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第一選択希望:冷遇されてる生意気王子 ~虹孕みの公爵家なんて知りません!可愛い冷遇王子を甘やかします~

作者: 松藤かるり
掲載日:2026/09/02

 結婚相手となる王子を自分が指名した方が早く終わるんじゃないかなあ。

 どんよりとした気持ちから解き放たれたく、メアリ・ローズグロスはそのように考えていた。


「ならば、兄上が結婚すればいいだろう!」

「別に結婚するのは長男と決められているわけじゃない。こういう時こそ君の出番だろう!」


 メアリの前にてぎゃいぎゃいと騒いでいるのは、この国の第一王子と第二王子である。なぜ揉めているのかというと婚約者を押しつけあっているのだ。


 このイーリス王国には、ある決まりがある。王家は、虹孕みと呼ばれる三つの公爵家から配偶者を迎えるというものだ。そして、王族と公爵家から迎えた配偶者の間に生まれた子を次代の後継者とする。

 三つある公爵家の一つがローズグロス家だ。メアリはその代表として、王族に嫁ぐ覚悟を決めてここに来たのだが、第一王子、第二王子ともにメアリと結婚する気はなかった。


「君が愛でている伯爵令嬢には我慢してもらえばいいだろう。側室にすればいいい」

「兄上こそ、何人も令嬢たちを囲っているだろう。別に一人ぐらい増えたって構わないはずです」


 会話の内容から察するに、第一王子・第二王子ともに意中の恋人や気になる女性がいるのだろう。そのため、メアリとは結婚したくないようだ。

 彼らの言い争いにうんざりしながらも、メアリは彼らに問いかける。


「あの……虹孕みの公爵家から配偶者を迎えなければならないという決まりがあるはずですが……」

「そんなの古いしきたりに過ぎません。虹孕みだの何だのは、公爵家が王家に取り入るための口実でしょう」

「たとえ決まりごとだとしても、メアリ殿ではな……メアリ殿の妹ならばまだしも……」


 メアリは今年で二十歳。第一王子よりも二つ年が上なのだ。たかが二歳程度にすぎないのだが、王子らがメアリを嫌がるのは年齢だけではない。

 というのも、メアリの装いは公爵令嬢とは名ばかりで、使用人のような姿である。傍目に見て令嬢とは思いがたいものだった。


 もともと、王家が指名していたのはメアリの妹だった。

 メアリは父と亡き母の間に生まれた子であり、その後に父が迎えた後妻との間に生まれたのが妹だ。ローズグロス家は妹をとにかく可愛がり、メアリについては使用人と同等もしくは野放しといった扱いである。

 本来は妹が来るはずであったが、古いしきたりに縛られて結婚させられるだけでなく、王宮作法を叩き込まれるのが嫌だと泣いてしまった。父はこれを哀れみ、王家との結婚はメアリが代わるよう決めたのだ。


 こちらもそのようにイレギュラーな事態であるから王子たちの混乱を責めることはできない。

 しかし、王子二人がメアリとの結婚を押しつけ合っているのは何とも複雑な気持ちだ。

 メアリだって結婚したくない。あれやこれやと雑務を押しつけ、使用人の扱いをしてくるローズグロス家を出られるのは嬉しいが、王城にも自由はないのだろう。

 こうなったら――メアリが声をあげた。


「えっと……話がまとまらないようなので、私が指名しますね」


 その言葉に、王子たちの醜い言い争いがぴたりと止まる。


「指名ってことは……君が選ぶと?」

「そ、それは素敵な提案だが……でも僕はあまり、今は結婚なんて考えたくないというか……」


 王城の広間に集まっていた王子二人だけでなく、はらはらとしながら見守っていた大臣も息を呑む。

 メアリは彼らの顔を交互に見た後、告げる。


「私の第一選択希望は――」


 視線は二人の王子を通り過ぎ、広間の端に向く。

 そして、大きな柱の影からこちらを覗きこむ、齢十三の薄汚れた男子を指で示した。


「そちらの第三王子です」


***


 メアリが第三王子のことを知ったのは偶然だった。

 結婚なんてしたくないと考えながら王城の廊下を歩いていた時に、彼と出会ったのだ。

 彼は自身のことを第三王子とは名乗らなかったが、王城で働くにしては十三と幼いくせに、侍女や侍従に比べてみすぼらしい格好をしていたことから、彼が隠されていると噂されている第三王子だろうと気づいた。そこで、彼を指名したのである。


 メアリの指名は上手くいった。誰も反対することなく、それどころか歓迎された。第三王子が十三歳と幼かったためにすぐ結婚とはならず、メアリは婚約者として認められたのである。

 そうして今は、馬車に乗っている。メアリの向かいには俯いたままの第三王子が座っていた。


「名前、聞いてもいい?」


 王城を出てから、彼はずっと無言である。メアリが話しかけるも、彼はぼそぼそと小さな言葉で答えた。


「……アシュヴァン」

「じゃあ、アシュって呼んでもいい?」


 返答はなかった。ならば勝手にアシュと呼ぶことにしようと、メアリは心の中で決める。


 この馬車がどこに向かっているのかというと、イーリス王国の端にある村だ。

 というのも、メアリが逆指名をする前から、アシュはこの村に送られることが決まっていたらしい。

『それは、母殺しの忌み子ですよ? 明日にはこの城を出て行くというのに、こんな男を選ぶだなんて』

 これは、メアリが逆指名した後に第二王子が言ったものだ。そのことから、アシュは第三王子でありながらも母殺しの忌み子として兄たちから疎まれていたのだとわかる。


 第三王子がいたことは公爵家の間でも噂されていた。しかし出産の頃に王妃は命を落とし、王は最愛の妃を失ったとして心を欠き、子供らには興味を示すことがなくなったという。今日、広間に王の姿がなかったのもこのためだ。


 痩せ細った体に、侍女や侍従よりもボロボロの装い。顔には殴られた跡らしき痣もあった。

 それほど、アシュは王城でひどい扱いを受けていたのだろう。




 その後も彼は顔をあげることなく、長旅を終えた馬車はディアレム村に着いた。

 第一王子と第二王子の話によると、アシュは王位継承権を放棄して村に送られるとのことだ。

 王城から出た後の家や暮らしは保証されていると聞いていたメアリだったが、村に着くなりその考えは甘かったのだと思い知らされた。


「え? 何も、聞いてない?」

「ええ。特に何も……そもそもこの村に移住者が来るってだけで何年ぶりか」


 村の代表という男に話を聞いたが、城から何も連絡が来ていないようであった。

 思えば馬車も質素なもので王族が使うものとは異なっていた。王家の家紋はどこにも見当たらず、メアリとアシュを下ろしたらすぐに引き返してしまった。

 家はなく、暮らしも保証されていない。

 驚くメアリだったが、アシュの反応は違った。


「……わかっていたことだ」


 メアリの後ろに立つ彼は、ぼそっと小さく呟いた。


「兄上たちが、俺のためにそんな用意をするわけない。何も与えず外へ放り出して、野垂れ死ねと言いたいんだろう」

「アシュは、こうなるってわかっていたの?」

「そんなことだろうと、思っていた」


 第一王子らが暮らしの保証をすると話していたが、それは嘘だった。うまく言い訳をつけてアシュを厄介払いしたかったのだろう。

 馬車で悲痛な様子をしていたのはこの未来がわかっていたからかもしれない。


 メアリはその場で屈み、アシュと視線を合わせる。十三歳となれば背丈もそれなりにあるものの、まだメアリの方が背は高い。


「アシュはどうしたい?」

「……俺はここで死ぬって覚悟していたから、その通りにするだけだ」

「じゃあ、お城には帰らないね?」


 こくん、とアシュが頷いた。

 その様子からして、もしメアリに逆指名をされなかったとしても、一人でここに来て、王子たちの狙い通りに野垂れ死ぬつもりだったのかもしれない。


「わかった。じゃあ、ちょっと待っててね」


 そう告げて、メアリはアシュから離れていく。


「待つって……おい、どこに行くんだ」

「話をつけてくるよ」


 呆然としているアシュを残し、メアリは村の代表のもとへと駆けていく。

 そして数十分後、メアリはいくつもの荷物を抱えて戻ってきた。


「待たせてごめんね。家にできそうなところがあったよ。森の方に空き家があって、使ってもいいみたい。引っ越しってことでいろいろと分けてもらえたよ」

「家って……でも、あんたはまだ帰る場所があるだろ」

「ないよ。だから暗くなる前に家に行こう」

「でも……」


 躊躇って動こうとしないアシュに痺れを切らし、メアリが彼の手を掴む。


「ほら。行こう?」

「……」


 アシュはまだ迷っているようだった。しかしメアリに手を引っ張られて急かされているためか、渋々その足が動き出す。


 聞いた通りの場所に向かうと、森の手前に一軒の家があった。使われなくなってから何年も経っているらしく、ボロボロの家だ。

 中に入るとある程度の家具は揃っている。埃を被ったものや布素材は破れているものの、掃除や交換をすれば使えそうだ。


「急いで掃除しなきゃだけど、二人で住む分には問題なさそうだね」


 掃除の優先順位を考えながら室内を見回し、メアリがうんうんと頷く。

 アシュは家に入っても暗い表情のままだったが、ついに顔をあげた。


「二人で……って、俺とあんたが住むのか?」

「そうだよ。あ、でも安心してね。村の人たちにはアシュが第三王子だとは話していないし、私たちは姉弟ってことにしてあるよ」

「どうしてそこまでするんだ?」

「だって、指名したのは私だから」


 メアリは、村の代表から借りてきたエプロンを身につけ、長い髪を高い位置で結う。掃除に向けての支度が終わると、アシュのもとに近づいて微笑んだ。


「ここはもうお城じゃない。アシュは自由だよ」

「俺が、自由?」

「そう。お城を出たんだから、アシュはもう第三王子じゃない。私もローズグロス公爵家の令嬢ではなくなった」


 王城で暮らしていたアシュにとって、自由という言葉は馴染みのないものだろう。彼は困惑した様子であった。


「俺は一人で暮らす。あんたに迷惑はかけない。この家はあんたが借りてきたものだろう。だから俺は出て――」

「もう! あのねえ!」


 メアリが声を荒らげたためか、アシュは驚いて言葉を呑み込んでしまった。


「『あんた』じゃなくてメアリ。わかった?」

「あ、ああ……メアリ……」

「それから」


 メアリはその場で屈むと、彼の頭を撫でた。

 はじめはびくっと体を震わせていたアシュの様子から、撫でられるとは思っていなかったようだ。しかし優しい動きにおそるおそる目を開き、メアリを見つめている。


「迷惑をかけない、って私のことを考えてくれたんだよね。ありがとう」

「……あ、お、俺……その……」

「でもね、そんなのアシュが考える必要はないの。私がアシュを指名したんだから責任はちゃんと持つ。城を出る時は婚約者って名目になっていたけど、いずれ解消するつもり」


 十三歳という幼さであり、王城しか知らないアシュが一人で生きていくなんて無謀だ。そう考え、メアリはいずれ彼との婚約を解消することを考えていた。そのことを考え、村の人たちにも姉弟だと話している。


 メアリは頷き、歩いて行く。

 キッチンの大きな窓を開けると、外の風が入りこんだ。積もった埃が舞ったが、長く閉めきられた淀んだ空気が入れ替わるようで心地よい。


「これから、頑張ろうね」


 風の気持ちよさに目を細めながら、アシュに話しかける。

 それでも彼の表情は晴れず、曇ったままだった。


***


 翌日になり、メアリはさっそく村へと向かった。

 イーリス王国でも端にあるためか、村は慢性的な人手不足である。様々な家に行っては声をかけ、仕事がないかと聞く。畑仕事や家畜の世話、子守りなどもあった。

 それらを終え、お礼として分けてもらった食べ物を抱えて家に戻る。


「ただいま」


 窓から夕日が差し込んでいるため、家の中が明るい。昨日一日掃除したため、ある程度は綺麗になったが、まだ足りないものは多い。たとえばカーテンだって、破れているからと外したままで新しいものをつけていなかった。

 アシュはというと、メアリが出かけた時と同じように、椅子に腰掛けてじっとしていた。彼は視線だけを動かしてメアリの帰宅を確かめてはいたものの、挨拶のためにその唇が動くことはなかった。


「村の人からいろいろ分けてもらったんだ。美味しそうな野菜だよね」

「……ずっと、村にいたのか?」

「そうだよ。村の人たちのお仕事を手伝ってきたの」


 抱えてきたパンや野菜をテーブルに置いた後、エプロンを身につける。急いで夕飯の支度をする予定だったが、アシュは別のことを考えていたようだ。


「村の人たちの手伝いなんてできるのか?」

「まあね。掃除洗濯に料理。あと庭仕事もできるよ」

「あんた、いや、メアリはローズグロス公爵令嬢だろう? なのにどうして」

「公爵令嬢だからって良い暮らしをしているとは限らないんだよ――はい。これ、手伝って」


 メアリは芋の入った籠をテーブルに置いた。

 これをどうすればよいのかわからないとばかりに、アシュは目をぱちぱちと瞬かせている。


「皮むきを手伝ってね」

「わからない。やったことがない」

「大丈夫だよ。私のを見ながらでいいから」


 メアリは彼の隣に腰を下ろし、するすると芋の皮を剥く。アシュはまだ芋とナイフを手にしたまま、メアリの方をじっと見ている。


「……慣れているんだな。公爵家でも、こういうことをするのか」

「私だけだよ。毎日、掃除だの何だのしていたからね」

「使用人の仕事じゃないのか?」

「一般的にはそうかもだけど、私は使用人みたいな扱いだったから」


 そう話しているうちに、手にしていた芋の皮むきが終わった。それを別の皿に移した後、アシュに視線を向ける。


「どう? できそう?」

「……やってみる」


 おずおずと彼の手が動く。しかしメアリのように皮を薄くむくことはできず、やればやるほどに芋は小さくなっていく。


「手を切らないようにね」


 ナイフの扱いに慣れていないのか、不安になる手つきである。

 じっと見守っていると、皮むきは終わった。しかし、彼の手に残っているのは元の大きさに比べて半分以下になった小さな芋である。アシュもそのことに気づいているらしく、皿に置いたものと手中の芋を見比べ、肩を落としていた。


「……うまく……できなくて」


 アシュは申し訳なさそうに呟いていたが、メアリの反応は異なるものだった。


「えらいよ! 初めてでこれだったら上手にできてる」

「……え?」

「それに手を切らなかったことが一番えらい! よくできました!」


 メアリが初めて調理を手伝った時は手を怪我したのだ。それに比べて、怪我をしなかったのは素晴らしい。

 初めてだろう事柄に挑戦をしたアシュの勇気を讃えたくて、つい手を伸ばしていた。

 彼の頭を何度も撫でる。


「えらいえらい。頑張ったね」

「っ……あの、頭……その」

「あ、つい撫でちゃった。そうだよね、お芋触った手だから嫌だよね! ごめん!」

「そ、そうじゃなくて……」


 アシュは何かを言いかけていたものの、それ以上を発さずに黙りこんでしまった。

 しかし、その手は次の芋へと手を伸ばす。どうやら皮むきを手伝ってくれる気はあるようだ。



 そうしてなんとか支度を終え、夕飯を食べていた時である。

 向かい合って食べていた時、アシュが言った。


「俺に優しくするのは、何か裏があるのか?」


 その問いかけにメアリが顔をあげる。支度の時からずっと表情が晴れないと思っていたが、それは彼がメアリの行動に疑問を抱いていたためのようだ。


「俺は母様を殺した忌み子だって聞いただろう? 母様は俺を産んだ直後に亡くなっている。だから俺は、人の死を呼ぶ不吉な人間だ」


 それはアシュが王宮で迫害されていた理由である。第一王子や第二王子は、母が死んだ理由はアシュのせいだと思っている。そして父だって、愛しい妃を失ったために心を欠き、子供たちに興味を持たなくなっているのだ。

 不吉だの忌み子だの、彼はそのように蔑まれて生きてきたのだろう。そのようにメアリは想像したが、それを口に出すことはしなかった。

 『つらかったね』と言葉をかけるのは簡単だけれど、それがアシュの傷を埋めるかというと話は違う。アシュが置かれていた環境は、メアリが想像するよりももっと地獄だったのかもしれないのだから。


「表も裏もないよ」


 それがメアリの出した返答だった。

 過去に寄り添うのではなく、今を思う。


 もしもアシュが過去について明かしたのであれば、その時に寄り添おう。

 メアリにできることは、今のアシュを受け入れることだ。


 メアリがローズグロス家でひどい環境に置かれていた時を思い出す。

 父が新しい妻を迎えた後から冷遇されていたこと。妹は可愛がられても自分は使用人同然の扱いを受けていた。理解されなくてもいいから、受け入れてほしいと泣いた夜もある。

 心を塞ぎ、感情を捨てた方が楽になると思った日もあったが、メアリはそうしなかった。いずれローズグロス家を出た後を考え、家事は全て自分のためになると考えるようにしたのだ。


 メアリがアシュを選んだのは彼が似た境遇にいたためだ。同じだと思ったからこそ、放っておけず、手を差し伸べたくなった。

 そのことを再認識し、メアリは柔らかく微笑む。


「私はアシュが良いと思ったから選んだ。それだけだよ」

「……っ、どうして、なぜ嫌われているのか聞かなくていいのか?」

「それはアシュが話したくなった時でいい。ほら、スープが冷めちゃうよ。食べよう」


 それでもまだ、アシュの中では納得がいかないのだろう。

 彼は夕食のほとんどを残し、食事を終えるとベッドに潜り込んでしまった。




 夜になり、何かが聞こえた気がしてメアリは目を開けた。

 聞こえたのは狼の遠吠えらしき音だった。村の人からも、この森には狼が出ると聞いている。窓に近寄って目をこらしてみるが、狼らしき姿は見えず、森の奥にいるのかもしれなかった。


 いつもならばそこで眠りにつくのだが、嫌な予感がした。思い立って、メアリはミニテーブルを挟んで隣にあるベッドに視線を向ける。

 そこはアシュが使うベッドと決まっているのだが、彼の姿が見当たらない。


「……アシュ? いないの?」


 声をかけるもやはり返答はなかった。だが、ベッドに触れてみればかすかにぬくもりが残っている。

 嫌な予感がどんどんと膨らむ。

 まさか外に出たのではないか。夕飯も残し、ベッドに潜り込んでいるなどと様子がおかしかったのだ。これ以上メアリに迷惑をかけたくないと考え、家を出て行ったのかもしれない。


 外に繋がるドアは鍵が外れている。盗まれるようなものはない家だが、念のためにと施錠をしている。その鍵が外れているということは、アシュはやはり外に出て行ったのだ。


「でも……森に狼が出るって、まだ話していない」


 その話を聞いたのは村に出ていたメアリだけ。アシュは知らないのだ。

 それに気づくなり、メアリは家を飛び出した。急いでアシュを追いかけなければ。もしかすると先ほどの遠吠えはアシュに何事かがあったのかもしれない。


 昼の陽気も忘れるほど肌寒くなった夜風に逆らい、メアリはひたすらに駆ける。

 アシュがどこに向かったのかはわからないが、嫌な予感が示す通り森へと向かう。

 まだ、間に合うはずだ。そう考え、ひたすらに足を動かした。


 幸いにも満月の日であった。森の中は暗いものの、時折木々の隙間から月の光が差し込んで道を照らす。

 そうして森の奥深くへと向かうと、メアリの足音ではない別の音が聞こえた。

 ざ、と踏みしめる音。息を呑んでその方を見やる。


 狼だ。しかし狼はメアリではなく、別の者を睨んでいる。その方を見やれば木の根元に座り込んでいる者がいた。


「アシュ!」


 彼の姿を確かめるなり、声をあげていた。

 アシュは頬や手にかすり傷を作り、腕を庇うようにしていた。その様子からして狼に追われて逃げてきたのかもしれない。


 メアリはぐっと拳を握りしめる。足元に落ちていた枝を拾い、駆けた。

 狼からすればアシュを狙っていたはずが、乱入者が現れたのである。今にも飛びかからんとしていた狼は驚いて後退りをしていた。

 その隙に、メアリはアシュのもとに向かう。


「アシュ、大丈夫? 怪我は!?」

「どうしてここに……」

「家にいなかったから捜したんだよ。もう、夜に森に入っちゃだめでしょ!」

「そんな……俺なんかを捜すって……なんで……」

「だって、家族でしょ?」


 アシュの目が丸くなる。

 家族。

 そう言われたことが初めてだったかのように。


 しかし、難を逃れたわけではなかった。

 先ほど後退りをした狼はまだ諦めず、二人を襲おうとしていた。こちらに向け、駆けてくる。


「メアリ! 狼が!」


 アシュの叫びから、狼の接近に気づいたメアリは、身を挺してアシュを庇った。狼に背を向け、とにかくアシュを抱きしめる。

 瞬間、メアリの左腕に強烈な痛みが走った。

 痛みに顔を歪めながらも、メアリは右手に握りしめた枝を狼に向けて振り下ろす。


 そのように反撃されると思っていなかったのか、狼は甲高い悲鳴を上げてメアリから離れた。じりじりと後退りをした後、森の中へと逃げていく。

 狼が離れたのを確かめた後、メアリは腕の力を緩めた。そしてアシュを解放する。


「……よかった。狼も諦めたみたい。怪我はない?」


 そう話しかけながらアシュの様子を確かめる。

 頬や手、腕の怪我はどれもかすり傷のようだ。ひどい怪我はなさそうでほっと胸をなで下ろす。


「家に帰って、手当てをしなきゃね。頬の傷は跡が残らないといいけど。せっかく可愛い顔をしてるのに跡が残っちゃったら大変だもんね」


 しかしアシュの反応は違った。顔面蒼白になり、彼の視線はメアリの左腕に向いている。


「俺よりも……メアリの腕が……」

「え?」


 言われて確かめて見れば、狼に噛みつかれたことにより左腕から血が流れていた。じくじくと痛み、左手にも力が入らない。

 その怪我が、アシュにとっては衝撃だったのだろう。彼は今にも泣きそうな顔をし、震えた声で呟く。


「俺のせいだ……俺が忌み子だから周りを不幸にする……」

「違うよ」


 メアリは右手で、もう一度アシュを抱きしめた。


「忌み子だからじゃない。私がアシュを守りたかったの」

「でも……」

「アシュに怪我がなくてよかったよ」


 耐えきれなくなったのか、アシュがメアリに縋り付いた。きっと泣いているのだろう。メアリは彼の背を優しく撫でた。


「もう一人じゃないよ。私がそばにいる。だから、一緒に帰ろう」


***


 二人がディアレム村の外れで暮らすようになってから五年の歳月が流れた。

 村人に声をかけられ、畑仕事を手伝っていたメアリが顔をあげる。


「いつもありがとうね。これ、少ないけどお裾分けだよ」

「わあ、嬉しい! ありがとうございます!」


 二十五歳になったメアリは相変わらず村の人達の仕事を手伝って暮らしている。ここで学んだことを生かし、家の周辺で畑を作ることも始めた。

 お裾分けだというパンが入った籠を受け取ると、他の村人がこちらにやってきた。


「メアリ! 君の弟が待ってるよ。そろそろ戻ってあげたら?」

「はーい。じゃあ、今日はそろそろ戻りますね」


 村人たちに礼をした後、メアリは籠を抱えて歩いて行く。

 その道中でも村人たちとすれ違い、そのたびにメアリは声をかけられていた。


「おお。今日はもう帰るのか? 明日はうちの仕事も手伝ってくれよ」

「最近、メアリと遊んでいないってうちの子が寂しがっていてね」

「たくさん獲れたから、お裾分けだよ!」


 すぐに向かうつもりが、ついつい話し込んで時間がかかってしまう。人と会うたびに足を止め、そしていろいろとお裾分けをもらう。

 メアリが目的地に着いた時には籠の中身は山盛りになっていた。


「ごめん。待たせちゃったね」


 ようやく村の入り口まで戻り、柱にもたれかかって待つ姿に声をかける。

 癖があるためふわふわとした短い黒髪に、すらりと伸びた背。長く待たされたことに不満気味らしく、アシュはため息をついてからこちらに向き直った。


「遅い」


 五年の歳月によって、アシュは十八歳になり、その背丈はすっかりメアリを超えていた。整った顔立ちはそのままだが、声はすっかりと低くなった。こうして並べば、メアリが見上げる側である。


「待っててくれてありがとうね。じゃあ、家に帰ろうか」

「ん」


 歩き始める様子はなく、なぜか手を差し出している。

 一体何だろうと首を傾げていると、焦れたようにアシュが言った。


「荷物。たくさんあるだろ」

「あ、持ってくれるの? ありがとう!」


 持っていた籠を渡すと、ようやくアシュが歩き始める。

 背が伸びたせいか、今では歩幅もアシュには叶わない。追いつけなくなってしまうのだが、それに気づくとアシュが歩く速度を落としてくれる。


「アシュは今日何をしていたの?」

「柵が壊れたっていうから手伝ってきた」

「ふふ。アシュは力仕事得意だもんね。村の人たちも助かったと思うよ」


 あれからというもの、アシュも村の人たちと関わるようになった。

 メアリが村に行っている間、家に引きこもっているのも暇になったらしく、少しずつ外に出て、村の人とも言葉を交わすようになった。そうして今では、メアリだけでなくアシュも村の人たちの仕事を手伝っている。


「力仕事は得意っていうか……それしか取り柄がないから」

「でもみんな、アシュは剣術が上手だから村の用心棒だねって話していたよ」

「それは……暇だから、鍛えるしかなかっただけで……」


 今では力仕事だけでなく、村の警備や見回りもアシュの仕事の一つとなった。

 あれからというもの、アシュは時間があれば体を鍛えたり、木刀を振るったりするようになった。その上達もすさまじく、今では村で困りごとがあるとアシュに声がかかる。


 そうして二人は今日の出来事を話しながら家に戻る。家に戻れば、さっそく夕食の支度だ。夕食作りの支度を始め、エプロンを着ける。

 テーブルに野菜や肉と、まな板とナイフを置くと、アシュがやってきた。


「手伝う。これの皮をむけばいいんだろ?」

「助かるよ。でも、手を切らないようにね」


 返事を待つ間、ナイフをくるくると回して遊んでいたアシュは、メアリの言葉に一笑していた。


「もう慣れたから、手なんて切らない」

「でも気をつけてよ。油断してる時こそ怪我をするんだから」

「はいはい、わかった。いつまで俺を子供扱いするんだよ……」


 ぼやきながらも慣れた手つきで野菜の下処理を進めていく。

 その隣で、メアリも切り分けた肉に味付けをする。家で育てたハーブを刻み、肉に混ぜ込む。


「そういえば、村にいるベリーナちゃんがアシュのことを話してたよ」

「へえ」

「アシュの好きなものとかいろいろ聞かれたよ。二人は仲がいいんだね」

「仲がいいっていうか……一方的に話しかけられてるだけだ」


 ベリーナはアシュのことを気に入っているようだ。そのためか、顔を合わせるたびにアシュの話をしてくる。そしてアシュとベリーナが二人で話している場面だって何度も見ていた。


 最近のアシュはどうもツンツンとしていて、話しかけてもそっけない。ベリーナと仲が良いことだって認めようとしない。遅れてやってきた反抗期なのか、それとも格好をつけたい年頃なのか。ともかく、メアリとしては少々寂しいところだ。たった五年ではあるが、彼の育て方を間違えてしまったのだろうかと考えたりもしてしまう。


「……正直になっていいんだよ?」

「は?」

「この時のために、村の人たちには姉弟って話してあるんだから」


 素直に言い出せないアシュの心を見抜いたつもりでメアリは話す。しかしアシュは違ったらしい。眉間に皺をよせ、怪訝な顔をしていた。


「一応、婚約者ではあるけれどそれを知るのは城の人だけだし。それにアシュも十八歳になったから、好きに生きていいんだよ」

「何の話だ?」

「アシュだって好きな子と一緒に暮らしたいでしょ? 婚約解消して、アシュが自由になるっていう話をしてるの」


 なぜか、アシュの眉間の皺がさらに深くなる。機嫌はみるみる悪くなり、ついには舌打ちまでしていた。


「舌打ちしないの! もう、最近はすぐにそういう態度を取るんだから。そんなことしてたらベリーナちゃんにも嫌われちゃうよ」

「はあ……もういい。話すのも面倒だ」


 不満はあるようだが、口にしようとせず、アシュは黙々と作業を進める。

 メアリも下処理を終えた肉を焼き始めた。その隣ではスープの入った鍋もある。


「終わった」


 その言葉に振り返ると、アシュがこちらにやってきていた。下処理の終えた野菜を並べた皿をキッチンに置いている。

 出来上がったものを見て、メアリは微笑んだ。そして、いつもの流れで彼に手を伸ばして頭を撫でた。


「いい子いい子! 上手にできてるよー。偉い!」

「っ……と、突然頭を撫でるな!」

「だって助かるんだもん。本当に、いつもありがとうね」


 言葉では嫌がっているものの、本心とは別だろう。本当に嫌ならメアリの手を払いのけていそうだが、アシュは気まずそうに視線を逸らし、されるがままになっている。


「もう少しで出来上がるから待っててね」

「わかった。食器を並べておく」


 五年で生意気になったものの、家事を手伝ってくれるところは変わらない。そういうところはアシュの優しさを感じる。




 いつも通りに夕食を食べ、二人で片付ける。まもなく寝ようかという頃、思い出したようにアシュが言った。


「今日、王家の噂を聞いた。兄上たちに側室を迎えるって話が出てるようだ」

「あー……そっか。第一王子と第二王子も結婚してから数年経つけど、どちらも後継者がいないから」


 メアリとアシュが城を出た後、第一王子と第二王子は妻を迎えた。

 しかしいくら待っても、それぞれの夫妻の間に子供は生まれなかったらしい。最近ではそれが問題視され、側室を迎えるという話が持ち上がったようだ。


 辺境の村といえ、こういう噂話は入ってくる。アシュとしては聞きたくない話だろうが、どうしても耳に入ってしまうようだ。


 こうして王家の話になるたびアシュの顔色は曇る。それほど、アシュにとって王城での日々は辛かったのだろう。


 彼のことを気遣い、別の話を持ち出すべきか。メアリがそう考えている間に、アシュが呟いた。


「……虹孕みの公爵家」


 久しぶりに聞いたその名に、メアリが目を見開く。その間にもアシュは淡々と告げた。


「虹の名を冠するこの国の王位を継げるのは、神聖なる力を持つとされる王家の血筋を持つ者だけ。その力を継いだ子は、虹孕みとされる三つの公爵家から選ばれた配偶者と王家の血が交わらなければいけない」


 メアリもそれを知っていた。

 なにせ、その三つの公爵家のうち一つが、ローズグロス家なのである。


「兄上たちの間に子供が生まれないのは、そのしきたりのせいだと思う」


 かつてはこのしきたりを守り、三つの公爵家から配偶者が選ばれていた。しかし今回は王家側が三人の王子を抱えているのに対し、適齢の女子がいるのはローズグロス家のみ。

 そのため、メアリが王城に嫁ぐこととなったのである。しかし結果は、五年前に決着がついている。


 メアリの中で答えは出ている。覚悟を決めて王城に行ったのに、王子たちがメアリを押しつけ合ったあの時から。


「第一王子も第二王子も、このしきたりを守ろうとはしていなかった。そのしきたりっていうのは古いもので、今は尊重されないんだよ」

「でも俺の母だって公爵家から来ていた。後継者が現れなかったらこの国は……」

「……アシュは考えなくてもいいんだよ」


 冷たいかもしれない。けれど、これがメアリの答えだ。


「城から追い出されて、第三王子じゃなくなった。だから国のことを考えなくていい。アシュは自分の幸せを考えていいんだよ」


 それでもアシュとしては納得がいかないのだろう。何か気になっていることがあるのかもしれない。彼は俯いてしまった。


「私のことだって気にしなくていいの! ベリーナちゃんと一緒になったっていいんだし!」

「は? どうしてそうなる」

「婚約なんていつでも解消できるんだから。ちゃんと好きな人を見つけて、幸せになっておいで。私のことはお姉さんみたいなものだと思ってさ――」


 彼と共に暮らした時から、いずれ婚約を解消するつもりだと話していた。最近のアシュの様子から、その時がついに近づいているのかもしれないと考えていたのだ。

 しかしアシュは違ったようだ。彼は苛立ちを露わにし、こちらに近寄ってくる。


「……なんで、勝手に話を進めるんだよ」


 その呟きが聞こえた時には、アシュの手が動いていた。

 どん、と壁に押しつけられた。壁とアシュに挟まれる形になっただけでなく、閉じ込めるかのように彼は壁に手をついている。そのため、メアリは身動きが取りにくい。


「アシュ? 狭いよ?」

「もう、五年経った。俺はあんたより背も大きくなった。体だって鍛えた」


 見上げれば、彼は切なそうにこちらを見つめていた。


「前みたいに狼が現れても、あんたを守れるぐらいに力をつけた。俺をここまで強くさせたのはあんたが理由だ」


 この五年の間、アシュと共にいたのだから彼の成長はわかっている。

 狼に襲われた時の傷はメアリの腕に残り、その傷跡を見るたびにアシュが申し訳なさそうにすることも、今後はそうならないようにと鍛えていたことも知っている。


 メアリは柔らかく微笑み、アシュの背に手を回した。

 幼子を宥めるように優しくさする。


「わかってるよ。大きくなったもんね」

「っ……そうじゃ、なくて!」

「ツンツンしてるけど本当は優しい子なのもわかってる。いい子いい子」


 アシュは困惑したように視線を逸らし、それからため息をついた。

 諦めるように、壁についた手を下ろす。壁とアシュの間に閉じ込められていたメアリは解放された。


「俺はもう子供じゃない。いい子って言われても嬉しくない」

「昔みたいに甘えんぼしてもいいよ。雷は鳴ってないけどぎゅってしてあげるよ」

「……はあ。もういい。俺が悪かった」


 なぜか落胆しながらアシュが離れていく。

 しかし先ほどの切ない表情は、メアリの知らないアシュがいるかのようだった。あんな顔をするようになったのかと思いながらも、アシュに問う。


「そろそろ寝るけど、今日は手を繋がなくて平気?」


 メアリから離れていこうとしていたアシュだが、その問いかけにぴたりと足を止めた。

 彼は振り返らず、むすっとした低い声で答える。


「……繋ぐ」


***


 事態が動いたのは数日後である。


 ディアレム村で畑仕事をしていたところ、その人物らは突然現れた。


「メアリ・ローズグロス! 捜したぞ!」


 荒々しい声に驚いて振り返れば、そこにいたのは数年ぶりに見る王子たちだった。何人もの侍従を連れている。彼らの装いは質素なディアレム村に不釣り合いなほど豪奢で、のどかな景色に馴染んでいない。

 そんな侍従たちがメアリを囲み、腕を掴んだ。


「な、何をするんですか!?」


 メアリが叫ぶと、王子たちがこちらに歩み寄って告げた。


「捜していたんだ。今すぐに君を連れて行かないといけなくてね」

「連れて行くって、お城ですか!? 私は行きませんよ」

「ああ、五年前は君を傷つけてしまったからね……あの時のことで、君はまだ怒っているだろう」


 第一王子と第二王子は、メアリの前で深々と頭を下げた。


「申し訳なかった。あの時は、君を妻にする覚悟がなかったんだ。許してほしい」

「今になってあなたの魅力に気づいた。だから、僕と結婚をしてほしい」


 五年前とは一変した態度だ。その原因をメアリは口にする。


「虹孕みの公爵家なんて古い決まりごとだと言っていたのに。後継者となる子供が生まれないとわかって、今さらここに来たんですね」

「違うぞ! これは君が大事だと思ったから迎えにきただけで……」

「子供が欲しいからって、今さら頭を下げて、私を側室に迎えるつもりですか?」


 全てお見通しである。そのことに王子らも気づいたらしい。

 彼らは顔をあげ、正直に認めた。


「……そうだ。たかがしきたりと思っていたのは間違いだった」

「国のために、君が必要なんだ! 君がいなければ、王家の未来はなくなってしまう!」


 ならばメアリではなく、メアリの妹に声をかければよい。しかし王子らがここにやってきたところを見るに、妹にも逃げられたのだろう。この五年、ローズグロス家と連絡を取っていないため詳細はわからず、メアリも推測するのみである。


 その間にも村人は集まってきた。なにせ、この国の王子らがここに来ているのだ。華やかな装いはそれでなくても目立ち、作業に出ていた者たちもわらわらとこちらを囲んでいる。


「メアリ!」


 その中で、人混みをかき分けてこちらに来る者がいた。

 アシュだ。その様子から察するに王子らの来訪を聞きつけ、慌てて駆けつけてきたのだろう。


 アシュはメアリの隣に並ぶと、第一王子と第二王子を睨み付ける。五年ぶりに会う兄たちだが、そのまなざしには軽蔑が込められていた。


「……久しぶりですね、兄上」

「アシュヴァン。なんだ。忌み子のくせに元気そうだな」


 王子らも再会を喜ぶ様子はなく、それどころかアシュを小馬鹿にするように嗤っていた。


「随分とみすぼらしい格好だな。この村によく馴染んでいるじゃないか」

「そこを退け。私たちはメアリを迎えにきたんだ。お前と話している暇はない」


 しかしアシュはメアリを自らの背に隠し、一歩も退かない。


「虹孕みの公爵家が必要になったからってメアリを連れていくつもりだろ。メアリは絶対に渡さない」

「それはお前が決めることではない。王家と公爵家の婚姻は決められていることだ。だから諦めろ。メアリは私たちが連れて行く」


 このやりとりを聞いた村の者たちはざわついていた。

 アシュとメアリは姉弟としか聞いていなかったのだ。王家から迎えが来るような者だったとは想像もしていなかったのだろう。


 これに気づいた第一王子が村人の方を向く。集まった者たちの顔を見回して叫んだ。


「皆さん! ここにいるメアリ・ローズグロスは虹孕みの公爵家の娘! 我々、王家の血を継いだ子を孕める娘なのです!」

「虹孕み……?」

「な、なんだ?」

「つまり、メアリを王家に迎えなければ――この国は途絶えてしまう!」


 正確には王族の血が途絶えるのだが、第一王子はわざと誇張して叫ぶ。

 これはじゅうぶんに、村人らの不安を煽った。

 それでなくても、国の状況は王子らが子を生さず将来を不安視されているのだ。メアリを迎えれば王家の子が生まれる。国が続く。


 村人らの顔色が変わった。


「それは大変だ。メアリ、君は城に行くべきだ」

「この国がなくなってしまったら大変だわ。メアリ、お願いよ」


 国の情勢についてはディアレム村にも噂として伝わり、だからこそ彼らは王子の言葉に乗っかる。

 風向きが変わったことはメアリだけでなくアシュも気づいていたのだろう。彼は苦しそうに歯がみしている。


「メアリ! この国のために!」


 村人らの声が聞こえる。

 群衆を味方につけたことで、第一王子と第二王子はにたにたと嗤っていた。これならばメアリを連れていけると思ったのかもしれない。


「私が王家に嫁げばという話ならば、五年前に選んでいます」


 アシュの背から顔を出し、メアリが王子らに告げる。

 しかし王子らは首を横に振った。


「君が選んだのは十三歳とまだ幼かった。だから結婚ではなく、婚約という形にしたはずだ」

「それに、君はまだ婚約中のままで結婚もしていないと聞いたぞ。だから五年前の話は無効だ」


 ならば、とメアリが一歩足を踏み出そうとした。

 しかし縋るように手を掴まれた。メアリの手を掴んだのはアシュである。


「いやだ」

「アシュ……」

「俺はあんたがいないと生きていけない。だから行かないでくれ」


 心のうちの苦しさを現すように、ぎゅっと。

 切ないほど力強く握りしめられたその手に、メアリは微笑む。


「大丈夫。わかっているから」


 今度こそ一歩踏み出し、メアリは告げる。


「五年前の話が無効ということであれば――改めて、私が指名しますね」


 すると、王子らの表情が変わった。


「し、指名なんて。君は私たちから選ぶしかないのだぞ?」

「そこにいる忌み子は選ばせない。わかっているな?」


 メアリは村人に視線を送る。

 彼らもまた、メアリがどちらの王子を選ぶのかと待っているようだった。


 だが、選ぶ気はない。


「アシュは……隠されていた第三王子です。城を追われてここに住んでいただけです」


 村人らが息を呑む。王子がもう一人いると知らなかったのだろう。

 群衆への説明を終えた後、メアリは改めて王子らを見る。

 そしてゆっくりと、告げた。


「私の第一選択希望は――アシュヴァン第三王子です」


 五年前と変わらない選択。

 これには第一王子と第二王子もすぐに声をあげた。


「そんなの許せると思うか!」

「忌み子を選ぶなんて言語道断だ。そもそも君が指名するなんて話がおかしい!」

「虹孕みの公爵家は王子のもとに嫁げば良いのですよね? でしたら、アシュも第三王子として資格を有しています」

「なっ――」


 第一王子と第二王子は反論しようとしていたが、遮るように村人らのざわめきが聞こえた。


「アシュが王子だったとして、どうしてこの村にいたんだ?」

「忌み子って話してたよな。まさか、アシュは王城で」

「アシュが第三王子ってならばこれで解決だろ。どうして第一王子と第二王子は怒っているんだ?」


 第三王子であった者が村に隠れ住んでいた。その説明をすれば、第一王子と第二王子がアシュを虐げていたことが明らかになってしまう。

 メアリの指名に反論すれば、王子たちのぼろが出てしまうのだ。

 それに気づいたのか、彼らは口を噤む。


「……アシュ」


 王子らが何も言わない間に、メアリはアシュに振り返る。

 そして柔らかく微笑んで告げた。


「これ以上、王子たちと話すことはないよ――一緒に帰ろう」




 アシュの手を引いて、逃げるように家へと帰る。

 幸いにも王子らが追いかけてくる様子はなかった。村人らがいる手前、目立つことはできなかったのだろう。

 それにメアリが二度も第三王子を選んだのだ。選ばれなかった王子らのプライドは傷がついたかもしれない。


 家に入るなり、アシュがこちらに向き直った。


「メアリ。俺を選んでくれてありがとう。俺もあんたが好きだ」


 アシュは真剣な顔つきで、やや緊張の感じられる声音でそう告げた。


「うん。わかってるよ。アシュは大事な家族だもん」


 対するメアリはというと、いつも通りの表情である。

 家族。

 その言葉にアシュの動きがぴしりと固まる。しかしすぐに我に返り、慌てた様子で告げた。


「そうじゃなくて! 俺は、あんたのことを大事に思ってる」

「私もだよ。大事な可愛いアシュって思ってる」

「だから……! あんたは俺のことを弟のように思っているかもしれないけど、俺は違う。あんたのことを姉だと思った日は一度もない!」


 アシュはメアリに詰め寄る。手を伸ばさなくてもすぐに触れてしまいそうなほど距離を狭めた。

 そして短く息を吸い込む。わずかに顔を赤らめ、身のうちにある勇気を振り絞るかのように切なげな表情で言った。


「俺と結婚し――」

「よしよし」


 けれどアシュの言葉を遮り、メアリが彼の頭に触れた。

 めいっぱい背伸びをして彼の頭を優しく撫でる。もう一方の手は彼の体を優しく抱きしめていた。


「不安にさせちゃったね。これからも家族だよ。いい子いい子」


 アシュは驚いて目を丸くしていたが、そのうちに気が削がれたかのように肩を落とした。


「……意気地なしだな、俺は」

「え? そんなことないと思うよ。今日だってアシュが駆けつけてくれたじゃない」

「言いたいこともちゃんと言えなくて……自分が情けない」


 みるみるとアシュが力を失っていく。先ほどと違って落胆してしまったアシュに首を傾げながらも、メアリは優しく彼を抱きしめる。


「どうしたの? 元気でなくなっちゃった?」

「……もうちょっと、このままがいい」


 アシュも弱々しく手を伸ばし、メアリを抱きしめた。

 その様子が可愛らしく、メアリはふふと笑う。


「いいよ。今日は甘えんぼに戻ったみたいで懐かしいね」

「もう甘えんぼでも弟でもなんでもいいよ……」


 メアリの首に顔を埋めていたアシュがぼそっと呟いた。


「勇気が出たら、ちゃんと言うから」



 メアリとアシュ。二人の関係性が変わる日はそう遠くない。

***

お読みいただきありがとうございました。

可愛いヒーローは正義。ツンデレは正義。


息抜きに1万5000字程度の短編を書くつもりが、オーバーしていました。妹が出せなかったのが心残り…。

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妹と虐げてた親達が気になる。
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