初恋の時雨-2-
「ねえ、そんなにケーキ好きなの?」
梅雨明け宣言が出たにも関わらず、今日は朝からぱらぱらと雨が降っている。
桐谷は今日もケーキを買いに来た。毎回違う種類を購入していき、今日はチーズタルトを二つ選んだ。
毎回二つずつ。
梢は、桐谷が誰かとケーキを食べているのだと予測し、それほどしょっちゅう買うなら相当な甘党なのだと見た。
「うん、まあね」
それ以上は何も聞けなかったし、彼も珍しく口をつぐんだ。誰へのお土産で買っているとか、甘いもの好きなんだとか、いつもの彼なら答えているはずである。
誰かと、食べているのだろうか。
そんな疑問が梢の中に沸き上がってきた。
桐谷は美男子とまではいかないが、きりりとした眉や精悍な目付きはわりと男前である。それに加えて野球部で鍛えられた力強そうな腕は頼りがいがあるし、だからといってがさつではない性格は女子に好まれそうでもある。
付き合っている人が、いるのかな。
梢は桐谷に対してそんな疑問を持つようになっていた。
その日も梢の電車の時間まで雑談をした。
マネージャーの件には触れなかった。
それから桐谷が店に来てケーキを買うたび、夜に食べると太るよとか、一緒に食べる人も相当好きなのねとか、我ながら女々しくて嫌になる遠回しな詮索をした。
しかし桐谷はその話題になると、笑うか少し相づちをうつかしかせず、何も答えなかった。
もやもやとした気持ちがたまり、梢はついにはっきりと聞いてしまった。
「いつもいつも、誰にケーキを買ってんの?」
なぜ自分がそんなに怒っているのか、よく分からない。桐谷がケーキを買いにくるのを待っているのに、ケーキを二つ買うと腹立たしくなる。
「そんなに甘いものが好きな人なの?」
「うん」
「お母さんとか?」
「いや、違う」
「女の子なの?」
「うん」
すると桐谷は、申し訳なさそうな顔をする。
「俺がケーキを買ってくるの、すごく楽しみにしてるんだ」
誰なの?とはさすがに聞けなかった。
梢はもう何か聞くことはやめて、今日は見送りを拒否した。
翌日からはテスト直前であるため、部活はない。放課後になり梢はひろかと帰ろうとしたが、ひろかは幸と図書室で勉強するという。梢も誘われたが、なんとなく虫の居所が悪かったため断って一人で帰ることにした。
梢は決して気分屋ではない。
はっきりとした口調はわがままにも聞こえるが、それはルリのような傲慢さではなく、理論的な会話を好むからだ。常に周囲に気を配っているし、空気が悪くなるようなことはしない。
理由なく機嫌を損ねるような性格ではない。
だが、どういうわけか昨日から気分が浮かない。梅雨が明けたのに連日雨が降っているせいだろうか。
昇降口で靴を履き、和柄の傘を広げた。この傘は気にいっている。強い雨ではないが、降ったり止んだりを繰り返すたちの悪い雨だ。
正門を出て、駅を目指す。
「黒川!」
線路沿いで後ろから声がかかった。驚いて振り返ると、ビニール傘をさした桐谷が駆けてくる。
「黒川、今帰り?」
梢は、何も答えなかった。
「今日もバイト?」
「テスト前だから休みもらった」
「え、そうなんだ。今から買いに行こうと思ったんだけど」
「じゃあ行けば」
「一緒に来てくれないの?」
梢は立ち止まる。
「なんで私が」
「ケーキ、選んでよ」
梢は気分の悪い原因がこれであると今気づいた。
桐谷の、ケーキだ。
「なんであたしがあんたのケーキ選ばなきゃいけないわけ?あんたがどっかの誰かと食べるケーキなんか、私にはどうでもいいわよ!」
速足で歩き始める。
しかし、運動部の桐谷には数歩で追い付かれた。
「な、なんか怒ってるの?」
「怒ってない!」
「怒ってるじゃん。俺がケーキ買いに行くのが、気に入らなかった?」
梢は、鈍感な同級生に余計腹が立ち、それからこんなことで苛立っている自分が馬鹿みたいで、ますます語気を荒げた。
「誰にケーキ買ってるのかも、誰と食べてるのかも教えてくれないくせに!なのになんで毎回私のお店に買いに来るのよ!」
先ほどよりも強く雨が降りだした。
傘に当たる雨がうるさい。
「もしかして、やきもち、やいてるの?」
「や、やいてない」
「やいてるよね?」
「やいてないってば!もう、ついてこないでよ」
「あのケーキ、妹にだよ」
へ?とすっとんきょうな声が出た。また立ち止まり、桐谷の方を向く。意外と背が高い。
「妹?」
「俺、年の離れた妹が二人いるんだ、だから」
「だから、ケーキ二つ?」
「うん、俺は食べてないよ」
妹。
妹が二人。
妹にケーキを。
だからしょっちゅうお土産にケーキを。
梢は、頬が真っ赤になる前に走り出していた。
「黒川!」
水溜まりも避けずに、傘をさしたまま線路沿いを駅に向かって走った。
あっさりと桐谷に追い付かれた。腕を捕まれ、前に立たれて行き先を阻まれる。
「黒川、黙っててごめん」
「なんで言わないのよ!私、馬鹿みたい」
「だ、だって、シスコンとか言われると思ったから」
「言わないわよ!」
肩が、腕が、膝が、濡れる。
梅雨が明けたはずなのに。
梢は勝手な思い込みで怒って嫉妬して喚いていた自分がみっともなく、情けなく、恥ずかしくなった。
自分はこんな見苦しい気持ちをもつ人間なのかと嫌悪感に巻かれた。
そんな梢の顔をじっと見つめながら、桐谷は少年のような声を発する。
「でも、なんか嬉しい」
「はあ?」
「黒川、俺のこと、好きなんでしょ?」
「ばっ、ばっかじゃない!?そんなわけないでしょ!」
「え?ち、違うの?俺てっきりそう思ってて、黒川と付き合えたらいいなって、思ってたんだけど…」
梢の腕を掴んでいた桐谷の指は、するりと降りていき、梢の濡れた手に触れた。そしてそのまま、握られる。
「俺と、付き合って下さい」
気付けば雨は小降りになっていた。
やみかけの小雨の空には太陽も出てきている。
虹でもあればロマンチックなのだろうが、あいにくそんなものは出ていなかった。
その代わり、梢の透き通った声が、はいと一言、時雨の後の空に飲み込まれていった。