当主の慧眼
藺石…………藺家の当主。槍の達人。八人の子息を持つ。
藺授…………藺家の長子。苛烈な槍の名手。
藺離…………藺家の次子。槍の手練者。道徳的な思想を持つ。
藺翼…………藺家の三男。豪快な槍術の持ち主。
藺冑…………藺家の四男。鋭敏な槍術の持ち主。
「ああ。離兄が当主なら、俺たちもやる気が出るってもんよ」
「難しいことを云うな。私は、授兄ほど強くない」
「……思いついたぞ! 離兄の傷が治ったら、皆で離兄を鍛えてやることにしよう!」
「そりゃあいい!」
肩を寄せ合った三人は笑い合うと、歩調を合わせて邸の中に姿を消した。
その夜のことだった。
篝が焚かれた部屋には、ひとりの壮年が胡座していた。腕組みのまま背筋を伸ばし、瞑目している。柄は朱色だった。壮年の右側の床には、一本の年季の入った槍が置かれていた。それは、藺家当主の藺石だった。藺石は、耳を澄まして招いた者の来訪を待っていた。
一度、篝の炎が揺れた。
「父上、お呼びでしょうか」
下座にある扉の奥から声がした。緊張はない。そうかと云って、浮かれている様子もない。いつも通りの声音だった。
「入れ」
瞑目したままの藺石は、その声の主を招き入れた。
姿を現したのは、次男の藺離だった。襦褲を纏った藺離は、父の藺石から距離を取って対面へ静かに端座した。
藺離の着座を察した藺石は、静かに眼を開いた。
「強かに打たれたな」
「…………」
「何故に全力を出さん?」
「…………?」
藺離は、怪訝の色を浮かせると、惚けてみせた。
「昼間の乱戦のことだ。今日だけではあるまい。お前はいつも本気で挑んでおらん。特に授には、敢えて勝ちを譲っている」
「そのようなことはございませぬ。授兄に敗北を喫するのは、我が武技の至らなさ故」
微笑を湛えた藺離は、申し訳なさそうに返した。
その時だった。
藺石の背から這い上がるようにして右肩に姿を現したのは、奇妙な生き物だった。姿は栗鼠のようにも見えるが、深紅の身に黄の鬣を備え、左右には黒々とした大きな眼がある。どういう訳か、尾があるはずのところには、紅蓮の炎が燃えていた。




