42. リリィとの対話
前回に引き続き、また長めです。
「あ。そ、その……その節は、あ、ありがとう……ございました」
自らの名に続いて、たどたどしいながらも礼の言葉を述べるリリィ。
無論まだ怯えが消えたわけではなかったが、ひとまず話ができる程度には落ち着いたようで、琢郎は情けは人のためならずという言葉を思い浮かべた。
実のところ善意よりは正体を隠していた都合上、変に騒ぎを大きくすることなくあの場をさっさと離れたかったというのが主な動機だったが、もちろん正直にそんなことを言ったりはしない。
「ああ。俺はあの時他に用があったんで金を渡すことしかできなかったけど、それでどうにかなったのならよかった」
折角緊張が緩んだところにあえて再び警戒を呼ばないよう、こちらから近づくような真似はせずに入り口に座ったまま言葉を返す。
多少恩に着せるような言葉の選び方をしたのは、リリィをこれ以上怯えさせることなくこの先の会話を優位に進めようという思惑からだったのだが、その意に反してリリィは琢郎の言葉に表情を陰らせた。
「え? まさか、あれだけじゃ足りなかったか?」
パン屋で見た他のパンの値段から、十分足りると踏んで渡したつもりだったが、もし足りてなかったのだとすればさっきの台詞はマヌケすぎる。
琢郎が焦って訊き直そうとすると、リリィは慌ててそれを否定した。
「ち、違います。タクロー、さん……でいいんですか? タクローさんがくださったお金で、パンを買い直すことはちゃんとできました」
リリィが言うには、琢郎の渡した金額に問題はなく、余分な金を持っていなかったリリィは、おかげで地面にばら撒いてしまったパンを買い直すことができたという。
ただ、あのパンはリリィが働いて世話になっている人に頼まれて届ける途中のものだった。買い直すことができても、それに余計な時間がかかってしまい、結局届くのが遅くなった相手に不興を買うことになったらしい。
そこでお詫びをしようと普段し慣れないことをして、見事に汚名挽回。さらなる迷惑をかけてしまって、住み込みで働いていたところを今週限りで辞めるという結末に至ったそうだ。
「住み込みで働いてた、って……親は?」
日本とは環境も違うのだろうが、転生前は半ば親のすねをかじって生きていた琢郎はその半分ほどの年の少女の言葉に衝撃を受けて、思わず訊いてしまった。
「……ぁ。親は、その……数年前に……」
「ああ、悪い。変なこと訊いてしまった」
訊いた次の瞬間には余計なことを口走ったと悔やんだが、案の定な答えが返ってくるのを聞いて、慌ててそれを遮るように琢郎は詫びた。
それによりリリィの親については言葉を濁したまま流れたが、リリィの身の上話は続き、その後彼女を拾ってくれたのが今まで世話になった人であること。住み込みで現金報酬こそ少なかったが、衣食住には困らない生活をさせてもらったこと。今回の失敗も最初のパンのことについては、買い直してフォローしたことでほとんどお咎めなしで済ませようとしてくれたこと。それを挽回しようとしてさらにリリィが失敗を重ねたために、他の者の手前やむなく解雇となったが、即時追い出しではなくしばしの猶予を与えてくれたことを聞かされた。
そして、その感謝として出て行く前にリリィが以前何度か作って喜んでもらえた手作りのジャムを、最後に作って渡そうと思ったことも。
「ひょっとして、それで森で木の実を集めようとして、あんなことになってたのか?」
琢郎が問うと、リリィからは頷きが返ってきた。
「……ところで、今までの話からすると、リリィがこのまま帰らなくても町ではそう大きな問題にならない、という認識でいいのか?」
話を続けている間に少しずつ慣れてきたようにも思えていたのだが、琢郎がふと切り出した言葉にリリィは再び怯えを見せる。これは言い方が悪かったと、琢郎は宥めるように言い直した。
「いや、違う違う。最初から言ってるが、リリィに何かしようという気はない。ただ……」
これまでリリィを脅かさないようあえて動かさなかった身体を、琢郎は初めて少し横にずらす。それにより、リリィの位置からも入り口の割れ目を通して外の様子が見えた。
「この通り、もうほとんど日が暮れてしまったもので。さすがにこれから町まで安全に送れるかと言うと、正直自信がない。そもそも、リリィを害そうという気はないが、この顔を見られた以上じゃあどうするかは、まだ決めかねてる。悪いとは思うが、今日はもう帰せない」
先の発言の意図を解説したが、リリィの態度はすっかり最初の頃に戻ってしまったかのようだ。
「繰り返すが、俺は誓ってリリィに変なことはしない。だからさっきまでみたく、もう少し落ち着いてくれ」
まだ足りない。
「信じられないんなら、さっきローブを取った荷物の中に骨製のナイフもある。俺が何かしようとしたらそれを使えばいい」
以前ゴブリンを倒した時に、戦利品として持ち帰ったナイフだ。ほとんど使わないため今日はそこに残していた。
琢郎がそこまで言って、ようやくリリィの態度が和らいだ。それでもやはり不安が残るのか、琢郎の言葉通りに護身用にナイフを手にするリリィ。
「あ。ついでにその横にあるコップも取って、こっちに寄越してくれ」
もう少し落ち着かせようと、琢郎はその横に見えたものも取ってくれるように頼む。
近づくことを警戒したのか、手には取ったものの手渡すことはできず、リリィには投げて寄越せばいいと再度促す。
コップをキャッチすると、琢郎は元素操作でそこに水を満たした。
「これでも飲んで、少し楽にしてくれ」
手を伸ばしてリリィとの間の床にコップを置くと、リリィが怯えずそれを取れるよう後ろに下がる。
外との境目に腰を下ろし、手荷物の中にあったもう1つのコップに同じように水を注いで、無害であると示すように先に一口飲んで見せた。
「あ、ありがとう……ございます」
おっかなびっくり床のコップに手を伸ばしたリリィが、しばしの逡巡ののち口をつける。それを見て、琢郎はコップの水をもう一口含む。
グゥ~~……
その直後、棲家の中に腹が鳴る音が小さく、だがはっきりと響いた。
久々の会話のやり取りに試行錯誤。まだ続きます。




