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初恋の時雨-1-

長かった黒髪をばっさり切ったことに、特に意味はなかった。

失恋したわけでも、何かを決意したわけでもない。

ただ、暑かっただけだ。


黒川梢はクールビューティーという印象の強い生徒である。

艶やかな髪は短く切ってもなお輝いており、黒猫のような眼は大きく、色白でしとやかだ。

口数は多い方ではないが、友人もいて、成績も悪くなく、そして美人とくれば相当モテるはずなのだが、あまり告白された経験はない。

男子が苦手なのだ。

話しかけられても機嫌が悪いのだろうかと思うほどそっけない。

何か用があって梢から話しかけるときなど、怒っているような口調になる。


なぜなら、男子は馬鹿で幼稚だと思っているからだ。


「いらっしゃいませ」


自動ドアが開いたので挨拶をする。

梢は駅前のケーキ屋でアルバイトをしている。特に金銭に困っているわけではないが、年頃の女子高生であるから服も化粧品も雑誌も買うし、学校帰りには友人と寄り道をすることもある。そのためにはお小遣いだけでは足りないのだ。欲深くはないが、流行に遅れたくもない。


「あれ、黒川じゃん」


客は同級生の桐谷であった。確か一組で、野球部だ。部活帰りなのか大きなスポーツバッグを背負っている。


「ここでバイトしてるんだ」


「まあ」


いつも通り梢はそっけなく返した。

男子は苦手だ。すぐに女子を叩いたり、からかったり、虫を近づけてきたりすると思っている。幼稚園から中学校まで男子のそういう面しか見てこなかった梢は、いまだにその先入観があるため、男子とは極力口をきかないことにしている。


「黒川は部活やってないんだっけ?」


「料理部」


「へえ。料理得意なの?」


「別に。ケーキ買うの?」


「あ、そうだった。フルーツタルトふたつ頂戴」


黙ってショーケースからケーキを取り出す。トレーに乗せ、スプーンと共に箱に詰める。シールを貼ったら会計トレーをつきだして、840円ですと言った。


「学校の近くのケーキ屋知ってる?あっち潰れちゃってさあ。それでここに来たんだ。この店きれいだけど、最近できたの?」


「さあ。入学するときにはもうあったけど」


「俺、家がこっちじゃないから知らないんだよね。でも、黒川がいるなら、これからも来ようかな」


「ありがとうございました」


つり銭を渡し、早く帰れと念じた。

男子と話すと警戒心が全身に広がり、緊張する。

桐谷が帰った後も、しばらくその緊張は続いた。


梅雨の時期が終わり、夏が来る。

最近エアコンを導入した教室は快適だったが、一歩廊下や体育館に入れば蒸し風呂のように暑い。プールの授業がある日はいくらか涼めるが、梢はあまり泳げないため授業自体は苦痛であった。


「彼氏欲しいなあ」


幸が口癖のように繰り返す。

休み時間になると集まってくるいつものメンバーの一人だ。


「彼氏?そんなんいたって面倒なだけでしょ」


梢は突っ撥ねた。

心底思っているわけではない。彼氏は欲しいが、男子というものが好きになれない。だからといって女子が好きかといえば断じて違う。完全に否定する。傲慢で常に己にふさわしい男とやらを探しているルリではないが、優しくて、からかったりしない、虫も近づけてこない、そして束縛もしない、そんな男がいればいいなとは思っている。


「梢ちゃんって、一人でも生きていけそうなタイプだよね」


「そういうわけじゃないけど。毎日連絡したり、会ったり、気をつかったりするのって疲れるじゃない」


するとひろかが珍しく、ゲームをしていた携帯電話を置いて抗議した。


「梢ちゃんは好きな人がいないから、そう思うんだよ!好きな人ができたら絶対毎日会いたくなるし、メールもしたくなる!」


「なによ、あんた好きな人できたの?」


別にそういうんじゃないもん、と妙に尻すぼみな回答が返ってくる。そういえばひろかは最近、同じ料理部であるにも関わらず部活が終わると一緒には帰らず、用があると言ってどこかへ行ってしまう。寄り道するなら付き合うのだが、別れるのはいつも校内であるからどこに行っているのか知らない。


「梢ちゃん、絶対モテるのに、男子嫌いだもんね」


「嫌いなわけじゃないけど。好きな人ができれば付き合いたいと思うかもしれないけど、単に彼氏がほしいっては思わないな」


「でも、一緒に帰ったり、映画を観に行ったりするのは、憧れるよね」


と、小夜が小さな声で幸に同調した。小夜は大抵が小声であるため、聞き取りにくい。


「そんなもんかなあ」


納得できないまま、梢は本日の放課後もアルバイトに向かった。

部活は運動部ではないため、毎日あるわけではない。むしろ料理部は部員も少ないので、週に一回だけの活動となっている。だから部活よりもアルバイトの方が多いという生活を送っているのだ。


「いらっしゃいませ」


アルバイトが終わる五分前に自動ドアが開いた。そろそろ帰ろうと思い、支度をしていた梢は少しがっかりしながら挨拶をする。見ると桐谷であった。


「おっす。今日もバイト?」


「そうだけど」


「偉いな。何時まで?」


「あと五分であがる」


「そうなんだ。こんな遅くまでよくがんばるな」


午後の七時だ。

桐谷はショーケースを眺めて、今日はモンブランを二つと言った。


「700円」


「なあ、黒川って、家どこなん?」


「あたしは電車」


「これから電車で帰るの?」


「そう。でも次の電車は30分後」


桐谷は腕時計を見た。日焼けした腕に似合う、黒い時計である。うつむくと意外に鼻筋が通っており、梢は隙をついて見惚れた。


「じゃあ、一緒に待ってようか?」


「え?」


「だって、もう暗いし。それに、俺も駅に親の迎え呼ぶ予定だから、それまで一緒に待ってようか?」


いいよ別に、と言いかけたが、先日駅で痴漢事件があったことを思い出した。梢自身は被害にあってはいないが、小さな駅なのにそんなことがあり、内心怖くはあった。

だから、うんと一言うなずいた。


「じゃあ、外で待ってるから」


ケーキの箱を持って彼は外へと出て行った。

定時になったので急いで帰り支度をし、カバンをつかんで外へと出た。

桐谷は自販機の前で炭酸のジュースを飲んでいた。梢に気づくと、買っておいてくれたコーラを手渡してくれる。


「炭酸、大丈夫?」


「うん、大丈夫」


本当はあまり好きではなかったが、嫌いというのも失礼なので、素直に受け取って飲んだ。シュワシュワと口内で炭酸がはじけて、「あ、嫌いじゃないかも」と思った。

店の向かいに位置する駅へと歩き、梢の電車が来るまで待ち合い席のベンチに座って雑談をした。

桐谷の会話は、質問が多かった。だから無口な梢も口数を増やさざるを得ない。ただそれが、梢にとっては心地良いものでもあった。単に完結してしまう話をされても、へえとかふうんとか、そんな相槌で終わってしまう自分が嫌なのだ。だから男子との会話は続かない。桐谷は梢の性格を知ってか知らずか、話しやすい会話を投げかけてくれた。

だから梢は、自分の部活のこと、クラスのこと、家のことなど、様々なことを話していた。ひろかが最近部活後にどこかへ行っていることや、ルリがふさわしい男探しをしていること、それから、幸が彼氏が欲しいというが自分には理解できないこと。


「私は、男子が苦手なの」


そう言って桐谷の様子をうかがうが、さほど表情は変わらなかった。


「中学生の時、髪を引っ張られたり、カマキリの卵を机に置かれたりして、こんな野蛮な連中とは口を利かないって決めたの」


「それであんまりしゃべってくれないんだ」


桐谷は笑っていた。


「そ、そういうわけじゃないけど」


「いいよ別に。でも、高校生になると色気が出てくるのか、あんまりそういう子供みたいな奴、いなくなるだろ」


確かにそうだ。高校に入ってからはバカ騒ぎをする男子はいても、からかってくる生徒は誰もいない。砂をかけてきたり消しゴムのカスを飛ばして来たりなどという幼稚な男子も、見ていない。


「ていうか、黒川美人だし、そんなことしてこないだろ」


「関係ないわよ」


自分が美人だと認めているわけではない。美人だろうと成績が良かろうと、男子の標的になる可能性はなくはないのだ。大人になった分、高校生ではそういうことが減ったというのも事実ではある。


「そうだ、黒川さ、野球部のマネージャーやらない?」


「マネージャー?」


そろそろ電車が来る。梢は携帯電話で時計を確認しながら問い返した。


「うちのマネージャーさ、一人やめちゃって、今女子一人でやってるんだ。これから甲子園もあるし、忙しくなるから募集しなきゃなって部長たちが言ってたんだ。黒川入ってくれたら部員も喜ぶと思うよ」


「そうかな」


「それに、男子がもう中学生みたいに、女子にバカみたいなことしないって、きっと分かるよ」


梢の部活は週に一回だ。それ以外ならマネージャーの仕事はできなくもない。ただアルバイトはできなくなる。

列車が駅構内に入ってくるアナウンスが鳴り、梢は立ち上がる。


「遅くまでありがと」


「無理にじゃなくていいから、考えといてよ」


改札を通ってから振り返ると、腕まくりをした桐谷が軽く手を振っていた。梢も弱々しく手をあげて手を振りかえした。

もう緊張してはいなかった。



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