第15話 アリストラの夜
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アリストラは、王子の寝室の扉をボーッと眺めていた。
(リリーは、酒場まで辿り着いたかな。)
夜中を待ち、二人の依頼人が帰ったら踏み込む手筈だ。
彼女は強く、心配する必要はない。呑気に大きな欠伸をした、その瞬間だった。
「アリス、いるのかい。」
白く塗られた目の前の扉が開いた。王子の姿を見るのは、十日ぶりだった。
「はい、おります。こんばんは、あの、お久しぶりですね。」
この扉が夜に開いたことはなかった。寝ている気配もなかったが、それはいつものことだった。
「調子を崩していたんだ。君は、なんでも知っているかも知れないけど。」
王子は、お茶をしたその日に倒れた。
警戒されているため会うこともできず、寝室だけを守り続けた。
「眠れないのでしょう。この間のこと、申し訳ありませんでした。殿下の問題を、解決して差し上げたくて。出過ぎたことを致しました。」
膝をついて謝った。
エルネンは、不眠症だった。
成長期の体は眠りを欲しているのだろう。数日で倒れ、眠り、また眠れなくなるのを繰り返していた。
「僕も、眠くてイライラしていたのかも知れない。すまなかった。」
暗がりでも表情がよく見えるのは、エルネンの顔が美しいからだろうか。弱った表情は、儚さを増す——
機嫌が悪くて席を立ったわけではないことは、わかっていた。
この王子には心に傷があって、それを、その時踏み抜いてしまったのだ。
「いいえ、私が悪かったのです。」
それが、申し訳なくて。もう一度深く頭を下げた。
「バルト卿も、どこかで見張っているんだろう。度々来ていた夜の来訪者が、君たちが来てからパッタリ止んだから。」
寝室を狙う刺客は、城に来る前からのことだったらしい。
さあもう一人の所に連れていってくれと、王子は軽そうなガウンの前を縛った。
そこらへんにいると思っているのだろう。
「今ですか。もう遅いですし、明日にしませんか。」
「アリス。君が僕の言葉に逆らうのは、隠し事がある時か、嘘をついている時だ。」
思わず黙った。今、謝罪したばかりなのに。
「怒らないから、言ってごらん。」
「では、もう少し暖かい上着を着ていただけますか。」
***
「怒らないって言ったじゃないですか。」
「怒ってないって。」
エルネンの剣先は鋭く相手を突いた。繊細そうな見た目と裏腹に剣術は荒く、力強い。
ガダガダダッ——
相手は剣で受けたが、衝撃そのまま店の中に倒れ込んだ。中にいたのは五人。ジロリとこちらを睨みつける。
「これで、全部なの。」
「はい。ここで仕事を受けて、傭兵などにまた依頼するのです。」
殺し屋仲介業者だ。
「本当に怒ってないよ、アリス。僕も、いい加減目障りだと思っていたんだ。」
それは、怒っている人間のセリフではないだろうか。
奥にカウンターがあった。そこから酒瓶が飛んでくる。
王子は、派手な剣でそれを真っ二つに斬ると、投げた相手に向かって走りだす。
ガシャァァ——
瓶ガラスが床で砕ける音が、耳障りに響いた。
横からナイフを投げられるが、エルネンは一切眼中にない。
「まってまって。」
慌ててナイフを魔法陣でガードした。ナイフは向きを変え、相手に向かって飛んでいく。
外した。それは店を照らすランプに当たり、視界が一気に暗くなる——
「王子様、危ないですって。」
その反対側からきた攻撃も、魔法陣でガードだ。こっちもナイフか。構えたまま、突っ込んでくる。
バリバリバリッ、バリッ……
相手の突きは、五重にした魔法陣を四枚破り、エルネンの顔ギリギリの所で止まる。王子は怯まず距離を詰め、相手を切り倒した。
その後ろからきた相手にはとうとう手が足りず、短剣を手に、体を滑り込ませた。
シャッ——
「うわっ。」
浅く体が斬られた。そこがじんわり熱く感じる。
次の攻撃は短剣で受け、跳ね飛ばし、トドメを刺した。
後ろを振り返ると、勝負は終わっていた。
王子は突き刺した剣をグッと抜くと、ポツリと呟いた。
「あと三年の我慢だったのに。しかしまあ、悪くないな。」
エルネンの、見事な剣術の腕前を知るものは少ない。第二王子は、爪を隠していた。
「お怪我はありませんか、殿下。」
幼い顔を汚しているのは返り血だ。それを、グッと拭って王子は言った。
「リリアーナには、内緒にしてくれないかな。」
「どうしてです。」
(こんなにかっこいいのに。)
「可哀想な王子の方が、守りがいがあるだろう。」
やっぱり、こいつはブッている。しかし、そんなところもかわいらしく、魅力的ではないか。
月明りが、窓から差し込む——
悪戯っぽい笑みが、悔しいくらい美しかった。




