52. ミッション本番
魔法で姿を消した琢郎は、そっと目的の建物の裏口へと近づく。
リリィから聞いた話では、この時間は表の店舗部分の方に皆行っていて、裏側の住宅部分にはほとんど人気がないらしい。
とはいえ、余計な音をたてては静かなだけにかえって大きく響いてしまって、店側から人を呼ぶことにもなりかねない。
扉のノブに手をかけた琢郎は、慎重にゆっくりと半分ほど開く。その隙間から自分の身体を中に滑り込ませると、内側から元通りに扉を閉めた。
屋内に入ったところで、一度動きを止めて様子を窺う。店側から微かに声が聞こえるものの、こちらに近づいてくる気配はない。
(たしか、リリィの部屋は……)
移動を再開。廊下に並ぶ扉の中から教わった部屋のものを選ぶと、先ほどと同じように静かにその中に入る。
(思っていたより、小さな部屋だな)
頭に浮かんだ感想は、そんなものだった。異性の部屋に入ることなど、考えてみれば初めてのことだったが、これといった感慨はない。
ベッドと小さなタンスの他はこれといった家具もなく、飾り気もない。なんとなく漫画やアニメなどで漠然とイメージしていたものとは、異世界であり文化も違う以上は異なるのが当然だったが、どこか拍子抜けだった。
(……これが、リリィが言ってた荷物だな)
ベッドの横の壁際、リリィから聞いた通りの場所に、聞いた通りの色形の大きなバッグがあった。
それをひょいと肩に担いで、目的を達した以上は長居は無用と踵を返す。
だが、扉に手をかけようとしたところで、外の廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。
「……っとに。リリィも辞めることになったからって、何も言わずにいきなり姿を消すことないでしょうに」
足音の主は、愚痴をこぼしながら足早にリリィの部屋の前を通り過ぎる。
続いて、バタンと扉を開く音。どうやら、隣の部屋に入ったようだ。息を潜める琢郎の耳に、壁越しに部屋の中で何かする物音が聞こえてきた。
「……急に人が減ったものだから、忙しいったらありゃしない」
じっと待ち続けていると、やがて用が済んだのか、ぶつくさ言いながら再び声の主は廊下に出てくる。
このままやり過ごせば、後を追うように外に出てミッション完了だ。
そう油断したのがいけなかった。
ほっと息を吐いた瞬間、身じろぎに反応して床が小さく音をたてる。それでも、普通ならほとんど気にならないような音だ。
しかし、そこが主がいなくなったはずの部屋で、かつそれを聞いた時にちょうど部屋の扉の前にいたらどうだろう。
「んん? リリィ、帰ってきたの?」
部屋の中の音を聞きつけた相手は、バァンと勢いよく扉を開ける。
危うく扉にぶつかりそうになって、慌てて距離を取った琢郎は安堵から一転、心臓が縮み上がった。
廊下から部屋の中を覗き込むのは、20代前半と思しき女性。左右に視線が往復して、<透明化>で姿を消している琢郎の上を何度か通り過ぎる。
「あれ? ……気のせい?」
高鳴った心音で気づかれやしないかと思ったが、幸いなことに女性は首をひとつ傾げると部屋を去って行った。
店の方へ戻ったらしい女性の足音が聞こえなくなってからも、しばらく琢郎は動けずにいた。
10分以上がたってからようやく行動を再開し、リリィの部屋から廊下に出る。
(よし。……大丈夫だ)
そのまま再び危うい場面に陥ることもなく、リリィの荷物を担いだ琢郎は無事に外まで出ることができた。人通りのない路地裏まで移動して、<透明化>を解除する。
一度荷物を下ろすと、バッグのポケットの中を探った。これもリリィに教わった通り、数枚の硬貨が入った小さな袋をそこに見つける。
棲家から持ってきた残りの金も、そこに合わせた。後はこの金で、頼まれた物とパンを買って帰るだけだ。
「おい、そこのフードの奴。今カバンを漁ってたが、そりゃあホントにお前のカバンかぁ?」
買い物予定の店に向かおうとした琢郎の背に、言葉が投げかけられた。
町の警備の人間だったりしたら、マズイことになる。そう思って振り向いたが、そこにいたのはとてもそうした職種にあるとは思えない格好をした2人の薄汚い男だった。
ニタニタと悪意を感じさせる嫌らしい笑みを浮かべ、こちらの行く手を遮ろうとしてくる。
「どっかから奪ってきたモンじゃねぇのか? オレたちが返しといてやるから、こっちに寄越しな」
あからさまな台詞だ。治安のいい町だと思っていたが、そうでもない場所もあるということか。
何にしろ、こんな輩の相手をしてやる必要はない。適当にのして逆に向こうの金を巻き上げることも考えたが、やはり揉め事を起こすのは得策ではない。自重しよう。
「<風加速>」
加速状態で前を塞ぐ1人を弾き飛ばし、そのまま突っ走ってさっさと撒いてしまう。
大通りに近づいたところで速度を落とし、人に紛れて何事もなかったかのように前に行ったとこのあるパン屋へと足を進めたのだった。
かなりしょうもないことを、がっつり1話かけて描写してしまった気がしないでもないです。




