先生の理科室-1-
「先生、あたしと付き合って」
その人は
私の突然の告白にも動じない
冷静で
変わり者の
氷のような人
「断る」
もう五度目の玉砕だ。
渋沢ひろかはかれこれ五回も当たって砕けている。打たれ強いとかポジティブだという言葉はここで使うものではなく、この場合、しぶとい、しつこい、執念深いなどの言葉が適当である。
「なんでー?」
ひろかは容姿こそ抜群に優れているというわけではないが、ゆるやかなパーマをあてた長い髪や、大きな眼、それから高校生にしては妙にメリハリのある、肉付きの良い身体が魅力的ではある。
ただ、それらを粉々に打ち砕くほど、彼女の口調は馬鹿そのものなのだ。
「高校生だから」
普段は誰も入ることを許されない理科準備室の主人は、仏頂面のまま淡々と答えた。
海外の血が混じったような薄い髪色と瞳を持ち、その冷ややかな顔にとても似合うナイロールの眼鏡をかけている。
教師の神崎だ。担当は理科である。
「高校生の何が嫌なの?年の差?それともひろかが可愛くないから?」
「容姿は関係ない」
「じゃあ、高校生は馬鹿で非常識でわがままだから?」
「高校生は馬鹿で非常識でわがままだが、お前は単なる阿呆だ」
「ひどーい」
実際はなんとも思っていなそうな口調である。事実、なんらダメージはない。
五度も告白に失敗しながらめげない人間が、阿呆などと言われたくらいではへこたれない。
「じゃあ高校生の何がダメなの?」
「子供には分からないさ」
「そうやって子供扱いするー。ひろかのこと、ワカゲノイタリだと思ってるでしょ」
「思ってる」
高校二年生のひろかは、今年初めて神崎が担当する理科を受けた。
化学一筋で冷徹で笑わない、勉強のできる生徒しか相手にしないなど、その整った外見を曇らせるほど校内では良くない噂がたっていた神崎だったが、ひろかはよりによってそんな男を好きになった。
きっかけはなくはない。ただ他人から見ればきっかけとなりえない端緒である。
まず神崎以外入室禁止の準備室に入ったことで怒られた。なぜ入ったのかといえば、授業の前の事前準備を担当教師に聞きに行く理科係というものがあり、その担当である友人が体調不良で保健室に行くと言うので、ひろかが代わりに神崎のもとへ向かった。友人に準備室には入ってはいけないというのを聞いていなかったひろかは、ノックの後準備室に当然のように入った。
そして、怒られた。
そうしてひろかは、惚れた。
本来ならそこでしょげるか逆に怒る状況であるが、ひろかは神崎を好いてしまったのだ。
その時のひろかの感覚を理解できる人間が、果たしてこの世にどれだけ存在するだろうか。
「言っとくけど、ひろか本気だから」
「ああそう」
「ああそうじゃないの!あたし、本気で先生のこと好きだからね」
「高校生の本気なんて、あてに出来ないんだよ。春の夜の夢の如しだ」
「あ、それ『枕草子』だ!」
「馬鹿。『平家物語』だよ。お前文系だろうが」
「あーん、怒らないでよう」
「怒られたくなかったら、帰って勉強でもするんだな」
それでもひろかは、この理科準備室に入ることだけは許可されたようだ。初めは物凄い剣幕で怒られたものだが、ひろかが構わず入ってきて何度となく告白を重ねるうちに、神崎も諦めたようである。
「勉強なんか嫌、理科は特に嫌い」
「だったらここに入ってくるなよ」
「だって先生に会いたいんだもん」
「お前なあ」
呆れた神崎はひろかに背を向け、白衣を脱ぎ始めた。外はもう暗くなっている。
「先生帰るの?」
「お前につき合っている暇はないからな」
「明日もまた来るからね」
「もう来なくていい」
「絶対絶対来るもん。先生が付き合ってくれるまで来るもん」
「何度来たってお前とは付き合わない。お前も帰れ」
「先生ひろかが可哀想だと思わないのー?」
「同情で付き合ってもらって、お前は嬉しいのか?」
「付き合えばひろかの良さが分かるよ」
白衣をロッカーに仕舞い、荷物を取り出して片付けている神崎に付きまとうひろかは、もはやストーカーの如しだ。取り出した携帯電話まで覗き込む始末である。
神崎はひどく不機嫌な表情でひろかを睨んだ。切れ長の眼のせいか、かなり凄みがある。
しかし、ひろかのぽかんとした阿呆面を見た途端、急にムキになって怒っていた自分が馬鹿らしくなったのか、ふと表情を緩めた。そして次に、悪という字が書いてありそうな、ずる賢い笑みを口角に称える。ひろかの幼児のような顔が、加虐心を煽ったのかもしれない。
「じゃあ、問題を出そう。答えられればお前と付き合う」
「本当!」
「ただし答えられなければ二度とここには来るな」
「…分かった」
神崎は側に置いてあった地球儀に手のひらを乗せる。
「宇宙の広さを答えろ。今すぐだ」
神崎は眼を細めて言い放った。
よりによって自分の土俵で勝負しようとするあたりが大人気ない。それもひろかは文系で、脳ミソが風船でできたような女子高生である。答えられるわけがない。
ひろかは暫しぽかんとした後、こう答えた。