41. リリィ
今回はちょっと長めです。
少女を抱えた琢郎は、無事に新たな棲家と定めた場所まで帰り着いた。
途中で少女を落としてしまうことや、目印となるものを見落として帰り道に迷うといったヘマを犯すこともなかった。
入り口横のスライム対策として盛った砂に魔除けの枝を2本差し、意識を失ったままの少女を抱えて中へと入る。
念のため奥まで入る前に入り口から一度中を確かめたが、特に留守中何かが入り込んで荒らしたような形跡はない。
安全を確認した上で、少女を担いだまま奥まで運ぶ。寝床代わりに敷いてある毛皮のところまで行くと、その上にそっと下ろして寝かせた。
「……大丈夫なのか?」
運ぶ途中で目を覚まされていれば、暴れたり騒いだりで厄介なことになっていただろうが、なかなか起きないというのはそれはそれで心配になる。
少女を直接傷つけるようなことはしていないはずだが、ふと不安になって琢郎は少女に顔を近づけた。
栗色の髪の下は、思ったよりは顔色が悪くない。淡く色づいた唇からは、微かな呼気が感じられる。
視線をずらすと、発育がいいとは言えないが性別をはっきり主張しているなだらかな膨らみが、小さく上下していた。入り口に残した魔除けの枝から離れたことで感じられるようになった、少女の体臭は微かにどこか甘く――
「って、ヤベェッ!」
慌てて上体を起こして、入り口の割れ目近くまで自らを遠ざける。
オークの本能からか、一瞬そのまま少女に覆いかぶさってしまいたい衝動に駆られた。
普段は元人間としての理性が勝っているが、珍しく至近距離で女性に接したのと、昨日は雨で自家発電ができなかった(棲家はそう広くないので、出したものの臭いが中にこもるのを嫌って、外に出れない昨日は自粛した)ことで性的な本能自体も強くなっていたのだろう。
ここまで運ぶ際に背負ったり抱きかかえたりせず肩に担ぐようにしたのは、不用意な接触で己の牡部分を刺激しないようにしたつもりだったのだが、顔を近づけただけで本能に流されそうになるとは失敗だった。
幸い、距離を取ったことと入り口からの魔除けの枝の臭いが鼻を刺激することで頭が冷えたが、どうしたものか。
「まさか、この状態で目ぇ離すわけにもいかないし」
後のことを考えれば、少女が目を覚ます前に処理してしまい、いわゆる賢者タイムに入っていた方が落ち着いていられるとは思うのだが、離れて自家発電している間に目を覚まされても困る。
かといって、目を離さないままこの場で自家発電するというのは論外だ。
そもそも広くはないこの棲家の中ではしたくないから溜まっているわけだし、寝ている少女を見ながらいたすというのも色々とアレすぎる。
「……しょうがない。なるべく近づかないで交渉しよう」
さっき気づいたのだが、聖木の臭いは魔除けの他にもその不快な刺激が本能(性欲)の衝動を抑えつける効果ももたらしていた。さっき入り口に差したその枝を1本手に取ると、可能な限り距離を保ったまま腕を伸ばして、その先端で少女の身体を軽くつつく。
「ぅ……んん……」
何度かつついていると、やがて少女の口から小さな呻きが洩れる。薄く目を開き、半分ほど上体を起こした。
だがまだ意識がはっきりとはしていないようで、ぼんやりと辺りを見回し始める。
「ャッ!」
そしてその黒い瞳に琢郎の姿が映った途端、意識を失うまでのことが全て頭に甦ったようだ。急ぎ残りの身体を起こして遠ざかろうとした。
しかし、琢郎の棲家は広くない上に寝床は入り口から遠いところに敷かれている。それより奥には天井が低くなっていくらか荷物も置かれており、少女にはそれ以上下がる余地はほとんどなかった。
表情に絶望を滲ませつつ、それでも万が一の希望を求めてありもしない別の出口や逃げる場所を探そうとする少女を見るに見かねて、琢郎はなるべく優しい声音を心がけつつ声をかけた。
「取って喰う気はないから、少し落ち着いてくれ」
「えッ?」
琢郎が言葉を話すところは意識を失う前にも聞いたはずだが、やはり信じがたい出来事だったらしい。びっくりしたように少女の動きが止まる。
瞳を丸くし、やはり言葉一つで警戒は消えずに怯えつつも、意思疎通は可能と理解できたのか、恐る恐る問いかけてきた。
「あ、あの……あなたは人間、なんですか?」
「形は見ての通りだが、心情的にはそのつもりだ」
琢郎は正直な答えを返したが、少女の反応は思わしくない。
「そんなに怯えなくても、こちらに何かする気はない。少し話がしたいだけだ」
これも本音だ。少なくとも今のところは。
助けておいて顔を見られたからやっぱり口封じする、などといったことはしたくない。とはいえ正体を見られた以上は放置はできず、とりあえず話をすることで何らかの保障は得られればというのが、今の琢郎の思案だ。
正体を隠す必要がない以上、彼女相手なら話の中で人間の町での生活についてもっと突っ込んだ情報を聞けるかもといった期待もある。
だが、少女の怯えと警戒はなかなか緩まず、どうにも話がしづらい。どう言えば少女の態度を和らげられるかと悩んだところで、ふと思い出した。
「そうそう。そういや俺とあんたは初対面じゃないんだし、もう少し俺を信用してもらえないか?」
それだけでは琢郎の言わんとすることは伝わらず、少女は怯えの中に困惑を混ぜただけだった。琢郎は重ねて言葉を紡ぐ。
「その奥の荷物の中に、前にトラオンで会った時に俺が着ていたローブがあるだろ。あんたがぶつかってパンをばら撒いて、俺が弁償した。憶えていないか?」
「え……? あぁ! これって……」
具体的にその時のことを説明すると、少女もようやく何のことかわかったようだ。言われた場所から見覚えのある予備のローブを見つけて、困惑を驚きに変えた。
「小銀貨2枚、あれで足りただろう?」
ダメ押しにあの時渡した金額を告げると、琢郎があの時の相手だと確信したのか少女の驚きは大きくなった。その分、琢郎に対する怯えと警戒は緩んだように見えた。
この機を逃さず話に入ろうと琢郎が名前を名乗ると、少女も自らの名を告げる。ようやく琢郎は少女――リリィと話す取っ掛かりを掴むところまで来ることができた。
出会った時のやり取りをこういう形で利用するつもりではなかったんですが、意外にいい具合に繋がりました。




