瑠璃色の夏-4-
期末テストが終わるその日まで、ルリは何度も何度も懲りずに藤沢に猛アタックし続けた。
そのルリの鋼の精神だけは褒められてしかるべきではあるが、梢はとうとうルリをストーカーと呼ぶまでになっていた。
そんなテスト最終日の放課後、ルリが二階の渡り廊下を歩いていると、音楽室から出てくる藤沢駿の姿を発見した。すぐさま駆け寄ろうとしたところ、彼の後ろから教室を出てくる者がいる。
音楽教師の白田だ。
病弱らしく最近まで休職しており、やっと復帰したという薄幸そうな女である。横から見るとまるで幅のない細すぎる体つきで、顔はいつもうつむき加減で暗い印象がある。
放課後であるにも関わらずなぜ藤沢が音楽室から出てくるのか不思議に思ったルリは、廊下の角に隠れて様子をうかがうことにした。他人が見れば尾行以外のなにものでもない。
「夏休みになったら、のりちゃんに会えなくなるね」
藤沢のやわらかい声が廊下に響く。
「学校は暑い暑いって言ってたから休めて良いじゃない。それと、その呼び方やめてくれないかしら」
「でも、先生に会うために学校来てるようなもんなんだから、夏休みなんかいらないよ」
「あなたねえ、学校は勉強をするところなの。それから用もないのに来るのはやめなさい」
「先生に会うって用があるんだよ。ねえのりちゃん、夏休みでも学校にくる時ある?」
「あるけど、あなたには教えないわ」
ひどいなあと笑って、二人は別れた。
ルリは立ち尽くしていた。
その後5組の教室に行ってみると、明日から夏休みということもあり誰もいなくなった教室に、藤沢だけが机の上に座っていた。手にはスケッチブックがある。
「また絵を描いてるの」
ルリはいつも通りに声をかけた。
「うん、なかなか完成しないんだ」
「見せてよ」
藤沢はあっさりと絵を見せてくれた。
そこには、先日と同じく、またピアノを弾く人の絵があった。先日よりも線が濃くはっきりと描きこまれており、ルリには完成品に見えた。
そしてその絵の人間には見覚えがあった。
「これ、白田先生でしょ」
「え、よく分かったね」
ルリの平素の高慢な態度は無意識だが、今だけは余計に高飛車な態度を作ってみせて言った。
「あんた、あの人のこと好きなの」
「うん」
好きだよ、と藤沢は素直に答えた。
いつもの飄々とした態度はどこへやら、哀愁漂う表情である。
一部では女好きだという噂があるのをルリも知らないわけではない。先日の彼の家での一件を思い返しても、やはり女慣れしているのは否めない。
しかし、なぜか今は、飼い主を待つ犬のような顔をしている。
「なんであんな女が良いの?あたしの方が絶対良い女だと思う」
「はは、でも、そんなもんだよ」
スケッチブックを仕舞い、藤沢はバッグを肩にかけて立ち去ろうとする。
ルリは、この時を逸したら夏休みになってしまうことを思い出し、駆け寄った。
「ねえ、あたしと付き合いなさい」
藤沢は振り返り、哀れむような眼を向けてくる。
「悪いけど、何度言われても断るよ」
「どうして?こんなにあんたに尽くしてるのに、どうして付き合えないのよ。あたしの何が悪いの?どこがいけないの?直すから言ってよ」
「ルリちゃん、俺はね、そういうことを言わない子が好きなんだ」
ルリは口を開けたままかたまった。
憤っていた。
不満だった。
どうにもならないことがあることを、ルリは知らないのだ。
「どうしてあたしを、好きにならないの」
ルリは泣いていた。
こんなに頑張って、彼女なりに気持ちを伝えて、身綺麗にして好かれるように努力した。
しかし、すべてずれていた。
何も伝わっていなかった。
それどころか、好きな相手の心には別な人物がいた。
それを知らなかったことが、恥ずかしく、情けなく、なぜこの気持ちが伝わらないのか分からずに、ルリは泣き出した。
「ルリちゃん、ごめんね」
ごめんね、と藤沢は何度も謝る。
謝るけれども、言われれば言われるほど、付き合えないことを提示されているように思えた。
こんなに綺麗で、スタイルも良い女を振る男がこの世にいるのだと痛感した。
どれほど自分にふさわしい人でも、好きになってもらえなければ意味がないのだと知った。
藤沢は歩み寄ってきて、ルリの涙を拭いた。
そして、「帰ろうか」と言った。
その日は家まで送ってくれた。
ルリの自転車を彼が運転し、荷台にルリが乗る。
後ろでしがみつきながら、花の香りをかぎながら、ルリはずっと泣き続けた。
「あたし、あきらめないから。あの女よりあたしの方が良いって、思い知らせてやるんだから」
「うん、がんばってよ」
藤沢の優しい声が、太陽の色に染まった積乱雲に溶けて行った。