真夜中のER【其の一】
私の専門は脳外科。癲癇や脳腫瘍や脊椎の病気の犬猫を診ることに生甲斐を感じつつ日々を送っている。しかし今現在は私立病院に一年間の修行の旅に出ているため、シフトの半分近くがERだ。
八月から再び大学病院へ帰って脳外科のみに没頭する日々が待ち遠しくないと言えば嘘になるが、ERはERで緊張感があって結構楽しい。しかし真夜中のERなんかをやっていると、なんだか人生の裏側的なモノを見てしまうことがある。
「仕事から帰ってきたら、なんだか犬の様子がおかしい!」
「ふ〜ん」
開き切った瞳孔でオシッコを漏らしつつキョドっている犬の眼に向かって、パッと手を広げる。普通の犬ならちょっと嫌な顔をしつつ瞬きする程度。それがビクッと飛び退くような過剰反応を示すようなら答えはひとつ。
「マリファナ中毒ですね。犬の手(足?)が届くところにマリファナ置いてませんでしたか?」
ここで「ハイ、置いてます」と堂々と答えるほどニンゲンの出来たヒトは滅多にいない。大抵は連れてきた飼い犬以上にキョドりつつ、「え?! ぼ、ぼくはソンナモノは吸いませんよ」などと答える。
コッチはお前がマリファナ常習者かどうかなんて全く興味ないんだよ、と心の中で呟く。そして私の嗅覚は犬並みだ。診察室に一歩入った瞬間から、聞かなくても答えはわかっている。しかしカルテを書く手前、メンドクサイが言質を取る必要があるのだ。
「いえ、あなたが吸っているかを聞いているのではなくて、犬の近くにマリファナがあるかどうかを聞いているだけです。例えば友人やご近所さんで、マリファナを持っている可能性のある人はいませんか?」
「あ……そ、そう言えば、昨日家に泊めた友人が持っていたかも知れません」
簡単に誘導尋問に乗る飼主さん。しかし馬鹿にしてはいけない。いや、犬の手足が届くようなところにマリファナを放置するなんて馬鹿としか言いようがないし、そもそも娯楽ドラッグに手を出すなんてニンゲンとしてどうかと思うが、しかし彼らだって結構純粋に飼い犬のことが心配なのだ。そうでなかったら、夜中の二時に150ドルもの診察料を払って病院に来たりはしないだろう。
ちなみにこの150ドルに検査費治療費その他は一切含まれない。私が犬を診て、飼主と話すだけで150ドル。血液検査やらレントゲンやらを行い、それなりの治療が必要となれば、あっという間に1000ドルを超える。自分で言うのもナンだが、私と話すだけで150ドルって最大級のボッタクリじゃないか?と思うが、私立病院と言っても専門医ばかり数十人集めた大きな病院なので値段が張るのは仕方無いのだろう。そもそも一介の修行僧の身で、病院の経営に口を出すことは許されない。
話を戻そう。マリファナ犬の場合、よほど症状が酷くない限り、せいぜい点滴のみでお帰りいただく。チョコレートやブラウニーに混ぜたマリファナを食べたとかでない限り、12時間もすれば後遺症もなく元に戻る。
マリファナ犬は少なくとも一週間に一度は出会うが、先日はちょっと珍しいケースを診た。
若くて毛並みの整ったラブラドール。開き切った瞳孔。虚ろな表情。40度の熱があり、癲癇発作とまではいかないものの、全身を細かく震わせ、心拍数は200〜220。(犬の心拍数は通常60〜 160程度)
あ、これはヤバイな、と思い、慌てて血圧を測ったところ、上が240を超えていた。キリンなら240でも構わないが、これはラブラドールなのだ。普通に失明するレベルの高血圧だ。しかし私と犬にとってラッキーなことに、飼主さんは非常に正直なヒトだった。ちなみに口調も丁寧で、ヨレヨレのスエット姿に似合わず態度も紳士的だった。
「Meth やってます」
Methとはメタンフェタミン、つまり覚醒剤だ。マジかよ、と思ったが、メタンフェタミンなら犬の症状にピッタリ一致する。
ナルホドナルホド、敵はメタンフェタミンであったか! などと仲良しの看護士さんと冗談を交わしつつ、治療を始める。紳士的な彼がメタンフェタミンをやっているという事実は完全にスルー。暴行または放置といった形の虐待を疑えば即座に警察に通報するが、純粋なアクシデントなら今後の注意を促すだけで、目くじらを立てたりはしない。
私にとって大切なのは動物の健康であって、ニンゲンではない。ペットの健康と幸せの為には飼主の心身も健全であって欲しいとは思うが、しかしいちいち飼主の個人的問題に関わっていてはコチラの身がもたない。そもそもそれは人間用の医者とか心理セラピストとか警察とかの仕事であって、私の仕事ではないのだ。
しかし二日後、元気になったワンコを迎えに来た彼が、「スタッフの皆さんに御礼です」などと言いつつドーナッツの詰め合わせを持って来たのを見て、そのビシッとしたスーツ姿に再び「マジかよ……」と思ってしまったのは否めない。