67. トラオンの噂
「トラオンの町の、ルモワーニュって人のこと知ってるか?」
「え? えっと……知り合いだとは言えないですが、顔や名前くらいは知っています。トラオンでは有名な人ですし」
突然の質問に戸惑いつつも、リリィはひとまず頷きを返す。
「ルモワーニュさんが、どうかしたんですか?」
ただ、その名前がどこから出たのかわからなかったので、続いて逆に質問を返した。
「それは……」
理由を口にする琢郎の顔には、焦りが浮かんでいた。
「まだ噂、さっき町で噂話として聞いただけのことなんだが。なんでもそのルモワーニュって人が、こないだテルマの方で森の調査をした話を聞いて、トラオンでも一度やるべきだと言い出してるらしい」
テルマの北で冒険者とニアミスすることになった原因については、わかってすぐにリリィにも話してあった。
完全な自業自得であり、「だから悪いことはしちゃいけないんですよ!」とそれを聞いたリリィに、また少し叱られてしまった。
もうそれで終わった話だと思っていたのだが、何日も過ぎた今になって続きが始まった。それも、今度は棲家の最寄りであるトラオンの町で。
もしテルマの北で行われたのと同じようなことが実施されてしまえば、棲家が発見されることになる可能性はかなり高いだろう。
「だから、その調査を言い出した人物が本当に実現してしまえるような奴なのかどうか、知っているなら意見を聞きたいと思って」
そこまで聞いたリリィの顔にも、琢郎から伝播した緊張が浮かぶ。その表情だけで、言葉で聞かずとも答えが思わしくないことは十分にわかった。
「……それは、その噂が本当ならかなりマズイです! ルモワーニュさんはトラオンでも1,2を争うお金持ちで、おまけにトラオンの町が大好きで町のためならかなりのお金をポンと出しちゃう人だって、聞いたことがあります」
ついでに言えば、隣町のテルマには変な対抗心を抱いているところもあるそうだ。
テルマの町が住民や通行者の安全のために冒険者を森へ調査に派遣したという話を聞いて、もし噂通りにその気になっていれば、少なくともテルマが雇った数以上の冒険者に支払うための依頼料ならば、迷うことなく負担を申し出るくらいのことは平気でするらしい。
「じゃあやっぱり、もうここは捨てるしかない、か。このまま残っていたら……」
冒険者の調査は、森の奥の方にあるこの棲家まで届くだろう。
ひとまず暮らしていける場所を見つけたつもりだったが、結局そう長くはもたなかった。原因は自業自得なので、残念だがあきらめるしかない。
だが、棲家を移すことは仕方がないが、琢郎にはあきらめきれないことがもう1つある。
リリィのことだ。
せっかくできた同居人だ。できることなら一緒に連れて行きたいが、無理強いはできない。
ここを去る以上、付近の者に自分の存在を知られたくないからという、彼女を町に帰さないための口実はもう使えなかった。
「俺は明日の朝にでも逃げることにするが……リリィはどうしたい?」
冒険者が来るまでここで待っているか。それなら、残せる限りの食料を置いていく。
それとも、近くの町へ行くか。さすがに噂を聞いた後でトラオンには向かえないが、テルマかツーデになら安全に辿り着ける場所まで送ることくらいはする。
これまで付き合ってくれた礼に、琢郎は最後にできる限りのことをリリィにしてやるつもりでいた。
「行き先もわからないのに無理に連れて行けないが、だからって今さら口封じなんてできないからな。本音を言えば、もうリリィのことは信用しているし」
できることなら、逃げる自分についてきて欲しいが。
本音を言うといっても、さすがにそこまでは声に出せなかった。
これ以上は間延びしないように。
次回には棲家を離れるはずです。




