光を愛した君へ
目を開けた瞬間、
私は黒い月を見上げていた。
……夢だと、
すぐに分かった。
冷たい夜風。
静まり返った空気。
紫紺の月が浮かぶ空。
そして。
黒曜石みたいな巨大な宮殿。
――黒月宮。
胸が、
小さく痛んだ。
私は裸足のまま、
静かな回廊を歩く。
足音だけが響く。
いつもなら、
ここへ来るとすぐ気配を感じるのに。
今日は妙に静かだった。
「……ノクティス?」
返事はない。
不安になる。
私は奥へ進んだ。
長い廊下。
月光の差し込む大広間。
黒薔薇の庭園。
どこにもいない。
でも。
ふと、
微かな魔力を感じた。
私は導かれるように、
黒月宮最奥のテラスへ向かう。
そして。
そこで、
私は足を止めた。
「……ノクティス」
黒い玉座の前。
月光の中で、
ノクティスが一人座っていた。
長い黒髪。
白い指先。
静かな横顔。
でも。
……泣いてる。
私は息を呑んだ。
頬を伝う、
透明な涙。
闇の精霊王。
誰より強くて、
誰より孤独で、
誰より傲慢だったはずの存在。
そんなノクティスが、
初めて泣いていた。
胸が痛い。
苦しい。
だって。
理由が分かってしまうから。
私は、
レオニス様を愛した。
光を選んだ。
幸せを知った。
その度に。
きっとノクティスを、
傷付けていた。
私はゆっくり近付く。
ノクティスはこちらを見ない。
ただ静かに、
月を見ていた。
その横顔が、
あまりにも寂しそうで。
私は堪えきれず、
そっとその指先へ触れた。
――初めてだった。
私から、
ノクティスへ触れたのは。
ぴくり、
と彼の指が震える。
紫紺の瞳が、
ゆっくりこちらを向いた。
その目は、
驚くほど弱っていた。
「……ミスティリア」
低い声。
掠れている。
私は胸が締め付けられる。
ノクティスはしばらく私を見つめたあと、
ふっと力なく笑った。
「お前は、
光を愛した」
その言葉が、
静かに落ちる。
「なら……
俺はいらないか?」
初めて聞く、
弱音だった。
胸が、
ずきりと痛む。
違う。
そんな顔をさせたいわけじゃなかった。
私はノクティスの前へ膝をつく。
「そんな事ない」
「……嘘だ」
「嘘じゃない」
ノクティスは少し目を伏せた。
長い睫毛の隙間から、
また涙が落ちる。
その姿が、
どうしようもなく苦しい。
私は気付いてしまった。
レオニス様を愛している。
でも。
ノクティスも、
失いたくない。
闇に沈みながら、
ずっと私を見つめ続けてくれた人。
孤独を知っている人。
私の弱さも、
醜さも、
全部知っている人。
「……ノクティス」
私はそっと、
彼の頬へ触れた。
冷たい。
するとノクティスが、
ゆっくり目を閉じる。
まるで、
その温もりへ縋るみたいに。
「お前は残酷だ」
低い声。
「そんな顔で、
俺へ触れるな」
「……ごめんなさい」
「謝るな」
次の瞬間。
ぐい、
と腕を引かれる。
気付けば私は、
ノクティスの膝の上へ抱き上げられていた。
「っ……」
逃げられない。
でも。
逃げたくないと思ってしまう。
ノクティスの腕が、
静かに私を抱き締める。
強引なのに、
壊れ物を扱うみたいに優しい。
熱い吐息が、
耳元へ落ちた。
「……お前は、
俺を拒めない」
低く甘い声。
ぞくり、
と背筋が震える。
紫紺の瞳が、
真っ直ぐ私を見る。
欲望。
執着。
孤独。
愛。
全部混ざったみたいな目だった。
「ミスティリア」
名前を呼ばれる。
優しく。
苦しそうに。
その声だけで、
胸の奥が熱くなる。
ノクティスの指が、
私の唇をなぞる。
触れ方が、
あまりにも慣れていて。
逃れられない。
「……お前が光を選んでも、
俺は諦められない」
低い声。
苦しそうなのに、
どこか嬉しそうでもある。
「お前が幸せなら、
本当はそれでいいはずなのにな」
胸が痛い。
私は思わず、
ノクティスの服を掴んだ。
すると彼が、
僅かに目を見開く。
「……ミスティリア?」
「ノクティスも、
大事なの」
掠れた声だった。
本音だった。
その瞬間。
ノクティスが、
泣きそうに笑った。
「……本当に、
残酷な女だ」
そう言いながら、
彼はそっと私の額へ口付ける。
優しいキスだった。
奪うんじゃなく。
失いたくないものへ触れるみたいな、
切ない口付け。
私はその温もりに目を閉じる。
黒月宮の夜風が、
静かに二人を包んでいた。
まるで夜だけが、
二人を許しているみたいに。




