うちのジェイちゃん
うちのジェイちゃんはムーミンに似ている。洋ナシ型のフォルムもそうだし、のんびりと平和そうな顔つきや雰囲気もそっくりだと思う。以前は私に無理やり付き合わされて週6でジム通いしていたので、もう少し全体的にシュッとしていたのだが、最近は完全にムーミン化している。「ムーミン!」と呼びかけても「ボク、ムーミンでいいもーん」と口答えするようになった。
「ムーミンって日本では人気キャラなんでしょ? サイン求められちゃったりして。グフフ」
サインは求められないが、ヤツは実に頻繁に道を聞かれている。知らない子供に懐かれている。ホームレスにお金をせびられている。
「ボクはイズミと違って『良い人オーラ』がにじみ出てるんだ!」とか言っているが、シスコのヘイト・アシュベリー辺りを歩いていると、しょっちゅう違法ドラッグを売りつけられそうになっている。隙が多いというか、余程くみしやすそうに見えるのだろうか。
しかし先日、日本でお会いしたとある方に「トム・クルーズに似てる!」などと言われてしまった。どう考えても常に私に虐げられているジェイちゃんへの単なる優しい励ましなのだが、ジェイちゃんはそうは思わなかったらしい。人前では静かに微笑んでクールを装っていたヤツは、その数時間後に私たちと別れて一人になった途端に私の実家に電話し、第一声が「ボク、トム・クルーズに似てるって言われちゃった♡」
「いっつもあんたにムーミンだのプーさんだの言われていじめられてるからねー、なんかよっぽど嬉しかったみたいだよー」と爆笑する我が両親。
ちなみにヤツとトム・クルーズの共通点は身長と髪の色だけだ。
ところでヤツの少年時代の写真を見たことがあるのだが、意外や意外、ハリウッドの子役顔負けの美少年だった。それが中学生くらいになると80年代のアガシ選手のようなマレット・ヘアー(全体的にショートなのに襟足だけ長く伸ばした髪型)で、売れないロック歌手のような非常に残念な感じになる。更にお父さん及び兄弟は全員190を遥かに超える長身なのに、ジェイちゃんだけ170センチでストップ。
「脳ミソが大きすぎて、重力に負けちゃったんだ!」(本人談)
脳ミソが大きかったジェイちゃんの子供の頃の夢は科学者になることだった。そんなヤツのお気に入りの遊びは『科学実験』。その辺に生えている雑草やら実やらをすり潰し、コーラに混ぜて弟や年下の従兄弟たちに飲ませ、味の感想及びその後の体調の変化を実験結果としてノートに書き付けていたらしい。それって科学実験っていうより人体実験ではなかろうか。
「あんたの弟、よくそんなモノ飲んだね。脅して飲ませたの?」
「まさか。『まず〜い』とか言いながら喜んで飲んでたよ。ボクの弟、バカだから」
「ってか危ないなー。毒草って結構その辺に生えてるもんなのに、お腹壊したりしなかった?」
「大丈夫。ボクの弟って元々しょっちゅう拾い食いとかして下痢してたから。あいつが病気になっても、ボクが疑われることなんてないもーん」
このムーミン、意外に計算高くて腹黒い。ちなみに腹黒ムーミンは現在、遺伝子学博士である。
「え?! ジェイちゃんってそんなすごいヒトやったん?! ただのオモロイヒトかと思っとった」と我が親戚の子達にまで驚かれてしまうジェイちゃん。彼は我が愛コヨーテ犬エンジュの細胞をプレートで増殖し、「エンちゃんがいっぱい……♡」とうっとりした表情でエンちゃんクローン計画を立てている。
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世界有数の名門大学で遺伝子学博士なんぞになったジェイちゃん、確かに頭は良い。運動神経も実はかなり抜群だ。しかしなんというか、生活面では絶望的にとろくさい。
私たちが働いている大学は毎年ベンツを一台抽選で大学関係者にプレゼントしてくれる。毎年春先になると車の鍵が送られてきて、その鍵がベンツをスタートすることができれば当たり、というイベントなのだが、「面白そう」と喜んで鍵を持って抽選場へ向かったジェイちゃん。半時間後、何やらタヌキにでも化かされたようにポカンとした顔で帰ってきたので、「どうしたの?」と聞いたら、「この鍵、今年の鍵じゃなくて去年の鍵だって言われた……」
一年前のメールを今頃開けたんかい?!
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ジェイちゃんは写真が苦手だ。カメラを向けると慌てて口を閉じ、ちょっと挙動不審な感じで真面目な顔をする。どうも自分はカメラ写りが悪いと思い込んでいて、それを気にしているらしい。確かにヤツの免許証の写真は当時ロン毛だったという黒歴史も相まって、まるでレイプ犯のようだ。しかしカリフォルニアの免許の更新は十年に一度なので、レイプ犯風の写真を長年に渡ってこっそり財布に隠し持つことを余儀なくされたジェイちゃん。忘れた頃にヤツの免許証を取り出しては眺め、「やめて! 見ないで!」と悶えるヤツの姿を楽しむ私。
「コレはちょっと髪型が悪かったんだ! あと、ボクはイズミと違って彫りが深いから、役所とかの照明の悪いところで写真を撮られると目の部分が全部真っ黒く影になっちゃって、それで犯人みたいに見えちゃうんだ!」
「いや、こーゆーのはもっと自然に微笑んで撮りなよ。もしジェイちゃんが事故とかで死んだら、この写真がテレビのニュースで流されるんだよ? こんな写真じゃあ、死んでも死に切れないよ?」
そして待ちに待った免許証の更新日が来た。前日に有名なヘアーサロンで髪をカットしてもらい、ついでにトリートメントまでしてもらい、早朝にシャワーを浴びていつもより丁寧に髭を剃り、気合を入れて役所に向かったジェイちゃん。これでようやく十年来の悩みであった残念な写真ともお別れかと思いきや、夕方、非常に暗い声で電話をかけてきた。
「……イズミが笑って撮れとか言うから、精一杯爽やかに微笑んでみたんだ……それで出来た写真を見たら……」
「そしたら?」
「ヨダレでも垂らしそうな笑顔がまるで『二十日鼠と人間』のレニーのようだった……」
涙を流して笑い転げる私と「イズミのせいでボクはこれから十年間レニーの写真を持ち歩くハメになっちゃったじゃないか!」と泣き喚くジェイちゃん。以来、ジェイちゃんがあやめたんをナデナデするたびに、「あやたん! 気をつけないとレニーに潰されるよ!」と傷を抉って楽しんでいる。
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ジェイちゃんはうちの両親と仲が良い。私が独りで日本に里帰りしようとすると、「ズルイ!」とか言ってくる。
「ズルイって、ジェイちゃんはクリスマスに自分の家に帰ってたでしょ。ジェイちゃんが一緒に来るとゆっくりしないからイヤ。私は実家でのんびりゴロゴロしたいの」
「ボクだってイズミのママの手料理を食べて、イズミのママの家でゴロゴロしたい!」
「自分の実家に帰ってゴロゴロしてこい」
「家で靴を脱ぐ生活に慣れちゃったら、家の中で靴を履いているようなところ、気持ちワルくって落ち着かないんだもん! それにイズミのママの手料理の方がボクのママの料理より美味しいんだもん!」
かくして無理矢理一緒に日本に来たヤツは、「まあ、こんなところにトドみたいに転がってて邪魔ねぇ。ジェイちゃん、十時のおやつ食べる? おぜんざい作ってあげようか?」などと我が母に余計な餌を与えられつつ、リビングのホットカーペットでゴロゴロしてテレビで野球観戦を楽しんでいる。そしてなぜかテレフォンショッピング等の電話番号を暗記し、「ゼロキューニーゼロ、サンサンサンのゴーゴーイチー♪」などとCMのたびに歌っている。
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私は手術が大好きだ。と言うか、切ったり貼ったり刺したりするのが好き。当たり前だが血の海なんて平気だし、自分の採血は自分でするし、足首を脱臼した時も自分で治して歩いて病院まで行った。
ジェイちゃんは血が苦手だ。私が愛犬達の爪を短く切りすぎて、二滴ほど血が垂れるのを見ただけで気分が悪くなる。献血に行っても、なるべく血と針を見ないように顔を背けているらしい。それでもうっかり自分の腕に刺さっている針を見てしまい、倒れたこともある。何もそこまでして献血しなくても……と思うのは私だけだろうか。
先日、犬の頭蓋骨を開けたら白いカビの大きな塊が前頭洞にぎっしり……という中々に楽しい手術があり、オペ看に撮って貰ったそのカビカビ頭の写真をジェイちゃんに送ってあげた。数秒後、「吐きそうになった」と一言返信してきたジェイちゃん。
「え? カビにびっくりして?」
「普通のニンゲンは、生きた犬の脳が見えるような血みどろ写真をいきなり送り付けられて喜んだりしない。でも独りで吐き気をもよおしてるのも癪だから、カルロスとアレックスにもお裾分けしといた。それで全員で順番にゲロゲロした」
カルロスくんとアレックスくんはジェイちゃんの同僚だ。
「あのカビの凄さと写真の面白さがわからんとはつまらん奴らめ」
「イズミみたいにデリカシーのないサディスティックなニンゲンにはボクみたいな繊細なニンゲンの気持ちは分からないんだ」
以前ネットで性格判断テストようなモノをやったのだが、私は『残虐で外道なドS。細けぇことはいいんだよ、と思っている。恋愛ではよく淡白でやる気がなさそうに他人から思われるが、実際も全くもってその通り』などと言わた。対するジェイちゃんは『特徴の無い真性ドM。M度100%。なんとなくどんくさい』と出た。
そして私とジェイちゃんの相性は100点満点だった。
明けましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い年となりますように。




