瑠璃色の夏-3-
「あんたにお弁当作ったの。食べなさい」
「いや、俺も弁当あるから」
ここは2年5組の教室である。であるにも関わらず、一際響いているのはルリの声だ。甲高くやかましく、そして高飛車な口調を撒き散らしている。
ただ、その容姿もまた目立つため、俗に言う草食系男子が多いこの理系クラスでは、急に花が咲いたように周囲の男子がそわそわしているのも事実だ。
今ルリは、朝の5時に起きて作ったというお手製弁当を、藤沢駿の前につき出している。
「じゃあそのお弁当をあたしが食べるから、あんたはこっちを食べて」
「いや、いらないから。俺好き嫌い多いし、他人の手作り食べないの」
確かに藤沢の弁当には、おかずの半分に卵焼きが入っていた。もう半分は焼きそばで埋めてある。
「いいから食べなさいよ、あたしが作ったのよ?」
「駿、うるさいから食べてあげなよ」
藤沢の隣でパンをかじっていた友人が、眠たそうな眼でルリを見上げた。類は友を呼ぶというのは本当らしく、幼い顔つきながら、実に整った顔をしている。
「そうよ、食べなさい」
「一生懸命作ってくれたのは嬉しいけど、いらないものはいらないんだ」
ルリは小さな唇を尖らせて、かなり不貞腐れている。早起きしたせいか、少し眼が腫れぼったい。
「分かったわよ」
「じゃあそのお弁当は、教室に戻って食べなよ」
「その代わり、今日あたしと下校しなさい」
はあ?と藤沢はすっとんきょうな声をあげた。隣の眠そうな友人はついに机に伏せて寝てしまい、もう一人いる友人は、文庫本を取り出して読み進めている。おそらくこの二人は、昨日藤沢と一緒にプールに現れた二人である。
「どうせ今日も部活ないんでしょ?だったらあたしと帰りなさいよ」
「まあ、それはいいけど、ちょっと寄るところがあるから」
「じゃああたしも行く」
「いや、いいよ、後でにするから。本当に一緒に帰るの?」
「当然でしょ」
何が当然なのかは分からないが、とにかく一緒に下校する約束を取り付けたルリであった。
放課後になり、ルリは意気揚々と5組に入る。人がまばらになった教室に、藤沢は一人でいた。何やらスケッチブックに書き付けている。
「何やってるの、帰るわよ」
「うん」
覗き込むと、絵が描いてある。走り書きのようで分かりにくいが、おそらく人がピアノを弾いている絵だ。
「絵を描くの?」
「まあね」
さて帰りますか、と立ち上がってバッグを肩にかけた藤沢の横にならび、ルリは下校を開始した。
二人の放課後デートは実にあっけないものだった。ルリは自転車で5kmの帰路だが、藤沢は徒歩10分の距離に家があるらしい。
「じゃ」
と言って藤沢は自宅近くの曲がり角で手を上げた。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「何?」
「女の子と帰るなら家まで送るのが常識でしょ!じゃ、じゃないわよ!」
「だってルリちゃん自転車でしょ?俺歩きなんだもん」
「あたしも歩くわよ仕方ない。ていうか、喉かわいたんだけど」
「今日は暑いからねえ。じゃあさ、俺ん家来る?」
え、と思わず身をひいた。
これから付き合うであろう男に自宅へ招かれた。ということは、もしかすると、もしかするかもしれない。などとルリは思考を巡らせる。
「あ、あんたがそうしたいなら、行ってもいいけど」
藤沢はさっさと角を曲がり進んでいく。ルリは自転車を押しながら追いかけた。
彼の家は小さいながらも家全体がガーデニングされた、花屋敷であった。洋風の建物にはとても馴染んでいる。入り口にはアーチ状の門があり、おとぎ話に出てきそうな薔薇の蔦が絡み付いている。
「お邪魔します」
「リビングは散らかってるから、俺の部屋でいいよね」
「うん」
階段をあがり、一番奥が彼の部屋だ。ローマ字で駿と書かれた札がかかっている。
部屋は青を基調とした簡素なものだった。勉強机と、ベッド、ミニテーブル、あとは本棚があるだけだ。
クッションを渡されたので、座る。
その後飲み物を運んできたくれたので、本当に喉がかわいていたルリは一気に飲み干した。
一息ついたルリに、藤沢は一歩近づく。
「ルリちゃんさ、モテるでしょ」
「え?そ、そりゃ、まあね」
「可愛いもんね、スタイルもいいし」
褒められてルリはにやつく。
まっすぐ見つめてくる藤沢の視線が照れ臭い。
「ここに来たってことは、意味分かってるよね?」
「え?」
藤沢はますます近づき、その甘い顔をすぐそばまで寄せてきた。肩に手をかけられる。
ルリは、ドキドキしていた。
ついにこの瞬間が来てしまったと覚悟した。
花のような香りがする中、眼を閉じる。
「ルリちゃん」
名を呼ばれ、眼を開けると、さきほどとは打って変わって、無表情の藤沢の顔が目の前にあった。どうしたのかと思い、ルリも怪訝な眼を向ける。メイクが落ちていただろうか。あるいは、汗のにおいがして引かれたのだろうかと心配になる。
「ど、どうしたのよ」
「知り合ったばかりの男に誘われて、家までほいほいついて来るもんじゃないよ。このまま俺に襲われても文句言えないよ」
「だ、だって」
「それとも、このまま本当に襲っちゃってもいいの?」
「それは」
「もっと自分を大事にした方がいいと思うよ。軽い子だと思われる」
「あたしは、あんただから」
「だとしても、俺はそういう子は好きじゃないんだ」
藤沢は立ち上がってルリの飲んだコップを盆の上に片付け、家まで送るから帰りなよと言った。
外に出たルリはとめておいた自転車にまたがり、藤沢の申し出を断って一人で帰った。
ルリは自転車を漕ぎながら考える。
きっと駿は、自分を慮ってくれたのだと。
だからこそあんな厳しい言葉が出たのだと。
それでこそ、自分にふさわしいのだと。
「絶対付き合ってやるんだから」
積乱雲に向かってルリは自転車をふっとばした。