39. 救出
「い、いやッ! 誰か……!」
悲鳴に続いて、助けを求める声が魔物の放つ甘い臭いと共に風に乗って届く。
魔物の臭いを避けて踵を返そうとしていた琢郎の足が止まった。
この世界においては、人が魔物に襲われることなどそう珍しいことではないはずだ。まして、街道の両側や森の中でもごく浅い部分には魔除けの木が植えられている。
あえてその奥に踏み込み、それで魔物に襲われているのならば、それは自業自得というものだ。
「……あ~~~、ったく!」
頭ではそう考えていても、必死に助けを求め続ける声を聞こえないことにするのは、どうにも罪悪感を憶えてしまう。
巣にいた頃に他のオークに嬲られていた女たちを見た時といい、琢郎は自分が思っていたより鬼畜・非道にはなれなかった。今はもうオークで、人間ですらないというのに。
どこかのヒーローでもあるまいし、行く手に何があろうと助けを求める声を見捨てられないわけではない。悲鳴と一緒に届いたこの甘い臭いで、こないだの植物型の魔物が相手だと知れる。
前回倒した経験から、自分なら十分に悲鳴の主を助けられると分かっているからこそ、見捨てることに強い罪悪感があるのだろう。
そうは言っても、下手をすると地球にいた頃よりも今の琢郎はへタレというか甘いというか。自分でも偽善めいたように思う。
悲鳴を聞いて足が止まってしまった時点で、すでに失敗だった。
そんな風にも思いながら、琢郎は声のする方へと急ぐ。草を掻き分け、邪魔な枝は近づく前に風の刃で切って落とす。
樹と樹の間を通り過ぎて視界が開けたところで、予想通りの光景がそこにあった。
「あ……ああぁ……!」
足を数本の触手に巻きつかれた1人の少女が、うつ伏せに倒れたまま地面に爪を突き立てるようにして、必死に抗おうとしている。
しかし、魔物の力には抗しきれず徐々に本体の花弁の方へと引き寄せられているようだ。手指の数と同じだけの細い溝が、少女の手の先から数メートルにわたって地に刻まれていた。
「ッ……!」
ここへ来て今さらに気づいたが、別の場所で琢郎と同じく悲鳴を聞いた者がいたらまずい。森を進むのにローブを脱いでいる今、ここで鉢合わせるわけにいかなかった。
他に助けがあるなら、やはり引き返そうかとも思った。
だが、幸か不幸か、少女の他に人の姿もなければ、近づいてくるような気配も感じられない。
「<風刃>!」
であれば、仕方がない。
まずは風の刃で、少女を本体へ引き寄せようとしている触手を斬り飛ばす。
「<火炎球>!」
続いて、横から不意に攻撃された魔物が、残りの触手をこちらへ振り向けるより早く、魔物の本体に向かって致命的なダメージを与えられる火球を投げつけた。
それで終了。こちらが不意を打ったこと、前回の戦闘でこの魔物のことを知っていたこともあって、相手に何もさせることなく完全な勝利を得た。
「<風刃>、<風刃>」
ただし、燃えながらも悶える触手が間違って少女の方へと伸びないよう、ダメ押しでさらに数回刃を放って残る触手も断ち切っておく。
まだ本体は燃えているが、これで少女の安全は確保された。
「あ……ありがとうございま……」
触手が切断された瞬間には、少女はまだ何が起きたのかわかっていないようだった。
次いで本体が炎上するのを見て己が助けられたとようやく気づいたのだろう。顔を上げて琢郎に礼を述べようとして、その姿を瞳に映すなり硬直した。
こちらを見上げて固まった少女を見て、琢郎はその栗色の髪と黒い瞳に見覚えがあることに気づく。トラオンの町でぶつかってしまい、パンをばら撒いて途方に暮れていた少女だ。
「あ。おまえは……」
思わず声に出すと、少女の身体は硬直から震えに移行した。信じがたいものを見る恐怖の色がその瞳には浮かんでいる。
「ま、魔物が、オークが、しゃべっ……!」
魔物に捕食されそうになったところを、幸運にも救われたかと思えば、そこにいたのは別の魔物。
それも、この辺りの山にはいないはずの、全女性の敵と言われるオーク。生命の危機に加えて、貞操の危機までもが加わった。
さらには、その魔物が人の言葉を話すというあり得ないことまで起こり、1歩自分の方へと近づかれた瞬間、少女は限界に達した。
「ひッ! い、いやああああぁぁぁぁぁ!!」
ヒロイン(?)再登場です。




