第5話 第二王子エルネンは、朝が弱い
エルネンは大きく欠伸をした。冷たい空気が、まだ半分眠っている体を覚醒させようと入り込む。
「第一王子様は、エルネン様に似ているの?」
「俺の心配を先にしてくれよ。」
リリアーナは目を輝かせ、アリストラは腫れる頬を抑えている。
湖畔で拾ったボロボロのボートは、二人の言い争いですらグラグラとバランスを崩す。
朝日が昇りきっていない早朝だ。二人の護衛は、僕を湖に連れ出した。
(眠たいなあ。)
まだ薄暗い空に向かって、グッと体を伸ばした。
***
「風に当たりにいきましょうか、エルネン様。」
「あ、うん。」
「顔色が。」
「悪い?」
舞踏会は、そろそろ最後の曲を迎える。
リリアーナは例の令嬢が気になるらしく、ホールの人混みの中に消えていった。
アリストラは僕の顔を覗き込むと、会場の外に連れ出した。
「やはり、この騎士服が思い出させたのでしょう。」
煩わしげに、詰まった正装の襟を外した。
勘のいい魔法使いは、僕が取り乱す時の引き金に、気がついているようだった。
勝手に血の気が引く体、力の入らない手。情けなくて、笑ってしまった。
「僕は別に、可愛こぶってるわけじゃない。本当に、脆くて、弱いんだよ。」
「エルネン様……。」
外に続く、薄暗い、一本の廊下を二人で歩いた。パーティはもうすぐ終焉だ。ポツポツ他の人影もある。
壁の向こうから洩れ聞こえる音楽はくぐもっていて、まるでオルゴールを聞いているようだ。
イリヤ・エリオールとの思い出は、ふとした瞬間に僕の目の前に現れた。時に、幻覚をともなって。
「第二王子はおかしくなったのだと、言われなかったかい。」
王位継承戦は、拮抗している。
突然幻覚を見ては倒れる、心の壊れた第二王子。第一王子は戦争に駆り出されいつも国におらず、王女は、性悪な王妃の傀儡だ。
(王はまた、眠りについた。今度はいつ目覚めるんだろう。もしかすると、もう……。)
「エルネン様、あの……。」
——ドゴッ
隣を歩いていたアリストラは、後ろからいきなり殴りかかられた。それを腕でガードし、反撃を構えている。
「アリストラだめだ。」
後ろからクレマチスの声が響く。
——ゴンッ。ダンッ。
魔法使いは動きを止め、思い切り頬を殴られ、壁に叩きつけられた。
夜に溶け込む黒髪と、同色の正装。わずかな灯りも反射する、自分と同じライトブルーの瞳。
「なぜ第三騎士団が。」
「兄上、私の護衛です。その手を離してください。」
クレマチスが後ろからサッと飛んできて、男を引き剥がした。
それは、第一王子のテオールだった。
***
「アリスが手を出していたら、私たちの首はここになかったね。」
「そうだな。殴られといてよかったか。」
アリストラは、ボートの穴を魔法陣で塞いでいる。ピューと、足元に別の穴も空いた。
「僕たちは母親似だから、似ていると言われたことはないな。」
王の子供は三人とも、母親が違うのだ。
「では、美しいお母様だったのですね。」
傾国の美女だ。冷酷無慈悲なその女のことは、知らないらしい。
ボートはギシギシと魔法陣の重さで傾き、立ってバランスを取る彼女は、どんどん端に追い込まれていく。
「あの派手な騎士服。着ていて本当にいいことがなかったな。」
アリストラは、ほとりで一人、ソワソワと見張るリーバンスを睨んだ。
そのそばを、カップルが散歩している。
「第三騎士団は、第一王子が解散させたと。」
「僕を思ってのことだよ。それも、昨日のことも。」
テオールは、少し酔ってしまっていたらしい。
昨日はその騒動のまま、舞踏会は終わってしまった。
「……アリア姫に挨拶しないまま、ここを立って良いのですか?」
「……うーん。」
日が覗く。眩しくて、目を細めた。
朝日が、水面を金色に染め上げる——
「そうだ、エルネン様。あの時、伝えようとしたことがありまして。」
アリストラがそう言って顔を上げた瞬間だ。力加減を誤ったのだろうか。魔法のことは、よくわからない。
ボートが大きく傾いた。縁ギリギリにいたリリアーナは、背中からグラっとバランスを崩した。
「リリー。」
手を伸ばすと、彼女は笑ってその手を取った。
「ちょっと、立っちゃダメです!」
魔法使いは、慌てて僕の腕を掴んだが。
———バシャーン
ボートはひっくり返り、三人で、金に輝く湖に沈んだ。




