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銀文字の書

夢織り女の杼(ひ)

作者: 杜野 玖真

夢織ゆめおは 今宵も紡ぎ車の前にすわる

紡ぎ車はからから回る

夢を紡ぎて 夢を紡ぎて まわるよ まわる


幼子も 若人わこうども 老いたる者も

すべて等しく 夢は見るものぞ

恐ろしき夢も 哀しき夢も

心楽しき夢も 愛の夢も

女の傍らにある無数の桶に はらはらと降り積もる

女はそのひとつを無造作に選び取り

霞のごとき手触りの 夢を紡ぎ始める


からり からから


からり からから


夢は もやもやとした無色にも似て万色ばんしょくを含む

女の手にかかると 意味を成さぬかのごときまだらの糸となるも

紡ぎ終わりて はたにかかれば

夢主の夢があらわれいずる


今宵の夢は 竜を狩る娘の夢

夢織り女がを投げるごとに

竜鱗りゅうりんの鎧をまとう娘が姿を見せる

身の丈ほどもある大剣を背負い

岩陰に伏して なにかを待っている


ここで夢織り女の手が止まる


 糸が 違う

 ここからは 違う糸


誰聞くこともないが 小さく呟く


機織の椅子から立ち上がり 糸となる夢を探す

ひとつひとつの桶をのぞき 手触りを確かめる

永遠にも似た時間 女はひたすらに夢を探した

ここはうつつにあらず 時はない

永久なる薄暮だけが占める世界

ゆえにいくらでも探し物は出来る


そして ようよう見つけ出した

しゃり、とした手触りの夢がそれであった


人の夢ではないと感じたが ただそれだけのこと

素材はどうであれ 夢は夢

女は 夢を織り上げるのがつとめなのだから


紡ぎ車に新たなつむをつけ

糸に仕立て上げて 別の杼に掛ける

竜狩る娘の糸がかかる黒い木の杼とは違い

すべすべとした軽い石のごとき杼を選んだ

娘の夢の続きから 石の杼を投げる


しゃーっ しゃーっ しゃーっ


杼の小管こくだは小気味よい音を立てて 縦糸の間を走る

夢の布目にあらわれたのは 鮮やかな桜色の竜

美しくも恐ろしい 地に生きるすべての生き物の女王

淡い青の暁光ぎょうこうがわずかに差し込むほの暗い洞窟で

生まれたての彼女の卵を いとおしげに守っている


ひとつ ふたつ みつ よつ


産み落とされて間がないか

まだ女王竜の体液にぬらぬらと濡れている


―夢織り女は 黒の杼に替えた


竜が飛び立ったあとなのか

卵が残された巣に忍び込んだ娘

ひとつが腕一杯になるほどの大きな卵

それを大事に抱え上げ

はしる はしる ひた走る


巣に戻った母竜は 己の卵の数が減ったことに気づく

口から怒りの炎をもらしつつ

空から卵泥棒の匂いを探す


娘は女王竜に見つかるが

卵は無事に野営地の藁を詰めた箱に収められた

必ず持ち帰らなければならない大事な品

病に苦しむ者のために得られた卵であった

安全な帰路を確保するため 娘は女王のもとに引き返し

その鼻先で大剣を構え 挑発の雄叫びを上げる


幾度も竜が吐く炎も 同じ竜族から作られた鎧には焦げすら与えない

女王の鱗の色にも似た桜色の大剣は

雌竜の頭の甲殻を割り砕き

分厚い翼を切り裂いて

血に濡れながらなおも切れ味鋭く

長き戦いの中で 棘の生えた尻尾すら切り落とした

ついに女王はおのれの敗北を知る

足を引きずり 哀れな鳴き声をあげる

この略奪者の前から立ち去らねば 休息をとらねば

倒れれば我が子はどうなる?

その思いを胸に 満身創痍で飛び立った


竜狩る娘は女王の寝床へ向かっていた

崖を這う蔦をよじ登り

生い茂る樹林を駆け抜けて

卵を見つけた洞窟へ


きっと 戻ってくる


いままで狩った竜たちの行動を思い出しての確信

聞きなれた羽ばたきが洞窟に響く

動物の骨が散らばる床に 竜の影が落ちる

洞窟の天井には ちょうど竜一頭が通れる穴があいていた

そこを血に濡れつつも 気高く美しい女王竜が舞い降りてくる

着地の瞬間 娘はこれが最後とばかりに駆け出でて

渾身の力をこめて大剣を女王の頭に振り下ろした


女王は―――激しい痛みとともに頭蓋が割られたのを理解した

雌竜は断末魔の絶叫を何度も上げる

視界が血に染まりながらも勝利者の姿を捉えるが

さしたる思いは感じなかった

これこそがこの世界のことわり


狩るもの 狩られるもの

食らうもの 食らわれるもの


彼女の生の大半が

当然ながら食らうものであったことは言うまでもない

ただ 女王竜の想像を超えた

知恵と技量を持つ人の子と出会ったのが

ひとつの不運に過ぎなかった


母竜はか細くなった命の焔の中

最期の思考をする

・・・・私の 子供たち いとしい―――・・・


女王竜の桜色の鱗は裂かれ

次々とその身から収穫されていく


皮 骨 血 棘


そのすべてが娘とそのほかの人の子を生かす技に使われる

洞窟に残された女王竜の遺骸は

そのほか多くの動物を養うだろう

生まれ出でぬ子竜もまた 母の遺骸で育つだろう

そして・・・


夢織り女が杼を投げる手を止めた

二つの杼に もう糸はない

機から織り上げた夢をはずす


そのとき 石の杼を取り落とした


しゃりん、ともろい音ともに砕け散った

それは石ではなかった

なにか軽くもろい物を張り合わせて作られていたのだ

破片を手に取り 夢織り女は軽い驚きとともに理解した


卵の殻だった


狩る娘と 狩られる竜と その子竜と

夢織り女はもくもくと縦糸を房に結び 切りそろえた

三つの夢が絡み合う壁掛けが出来上がっていた


―――よほどの宿命で縒り合わさっていたのね


物思うことの少ない夢織り女であったが

心を向けさせるほどに稀なことであった


娘と残された子竜がどうなっていったのか興味は尽きなかったが

それ以上の思索にふけることはなかった

織らねばならない夢はまだたくさんある

またいつか 娘と子竜の見た夢に出会えるかもしれないが

いまはそのときではない


夢織り女はふたたび織るための夢を見いだすために

夢降り積もる桶を探し始めた。


くりかえし くりかえし 夢を織る


この丸き世界が閉じるまで 

夢織り女の務めは続くのであった。


fin

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