ている。ノラ猫か迷子猫かは分からないが、私は今日は本当にダメなのだ。だってタダでさえ激務の脳外科で、今週の担当医は私だけなんですよ! これから地獄の96時間連続勤務が待ってるんですよ! うちの脳外は四日間の合計睡眠時間三時間とかザラなんですよ!

 そっと猫ちゃんから目を逸らし、足早に駐車場に向かう。しかし猫ちゃんは何やら懸命にニャアニャアと訴えつつ私の後を追ってくる。そして車のドアを開けた途端、なんと座席に飛び乗ってきた。

「にゃああああぁぁぁ」

「……そうですか。医療の助けを必要としているのですね」

 仕方がない。人生は諦めと潔く腹をくくることが大切なのだ。猫ちゃんの必死の直訴に負けた私は力無く頷くと、家に戻ってアヤたんの移動用ケージにタオルを敷いて猫ちゃんの前に置いた。なんの疑問も持たず、いそいそとケージに入る猫ちゃん。飼い猫でも滅多に見ないフレンドリーな子だ。


挿絵(By みてみん)


 そのまま病院に連れて行き、私の名前で一応入院させ、隙間時間に身体検査・血液検査を行う。体重2キロ(普通の成猫は3〜4キロ)という激ヤセでかなりの年寄り、呼吸器系の感染症、ギャロップリズムという心音、猫エイズ陽性、脱水症状があるのに赤血球の値が14%という超貧血(普通は最低でも35%前後)。脱水症状を直したら、多分10〜11%くらいになる気がする。

 ノミ・ダニ、腸内寄生虫駆除の薬及び呼吸器感染症の薬を飲ませ、ドライシャンプーして、ブラッシングして、顔を拭いて、看護師さんに爪を切ってもらう。脳外科の病室は彼女以外全て犬なのだが、彼女はそんな事は全く気に留めず、ガツガツと猫缶を平らげた。

 マイクロチップがないかスキャンしたのだが、反応は無し。チップが入っていないか、使っているスキャナーに反応しないタイプのモノなのかも知れない。本来ならば保健所に連絡して引き取ってもらうのがスジなのだが、この子は一旦保健所に行ったら飼主が見つからない場合、100%に限りなく近い可能性で安楽死だろう。こんな年寄りで病気持ちの猫をわざわざ引き取るモノ好きは滅多にいないし、そんなに猫好きなら多分多頭飼いで家に他の猫がいるはずだ。猫エイズは他の猫に唾液等で感染するので、多頭飼いの家で飼うのはオススメしない。


「さすがイズミ先生、ドンピシャで狙われましたねー」と笑う看護師さんと生徒達。

「もうコレはイズミ先生が飼うしかないんじゃないですか?」

「うーん、飼ってもいいけど、でも私、猫アレルギーすごいんだよね」

 アレルギー薬を飲みつつ、猫ちゃんの写メをジェイちゃんに送信。タイトルは『ジェイちゃんの新しいオトモダチ♪』

「ボクはイズミの買い貯めた無数の蘭の鉢とスカイの世話で忙しい! それに次に飼うのは絶対に犬って決めてるんだ! そもそもボクは猫はあんまり好きじゃない!」

「猫を飼ったこともないヤツに好き嫌いを語る資格はない」

「飼ったことなくてもなんとなくわかる! 猫は犬みたいに言う事を聞いてくれたりはしない!」

「エンジュに完全にナメられてたヤツが何を言う」

「エンジュは犬よりコヨーテ寄りだし、イズミに育てられたせいで性格が歪んだんだ」

「うるさい。とにかくこうなったら仕方ないんだから、サッサと腹をくくれ。迎えに来るのは今週末でいいから」

 ジェイちゃんに人生における選択権は無い。しかしぶうぶうと文句を言いつつも、奴は暇さえあれば「猫どうしてる?」と電話してくる。


 私がケージの前を通りかかる度に、「にゃあにゃあ」と話しかけてくる猫ちゃん。他の人の場合は無視しているので、一応ニンゲンの区別はつけているらしい。一度も会ったことの無い猫なので、不思議と言えば不思議なのだが、しかし私は子供の頃から何故か異様にイキモノに一目惚れされることが多い。動物用フェロモンでも出ているのかも知れない。ちなみにニンゲン用は1ミクロンも出ていない。


 夜、猫ちゃんを移動用ケージに入れて家に連れて帰った。アヤたんは猫を見ても、「お、またナンカ変なの来たな」とふんふんと匂いを嗅ぎに来る程度で、たいして興味はない。キニーブル君を連れて来た時も思ったが、アヤたんには『狩られるイキモノ』としての自覚やストレスが全くないので、何か他の動物を家に連れて帰る必要がある時はすごくラクだ。一方、猫ちゃんはアヤたんを興味深げに眺めているが、特に手を出す様子はない。


挿絵(By みてみん)


 アレルギー対策及びノミ対策のため、リビングルームの一部をフェンスで囲って猫ちゃんの仮の住まいとする。彼女はリラックスした様子で餌を食べ、しばらくするとふわふわのベッドで丸くなった。私もそろそろ寝ようかとリビングの電気を消して、ベッドルームに行く。アヤたんもいつものようにいそいそとベッドルームについて入り、ベッドに飛び乗る。寝る前のひと時はウサ・マッサージの時間なのだ。無論アヤたんが疲れ切っている私をマッサージしてくれる……わけはなく、「アヤたんは可愛いねぇ、アヤたんはかしこいねぇ」などとベタ褒めしながら私が寝落ちするまでアヤたんの耳やほっぺたやぽよぽよの腹をマッサージして差し上げるという癒しの儀式だ。

 だがしかし。

 私達がいなくなった途端、猫ちゃんがすごい声で叫び始めた。「置いていかれた!」と憤慨しているのがわかるが、しかしベッドルームに入れてやるわけにはいかない。十五分ほど死んだフリをして我慢すると、彼女はようやく諦めて大人しくなった。やれやれ……と思った三十秒後に携帯電話が鳴った。緊急手術の呼び出しだ。仕方ない。

「君たち、仲良くするんだよ」と二匹に声をかけ、家を出た。


 手術を終えて翌朝五時過ぎに家に帰り、二匹の無事を確認。殺し合い等に発展していなくて良かった。猫ちゃんをケージに入れ、アヤたんに朝食をあげ、一睡もしないまま病院に戻る。うちの脳外科は国際的に伝説になるほどブラックなのだ。

 猫ちゃんはその日も一日中ガツガツと猫缶を食べ続け、看護師さんや生徒さん達に可愛がられ、私の顔を見るたびにゴロゴロと喉を鳴らし、機嫌良く過ごしていた。そんな彼女の写真を市内の『迷子犬・迷子猫』的なサイトにアップする。たいして期待していなかったのだが、なんとその日の夜、飼主さんから連絡が入った。


 猫ちゃんは1ヶ月ほど前に道路を挟んで反対側のアパートに引っ越してきたらしい。そして飼主さんがランドリーに行くのに一緒に付いて出て、そのままフッと消えたのが日曜日の午後。私の家に来たのは月曜日の早朝。つまり長い間迷子になっていたせいで痩せていたとか病気になったとかではない。やや疑問に思いつつも、まぁ無事に飼主さんが見つかってメデタシメデタシ……と猫ちゃんを飼主さんの腕に返した。

「ところで感染症を起こしているようだったので、抗生物質を処方させて頂きました。今日は鼻水も目ヤニもほとんど無くて調子が良いようなので、お金は結構ですので、この錠剤をあと二週間ほど飲ませてあげてください。それからこの液体の薬を一週間、コッチはあと一回飲ませればおしまいです。ところでこの子、すごい貧血なのですが、ご存知でしたか?」

「そうなんですよー。ここ一ヶ月くらい全然ゴハンも食べなくて、ガリガリに痩せちゃって、もうダメそうだから今週安楽死させようと思ってたんです」

「……え?」

「だからこの子、もしかしたらその事に気付いて家から逃げ出したのかもしれないねって友達と話してたんですよー」

「……あのう、ウチではものすごい勢いで食べてましたけど。1日で猫缶6〜7缶くらい平らげてましたよ。痩せてるわりにすごく元気で人懐っこいし……」

「そうなんですか?! この子、結構人見知りであんまり他人には懐かないですけど、不思議だなぁ」

「……」


 その後猫ちゃんがどうなったのかは知らない。というか、恐ろしくて聞けない。まぁネットで見て即座に連絡してきたのだから、愛情がないわけではないのだろう。しかし鼻で息も出来ない状態の上にブラッシングすらされていなかったのがすごく気になる。考えないようにしているのだが、やっぱり気になって仕方がない。ちなみに彼女は十八年前に保健所から貰われて来た時にはすでに2〜4歳くらいのオトナだったので、現在推定20〜22歳だそうだ。

 この話をジェイちゃんにしたところ、ヤツは「うわあああ」と叫んで悶えていた。

「それって待遇改善を求めて逃げ出してきたんじゃないの?! せっかく住み心地の良さげな新天地を発見したのに逆戻りなんてカワイソウ!」


 カワイソウとかいくら喚いても、こればかりはどうしようもない。流石の私も赤の他人の飼い猫に手を出すわけにはいかないのだ。と言っても、内心は穏やかならず。本当は「ぐおおおおおお」とか奇声を発して床をのたうちまわりたいくらい心配だが仕方がない。何度も言うが、これも巡り合わせと諦めて、腹をくくるしかないのだ。まぁネコマタにでもなりかけていそうな勢いだったので、いざとなればまた我が家に来るかも知れない。戸棚に残った猫缶を眺めつつ、その時は丁寧におもてなししようと思っている。


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