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譲れない一線

 ニンゲン誰にだって、決して譲ることの出来ない一線というモノがあるのではないだろうか。

 

 約七年振りにインフルエンザに罹った。今日はやけに病院が寒いなぁと白衣の上にダウンのコートを着て仕事をしていたのだが、なんとなく足がふらつくような気がした。熱を測りたいと思ったが、獣医病院で体温計を口に咥えることは出来ない。これは譲れない一線以前の問題だ。だって使い捨てのカバーを使っていても、馬や犬のお尻に突っ込まれた体温計を舐めるなんてヤじゃないですか。

「あ、耳でピッてやる体温計ありますよ!」と親切な生徒さんが危なくない体温計を持って来てくれた。ピッとやってもらった結果は103.2F。しかしこの温度の意味がよく分からない。

 実は私、動物の体温は華氏ファーレンハイトで考え、ニンゲンの体温は摂氏で考える。そして華氏摂氏の脳内換算が出来ない。しかし犬の平均体温は98.5Fから102.5Fなので、犬の方がニンゲンよりも体温が高いとは言え、103.2Fくらいなら微熱だろう。そう考えて仕事を続けようとしたら、生徒さんに止められた。

「先生、それ多分ニンゲン的にはかなりヤバイ温度です!」

 スマホで計算してみる。103.2F = 39.5℃。

 数字に踊らされる人生は歩みたくないが、しかし事実を知ったらなんだか急に具合が悪くなった気がした。その場に居合わせた全員に歩く病原体扱いされて病院を追い出され、家に帰ってきて三日になる。しかし39度から熱が下がらない。下手するとあっという間に40度。頭痛がひどく、日本のヒエピタが羨ましい。私の手元にも五年前に親戚の子供達が遊びに来た時に持参したモノがあるが、古すぎて肌がかぶれそうで、流石にコレを顔面に貼る勇気は無い。まぁ熱と多少の咳だけで、たいして辛いわけではない。それに解熱剤を使えば二時間ほど38度台に落ちるので、その隙にシャワーを浴びることだって出来る。

 今、恐らくコレを読んで下さっている方々のうち幾人かが、「ハァ?!」と思われたのではないだろうか。

「熱があるのにシャワー浴びるって、コイツ馬鹿?」

 しかしですな、これが私の『絶対に譲れない一線』なのだ。

 一日最低一回はシャワーを浴びて髪を洗う。何かの事情でシャワーを浴びることが出来なくても、髪だけは洗う。そうしないと気持ちが悪くて死にそうになる。別に汗っかきでも脂性でもないのだが、ほぼ百パーセント心理的な問題で (いや本人は問題だとは認識していないのだが)、24時間以上髪を洗っていないと苛々して気が狂いそうになる。

「イズミは病的過ぎる」とか言うジェイちゃん。そんな彼は高校から大学にかけてポニーテール出来るほどのロン毛だったのだが、「髪が傷む」などという理由で冬場は三〜四日に一度しかシャンプーしなかったらしい。

「おまえ人間失格だわ」と率直な感想を述べたところ、「イズミにだけは言われたくない!」と何やら憤慨していた。


 結局五日間熱が下がらず、しかし三ヶ月先までギッチリとアポイントメントが詰まっているスケジュールでは仕事を休むわけにもいかず、六日目からは大量の解熱剤を使って出勤した。慢性的に睡眠不足、栄養不足、運動不足と三拍子揃っているのは私だけではない。更に病気を押して無理に出てくるヤツがいるから、冬の病院は病魔の巣窟になるのだろう。それがイヤならもっと休みをくれ。

 とにもかくも、「いくら寝ても良くならんから、他人に病気を移して良くなることにした」とハッキリ宣言して一週間、お陰様ですっかり元気になりました。いやあ、倒れる心配をせずに熱〜いシャワーを浴びれるって、気持ちイイですね。


 ……と喜んでいたのも束の間、新たな試練が訪れた。


 金曜の朝から火曜日の朝まで、全く休み無しの日夜連続勤務を終えて家に帰ってきたら、プールの横の木がぶっ倒れていた。それは大人三人でも抱えられないほど幹の太い立派な松だったのだが、最近の大雨で根が緩み、風で倒れてしまったらしい。しかし台風というわけでもないのに、カリフォルニアの木はどいつもこいつもやけに簡単に折れたり倒れたりする気がする。乾燥した気候のせいで全体的に根が浅いのか、樹高があるわりには脆弱だ。

 などと呟きつつ家に入り、シャワーのお湯をひねる。

 ……お湯が出ない。

 待てど暮らせど、凍えるような冷水しか出てこない。木が倒れた時に何かが壊れたらしい。綺麗好きな私にとって、仕事帰りにシャワーが浴びれないなんて、これ以上の苦痛はない。なんだか何かに祟られているような気がしてきた。しかしいつかこんな日も訪れようかと、先見の明のある私は予め仕事先の病院をくまなく探検していたのだ。心静かにタオルと着替えを用意して、病院に戻る。


 病院内で一番綺麗なシャワーは、剖検室の隣。理由は病院の本棟から離れていて誰も使わないから。剖検室とは、病死した動物の死体を解剖検査するところですね。一応断っておきますが、この剖検室のあるビルディング、数年前に建てられたばかりで本当に広くて綺麗なんですよ?


 以来毎晩丑三つ時、綺麗好きな私は誰もいない建物で独り、鼻歌まじりにシャワーを浴びている。

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