独立国家サチの創立の理由
なぜ、彼らが「サンブック国」と呼ぶ国を見限り、独立を志すに至ったのか。
その理由は単純でありながら、同時に深く、切実だった。
サンブック国の政治家たちは、己の既得権益を守ることにばかり必死だった。
国民の生活や未来を顧みることなく、権力維持のための駆け引きと、利権の分配に時間を費やしていた。
その現実に、二人は強い怒りと絶望を抱いていた。
「いくら“国民の代表”と名乗っても、サンブック国の金貨を好き勝手に使い、責任も取らない人たちを、どうして信じられるの?」
「結局、彼らは自分たちの失敗を隠し、誰一人として責任を負わない。たとえば“減畑政策”と呼ばれる農地削減を数十年と唱えておきながら、今になって“やっぱり増産に切り替えます”と手のひらを返す。その負担はすべて国民に押しつけられる。これが政治なのか?」
科学者として、努力と結果の両方に責任を持つことを当然とする世界で生きてきた二人にとって、こうした無責任さは到底受け入れられなかった。失敗は隠すものではなく、次の成果に繋げるため公開すべきもの――その信念と真逆だったからだ。
さらに不信感を決定づけたのは、サンブック国が「温暖化対策」を声高に叫びながら、実際には何一つまともな政策を実行してこなかったという事実だった。気候変動による被害が各地で顕在化しているにもかかわらず、口先だけの約束を繰り返し、実効性のある施策は何もなされなかった。
「未来を守るどころか、放置して後の世代にツケを回す。そんな政府に、子どもたちの命を託せるはずがない」
加えて、政府の姿勢はますます国民から遠ざかっていった。生活の安定よりも、軍事費の増大に国家予算を傾け続けていたのだ。
「軍事に金を注ぎ込めば、国民の暮らしが安全になるとでも思っているのか? 本当に必要なのは、人の尊厳を守る政策だろう」
二人の視点からすれば、国民の血税を国防という名目で浪費し、教育や福祉、環境対策を軽視する姿勢は、価値観そのものが真っ向から対立していた。
「物価を上げて国民生活を不安にさせることが政治家の仕事だと思う? 本来なら、素晴らしい人間性や国民性を前面に出して、サンブック国の金貨をもっと価値あるものにすべきだったんじゃない?」
外交の場でも失敗は繰り返された。外部国家に対して交渉力を持たず、強国に譲歩ばかりを重ね、国内に利益をもたらすどころか国民を不利な立場に追いやっていたのだ。
「これでは国民の努力がすべて水の泡になる。外で必死に戦う企業や労働者の背中を、政府自らが押し流しているようなものだ」
そして何よりも、彼らが耐えがたく感じたのは、サンブック国政府が「人そのもの」を軽視していることだった。国民の声を無視し、労働力や税収の数字としてしか扱わない。人間を一人のかけがえのない存在として尊重する姿勢が、そこにはなかった。
「人を大切にしない国は、いずれ人に見放される。人があっての国家なのに」
二人の言葉には、恐怖と怒り、そして深い悲しみが入り混じっていた。
「私たちは科学者として、人間らしい生き方を守りたい」
そうして二人が選んだ道は、祖国への“宣戦布告”とも言えるものだった。
それは比喩的な意味であり、武力による戦いではない。腐敗した国家に“反省”を迫るために、自ら新しい国を築くその決断だった。
「反省をしてもらいたい。けれど正直、もう嫌気がさしている。国民の生命と財産を守ると豪語しながら、その最低限すら守れないサンブック国政府に」
そして二人は宣言する。
「人間が人間らしく生きられる未来! 誰かが誰かを支配するのではなく、 AIも自然も、人間と肩を並べて共に歩む社会を目指す!」
彼らにとって科学は、人間と自然、そしてAIを対立させるものではなく、ともに繁栄させるための道具だった。その理念こそが、新国家の土台となる。
「だからこそ、ここに私たちの国を作るのね。理想の国を」
こうして、独立国家〈サチ〉が誕生することになっていくのだった。