人生の夢
今日、人生のトップ10に入る夢が叶った。
アメリカ太平洋時間、四月二日の早朝の事だ。ルームメイトのローラが同僚のブリタニーとジョギングに出た……と思ったら、一分もしないうちに帰って来た。
「外に鳥がいるんだけど……怪我してるみたいで飛べないみたい」
「何の鳥?」
「それがよく分かんないの」
近所に生息している鳥の種類がワカランってどうよ、などと思いつつ靴を履く。
「なんかね、近付くと嘴をパカッて開けて威嚇してくるの。だから怖いから、タオルで捕まえようかと思ってるんだけど」
「は? そんなデカイ鳥なの?」
サギまたはフクロウ・タカ系の猛禽類だろうか? それなら黒い布で素早く頭を覆えばすぐに大人しくなるが、それでもデカイ鳥の捕獲はかなりのスキルと準備が必要だ。
しかしローラは首を横に振った。
「ううん。羽が生えてるからオトナだと思うけど、でもすごく小さいよ」
「……」
それって巣立ちに失敗した雛が餌の要求してるだけでは……? と思った私の予想は大当たりだった。ローラに連れられて訪れた芝生にしゃがみ込み、むむむ……とブリタニーの足元に顔を近づける。私の影を見た途端にパカリと大口を開ける小さな鳥。小さな小さな鳥。いやもうよくこんなモンに気付いたね?!と言いたくなる程に極小の鳥。嘴を入れても全長3.5センチ位しかない……。
「ハチドリーッ」
「え?! コレってハチドリなの?!」と驚くローラとブリタニー。
「どこからどう見てもハチドリの子じゃん?!」と二人がハチドリだと解らなかったことに驚く私。
僅かに翼を広げて頭を突き出し、大きく嘴を開けて餌クレクレポーズをしているハッチーの子をそっと手に乗せる。ぱっと見た感じでは翼や身体に大きな怪我はなさそうだが、とにかくお腹が空いて動けないらしい。
「ってかローラ、よくこんなちっこいもんが目に付いたね? おまけにモスグリーンの保護色で、私だったら絶対に踏み潰してるわコレ」
「あ、ほら、うちのお隣さんって犬のフンの始末をよく怠ってるでしょ? フンを踏んだら嫌だから、一歩づつ足元に注意してたの。最初は私も小石かなんかかと思ったんだけど、嘴に気が付いて」
ハチドリに限らず、多くの雛はパカリと開けた嘴の中が真っ黄色だ。その鮮やかな黄色が親鳥の母性本能をくすぐると聞いたことがある。その話の真偽はともかくとして、ローラの影をみて親かと思い、パカリと黄色い嘴を開けたお陰で気付いて貰えたらしい。実にラッキーだった。ハッチーにとっても、私にとっても。
いそいそとハッチーを連れて家へ帰ろうとする私を見て、ブリタニーが首を傾げた。
「それ、連れて帰ってどうするの……?」
「どうするって、もちろん餌をやって休ませて、怪我が無いか調べるよ?」
「餌って?」
「初めはとりあえず30%くらいの砂糖水を飲ませてエネルギーを緊急補給して、元気になったら擦り潰したチキンとか、スクランブルドエッグとかを食べさせるけど」
「チキンに卵……?」
「うん、本当は粉末になった鳥用の緊急栄養食があるといいんだけど、今持ってないからさ。チキンとかは市販の瓶詰めのベイビーフードでいいから、そんなに大変じゃないよ」
「カニバリズム……!」
「いや違うし」
ローラは一般医。ブリタニーは内科医。二人とも犬猫専門の獣医だが、獣医師免許を取得する為にはありとあらゆるイキモノ(魚や爬虫類含む)を網羅した国家試験に合格しなければいけない……と言っても、一旦試験に合格してしまえばコッチのモノ。普段診ない動物の事まで覚えていられるほど私達は暇ではない。犬だけでもチワワからグレートデンまで凄まじい幅がある。とてもじゃないが、鳥だの牛だのといった種族にまで手が回らないのが普通だ。
もちろん私だって犬猫馬以外は最低限の知識しかない。ただ、雛鳥に関してだけは小中学生の頃から(様々な失敗を重ねつつ)修練を積んでいる。私は馬とコヨーテ犬の次に鳥が好きなのだ。そして私がかねてより一度でいいからじっくりお付き合いしてみたいと思っているのは、カラス、ミソサザイ、そしてハチドリ……!
毎秒50〜80回羽ばたき、運動中の心拍数は1200回を超えるとも言われるハチドリ達。たとえ雛であってもそのメタボリズムは温血動物の中ではダントツに高く、エネルギー補給が数時間ほど途絶えただけで簡単に死んでしまう。
チビハッチーはかなり弱ってはいるが、羽もほぼ生え揃っているし、今すぐに死にそうということはない。頭上を影が横切るたびに嘴を開けるくらいの元気はあるのだ。ところでこの『頭上を横切る影=餌』という方程式だが、多分親鳥が巣に帰って来た時の影が餌を貰える合図として定着しているのだろう。雛によっては巣の振動や、軽く嘴を触られることに反応したりする。
どの子がどの合図に反応するか予め知っておくと、嘴をこじ開けたりする必要がなくなり、餌やりがかなりラクになる。だから拾った雛には様々な合図を一通り試すことにしている。
チビハッチーはスポイトにいれた二滴ほどの砂糖水を実に美味しそうに飲み、コットンをほぐした即席の巣に満足気に収まっている。ハチドリのような小さな鳥の場合、布やタオル地は爪が引っ掛かって剥がれたりするから使ってはいけない。しかし調べたところ、チビハッチーは左脚にネトネトしたゴミが色々と絡まっていて、指を二本ほど骨折しているようだった。まぁやや不安定ながら特に不自由はしていないようなので、これくらいの怪我なら自然治癒を待つのみ。
「超カワイイ♡ インスタグラムに載せようっと。私、フォロワーが三百人くらいいるんだよね」などと言い出し、ケータイを取り出すブリタニー。
「インスタグラムで紹介するのに名前が必要だ! イズミ、なんでもいいから早くなんか名前付けてよ」
「いやいやいや、名前というモノは音や意味などをじっくりと熟考した上でつけるモノであって、そんな簡単には……」
「マービン、ハックルベリー、ピーチ、ナゲット」
全く名は体を表さない名前が羅列される。なんでやねん。
「いやいやいや、この子は多分アンナハチドリの子だから、せめてルックスに見合った名前にしようよ」
「アンナハチドリって?」
「オスは背中が緑で頭が紅くて、メスは喉だけちょっと紅くなる。この子はまだ成長しきってないから雌雄がわからないけど」
「じゃあオスの方が綺麗だから、この子はオスってことにしよう」
え? そーゆーもんなの?!
「とりあえずオスもメスも背中はグリーンだから、緑系の名前にしておこうよ」と仕方無く提案する。
「キーウイ」
おまえらとことん名付けのセンスないな?! と心の内で叫ぶ。
「イズミってば、やけにこだわるね〜」などと言いつつブリタニーがネットで名前を検索する。
「あ、ジュニパーは?!」
「ジュニパーって何?」
「なんかよく知らないけど綺麗な樹。常緑樹なんだって」
ブリタニーのケータイを覗き込み、ハッとする。おお、これはビャクシン、またの名を伊吹ではないか……! 確か伊吹の花言葉は『君を守る』とかそんな感じだったはず。
「でかしたぞ、ブリット。この子の名前は伊吹に決定!」
二十分毎に一滴の砂糖水を飲み、半日程すると伊吹くんはかなり元気になった。箱の中からピーッと甲高い声で私を呼んで砂糖水を要求する。しかし元気な子に砂糖水なんて必要ありません。急いでマーケットに行き、ベイビーフード(チキン、野菜&フルーツミックス)と卵を購入する。
ちなみにオニオンやガーリックは犬猫に与えると赤血球を破壊して貧血の原因となるが、鳥はどうなのだろう。よく知らないが、とりあえず余計なモノが入っていない種類をタンパク質やビタミン配合などを考えつつじっくりと選ぶ。しかしカルシウムが微妙に足りない。野生のハチドリは花の蜜だけでなく、小さな羽虫なんかを食べるのだ。
「ペットショップに行ってコオロギ買って、すり潰して餌に混ぜようかな」と呟いたら、ローラとブリタニーの猛反対にあった。仕方無い。今日は諦めて、二人がいない時に実行しよう。
ビタミンとミネラルたっぷりの茹でた卵の黄身をすり潰し、トロトロのベイビーフードに混ぜる。伊吹くんは非常にこの餌を気に入り、大口を開けて飛びついてくる。そして自らスポイトを食道の奥まで突っ込んで白眼を剥きながらガガガガッと餌を呑み込む。慣れないヒトが見たらギョッとする光景かも知れない。
一度につき三滴の餌を食べ、箱の中で二十分ほど昼寝して、起きたかと思ったら羽をばたつかせ始めた。巣立ち前の雛特有の飛ぶ練習だ。しかし流石ハチドリ。単なる練習でも、ブーンブーンと蜂のような羽音がする程のスピードで羽ばたいている。
試しに箱から出して手の上で羽ばたかせてみたが、身体がふわりと浮きそうになるのを、小さな脚の爪でしっかりと私の指にしがみついて防いでいる。いやそれ、離したら普通に飛べるんじゃないの?
と、ローラが部屋に遊びに来た。
「あ、すごいすごーい! もうすぐ飛べそうだね!」
ブンブンしている伊吹くんを見て無邪気に喜ぶローラ。
「うん。でもなんか自然の摂理に必死になって抵抗してるみたいだけど」
「ねぇねぇ、友達に見せたいから、ジュニパーと私のツーショット撮ってくれる?」
蜂の物真似に疲れて大人しくなった伊吹くんをローラの手に移す。と、ハッとした顔で辺りを見回した伊吹くんが、再びブンブン始めた。そしてエイヤッとローラの指を離れ、ふらふらふら〜、と私の膝に着地した。そして私の顔を見上げ、得意げに餌をねだる伊吹くん。
とにもかくも、今のところは飛ぶというよりもゆっくりと落下しているだけなのだが、しかしそれ以来、数時間おきに『ゆっくり落下運動』を繰り返している。きっと二〜三日もしないうちに、平行飛行や上昇飛行なんかも出来るようになるだろう。そうすれば、伊吹くんも一人前。残念ながらお別れの時が来るのだ。
しかし今はとりあえず、落下先でピーピー鳴き叫んで私が救助にくるのを待っている。
ひなたぼっこ。
お気に入りスポット。
寝る時はなぜか必ずもふもふになる。